閉鎖学級

日向 ひなの

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はじまり

第3章 大崎 花那

 が始まったのは、三年生になってすぐ、進級パーティーを終えた翌日のことだった。一軍女子のグループから、星奈が無視や嫌がらせを受けるようになったのだ。
 美柚に言わせるならば、『演技の練習』であるらしいそれは、けれども担任の猫屋敷先生が見ている場所ではけっして行われず、先生が職員室へ降りてしまう放課後の部活動の時間が主だった。

 最低だ、と思った。何が気に食わなかったのかは分からないが、美柚は明らかに星奈のことを敵視していた。単に憎んでいる態度を出すだけならまだしも、その醜い感情を、あたかも星奈の夢を応援してあげるとでも言いたげに奇妙な設定で覆い隠した。
 最低だ、と思うと同時に、美柚の行動に不可解な気持ち悪さを抱いてもいた。美柚という人間は確かにわがままだし、少し否定しただけで幼稚園児のように露骨に機嫌を悪くする。花那は正直に言って、彼女が苦手だった。だが、ここまであからさまに人を排除するほど格好の悪い人間だっただろうか?

 いじめ。その単語が指す行動を、花那たちは知っている。無論自分たちの身に起こったことは無いが、その惨さや壮絶さは、幼い頃からテレビのニュースやSNSで嫌という程見聞きしていた。目を覆いたくなる暴力や、グループチャットでの陰湿な言葉。社会に出れば問答無用で犯罪になるような数々が、学校という子どもの世界においては軽視される傾向にある。時には自ら命を絶ってしまう人もいるというのに……。
 そのワードは、縁のない花那たちでさえも腫れ物のように扱うものだった。日常生活で口に出すのは、それこそ道徳の時間くらい。意識することすらタブーだと思っていた。
 だから、美柚の『いじめられっ子の役』発言には、最初は純粋にびっくりして、ちょっと引いてしまった。けれど同時に、美柚だから良いのだと思い直した。タブー視されるような事柄を、一瞬も気にする素振りもなく平然と口にする。逆にかっこいいじゃん、とさえ思った。
 フィクションをフィクションと割り切って『このクラスにいじめなんて有り得ない』と信じているからこそ出る言葉なのだと、そう解釈した。
 だから、話を聞いた段階では、花那も本気になんてしていなかった。だって『うちの』一軍女子だもん。他の学校ならいざ知らず。このクラスにはいじめなんてするような子はいない。信じて疑わなかった。
 だが、そんな花那を嘲笑うかのように、『いじめごっこ』はエスカレートしていった。あんなに輝いていた可愛い星奈の顔が、日に日にぎこちなくなっていく。美柚は何故こんなことをするのだろう。礼香もゆりかも、何故あんなに楽しそうなのだろう。

 今となっては、自分のことを大馬鹿者だと罵りたくて堪らない。星奈は可愛くて目立つ女の子だったけれど、目立たない人間を邪険にしたことなどなかった。
 小学生の頃、花那は杏に勧められて、一度だけ学校にカチューシャをつけて行ったことがあった。町のショッピングモールで買った、花柄のカチューシャ。
 杏は褒めてくれたけれど、派手な女の子たちのグループは、頭が華やかになった花那を遠巻きに見やってはくすくすと嗤いあっていた。面と向かって悪口を言われたわけではないけれど、幼心ながらに息の詰まるような苦しさと恥ずかしさでいっぱいになったのを今でも覚えている。ただ運が良くて可愛く生まれてきただけの人たちに、どうしてこんな目に遭わされなくてはならないのだろう。顔が整っている分、彼女たちには心が無いのだとさえ思った。
 でも、星奈だけは違った。クラスで一番可愛い女の子。それは外見に限った話ではなく、内面のことも表していた。どう見たってアンバランスな、カチューシャに存在を乗っ取られたような花那の容姿を、お姫様みたいで綺麗だと褒めてくれた。その時からずっと──あまり話したことはなかったけれど──花那は星奈をずっと、心の底から信頼していた。

 言わなくちゃ。皆が見て見ぬふりをしている中、花那はその流れに逆らおうとした。星奈に恩返しをするために。
 火災警報のように派手な音を想起させるくらい、存在を主張した心臓が跳ね上がる。美柚に物申すチャンスなら幾らでもあった。何度も何度も声を上げようとした。
 でも、出来なかった。皆が見ている前で止めようと言う勇気が、花那には無かった。普段は周りに興味がなくて、気分が乗らなければ誘いを断ることだってある自分が、こんな時だけ都合よく同調圧力に屈するなんて。
 悔しかった。最低なのはどっちなんだと思った。中途半端な正義感を抱えたまま、季節は夏へと移行する。
 そして夏休み直前のある日。花那はついに動いた。だがその相手は美柚ではなく、一軍女子の中では一番花那と距離が近くて話のしやすい、ゆりかだった。
「いい加減、いじめみたいなことやめなよ。超ダサい」
 勢いのままに発した言葉を受けて、ゆりかは一瞬恥じるように息を呑んだ。きっと彼女も分かっていた。自分が親友に何をしているのか。けれど花那と同じで、おかしいと口に出す勇気が出なかったのだろう。
 花那は、この教室の中で自分だけが正義のつもりでいた。だけど違った。今になって思えば、皆の前で言えなかった花那も、ゆりかと同じくらいダサかったのだ。
「いじめじゃない! 花那も知ってるじゃん。これは、演技なんだよ」
 花那に反論すると言うより、自分に言い聞かせるように叫んだゆりかは、いたたまれなくなったのか踵を返して走っていった。残された花那の耳に、気の早い蝉の鳴き声がこだましていた。

 こんな気持ちのまま八月を迎えるのは、どう考えたって気落ちする。せっかく楽しみにしていた、演劇部の夏合宿があるのに。
「学校に泊まるの、進級パーティー以来か。あの頃はまだ皆仲良しで、夜中にイトアミ様やったりして、楽しかったのにな」
 怖いもの見たさで深夜の教室で行った都市伝説の儀式。不思議と怖いと感じた記憶はなく、ただ高揚感に満ちていた。思えば、花那が本心から楽しいと思ったのは、あの日が最後だったかもしれない。
 連想ゲームのようにパーティーのことが思い出される中で、花那の脳裏にふと、イトアミ様の伝承の一節が過ぎった。図書委員の絵梨と麻衣が、事前に教えてくれた話が蘇る。

『イトアミ様は、漢字で書くと糸編み様。運命の糸を結んでくれる、良い神様なんだって』

『でも、ひとつでも手順を間違えたり、儀式中に本名を呼びあってしまうと駄目なの』

『イトアミ様の怒りに触れて、儀式を行った人たちの縁の糸が、バラバラに引き裂かれてしまうんだって』

 美柚に対して感じていた違和感。
 一瞬、呪いという言葉が浮かんで、すぐ消えた。
「いや、まさか」
 精神的に参っているからだろうか、僅かでも有り得ない考えを想像してしまった自分に首を振って、花那は杏の待つ寮の一室へと向かった。憂鬱な気持ちは、しばらく晴れてくれそうになかった。
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