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第一章

少年期22

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 世界との蜜月はたった数時間も経ずに終わった。

 亜人族の差別問題を知ったアドルフは、自分のいる場所を奈落に他ならないと判じ、そしてみずからの才覚をいかしつつトルナバのヒト族を納得させ、不況を解消させることを通じて差別、つまりはトルナバにおける人種間の不平等の撤廃を約束させた。

 首尾よく物事が進み、金鉱労働者の賃金が上がれば、彼らの雇用も安定し、トルナバの景気は上向くだろう。そうして金繰りの余裕が出てくれば、経済を握るヒト族も意識を変え、新たな〈開拓〉への投資をはじめる者も出てくるし、そうすれば一度は失業した冒険者も復職の目が出てくる。

 金を手にした冒険者は装備品を買い揃えるだろうし、循環しはじめた金は亜人族、ヒト族のあいだを目まぐるしく行き交うだろう。負のサイクルは正のサイクルに転換され、そのきっかけになったのがアドルフだと知るヒト族の差別意識にも影響を与えだす。

 すぐには変わらなくても、一年、二年と好景気が続けば、町民の心もゆっくりと変化を遂げる。水は温まりにくく、冷めにくいと言うが、それと同じだ。トルナバが成功モデルになれば、辺境州総督は同じ政策を他の行政単位でも実行するに違いない。

 やがて一〇年も時が経ち、アドルフが成人に近づく頃には連邦国家全体が好景気を享受し、亜人族にむけられる目にも大幅な変化が期待でき、変革の原点に位置するアドルフは政治家としてもっとも必要な支持者を手にしているかもしれない。

 そう、トルナバで起こした一連の行動はまさに、奈落から抜け出し、アドルフの人生を変える貴重な一歩となるはずだと彼は自負するに到ったのだ。

 小さな変化が自分と、やがて世界全体を変える。だが、彼の認識は最初の段階からまったくの間違いだったのである。

 ***

 全体会議にアドルフを連れて行き、アラン殿下に提言することが決まった後、トルナバの町民は会議の提言に勢いをつけるべく、アドルフの発案で町民全員の嘆願書をまとめることになった。

 トルナバ全体の需要を増やすべく、まずは金鉱労働者の賃金をあげてほしい。
 ただし、本人たちにその主張をさせるわけにはいかないため、金鉱労働者の住むバラックには立ち寄らないようアドルフは人々に釘を刺した。

 普通に考えれば、彼らとて不本意な仕事に就いたことを嘆き、境遇を変えるきっかけを求めていないわけがない。

 しかし人間とは不思議なもので、最初から地位が低いとそれを当たり前と考える。そして貧しい生活に適応した人間がいまより少しでも豊かになれるかもしれないと知ったとき、そういう情報は彼らをひどく動揺させるのだ。

 ひょっとすると金鉱労働者たちは、混乱した心を持て余し、政治的な権利に目覚めるかもしれない。本当はもっと多く稼げたという認識は、本当は平等に扱われるはずだったという恨みにたやすく転じるからだ。

 アドルフの視野は広い。だから彼のなかでは一〇年後を見越したある〈計画〉があった。

 今回の提言が通った暁には、金鉱労働者の政治的権利の目覚めを徐々に促進してやることを思いついていたのだ。

 準備もないまま覚醒されては困るが、受け皿を用意した状態であればその限りではない。むしろ彼らの賃金の改善をきっかけに、少しずつ具体的な要求を提言する組織作りをおこなうのだ。

 組織の議長に院長先生と金鉱労働者の代表を就け、院長先生という頭脳と、金鉱労働者のもつ票、すなわち数の力を一致させること。それが実現すれば、トルナバの亜人族にとってきわめて有益な政治団体が発足できる。

 いかに金鉱労働者の数が多いとはいえ、町の過半数を占めているのはヒト族なため、町長の座を奪うことはできないが、アドルフが成人を迎える頃になればどうだろう。

 もし彼がアラン殿下への提言を成功させれば、ヒト族の多くは彼に感謝し、潜在的な支持者になりうる。ヒト族の支持が割れれば、現町長の地位は安泰ではなく、亜人族の彼にも選挙で勝つ見込みが出てくるだろう。

 思い返せば今回の行動の発端は、差別に悔し涙を流したフリーデに接して〈仕方ない〉という諦めの代わりを示してやることにあった。

 一〇年後、アドルフが町長になれば、トルナバの亜人族が〈仕方ない〉と言って諦める時代は終わる。そしてそこを起点に新たな政治運動を起こせば、もっとも先にたどり着けるかもしれない。

 そう、アドルフはむろん、町長になることが目標ではない。異世界の覇権を掌握し、前世では果たせなかったドイツの栄光を甦らせるべく、権力の高みにたどり着くための第一歩だ。

 しかし〈計画〉が成就すれば、少なくともその入口にはたどり着ける。他の孤児たちと杖を片手に町を練り歩き、嘆願書を書いて貰い、それを受けとってまわるアドルフだが、生来の夢見がちな性格は揺るがない。自分の行動で世界を変えられたら、さらに多くのことをなしたくなるのが彼の性格。

 子供のまま過ごす日々はじれったい。早く成長して大人になりたいとアドルフは思った。

 前世を含めれば、すでに六〇年以上も生きた計算になるが、彼の権力への欲望はときに生々しく悲愴だが、同時に青春の若々しさに満ちてもいるのだ。

 そんな彼が仲間と共に町の大半をまわり尽くし、〈施設〉の周辺に行き着いたとき、事件は起こった。

 最初、それに気づいたのはアドルフではなかった。

「なんだよあのチェイカ、五機もいるぜ?」

 声をあげたのはディアナである。そのひと言につられ、他の孤児たちも空に目をむける。

「何かしら?」

 次に声を放ったのはノイン。

 だが五機のチェイカはものすごい速度で飛ばしていたらしく、点のようだった機体はあっという間に上空へと迫り、その見慣れない姿を露にする。

 チェイカの操縦者。彼らは五人とも、冒険者ではなかった。色彩こそ自己主張は少ないが、まぎれもない軍服を着ている。アドルフはこの異世界に転生して、軍人を見たことは一度もない。だがその装いは前世のそれとほぼ変わらず、彼に強い既視感を抱かせた。

 もっともそんなことに意識をむけられたのはほんの一瞬だった。チェイカは急激に速度を落とし、孤児たちの近くに白い機体を並べるように着地した。心の準備ができていなかった孤児たちは、その動きに驚くどころか、ろくな反応ができず、みな一様に体の動きを固めている。

 いや、必ずしもそうではなかった。隣を見るとフリーデは急に現れた軍人の動きに険しい視線を送り、その様子を眺めているアドルフに到っては全体を観察する余裕があった。

 チェイカを降りた軍人は狼狽する孤児たちを取り囲み、そのなかでひと際背の高い、くすんだ白髪をなびかせた男が、アドルフの前に立ちはだかり威厳のある声を出した。

「ちょうどいい。君たち、町の亜人族たちをここに集めろ」

 何を目的にした発言なのか、それだけではわからない。だがアドルフはこのとき、すでに重要な情報を判じとっていた。

 孤児たちを取り巻く軍人の服は黄土色のものが四人。そしてアドルフに声をかけた背の高い軍人は灰色の軍服を身にまとっている。

 つまりこの男が一段階級の高い人物。いわゆる将校にあたる者であることが見た目だけでわかった。しかもその将校は、よく見れば頭部に短い角を生やし、他の軍人に到っては皆、真っ赤な髪色を制帽の隙間からのぞかせている。そんな人間がこの異世界にいることを、少なくともアドルフは知識としてもっており、院長先生もまた彼らの存在を示唆していた。

 イェドノタ連邦の支配者、魔人族。一部の人間しかなれない軍人であることからも、その答えが誤りでないことは直感でわかる。

 同じ答えには、他の孤児たちもうっすらたどり着けただろう。その証拠に彼らは、次第に怯えたような顔つきになり、普段は態度のでかいディアナですら、緊張感を滲ませている。

「聞こえなかったのか? ここに亜人族を集めろ。いますぐにだ」

 将校と思われる軍人が鋭い歯を見せ、苛立った声を出すと、ひとり、またひとりと、踵を返して方々へ散っていく。

 本当なら子供どうし、現状確認をしあって気持ちを落ち着かせたいところだが、突然飛来した魔人族はアドルフたちに心の余裕を与えない。

 けれど彼は、いかに相手が魔人族でもおいそれと命令に従う気はなかった。反抗すれば何をされるかわからない状況なので、いちばん妥当な質問を、最適のタイミングで放った。

「貴公らの目的は何だ?」

 その声を正面から受けとめたのは背の高い将校である。彼はアドルフを一瞥し、こう返した。

「目的はある。だが君の知る必要のないことだ。無駄な興味をもつ暇があったら、さっさと他の亜人族を呼んでこい」
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