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第二章
衝突2
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「ありがとう。ではさっそく尋ねるのだが、貴公の王都での暮らしぶりを教えて貰えないか?」
質問を絞り込むと狭い情報しか得られないため、アドルフはわざと漠然とした問いを投げた。
「王都での暮らしぶり? またずいぶんと広い括りだな」
アドルフの狡賢いやり方に嫌そうな顔をするゼーマンだが、一度許可したことを覆すつもりまではなかったらしく、わずかに宙を睨んでから、その視線をアドルフにむけて言った。
「オレは軍に入隊してからずっと近衛師団にいた。五年まえ着任したときは、辺境州総督を務めあげ、王都に戻り、評議会議長に就いたアラン殿下の護衛を任されたこともあった。体格が良いと見栄えが良いから、特別に抜擢されたわけよ」
アラン殿下といえば、アドルフが少年期に頼ろうとし、結局果たせなかった曰く付きの相手だ。そんな人物とゼーマンが接点をもっている。この情報は、権力の中枢部に変化があったというアドルフの予感を裏づけるものだった。
近衛師団は参謀本部と並ぶ軍内のエリート集団だ。軍における特殊任務を〈特務〉と呼ぶのだが、ゼーマンがその命をおびた者である可能性は目的こそわからないが小さくない。
いや、その目的も、冷静に考えれば特定可能なのではないか。これまでルーズだった宗教的な儀礼に敬虔さを求めたこと。これ自体が王都の意志であり、ゼーマンがその代弁者であるという見立ては、彼の告白によって俄然、信憑性を増した。
驚きを巧妙に押し隠しながら漫然と相槌を打つふりをするアドルフを尻目に、食事で忙しいゼーマンは一連の発言をこんなふうに締めくくった。
「ちなみにこの話は、さっきの謎かけのヒントになるぜ。アドルフ以外のやつも、答えがわかったら遠慮なく挙手しろ」
口をもぐもぐさせながら、スプーンで班員を指し示す現場主任を一瞥し、アドルフはその手がかりを確信ある答えに結びつけた。むろん間違えたらペナルティがあるのかもしれないが、彼は右手を挙げながら、絶対の自信をもって口を開いた。
「我らがいかなる状況に置かれているか理解できた。王都の意思決定機関、それが王統府なのか評議会なのかは定かではないが、亜人族の収容政策に変更が下されたのだろう。より明確にいえば、王族の意志によって我らに厳格な敬虔さを求めるという決定が。そしてその要求を満たせなかった者は――」
そこまで言うとアドルフは、一瞬返答に詰まった。いや、わざと詰まらせたと言うべきかもしれない。彼は他の班員がどう反応するかを考慮し、より穏便な表現に発言を改めようとしたのだ。
「そう、我思うに、要求を満たせなかった者には信仰心を高めるべく、再教育などが用意されるのではないかね?」
顔色ひとつ変えず言い放ったアドルフだが、本当はもっとも重い罰則をイメージしていた。信仰心の低い者は優先的にガス室へ送られるなどの過酷な変更こそが現実になろうとしていると判じとったのだ。
そして彼をとらえた緊張は、他の班員にも伝播していく。視界の片隅でフリーデとディアナが固唾を飲み、ノインが体をさする姿が目に入った。
ゼーマンはその緊迫した様子を見て、非対称な表情で低い声を放った。
「なるほど勘が鋭いな。だいたい当たりだ。けど正確さには程遠い。オレは確かに王都からある命を授かり、全国に派遣された特使のひとりだ。貴様の読みどおり、収容政策は大幅に変更される。しかしなぜ信仰のぬるさを厳しく指弾したかと言うと、条件さえ満たせば貴様ら亜人は解放、つまり娑婆に出れられることが内々に決まったからだ。そのとき信仰の敬虔さは、国家への貢献に並び、きわめて重要な物差しになる」
相変わらずシチューを食べながらなのでゼーマンに張りつめたものは感じとれないが、淡々と語られた情報は途轍もなくインパクトのあるものだった。
――亜人族の解放?
そのひと言にはアドルフでさえ、一瞬言葉を失った。それは他の班員とて同じだろう。朝食の祈りにケチをつけられた以上、収容政策は望ましくない方向に変えられると考えるのが道理だ。しかし現実は違っていた。条件さえ満たせば亜人族は解放される。ゼーマンの話を鵜呑みにすれば、だが。
このときアドルフ以外の面々も、解放の詳細について尋ねたくなるのが自然である。ゼーマンもそれを理解しているのか、「慌てるな」とばかりにスプーンを持った手を上下し、会話の主導権はまだ自分にあることを誇示して、厳格な教師のように言葉を継いだ。
「落ち着け、貴様ら。話にはまだ続きがある。今回の解放は、ある事件がきっかけになっている。だから貴様ら亜人族の奉仕活動が認められ、評価されたことが理由じゃねぇ。つまり楽して娑婆に出れると思うのは勘違い、くわえて解放の資格を有したやつも限られる。ここビュクシの収容所において、該当者はいまんとこアドルフだけだ。たったひとり将校にまで昇りつめた働きぶりは誰もが認めるだろう」
最後まで言い終えるとゼーマンはにたりと笑い、アドルフにスプーンを突きつけた。その瞬間アドルフは、班員の視線が自分に集まったのを察知し、それが嫉妬ではなく純粋な驚きに近いものであることを感じとって、瞬時に安堵した。
むしろ彼の心が抱いたのは、解放が本当になされるのかという疑いだった。
当然のことながらアドルフたちは、院長先生の虐殺以降、指で数えきれないほどの亜人族が処刑され、収容政策の犠牲になったことを知っている。労務で結果を出せば良い顔をするが、逆の結果を出せば容赦なく殺す。そうした魔人族のやり方を熟知していればいるほど、簡単に解放すると言われたところで真に受けることがきわめて難しいのだ。
その証拠にゼーマンは、アドルフに解放の資格があると言った後、わざとらしく拍手してみせたものの、あからさまな称賛とは裏腹に人々の度肝を抜くことを平然と口にするのだった。
「さっきオレは、解放には条件があると言ったが、その内容を特別に教えてやる。なに、簡単なことさ。この班のなかには、本来罪人になるべきだったやつがいる。それをアドルフ、貴様自身の手で処刑しろ。亜人族という出自を捨て去り、国家に尽くすことを証明するんだ」
質問を絞り込むと狭い情報しか得られないため、アドルフはわざと漠然とした問いを投げた。
「王都での暮らしぶり? またずいぶんと広い括りだな」
アドルフの狡賢いやり方に嫌そうな顔をするゼーマンだが、一度許可したことを覆すつもりまではなかったらしく、わずかに宙を睨んでから、その視線をアドルフにむけて言った。
「オレは軍に入隊してからずっと近衛師団にいた。五年まえ着任したときは、辺境州総督を務めあげ、王都に戻り、評議会議長に就いたアラン殿下の護衛を任されたこともあった。体格が良いと見栄えが良いから、特別に抜擢されたわけよ」
アラン殿下といえば、アドルフが少年期に頼ろうとし、結局果たせなかった曰く付きの相手だ。そんな人物とゼーマンが接点をもっている。この情報は、権力の中枢部に変化があったというアドルフの予感を裏づけるものだった。
近衛師団は参謀本部と並ぶ軍内のエリート集団だ。軍における特殊任務を〈特務〉と呼ぶのだが、ゼーマンがその命をおびた者である可能性は目的こそわからないが小さくない。
いや、その目的も、冷静に考えれば特定可能なのではないか。これまでルーズだった宗教的な儀礼に敬虔さを求めたこと。これ自体が王都の意志であり、ゼーマンがその代弁者であるという見立ては、彼の告白によって俄然、信憑性を増した。
驚きを巧妙に押し隠しながら漫然と相槌を打つふりをするアドルフを尻目に、食事で忙しいゼーマンは一連の発言をこんなふうに締めくくった。
「ちなみにこの話は、さっきの謎かけのヒントになるぜ。アドルフ以外のやつも、答えがわかったら遠慮なく挙手しろ」
口をもぐもぐさせながら、スプーンで班員を指し示す現場主任を一瞥し、アドルフはその手がかりを確信ある答えに結びつけた。むろん間違えたらペナルティがあるのかもしれないが、彼は右手を挙げながら、絶対の自信をもって口を開いた。
「我らがいかなる状況に置かれているか理解できた。王都の意思決定機関、それが王統府なのか評議会なのかは定かではないが、亜人族の収容政策に変更が下されたのだろう。より明確にいえば、王族の意志によって我らに厳格な敬虔さを求めるという決定が。そしてその要求を満たせなかった者は――」
そこまで言うとアドルフは、一瞬返答に詰まった。いや、わざと詰まらせたと言うべきかもしれない。彼は他の班員がどう反応するかを考慮し、より穏便な表現に発言を改めようとしたのだ。
「そう、我思うに、要求を満たせなかった者には信仰心を高めるべく、再教育などが用意されるのではないかね?」
顔色ひとつ変えず言い放ったアドルフだが、本当はもっとも重い罰則をイメージしていた。信仰心の低い者は優先的にガス室へ送られるなどの過酷な変更こそが現実になろうとしていると判じとったのだ。
そして彼をとらえた緊張は、他の班員にも伝播していく。視界の片隅でフリーデとディアナが固唾を飲み、ノインが体をさする姿が目に入った。
ゼーマンはその緊迫した様子を見て、非対称な表情で低い声を放った。
「なるほど勘が鋭いな。だいたい当たりだ。けど正確さには程遠い。オレは確かに王都からある命を授かり、全国に派遣された特使のひとりだ。貴様の読みどおり、収容政策は大幅に変更される。しかしなぜ信仰のぬるさを厳しく指弾したかと言うと、条件さえ満たせば貴様ら亜人は解放、つまり娑婆に出れられることが内々に決まったからだ。そのとき信仰の敬虔さは、国家への貢献に並び、きわめて重要な物差しになる」
相変わらずシチューを食べながらなのでゼーマンに張りつめたものは感じとれないが、淡々と語られた情報は途轍もなくインパクトのあるものだった。
――亜人族の解放?
そのひと言にはアドルフでさえ、一瞬言葉を失った。それは他の班員とて同じだろう。朝食の祈りにケチをつけられた以上、収容政策は望ましくない方向に変えられると考えるのが道理だ。しかし現実は違っていた。条件さえ満たせば亜人族は解放される。ゼーマンの話を鵜呑みにすれば、だが。
このときアドルフ以外の面々も、解放の詳細について尋ねたくなるのが自然である。ゼーマンもそれを理解しているのか、「慌てるな」とばかりにスプーンを持った手を上下し、会話の主導権はまだ自分にあることを誇示して、厳格な教師のように言葉を継いだ。
「落ち着け、貴様ら。話にはまだ続きがある。今回の解放は、ある事件がきっかけになっている。だから貴様ら亜人族の奉仕活動が認められ、評価されたことが理由じゃねぇ。つまり楽して娑婆に出れると思うのは勘違い、くわえて解放の資格を有したやつも限られる。ここビュクシの収容所において、該当者はいまんとこアドルフだけだ。たったひとり将校にまで昇りつめた働きぶりは誰もが認めるだろう」
最後まで言い終えるとゼーマンはにたりと笑い、アドルフにスプーンを突きつけた。その瞬間アドルフは、班員の視線が自分に集まったのを察知し、それが嫉妬ではなく純粋な驚きに近いものであることを感じとって、瞬時に安堵した。
むしろ彼の心が抱いたのは、解放が本当になされるのかという疑いだった。
当然のことながらアドルフたちは、院長先生の虐殺以降、指で数えきれないほどの亜人族が処刑され、収容政策の犠牲になったことを知っている。労務で結果を出せば良い顔をするが、逆の結果を出せば容赦なく殺す。そうした魔人族のやり方を熟知していればいるほど、簡単に解放すると言われたところで真に受けることがきわめて難しいのだ。
その証拠にゼーマンは、アドルフに解放の資格があると言った後、わざとらしく拍手してみせたものの、あからさまな称賛とは裏腹に人々の度肝を抜くことを平然と口にするのだった。
「さっきオレは、解放には条件があると言ったが、その内容を特別に教えてやる。なに、簡単なことさ。この班のなかには、本来罪人になるべきだったやつがいる。それをアドルフ、貴様自身の手で処刑しろ。亜人族という出自を捨て去り、国家に尽くすことを証明するんだ」
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