妖都陰陽録 ―妲己は僕に人間をやめさせたい―

蛇足

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7話

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 足元の影に朧を抱えたまま、しばしの沈黙が落ちた。

 最初に口を開いたのは、父だった。

 「……夜斗。一つ、言っておくことがある」

 低い声に、思わず背筋がのびる。

 「式神はな、ただ使われる道具ではない。恩も仇も、よく覚える。助ければ懐きもすれば、踏みにじれば牙も剥く」

 父は、僕の足元――影のわずかな膨らみを一瞥した。

 「これから、お前がどう使っていくつもりかは知らぬ。ただ一つ、式との縁を甘く見るな。良き関係を築けぬ者は、いずれ足元を掬われる」

 「……重々、承知しております」

 言葉ではそう返しながらも、内心では少しだけ苦く笑う。

 とはいえ、忠告そのものは否定できない。
 式神であれ人であれ、「恨みを買う相手」を増やすのは得策ではない。

 「ふむ」

 父は短く相槌を打つと、少しだけ表情を和らげた。

 「次に決めねばならぬのは……契約の媒介だ」

 「媒介、ですか」

 「式は、お前の影に潜み、お前の霊力と霊符に縛られている。
  だが、それとは別に、拠り所をひとつ定めておくと安定しやすい」

 「拠り所……」

 「簡単に言えば、呪具だ。指輪、数珠、髪飾り、短刀――身に帯びられるものであれば何でもよい。式の気配を宿し、呼び出しやすくするための鈴のようなものだと思え」

 それは、式のための場所であると同時に、
 式をここに繋ぎ止めておくための、鎖にもなる。

 「どうする。何を媒介とする」

 父に問われ、少しだけ考える。

 首飾りは目立つ。
 指輪は落としやすい。
 髪飾りは、寝込みを襲われたときに不便だ。

 「……父上。数珠などは、いかがでしょうか」

 「数珠?」

 「はい。手首に巻くものにすれば、いつでも目に入り、落としたときにも気づきやすい。人目についたとしても、祈祷の家の者として、不自然ではありません」

 それに――と、内心で付け加える。

 (玉をひとつずつ、別の呪で縛っておけば、最悪のときには 切り離すこともできる)

 式そのものを殺す気はない。
 ただ、何かの拍子に制御が利かなくなったとき、手元で引き締める鎖は、多いほうがいい。

 父はしばし黙考したのち、ゆっくりと頷いた。

 「お前が選んだのなら、それでよいだろう。
  黒玉の数珠なら、黒葛の一門らしくもある」

 そう言って、袖の内から小さな木箱を取り出す。

 蓋を開けると、中には細く繊い糸に通された黒玉の数珠がひと巻き、静かに収まっていた。
 玉はひとつひとつ磨かれ、灯火を淡く映している。

 「……もともと、誰かのために用意しておられたのですか」

 思わず問うと、父はかすかに目を細めた。

 「十年も前にな。使いどころがなく、そのままになっていた」

 「そうでしたか」

 詳しく聞くつもりはなかった。
 聞いたところで、今の僕には関わりのない話だ。

 「受け取れ」

 父の手から数珠を受け取り、そっと掌に載せる。

 珠のひとつひとつが、指先にひやりと冷たい。
 その奥底に、うっすらとした吸い込み口のような感覚があった。

 (……ここに、朧を馴染ませる)

 そう意識するだけで、足元の影が、わずかに揺れた気がした。

 「霊符の文言の一部を、この数珠にも刻み込んでおく。今日のところは、影に慣れさせるだけでよい。呼吸を合わせろ」

 父がそう言って立ち上がる。

 「夜斗。忘れるな」

 背中越しに投げられた声に、思わず顔を上げる。

 「式神は、使い捨ての札ではない。お前が生き延びるための牙であると同時に――」

 父は振り返り、足元の影と僕とを、順に見やった。

 「お前が選び取った、一つの命でもある」

 「……命」

 意味を噛み砕く前に、父は歩き出していた。

 灯籠の火が、彼の背を照らし、その影が長く伸びる。
 その端に、僕の影が重なり、そのまた端に、耳と尾だけをかすかに滲ませた小さな影が寄り添っていた。

 (使う、だけじゃない、か)

 自分の影の中で、朧が小さく身じろぎする気配がした。

 数珠を右手首に巻きつけ、玉をひとつ、指で軽く弾いてみる。

 かすかな振動が、皮膚を通じて、霊力の流れにまで波紋を広げた。
 それに応じて、足元の影の耳がぴくりと動いたように見える。

 「……よろしくな、朧」

 誰にも聞こえないくらいの声で、そう呟いてみる。

 影の中で、何かがくつくつと笑った。

 式神は、ただの道具ではない。
 けれど、ただの仲間でもない。

 (なら、こちらもそれ相応に、扱ってやるとしよう)

 恩も仇も覚えるというのなら――恩も、仇も、計算して与えればいい。

 右手首の数珠が、かすかに冷たく鳴った。

 こうして僕は、影狼の仔・朧を繋ぎ止めるための鎖――
 黒玉の数珠という媒介を得たのだった。

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