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夏
夏-2
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リオが去って私は一人丘に残され、悶々と自らの過去と梢について考えていた。梢。それは恐らくリオの幼なじみのことであろう。リオと出会ったころ、彼が私の声が自分の幼なじみとよく似ていると言っていたことからそれは容易に見当がついた。彼は多分自分のことを亡くなった梢の幽霊だと思っているのだ。それについては自分がそうであるのかどうかは分からないしどうでもよかった。リオが自分自身ではなく、『梢』の代役として見られていることがただただ不快だったのだ。
それから数日後、彼の言っていた緑の蕾がほどけて、綺麗な白い花が咲き始めた。私は木の枝を降りて、その花に顔を寄せた。不思議で懐かしい香りが胸を満たし、それと同時に眼から涙が零れ落ちた。自分が『梢』の代役に失敗したから、もうリオはここを訪れないのではないか。そんな不安が胸に募る。
ガサッ。
葉が揺れる音が聞こえ、振り向くとそこにはリオが立っていた。
「キノ。いるか?」
リオの目に自分が映らないことはわかっているが、とっさに近くの木の後ろに隠れる。しばらく黙っていると、彼が悲しそうに息を吐き、
「また来る。」
と言い残しこの場を去っていった。私は引き留めようと思ったが、できなかった。また失望されたらどうしよう。そう思うと、声を出すことが怖くなったからだ。一週間そんな日々が続いた。今日もいつもと同じように
「キノ。いるか?」
と私に問いかける。私は今日も返事をすることが出来ず、彼の動きを固唾を飲んで見守る。
「この前は悪かった。お願いだから、返事をしてくれ。」
私がまた返事をすることが出来ずにいると、リオはもう一度口を開いた。
「そうだよな、あんなこと言ったヤツと口なんかききたくないよな。もう、ここには来ないよ。不快な思いをさせて悪かった。今までありがとう……。」
そう言って彼はこちらに背を向けて帰ろうとする。
「待って!!!」
弾けたように声が気道を勢いよく駆け抜けた。
「キノ……。この前は本当に悪かった。怒ってるよな?」
「怒ってるよ。」
「だよな。」
リオは気まずそうに視線を下げる。
「私は『梢』さんの代わりじゃない。ちゃんと私を見て欲しい。」
「そうだよな。もう一度チャンスをくれないか?キノのこと、もっと知りたいんだ。その為なら何だってする。」
「じゃあ、目瞑って歯を食い縛って。」
「え?もしかして俺殴られる感じ?」
「いいから、早く。」
「わかった。」
リオが覚悟を決めた様子で下を向き眼を瞑った。私はその彼の頬に手を添える。そして少し背伸びして、彼の唇に自分の唇を押し付けた。相手には伝わらないとわかっていても、その無意味な行為を止めることはできなかった。少しでも彼に繋がっていたかった。彼の睫毛が焦れたように動く。それに驚き、唇を離すと、彼の目が開いた。
色素の薄く綺麗な茶色をした瞳と自分の目が初めて一直線に並んだ。私は弾けたように顔を彼から離した。
「もう終わったか?」
何も知らない彼は殴られなかったことに驚きながらパチパチとまばたきした。このときばかりは自分の姿が見えなくて良かったと思った。もし見えていたなら多分今私はゆでダコのように真っ赤な顔をしていたに違いない。
「うん、終わったよ。」
「そっか。」
そよそよと心地いい風が吹き、リオが気持ち良さそうに伸びをした。
「そういえばさ、」
「ん?」
「そろそろ姿を見せてくれてもいいんじゃないか?」
その言葉がぐさりと胸に突き刺さった。こんなに近くにいるのに。それでもあわない視線がひどくもどかしいと思い始めたのはいつごろからだろう。それを押し殺し、私は笑って告げる。
「まだダメだよ。」
「ちぇ、ケチだなぁ。」
彼は唇を尖らせた。ふと、視線を白い花に移し、彼はきれいに咲いた、と嬉しそうに笑う。
「この花、いい香りがするんだ。キノもかいでみたら?」
「もう嗅いだよ。」
「どうだった?」
「なんかね、懐かしい香りがした。」
彼はそうか、と泣きそうに笑う。また『梢』さんと重ねられたのかな……、そう思うと少し胸が痛んだ。
「そういえばこの花は枯れた後にどうなるの?」
この前彼の言っていた内緒という言葉が私の頭を過った。
「まだ秘密だよ。そのうちわかるから。」
じゃあ、と言って彼は手をふって帰る。
その視線と手は紛れもなく自分に向けられていたことを私が知るのはもう少し先の話。
俺は振り返ってもう一度丘の上に立つサクラを見上げた。その葉は一週間前より格段に成長し、青々と立派に育っていた。俺と話した後、いつも少し成長するサクラは彼女の心を表しているようで。それを見ると、いつも口許が緩んでしまう。それは今日なおさらのことだった。
俺は彼女とまた話せることへの喜びで胸がいっぱいになる。でも、以前のように梢の代わりとしてではなくキノとの会話が嬉しかった。
そんなことがあってから俺は夏休みの間毎日のように彼女に会いに行った。そのうちに白い花はすっかりと散り、実をつける準備をし始める。サクラは夏休みの始めごろよりさらに成長し、青々とした瑞々しい葉を枝いっぱいにつけていた。
それから数日後、彼の言っていた緑の蕾がほどけて、綺麗な白い花が咲き始めた。私は木の枝を降りて、その花に顔を寄せた。不思議で懐かしい香りが胸を満たし、それと同時に眼から涙が零れ落ちた。自分が『梢』の代役に失敗したから、もうリオはここを訪れないのではないか。そんな不安が胸に募る。
ガサッ。
葉が揺れる音が聞こえ、振り向くとそこにはリオが立っていた。
「キノ。いるか?」
リオの目に自分が映らないことはわかっているが、とっさに近くの木の後ろに隠れる。しばらく黙っていると、彼が悲しそうに息を吐き、
「また来る。」
と言い残しこの場を去っていった。私は引き留めようと思ったが、できなかった。また失望されたらどうしよう。そう思うと、声を出すことが怖くなったからだ。一週間そんな日々が続いた。今日もいつもと同じように
「キノ。いるか?」
と私に問いかける。私は今日も返事をすることが出来ず、彼の動きを固唾を飲んで見守る。
「この前は悪かった。お願いだから、返事をしてくれ。」
私がまた返事をすることが出来ずにいると、リオはもう一度口を開いた。
「そうだよな、あんなこと言ったヤツと口なんかききたくないよな。もう、ここには来ないよ。不快な思いをさせて悪かった。今までありがとう……。」
そう言って彼はこちらに背を向けて帰ろうとする。
「待って!!!」
弾けたように声が気道を勢いよく駆け抜けた。
「キノ……。この前は本当に悪かった。怒ってるよな?」
「怒ってるよ。」
「だよな。」
リオは気まずそうに視線を下げる。
「私は『梢』さんの代わりじゃない。ちゃんと私を見て欲しい。」
「そうだよな。もう一度チャンスをくれないか?キノのこと、もっと知りたいんだ。その為なら何だってする。」
「じゃあ、目瞑って歯を食い縛って。」
「え?もしかして俺殴られる感じ?」
「いいから、早く。」
「わかった。」
リオが覚悟を決めた様子で下を向き眼を瞑った。私はその彼の頬に手を添える。そして少し背伸びして、彼の唇に自分の唇を押し付けた。相手には伝わらないとわかっていても、その無意味な行為を止めることはできなかった。少しでも彼に繋がっていたかった。彼の睫毛が焦れたように動く。それに驚き、唇を離すと、彼の目が開いた。
色素の薄く綺麗な茶色をした瞳と自分の目が初めて一直線に並んだ。私は弾けたように顔を彼から離した。
「もう終わったか?」
何も知らない彼は殴られなかったことに驚きながらパチパチとまばたきした。このときばかりは自分の姿が見えなくて良かったと思った。もし見えていたなら多分今私はゆでダコのように真っ赤な顔をしていたに違いない。
「うん、終わったよ。」
「そっか。」
そよそよと心地いい風が吹き、リオが気持ち良さそうに伸びをした。
「そういえばさ、」
「ん?」
「そろそろ姿を見せてくれてもいいんじゃないか?」
その言葉がぐさりと胸に突き刺さった。こんなに近くにいるのに。それでもあわない視線がひどくもどかしいと思い始めたのはいつごろからだろう。それを押し殺し、私は笑って告げる。
「まだダメだよ。」
「ちぇ、ケチだなぁ。」
彼は唇を尖らせた。ふと、視線を白い花に移し、彼はきれいに咲いた、と嬉しそうに笑う。
「この花、いい香りがするんだ。キノもかいでみたら?」
「もう嗅いだよ。」
「どうだった?」
「なんかね、懐かしい香りがした。」
彼はそうか、と泣きそうに笑う。また『梢』さんと重ねられたのかな……、そう思うと少し胸が痛んだ。
「そういえばこの花は枯れた後にどうなるの?」
この前彼の言っていた内緒という言葉が私の頭を過った。
「まだ秘密だよ。そのうちわかるから。」
じゃあ、と言って彼は手をふって帰る。
その視線と手は紛れもなく自分に向けられていたことを私が知るのはもう少し先の話。
俺は振り返ってもう一度丘の上に立つサクラを見上げた。その葉は一週間前より格段に成長し、青々と立派に育っていた。俺と話した後、いつも少し成長するサクラは彼女の心を表しているようで。それを見ると、いつも口許が緩んでしまう。それは今日なおさらのことだった。
俺は彼女とまた話せることへの喜びで胸がいっぱいになる。でも、以前のように梢の代わりとしてではなくキノとの会話が嬉しかった。
そんなことがあってから俺は夏休みの間毎日のように彼女に会いに行った。そのうちに白い花はすっかりと散り、実をつける準備をし始める。サクラは夏休みの始めごろよりさらに成長し、青々とした瑞々しい葉を枝いっぱいにつけていた。
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