白と黒

雨宮大智

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白と黒

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          一

 僕は川堀未知太かわぼり みちた。2000年に生まれた、ミレニアム・ベイビーである。今、時は2020年を迎え、二十才になった。僕は大学生として、文化学を学んでいる。

 今、僕にひとつの大きな悩みがあった。それはスマートフォンを買うかどうか、である。高校生の頃は、よくスマホをいじっていたのだが、大学受験の時に、勉強に集中するため、思いきって止めてしまったのだ。

 僕は2017年当時、高校一年生だった自分を思い返していた。あの頃に僕の重要な転機があったのだ。


「未知太、ホントに買ってもらったの? スマホを」
 僕にそう問いかけたのは、金山兼人かねやま かねと。中学・高校の同級生だ。この春に、同じ中学校から「山河商業高校」に入学した。高校は今年度から新規コース、「情報処理科」が新設されて、話題を呼んでいた。情報処理科には、コンピュータ全盛の世の中で、早くからパソコンに慣れておこうという学生が集っていたのだ。
 僕、川堀未知太も、その一人だった。

「昨日、買ってもらったんだ。コレ」
 僕は嬉しさと自慢の気持ちを隠しながら、机の上にスマホを置いた。
「スゲェ、いいな未知太」兼人が驚嘆の声を挙げる。
「まだ使い方がよく分からないんだ」
「いいな、オレも欲しいよ」
 僕は画面にタッチして、スマホを起動させた。

「何を見れるの?」
「今のニューヨークの天気とか、株価とか」
「スゲェな、未知太」
 僕は得意になってスマホを操作した。

「さあ、授業はじめるよ」
 担任の川中先生が、教室に入ってきた。これからの時間は、C言語のプログラミングの授業なのだ。
「じゃ、また後で。今度、スマホ触らせて」
「今度な」

 兼人はそう言って、僕の席を離れた。

          二
 
 パソコンの画面を、僕は睨《にら》んでいた。上手くいかない。何処かにバグがあるのだ。かれこれ四十分が経つ。

「未知太、オフロどうぞ」
 姉の川堀一菜かわぼり いちなが、一階から声をかけてくれた。
「今、ちょっと手が離せないんだ。後で入るよ」
「了解ー」
 僕は大声でそう伝え、もう一度パソコンに向かった。C言語のプログラム。学校で、どうしても分からなかった箇所を、家に持ち帰ったのだ。

 ⎯⎯ 駄目だ。全く分からない……。

 僕は今日の作業をあきらめて、お風呂に入ることにした。寝巻きを用意し、階下へと向かう。廊下で、姉の一菜と会った。その表情には陰りがあった。

「未知太、あまり根をつめないでね」
 一菜が、労いと心配の言葉をかけてくれた。
「どうしても上手くいかないから、ちょっと休みを入れたんだ」
「ホントに気をつけてよ」
「ああ」

 姉の一菜は大学でデザインを学んでいる。パソコンを教わりたいところだが、姉のパソコンはMACで機種が違い、専攻がグラフィック・デザインなので、プログラム言語は使えないのだ。

「煮詰まっているの?」一菜が温かな言葉をくれた。
「何回やっても駄目なんだ」
「いっそ、明日にしたら? 夜のパソコン作業は、とても疲れるのよ」
「そうだね」
「難しい壁はね。無理して越えなくても良いのよ」
「壁?」
「そう、壁。壁はいつか乗り越えなくちゃいけない。でも、それは毎日越えなくても良いの。時には壁の端まで行って避けたり、時にはハンマーで壊したっていいのよ」
「姉さんは、面白いことを言うなぁ」
 僕は姉の言葉に心底可笑しくなって、笑い声をあげた。姉の一菜には、真面目な事をコミカルに言う癖があり、他の人からも人気があった。
「姉さんみたいなヒトがいるから、この世は面白い」
「ふふ、アリガト」

 姉の一菜はそう笑って、自分の部屋へと戻って行った。僕はお風呂に入ろうと、浴室のドアを開けた。疲れがドッと出て、体をさっと洗うと浴槽に身を沈めた。五分位のんびりと湯につかり、浴室を出た。そのあと、すぐに自室へ戻ると眠りについたのだった。


 ⎯⎯ ポロン。

 スマホが鳴った。僕は寝ぼけまなこで、スマホを見た。

 ⎯⎯ 誰からだろう?
 急いで操作する。

「何だ。ただの『いいね』か。勘弁してくれよ、もう」

 スマホを操作してツイッターの画面を開く。
「アレ? 動かない。どうしたんだろう」

 僕は焦って色々な操作をしてみたのだが、何ともならなかった。それが「凍結」という状態であるということを、後で知った。

「ああ、もう嫌になる!」
 僕はスマホを机の引き出しの中にしまうと、もう一度眠りについた。時計は深夜二時をまわったところだった。

          三

 それから一年が過ぎた。僕はスマホとパソコンにのめり込み、日々の暮らしは充実していた。高校二年生の夏休みが過ぎ、そろそろ進路を決めなくてはならない時が近付いて来ていた。

「眠いよ、昨日も徹夜だ」
 金山兼人が、朝の時間に声をかけてきた。
「何? どうしたの?」
 僕は不思議に思って、兼人に質問した。
「今、オレ、ゲームを作ってるんだ」
「ゲーム?」僕はそう尋ね返した。
「うん。RPGを自分で作るゲームがあるんだよ。これが面白くてね」
 兼人は本当に眠そうな声で、それだけを言った。
「いいな、完成したら僕にも遊ばせてくれよ」
「今度な」
 兼人はいつなく充実した顔を僕に見せた。


「シスアド初級か……」
 僕は前回の授業で貰ったプリントに目をやった。情報処理の資格の一つ、シスアド初級を、今度学校の希望者が受けるのだ。
 難関の試験なので、高校生時代に合格することは難しい。だが、この資格を取得すれば、四年制の一流大学へ推薦で入学することも可能なのだ。
「あれ、シスアド受けるの?」
「ああ。兼人は?」
「オレは受けない。オレは将来、ゲームクリエイターになるんだ」
「いいなぁ、兼人は気楽で」

 僕は笑った後、大きく息を吐いた。煮詰まっていた気が抜けるようだった。僕は、兼人といる時、少しだけ自分が解放される気持ちになることに気がついた。僕にとって兼人は、大切な友人の一人だったのだ。

 午後の授業が始まった。プログラムのC言語の授業だ。夏休み明けにすぐ小テストがあり、川中先生が前回の採点したテスト用紙を皆に返していた。
 川中先生は三十代後半の若い男の先生で、クラスの女子に人気があった。ハンサムで背が高く、ユーモアに富んだ先生だった。

「では、これで今日の授業を終わります。シスアドを受ける人は、各自勉強するように」
 皆、一斉に席を立った。川中先生が、僕の方に近付いて来た。
「未知太君、今回のテスト良かったよ」
 僕は嬉しくなって、笑みをこぼした。
「ありがとうございます」
「今度のシスアド試験を、受けてみないか?」
「はい。実は僕も受けようと思っていたんです」
「なら良かった。頑張れば、合格だって夢じゃない。君次第で、有望な未来に進めるんだ」
 僕は大きく頷いた。
「先生、僕、頑張ってみます」

 川中先生としばらく話をしている間に、僕は自分の将来を考えていた。シスアド初級に受かって、一流大学を出て、プログラマーとして一流の企業に就職する。それが、今の僕にとって最上の人生のコースに思えた。

          四

「何で、 上手く動かないんだ!」
 その日の放課後、僕はコンピュータ室で、独りパソコンに向かっていた。思わず声が大きくなる。
「最近、マシンの調子が悪すぎる。スクラップ工場に送ってやるぞ! このポンコツ!」
 僕はそう言って、マシンを再起動させた。

「未知太君、どうしたの?」
 コンピュータ室の入り口で、二人組の女子が僕を見ていた。
「いや、何でもないよ」
 同じクラスの「片岡秀子かたおか ひでこ」さんだった。長い黒髪がトレードマークで、艶のある輝くばかりの髪が小さく揺れた。
「大丈夫? プログラムのしすぎじゃない?」
「ちょっと、上手くいかなくて……。それだけなんだ」

 僕はタイミングの悪さを呪った。片岡さんは美人で通っており、去年の秋の文化祭で、ミスコン学年代表にも選ばれた人だった。
「秀子、今日は止めておこうよ」
 隣で、片岡さんの友達が、袖を引っ張った。頷く片岡さん。
「じゃ、また」
「また今度」
 片岡さんが帰った後、僕は自分の人生を呪った。これでいいわけが無い。一体何が悪いんだろう。そう考えながら、僕は帰り支度をして、コンピュータ室を出た。


 家へと帰る前に、僕は図書室へと立ち寄った。

 僕は図書室の中をあてどなく歩いた。いつもは、コンピュータ関連書籍の並ぶ本棚にしか行かなかった。今日、はじめて、この世の中にこれほど様々な本があることに気付かされた。それはまるで森だった。本の森に深くわけ入ってしまったのだ。全ては、ここからはじまるのだ。

⎯⎯ 今、僕は人生の岐路にいる。
 右を向けば文学の棚へと行ける。左を向けば美術の棚へといける。本の森は、まるで人類の脳のようでもあった。

 僕は目を閉じて、大きく息を吸い込んだ。図書室の、少しくすんだ匂いが心をときめかせた。

⎯⎯ ここから、僕の新しい人生がはじまるんだ。僕は全て最初からスタート出来るんだ。

 自分にそう言い聞かせて、僕は目を開いた。
 そして、ゆっくりと歩きながら、流れてゆく本の背表紙を目で追った。

⎯⎯ 「リア王」、「ハムレット」、「マクベス」……。
 僕はシェイクスピアの戯曲集の棚を眺めていた。

⎯⎯ これは「オセロー」か……。
 僕は本棚に手を伸ばした。その本は大型本で、「シェイクスピア集 全十巻」のうちの一冊だった。
 パラパラとページをめくった。戯曲集は、行間が広くなっており、登場人物の台詞だけが書いてあった。戯曲集は、まだ一度も読んだことが無かった。

⎯⎯ これを借りてみよう。

 最後のページに、借りた人の名前を書く札が付いていた。何気なく見ていた僕は、一瞬心臓の動きが早くなるのを感じた。その中に「片岡 秀子」の名前が記されていたのだ。

⎯⎯ そういえば、片岡さんは演劇部だったな。
 僕はそれを、運命の神さまの導きだと確信した。

         五

 僕は家に帰り着くと、急いで自分の部屋に戻り、学校の図書室から借りてきた本を開いた。夢中で読み始める。僕はこの本で、何かを得るのだろうか。
 疑念はすぐに打ち消された。話の中にぐんぐんと引き込まれてゆく。

「未知太ー、ご飯出来たよー」
「後で食べるよ。今、ちょっと手が離せないんだ」
「了解ー」

 それからしばらくして、僕は「オセロー」を読みきった。熱に浮かされるようだった。それから僕は、お腹が空いていることを思い出し、一階のキッチンへと向かった。
 キッチンでは、一菜と母が既に夕食を食べ終わっており、コーヒーを飲んでいた。いつもは帰りが遅く、夕食を余り共にしない父も、今日は夕食を食べているところだった。

「父さん、今日は早いね」
「ああ。未知太はまたパソコンをしていたのか」
 父はいつになくのんきな口調で、そう尋ねてきた。
「いや、ちょっと本を読んでいたんだ。『オセロー』って本を」
 姉が口をはさむ。
「知ってる? テーブルゲームの『オセロ』って、戯曲から名前を付けたらしいのよ」
「そうなんだ」
 僕は姉の言葉を受けて、素直に頷いた。
「オセロって、白と黒の二色があるでしょ。物語に登場する、白人と黒人の肌の色からそう名付けたらしいのよ」
「へぇ、そうなんだ」僕は物語を思い返していた。

 父さんが口を開く。
「未知太、珍しいな。今、本に興味があるのか? それとも、社会文化が気になったのか」
「分からないけど、凄く気になるんだ」僕はそう答えた。
「文化はそれぞれの民族や宗教でかなり違うからな。『オセロー』は現代でも通用するテーマだよ」父が継ぐ。
「そうだね。文化って日本にいると、そんなに感じないけどね」僕はそう頷いた。
「意外と面白いね、文化って」姉が話に加わってきた。

 それから一時間位、僕たちは一緒に語り合った。そんな経験は初めてで、僕は知的に愉しかった。ひとりの大人として認められた気分がした。そして、家族の絆を確かめたのだった。それが僕の転機だった。

 僕はその晩の出来事が忘れらなかった。そして僕は、文化系の大学を受験することを決めたのだった。

                       (結)
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