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1年目春 商会令嬢対決編
第24話 賭けの行方
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俺はヌシ討伐の戦利品※1を魔法の携帯袋へ収める。
そして、左手に〈ダンジョン核の欠片〉を持った。
空はすでに深い群青へ戻っていた。
高原の空気は澄み切って、遠くでは小鳥が甲高くさえずっている。
硫黄臭の残り香が鼻腔をくすぐる。
湯気の引いた岩肌には早くも苔が息を吹き返している。
「お先に」
俺はひと足先に〈ダンジョン核〉の前へ進む。
晴れ渡った山頂の中央――橙色の輝きを宿す結晶石。
俺の背丈の倍はあろうかという菱形の核が、群青の天幕を鏡のように映している。
ダンジョンの『心臓』とも言える〈ダンジョン核〉。
原作ゲームでは、ヌシのドロップアイテム〈ダンジョン核の欠片〉を握って核に触れることで踏破の実績※2が刻まれ、多量の経験値を得ることができる。
俺は右手を差し出す。
煤けた手袋ごと石面にそっと触れた。
ブゥン……。
一拍も置かずに、左手に握った〈ダンジョン核の欠片〉が柔らかな光粒へ変わる。
橙の流れとなって腕を駆け上がった。
渦を巻いた輝きが胸元へ吸い込まれると同時に、まばゆい金光が俺の全身を抱き込んだ。
陽だまりに溶けるような温かさが骨の芯まで浸透する。
両腕、腹部と火傷の痕がみるみるうちに回復していった。
「っし」
ステータスを〈第四の目〉で再確認――レベルは3に戻っていた。
〈激怒の兎〉討伐の翌日に落ちた分をきっちり取り返す。
経験値の増加量を見て、しばらくの間はレベルダウンを恐れずに済みそうだと、俺は安堵する。
黒土を踏み越えて三人に近づくと、拍手をしながら彼らは出迎えてくれた。
「お、おめでとう。アイ、いや、も、モブくんっ」
「おめでとう、……モブ」
「モブ様、おめでとうございます」
カーラとレンは気恥ずかしそうに、視線を動かしている。
言葉の歯切れが悪いのを、俺はすかさずからかった。
「なんだいまさら、名前呼びぐらいで。ちょーうれしいんですけど?」
「あう……」
「……う、うるさい」
戦闘の興奮が引いたのだろう。
二人は羞恥に頬を染める。
そんな二人を見て、シモンは口元を黒の革手袋で隠しながら、しとやかに笑う。
「ほら、次はお前だ、……カーラ」
レンの言葉尻がすぼむ。
彼は腕を組み、真っ赤な頬を隠すように明後日の方向を見やった。
カーラはカーラで名前呼びされて、耳まで赤くしている。
実に初々しい反応だ。
俺はシモンと一緒に、微笑を浮かべた。
「ほらほら、行ってきな」
「う、うんっ」
俺が道を開けると、カーラがいそいそと前に歩き始めた。
両手で〈ダンジョン核の欠片〉を包み込みながら進む。
欠片は橙の星粒をこぼし、彼女の指先を内側から淡く照らしていた。
その姿を見届け、俺はレンとシモンの脇を抜けて離れようとする。
草擦れの音にシモンが振り向き、俺を呼び止めた。
「どちらへ?」
俺は顎を上げて示す。
山頂の入り口付近――熱を残す岩肌の尾根越しに、三つの影が伸びている。
カナメ、マリー、ルールルー。
遠巻きに彼女らはこちらを見守っていた。
「すぐ済むよ。待たせすぎても悪いし」
「──ふん、マーケッタはいないのか? 尻尾を巻いて逃げたか?」
レンがじろりとカナメたちに片眼を向ける。
彼の言う通り、確かにアリスの姿はない。
「どうだろ。まだ首輪はつけてないはずだけどな」
「ふっ」
俺の軽口を気に入ったのか、レンが微笑んだ。
それから彼は唇を尖らせ、腕を組み直した。
「すぐに帰ってこい。……お前は俺たちのリーダーなんだからな。それと、思いっきり自慢してやれ。俺たちが勝った、とな」
「わかったよ」
肩をすくめ、俺は苦笑で返す。
結晶の残光が背後を押すように、俺は駆け足で山頂の入り口へ向かった。
□
俺が近寄ると、ルールルー、マリー、カナメの並びから、カナメが一人前に出て俺を出迎えた。
陽を照り返す灰岩の上で、カナメの履く草履が小さく砂を蹴る。
山頂への旅路で付着した土が乾いて、藍色の足袋から白い粉が流れた。
銀のポニーテールが高原の昼風に揺れる。
カナメは俺の前で立ち止まり、遠景を探るような眼差しを寄こす。
雲ひとつない蒼穹が藍の双眸に映り込み、長いまつげが頬へ淡い影を落とした。
「モブ」
「カナメ」
俺は手を差し出す。
同じように、カナメも手を伸ばした。
教室では宙を切った俺の手が、今度は素直に彼女の掌へ落ち着いた。
細い指が握り返してくる。革手袋と軽小手の布が擦れた。
「見事、だったぞ」
カナメは頬を染めてわずかに顔を傾ける。
銀の前髪が額にかかり、光を受けて刃文のようにきらめいた。
小躍りしかける衝動を、俺はひしと抑える。
ゆっくりと、落ち着き払ってから言葉を返した。
「そっちこそ――。最後は、負けるかと思った」
言いながら炭化した外套の袖を腕で払い、固まった汗を岩肌へ散らす。
カナメは鼻先を上向け、日光を帯びた瞳を細めた。
「ふふんっ。まあ、ほんの少しの差だったな。断じて我の足が遅かったわけでも、振りが鈍ったわけでもないぞ?」
胸を張る拍子に小袖の裾がふわりと翻る。
言い訳めいたことを言うカナメに、俺は笑みを返した。
「カナメじゃなきゃ、あんなひっ迫した状況になってないさ。マジでビビったっての」
「わ、わかればよいっ!」
カナメが早口で言い切る。
手を離したあと、彼女は照れ隠しのように背を向ける。
光沢のある刀の柄頭が腰で揺れ、乾いた金属音を一拍だけ転がした。
「──と、ともかく。お前の勝ちだ、モブ。負けて悔しいが、どことなく嬉しくもある。やはり、お前は強かった」
「だろ?」
「うむ。今度は願わくば、同じ班でありたいものだ。アリスには悪いがな」
背を向けたままのカナメの声は素直で、わずかに震えを帯びている。
胸の奥が熱くなる。
俺はこみ上げるものをこらえ、目尻を指でそっと押さえた。
だが余韻に浸る間もなく。
「――では、私たちとも組みませんか、モブ様♡」
「感情値、期待」
「っ!?」
マリーとルールルーが勢いよく詰めてくる。
二人は半歩の距離まで迫って、ぐっと俺に顔を近づける。
水色の瞳と紫の瞳がきらめき、俺の目を覗き込んだ。
「なぁっ――!?」
その肩越し――カナメが目を丸くし、驚愕まじりの視線を送っている。
「うふふっ。どうですか?」
マリーの修道衣にまとわせた香がふわりと流れ込む。
柑橘を思わせる清涼な匂いが漂った。
波打った水色の髪が風を受けてゆらめく。
併せてマリーの首に巻かれた〈才能封じの首輪〉の紫水晶が胸元で揺れる。
彼女は顔を赤らめながら、両手で頬を挟んでいた。
まずい。
俺は無意識に半歩下がっていた。
凶悪な胸部装甲に視線が吸い寄せられるのを必死に逸らそうとする。
マリー・バッドガールのグラマラスなボディは劇毒だ。
修道衣で隠れるわけない引き締まったエロス――俺の脳内で災害警報が鳴り続ける。
隣にいるルールルーに視線を移すことで、俺は下半身の興奮をいさめようと試みた。
「――さわりごこ……でぇい!!」
「?」
「も、モブ様?」
俺は伸ばしかけた手を勢いよく後方に振り抜いた。そのまま後ろを向く。
お、俺はいったい何を……!?
ルールルーの白いおみ足に気を取られながら、右手が勝手にマリーの僧衣に伸びていた。
動悸が激しい。右手首を押さえて、俺はうずくまった。
『――おう姉ちゃん、いいもんもってんじゃあねえか』
『……♡』
たわけた妄想が脳内をよぎる。
本当にまずい。このままだとレベルダウンしかねない。
俺は立ち上がるさなか、視界を赤に染める。
消費を抑え、最小限の情報だけ拾うようにした。
振り返って、俺は二人に謝罪する。
「すまんすまん。ちょっと頭がおかしくなった」
「だ、大丈夫ですか?」
「感情値、心配」
視界に入る文字や数値に意識を傾けながら、俺は会話を続けた。
『B96/W62/H92』『B69/W50/H71』といった文字列は無視する。
そんな俺の様子を見て、ルールルーがこてんと小首を傾げる。
「それが〈第四の目〉? ――赤い」
「ああ。ちょっと訳あって発動してる。申し訳ないけど、少しこのままにさせてくれ」
俺はうなずく。
彼女らに軽く頭を下げた。
「ルーとマリーのこと、ほんとに知ってる?」
「……ああ」
ルールルーが、無表情に俺に尋ねる。ふわりととんがり帽子が揺れた。
彼女が俺に向けた視線は――期待だった。
俺は二人にだけ伝わるように、短く答えた。
「ルーは偉大な研究者、ディーの落とし子。マリーは、その血が原因で聖女を辞退した」
「──!」
杖を握る手と、祈るように組んだ手――二人のそれぞれの手がきゅっと強張る。
ルールルーの瞳は見開き、マリーは細く息を呑んでいる。
異端者ディー※3との関係に、マリーに秘められた血筋。
それぞれのパーソナリティを告げた結果、二人の俺を見る視線は、ますます粘っこいものへと変わっていた。
「うれしい」
「ええ、本当に……。ふふっ」
意味深い微笑みが文字列越しに浮かんでいた。
奇異な出自のせいで、二人には心底頼れる相手がいなかった。
原作では主人公が少しずつその秘密に触れて距離を縮めるというのが、二人のヒロインルートだ。
――が、俺は原作知識と〈第四の目〉の性能によって段階をすっ飛ばしてしまった。
なので、こうして早いうちからあなたたちのことを知ってますよアピールができている。
好感度が高いことは、戦力向上につながり、今後の攻略に役立つのでメリットは多い。
だが一方で、原作主人公と違って俺は〈女神の祝福〉を持っていないことから、暴発の恐れもある。
いかがしたものかと、俺は頭をかいた。
陽だまりの山頂にいても背筋がひやりとするほど、二人の気配は近かった。
「ん゛っ! ごほんっごほんっ!」
背後でカナメが大げさに咳払いした。
銀のポニーテールが陽を散らしながら揺れ、じとりとした視線でこちらを射抜いている。
岩が熱を失い始めたはずの高原で、その視線だけがやけに暑い。
渡りに船と、俺は慌ただしく二人から距離を取り、大仰に腕を振った。
〈第四の目〉を切り、視界はいつもどおりの色に戻った。
「あーそういえばアリスはどこだ!? 賭けに勝ったし、自慢してやんないとなー!」
「アリス様なら……」
マリーが人差し指を顎に当て、少し間を置いて答えた。
「……モブ様。今は放っておいてあげませんか? 女子には時に、他人に見られたくない顔もあるものです」
淡い笑みを保ちつつ、マリーはそっと言い添える。
その言い回しにカナメも腕を組み、うむと頷いた。
「あの様子では、お前が会ったら死体に鞭打ちをするようなもの――。まったく、情けない。女子だったら余計潔く、負けを認めるべきとは思うが」
「……そうか」
俺は視線を西の尾根へ送り、橙色の岩が遠く霞む斜面をしばし見つめる。
淡く花をつけた高山草がゆらゆらと肩を揺らしている。
胸の奥で、まだ熱い鼓動が小さく跳ねた。
決心が形になる。拳を一度握り直す。
「よし」
指を開くと、革手袋がかすかな音を立てた。
すぐ横、ルールルーの帽子のタッセルが音もなく揺れ、マリーの首下の紫水晶がきらりと昼光を散らす。
「モブ様?」
「――ちょっと死体に鞭打ってくる!」
右手を上げて、俺は三人に突き出した舌を見せる。
九合目に向かって駆け下りた。
九合目へ続く山道もすでに熱を失い、靴底の下で細かな砂がさらりと流れる。
背中越しに「驚愕」とルールルーの鼻を鳴らす声を聞き、肩をすくめつつも歩幅を広げた。
遠ざかるほど、青い天蓋は静かに高く、鳥の鳴き声だけが細い糸のように山頂へ届いていた。
─────────────────
〈用語解説〉
※1 戦利品=
固有品 + レア修飾子付き短剣、レア頭装備、
レア食材×4、〈ダンジョン核の欠片〉×4
※2 踏破の実績=
ヌシ討伐後、〈ダンジョン核の欠片〉を所持したまま
〈ダンジョン核〉に触れることで達成できる偉業。
本世界でのレベリングの主要手段。各ダンジョンにつき一度きり。
〈特殊徘徊魔物〉に比べヌシ討伐の経験値が微量なのは、
この偉業報酬が想定されているため――と設定資料集に記載がある。
※3 異端者ディー=
人類再興期(約 500–400 年前)に突如現れた異世界からの来訪者。
転移・収納・結界・記録・通信・反魔法の無属性魔法をこの世界へもたらし、
後世へ多大な影響を与えた。
そして、左手に〈ダンジョン核の欠片〉を持った。
空はすでに深い群青へ戻っていた。
高原の空気は澄み切って、遠くでは小鳥が甲高くさえずっている。
硫黄臭の残り香が鼻腔をくすぐる。
湯気の引いた岩肌には早くも苔が息を吹き返している。
「お先に」
俺はひと足先に〈ダンジョン核〉の前へ進む。
晴れ渡った山頂の中央――橙色の輝きを宿す結晶石。
俺の背丈の倍はあろうかという菱形の核が、群青の天幕を鏡のように映している。
ダンジョンの『心臓』とも言える〈ダンジョン核〉。
原作ゲームでは、ヌシのドロップアイテム〈ダンジョン核の欠片〉を握って核に触れることで踏破の実績※2が刻まれ、多量の経験値を得ることができる。
俺は右手を差し出す。
煤けた手袋ごと石面にそっと触れた。
ブゥン……。
一拍も置かずに、左手に握った〈ダンジョン核の欠片〉が柔らかな光粒へ変わる。
橙の流れとなって腕を駆け上がった。
渦を巻いた輝きが胸元へ吸い込まれると同時に、まばゆい金光が俺の全身を抱き込んだ。
陽だまりに溶けるような温かさが骨の芯まで浸透する。
両腕、腹部と火傷の痕がみるみるうちに回復していった。
「っし」
ステータスを〈第四の目〉で再確認――レベルは3に戻っていた。
〈激怒の兎〉討伐の翌日に落ちた分をきっちり取り返す。
経験値の増加量を見て、しばらくの間はレベルダウンを恐れずに済みそうだと、俺は安堵する。
黒土を踏み越えて三人に近づくと、拍手をしながら彼らは出迎えてくれた。
「お、おめでとう。アイ、いや、も、モブくんっ」
「おめでとう、……モブ」
「モブ様、おめでとうございます」
カーラとレンは気恥ずかしそうに、視線を動かしている。
言葉の歯切れが悪いのを、俺はすかさずからかった。
「なんだいまさら、名前呼びぐらいで。ちょーうれしいんですけど?」
「あう……」
「……う、うるさい」
戦闘の興奮が引いたのだろう。
二人は羞恥に頬を染める。
そんな二人を見て、シモンは口元を黒の革手袋で隠しながら、しとやかに笑う。
「ほら、次はお前だ、……カーラ」
レンの言葉尻がすぼむ。
彼は腕を組み、真っ赤な頬を隠すように明後日の方向を見やった。
カーラはカーラで名前呼びされて、耳まで赤くしている。
実に初々しい反応だ。
俺はシモンと一緒に、微笑を浮かべた。
「ほらほら、行ってきな」
「う、うんっ」
俺が道を開けると、カーラがいそいそと前に歩き始めた。
両手で〈ダンジョン核の欠片〉を包み込みながら進む。
欠片は橙の星粒をこぼし、彼女の指先を内側から淡く照らしていた。
その姿を見届け、俺はレンとシモンの脇を抜けて離れようとする。
草擦れの音にシモンが振り向き、俺を呼び止めた。
「どちらへ?」
俺は顎を上げて示す。
山頂の入り口付近――熱を残す岩肌の尾根越しに、三つの影が伸びている。
カナメ、マリー、ルールルー。
遠巻きに彼女らはこちらを見守っていた。
「すぐ済むよ。待たせすぎても悪いし」
「──ふん、マーケッタはいないのか? 尻尾を巻いて逃げたか?」
レンがじろりとカナメたちに片眼を向ける。
彼の言う通り、確かにアリスの姿はない。
「どうだろ。まだ首輪はつけてないはずだけどな」
「ふっ」
俺の軽口を気に入ったのか、レンが微笑んだ。
それから彼は唇を尖らせ、腕を組み直した。
「すぐに帰ってこい。……お前は俺たちのリーダーなんだからな。それと、思いっきり自慢してやれ。俺たちが勝った、とな」
「わかったよ」
肩をすくめ、俺は苦笑で返す。
結晶の残光が背後を押すように、俺は駆け足で山頂の入り口へ向かった。
□
俺が近寄ると、ルールルー、マリー、カナメの並びから、カナメが一人前に出て俺を出迎えた。
陽を照り返す灰岩の上で、カナメの履く草履が小さく砂を蹴る。
山頂への旅路で付着した土が乾いて、藍色の足袋から白い粉が流れた。
銀のポニーテールが高原の昼風に揺れる。
カナメは俺の前で立ち止まり、遠景を探るような眼差しを寄こす。
雲ひとつない蒼穹が藍の双眸に映り込み、長いまつげが頬へ淡い影を落とした。
「モブ」
「カナメ」
俺は手を差し出す。
同じように、カナメも手を伸ばした。
教室では宙を切った俺の手が、今度は素直に彼女の掌へ落ち着いた。
細い指が握り返してくる。革手袋と軽小手の布が擦れた。
「見事、だったぞ」
カナメは頬を染めてわずかに顔を傾ける。
銀の前髪が額にかかり、光を受けて刃文のようにきらめいた。
小躍りしかける衝動を、俺はひしと抑える。
ゆっくりと、落ち着き払ってから言葉を返した。
「そっちこそ――。最後は、負けるかと思った」
言いながら炭化した外套の袖を腕で払い、固まった汗を岩肌へ散らす。
カナメは鼻先を上向け、日光を帯びた瞳を細めた。
「ふふんっ。まあ、ほんの少しの差だったな。断じて我の足が遅かったわけでも、振りが鈍ったわけでもないぞ?」
胸を張る拍子に小袖の裾がふわりと翻る。
言い訳めいたことを言うカナメに、俺は笑みを返した。
「カナメじゃなきゃ、あんなひっ迫した状況になってないさ。マジでビビったっての」
「わ、わかればよいっ!」
カナメが早口で言い切る。
手を離したあと、彼女は照れ隠しのように背を向ける。
光沢のある刀の柄頭が腰で揺れ、乾いた金属音を一拍だけ転がした。
「──と、ともかく。お前の勝ちだ、モブ。負けて悔しいが、どことなく嬉しくもある。やはり、お前は強かった」
「だろ?」
「うむ。今度は願わくば、同じ班でありたいものだ。アリスには悪いがな」
背を向けたままのカナメの声は素直で、わずかに震えを帯びている。
胸の奥が熱くなる。
俺はこみ上げるものをこらえ、目尻を指でそっと押さえた。
だが余韻に浸る間もなく。
「――では、私たちとも組みませんか、モブ様♡」
「感情値、期待」
「っ!?」
マリーとルールルーが勢いよく詰めてくる。
二人は半歩の距離まで迫って、ぐっと俺に顔を近づける。
水色の瞳と紫の瞳がきらめき、俺の目を覗き込んだ。
「なぁっ――!?」
その肩越し――カナメが目を丸くし、驚愕まじりの視線を送っている。
「うふふっ。どうですか?」
マリーの修道衣にまとわせた香がふわりと流れ込む。
柑橘を思わせる清涼な匂いが漂った。
波打った水色の髪が風を受けてゆらめく。
併せてマリーの首に巻かれた〈才能封じの首輪〉の紫水晶が胸元で揺れる。
彼女は顔を赤らめながら、両手で頬を挟んでいた。
まずい。
俺は無意識に半歩下がっていた。
凶悪な胸部装甲に視線が吸い寄せられるのを必死に逸らそうとする。
マリー・バッドガールのグラマラスなボディは劇毒だ。
修道衣で隠れるわけない引き締まったエロス――俺の脳内で災害警報が鳴り続ける。
隣にいるルールルーに視線を移すことで、俺は下半身の興奮をいさめようと試みた。
「――さわりごこ……でぇい!!」
「?」
「も、モブ様?」
俺は伸ばしかけた手を勢いよく後方に振り抜いた。そのまま後ろを向く。
お、俺はいったい何を……!?
ルールルーの白いおみ足に気を取られながら、右手が勝手にマリーの僧衣に伸びていた。
動悸が激しい。右手首を押さえて、俺はうずくまった。
『――おう姉ちゃん、いいもんもってんじゃあねえか』
『……♡』
たわけた妄想が脳内をよぎる。
本当にまずい。このままだとレベルダウンしかねない。
俺は立ち上がるさなか、視界を赤に染める。
消費を抑え、最小限の情報だけ拾うようにした。
振り返って、俺は二人に謝罪する。
「すまんすまん。ちょっと頭がおかしくなった」
「だ、大丈夫ですか?」
「感情値、心配」
視界に入る文字や数値に意識を傾けながら、俺は会話を続けた。
『B96/W62/H92』『B69/W50/H71』といった文字列は無視する。
そんな俺の様子を見て、ルールルーがこてんと小首を傾げる。
「それが〈第四の目〉? ――赤い」
「ああ。ちょっと訳あって発動してる。申し訳ないけど、少しこのままにさせてくれ」
俺はうなずく。
彼女らに軽く頭を下げた。
「ルーとマリーのこと、ほんとに知ってる?」
「……ああ」
ルールルーが、無表情に俺に尋ねる。ふわりととんがり帽子が揺れた。
彼女が俺に向けた視線は――期待だった。
俺は二人にだけ伝わるように、短く答えた。
「ルーは偉大な研究者、ディーの落とし子。マリーは、その血が原因で聖女を辞退した」
「──!」
杖を握る手と、祈るように組んだ手――二人のそれぞれの手がきゅっと強張る。
ルールルーの瞳は見開き、マリーは細く息を呑んでいる。
異端者ディー※3との関係に、マリーに秘められた血筋。
それぞれのパーソナリティを告げた結果、二人の俺を見る視線は、ますます粘っこいものへと変わっていた。
「うれしい」
「ええ、本当に……。ふふっ」
意味深い微笑みが文字列越しに浮かんでいた。
奇異な出自のせいで、二人には心底頼れる相手がいなかった。
原作では主人公が少しずつその秘密に触れて距離を縮めるというのが、二人のヒロインルートだ。
――が、俺は原作知識と〈第四の目〉の性能によって段階をすっ飛ばしてしまった。
なので、こうして早いうちからあなたたちのことを知ってますよアピールができている。
好感度が高いことは、戦力向上につながり、今後の攻略に役立つのでメリットは多い。
だが一方で、原作主人公と違って俺は〈女神の祝福〉を持っていないことから、暴発の恐れもある。
いかがしたものかと、俺は頭をかいた。
陽だまりの山頂にいても背筋がひやりとするほど、二人の気配は近かった。
「ん゛っ! ごほんっごほんっ!」
背後でカナメが大げさに咳払いした。
銀のポニーテールが陽を散らしながら揺れ、じとりとした視線でこちらを射抜いている。
岩が熱を失い始めたはずの高原で、その視線だけがやけに暑い。
渡りに船と、俺は慌ただしく二人から距離を取り、大仰に腕を振った。
〈第四の目〉を切り、視界はいつもどおりの色に戻った。
「あーそういえばアリスはどこだ!? 賭けに勝ったし、自慢してやんないとなー!」
「アリス様なら……」
マリーが人差し指を顎に当て、少し間を置いて答えた。
「……モブ様。今は放っておいてあげませんか? 女子には時に、他人に見られたくない顔もあるものです」
淡い笑みを保ちつつ、マリーはそっと言い添える。
その言い回しにカナメも腕を組み、うむと頷いた。
「あの様子では、お前が会ったら死体に鞭打ちをするようなもの――。まったく、情けない。女子だったら余計潔く、負けを認めるべきとは思うが」
「……そうか」
俺は視線を西の尾根へ送り、橙色の岩が遠く霞む斜面をしばし見つめる。
淡く花をつけた高山草がゆらゆらと肩を揺らしている。
胸の奥で、まだ熱い鼓動が小さく跳ねた。
決心が形になる。拳を一度握り直す。
「よし」
指を開くと、革手袋がかすかな音を立てた。
すぐ横、ルールルーの帽子のタッセルが音もなく揺れ、マリーの首下の紫水晶がきらりと昼光を散らす。
「モブ様?」
「――ちょっと死体に鞭打ってくる!」
右手を上げて、俺は三人に突き出した舌を見せる。
九合目に向かって駆け下りた。
九合目へ続く山道もすでに熱を失い、靴底の下で細かな砂がさらりと流れる。
背中越しに「驚愕」とルールルーの鼻を鳴らす声を聞き、肩をすくめつつも歩幅を広げた。
遠ざかるほど、青い天蓋は静かに高く、鳥の鳴き声だけが細い糸のように山頂へ届いていた。
─────────────────
〈用語解説〉
※1 戦利品=
固有品 + レア修飾子付き短剣、レア頭装備、
レア食材×4、〈ダンジョン核の欠片〉×4
※2 踏破の実績=
ヌシ討伐後、〈ダンジョン核の欠片〉を所持したまま
〈ダンジョン核〉に触れることで達成できる偉業。
本世界でのレベリングの主要手段。各ダンジョンにつき一度きり。
〈特殊徘徊魔物〉に比べヌシ討伐の経験値が微量なのは、
この偉業報酬が想定されているため――と設定資料集に記載がある。
※3 異端者ディー=
人類再興期(約 500–400 年前)に突如現れた異世界からの来訪者。
転移・収納・結界・記録・通信・反魔法の無属性魔法をこの世界へもたらし、
後世へ多大な影響を与えた。
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