8 / 17
7話
しおりを挟む
足元の影に朧を抱えたまま、しばしの沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのは、父だった。
「……夜斗。一つ、言っておくことがある」
低い声に、思わず背筋がのびる。
「式神はな、ただ使われる道具ではない。恩も仇も、よく覚える。助ければ懐きもすれば、踏みにじれば牙も剥く」
父は、僕の足元――影のわずかな膨らみを一瞥した。
「これから、お前がどう使っていくつもりかは知らぬ。ただ一つ、式との縁を甘く見るな。良き関係を築けぬ者は、いずれ足元を掬われる」
「……重々、承知しております」
言葉ではそう返しながらも、内心では少しだけ苦く笑う。
とはいえ、忠告そのものは否定できない。
式神であれ人であれ、「恨みを買う相手」を増やすのは得策ではない。
「ふむ」
父は短く相槌を打つと、少しだけ表情を和らげた。
「次に決めねばならぬのは……契約の媒介だ」
「媒介、ですか」
「式は、お前の影に潜み、お前の霊力と霊符に縛られている。
だが、それとは別に、拠り所をひとつ定めておくと安定しやすい」
「拠り所……」
「簡単に言えば、呪具だ。指輪、数珠、髪飾り、短刀――身に帯びられるものであれば何でもよい。式の気配を宿し、呼び出しやすくするための鈴のようなものだと思え」
それは、式のための場所であると同時に、
式をここに繋ぎ止めておくための、鎖にもなる。
「どうする。何を媒介とする」
父に問われ、少しだけ考える。
首飾りは目立つ。
指輪は落としやすい。
髪飾りは、寝込みを襲われたときに不便だ。
「……父上。数珠などは、いかがでしょうか」
「数珠?」
「はい。手首に巻くものにすれば、いつでも目に入り、落としたときにも気づきやすい。人目についたとしても、祈祷の家の者として、不自然ではありません」
それに――と、内心で付け加える。
(玉をひとつずつ、別の呪で縛っておけば、最悪のときには 切り離すこともできる)
式そのものを殺す気はない。
ただ、何かの拍子に制御が利かなくなったとき、手元で引き締める鎖は、多いほうがいい。
父はしばし黙考したのち、ゆっくりと頷いた。
「お前が選んだのなら、それでよいだろう。
黒玉の数珠なら、黒葛の一門らしくもある」
そう言って、袖の内から小さな木箱を取り出す。
蓋を開けると、中には細く繊い糸に通された黒玉の数珠がひと巻き、静かに収まっていた。
玉はひとつひとつ磨かれ、灯火を淡く映している。
「……もともと、誰かのために用意しておられたのですか」
思わず問うと、父はかすかに目を細めた。
「十年も前にな。使いどころがなく、そのままになっていた」
「そうでしたか」
詳しく聞くつもりはなかった。
聞いたところで、今の僕には関わりのない話だ。
「受け取れ」
父の手から数珠を受け取り、そっと掌に載せる。
珠のひとつひとつが、指先にひやりと冷たい。
その奥底に、うっすらとした吸い込み口のような感覚があった。
(……ここに、朧を馴染ませる)
そう意識するだけで、足元の影が、わずかに揺れた気がした。
「霊符の文言の一部を、この数珠にも刻み込んでおく。今日のところは、影に慣れさせるだけでよい。呼吸を合わせろ」
父がそう言って立ち上がる。
「夜斗。忘れるな」
背中越しに投げられた声に、思わず顔を上げる。
「式神は、使い捨ての札ではない。お前が生き延びるための牙であると同時に――」
父は振り返り、足元の影と僕とを、順に見やった。
「お前が選び取った、一つの命でもある」
「……命」
意味を噛み砕く前に、父は歩き出していた。
灯籠の火が、彼の背を照らし、その影が長く伸びる。
その端に、僕の影が重なり、そのまた端に、耳と尾だけをかすかに滲ませた小さな影が寄り添っていた。
(使う、だけじゃない、か)
自分の影の中で、朧が小さく身じろぎする気配がした。
数珠を右手首に巻きつけ、玉をひとつ、指で軽く弾いてみる。
かすかな振動が、皮膚を通じて、霊力の流れにまで波紋を広げた。
それに応じて、足元の影の耳がぴくりと動いたように見える。
「……よろしくな、朧」
誰にも聞こえないくらいの声で、そう呟いてみる。
影の中で、何かがくつくつと笑った。
式神は、ただの道具ではない。
けれど、ただの仲間でもない。
(なら、こちらもそれ相応に、扱ってやるとしよう)
恩も仇も覚えるというのなら――恩も、仇も、計算して与えればいい。
右手首の数珠が、かすかに冷たく鳴った。
こうして僕は、影狼の仔・朧を繋ぎ止めるための鎖――
黒玉の数珠という媒介を得たのだった。
————————————————————————
★評価が励みになります。
最初に口を開いたのは、父だった。
「……夜斗。一つ、言っておくことがある」
低い声に、思わず背筋がのびる。
「式神はな、ただ使われる道具ではない。恩も仇も、よく覚える。助ければ懐きもすれば、踏みにじれば牙も剥く」
父は、僕の足元――影のわずかな膨らみを一瞥した。
「これから、お前がどう使っていくつもりかは知らぬ。ただ一つ、式との縁を甘く見るな。良き関係を築けぬ者は、いずれ足元を掬われる」
「……重々、承知しております」
言葉ではそう返しながらも、内心では少しだけ苦く笑う。
とはいえ、忠告そのものは否定できない。
式神であれ人であれ、「恨みを買う相手」を増やすのは得策ではない。
「ふむ」
父は短く相槌を打つと、少しだけ表情を和らげた。
「次に決めねばならぬのは……契約の媒介だ」
「媒介、ですか」
「式は、お前の影に潜み、お前の霊力と霊符に縛られている。
だが、それとは別に、拠り所をひとつ定めておくと安定しやすい」
「拠り所……」
「簡単に言えば、呪具だ。指輪、数珠、髪飾り、短刀――身に帯びられるものであれば何でもよい。式の気配を宿し、呼び出しやすくするための鈴のようなものだと思え」
それは、式のための場所であると同時に、
式をここに繋ぎ止めておくための、鎖にもなる。
「どうする。何を媒介とする」
父に問われ、少しだけ考える。
首飾りは目立つ。
指輪は落としやすい。
髪飾りは、寝込みを襲われたときに不便だ。
「……父上。数珠などは、いかがでしょうか」
「数珠?」
「はい。手首に巻くものにすれば、いつでも目に入り、落としたときにも気づきやすい。人目についたとしても、祈祷の家の者として、不自然ではありません」
それに――と、内心で付け加える。
(玉をひとつずつ、別の呪で縛っておけば、最悪のときには 切り離すこともできる)
式そのものを殺す気はない。
ただ、何かの拍子に制御が利かなくなったとき、手元で引き締める鎖は、多いほうがいい。
父はしばし黙考したのち、ゆっくりと頷いた。
「お前が選んだのなら、それでよいだろう。
黒玉の数珠なら、黒葛の一門らしくもある」
そう言って、袖の内から小さな木箱を取り出す。
蓋を開けると、中には細く繊い糸に通された黒玉の数珠がひと巻き、静かに収まっていた。
玉はひとつひとつ磨かれ、灯火を淡く映している。
「……もともと、誰かのために用意しておられたのですか」
思わず問うと、父はかすかに目を細めた。
「十年も前にな。使いどころがなく、そのままになっていた」
「そうでしたか」
詳しく聞くつもりはなかった。
聞いたところで、今の僕には関わりのない話だ。
「受け取れ」
父の手から数珠を受け取り、そっと掌に載せる。
珠のひとつひとつが、指先にひやりと冷たい。
その奥底に、うっすらとした吸い込み口のような感覚があった。
(……ここに、朧を馴染ませる)
そう意識するだけで、足元の影が、わずかに揺れた気がした。
「霊符の文言の一部を、この数珠にも刻み込んでおく。今日のところは、影に慣れさせるだけでよい。呼吸を合わせろ」
父がそう言って立ち上がる。
「夜斗。忘れるな」
背中越しに投げられた声に、思わず顔を上げる。
「式神は、使い捨ての札ではない。お前が生き延びるための牙であると同時に――」
父は振り返り、足元の影と僕とを、順に見やった。
「お前が選び取った、一つの命でもある」
「……命」
意味を噛み砕く前に、父は歩き出していた。
灯籠の火が、彼の背を照らし、その影が長く伸びる。
その端に、僕の影が重なり、そのまた端に、耳と尾だけをかすかに滲ませた小さな影が寄り添っていた。
(使う、だけじゃない、か)
自分の影の中で、朧が小さく身じろぎする気配がした。
数珠を右手首に巻きつけ、玉をひとつ、指で軽く弾いてみる。
かすかな振動が、皮膚を通じて、霊力の流れにまで波紋を広げた。
それに応じて、足元の影の耳がぴくりと動いたように見える。
「……よろしくな、朧」
誰にも聞こえないくらいの声で、そう呟いてみる。
影の中で、何かがくつくつと笑った。
式神は、ただの道具ではない。
けれど、ただの仲間でもない。
(なら、こちらもそれ相応に、扱ってやるとしよう)
恩も仇も覚えるというのなら――恩も、仇も、計算して与えればいい。
右手首の数珠が、かすかに冷たく鳴った。
こうして僕は、影狼の仔・朧を繋ぎ止めるための鎖――
黒玉の数珠という媒介を得たのだった。
————————————————————————
★評価が励みになります。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
貞操逆転世界に転生したのに…男女比一対一って…
美鈴
ファンタジー
俺は隼 豊和(はやぶさ とよかず)。年齢は15歳。今年から高校生になるんだけど、何を隠そう俺には前世の記憶があるんだ。前世の記憶があるということは亡くなって生まれ変わったという事なんだろうけど、生まれ変わった世界はなんと貞操逆転世界だった。これはモテると喜んだのも束の間…その世界の男女比の差は全く無く、男性が優遇される世界ではなかった…寧ろ…。とにかく他にも色々とおかしい、そんな世界で俺にどうしろと!?また誰とも付き合えないのかっ!?そんなお話です…。
※カクヨム様にも投稿しております。内容は異なります。
※イラストはAI生成です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる