上 下
37 / 147
第二章

朝食会2

しおりを挟む
「待ちたまえ、リッド」

 追加のサンドイッチを紅茶で流し込み、カフカが不快な様子で声を放った。ちなみにリッドという短い呼び名は、収容所幹部が用いる彼女の愛称だ。

「解放という人参は、私は有効だと考える。奉仕の動機づけに繋がり労働効率を高めるなら歓迎すべきことだ。処刑をちらつかせて信仰心や国家への忠誠を求めるより遥かに賢い」

 腹芸などなく、良いと思ったことはすぐ口に出すのがカフカのやり方。そんな歯切れのよい断言を押し返すように、ラグラウ司祭は負けじと疑問をくり出す。

「では本日の軍法会議は、解放のモデルケースを示すことが狙いであり、アドルフの解放と引き換えにノインを罰することは最優先ではないと見てよいのだろうか?」
「お待ちください。それはそれ。これはこれ。断固処分を下すべきでしょう」

 思わず前のめりになった副所長が口を挟むと、カフカは紅茶を飲み干してこう答えた。

「指導は全面的に受け入れがたいが、三年前の法改正をダシに使ってアドルフに踏み絵をふませ、彼が解放後も魔人族に服属するか測るのは重要なことだ。くわえて今後収容対象がヒト族にも拡張される。収容所全体のタガが弛まぬよう、一度締めつけを施す意味はあるだろう」

 もし完全な部外者がここにいれば、収容対象がヒト族にも及ぶことを知り、驚愕しただろう。しかしカフカのみならず、残り二名にも動揺は見られない。奉仕活動という名の強制労働をヒト族に広げるという指導方針は、内部には既知の情報であったわけだ。

 その事実を、同じヒト族であるラグラウ司祭はどう受けとめたか。本来なら同胞へ向けられつつある刃に抵抗を見せる場面かもしれないが、彼女は心のなかで冷徹に思った。

 ――確かにそうだな。収容政策の拡張は妥当な判断だろう。ヒト族の諜報員が王都で摘発された以上、締めつけが強まるのは自然な成り行き。

 そう、収容所幹部たちが受け取った指導の背景には、ムスカウ共和国が仕掛けている諜報戦があった。彼らは何らかの方法で〈結界〉を越え、連邦国家のあるカルヴィナに再び浸透していたのだ。

 一〇年近くまえは亜人族の自由を奪うことでスパイ網の根絶が図られたが、長い時間をかけて敵国はヒト族へとターゲットを変えたのである。そうした事実の発覚こそが、今回指導部が危機感を募らせた最大の理由。

 そう、因縁はくり返す。

 ラグラウ司祭及び副所長らは知らないことだが、収容所を統べるカフカは九年前の亜人族収容の際、中心的な役割を果たした軍人のひとりだった。

 彼は辺境州東部の収容実施に力を発揮し、攻略した町のひとつにトルナバがある。奇妙な縁といえばそれまでだが、カフカはニミッツ院長を惨殺したうえで、収容をおこない、アドルフの運命を狂わせた張本人なのだ。

 もっともカフカ自身はそうした過去を頭の片隅にしまい込み、アドルフが年少だったことも手伝って自分が彼と接点を有していたことなど自覚すらしてない。

 そして因縁といえば、本日午後に予定されている全体会議もそうだ。まだ少年期のアドルフはその会議を利用して、当時の辺境州総督だったアラン殿下を動かし、金鉱労働者たちの賃金をあげさせようと画策していた。つまりきょうという日において、まるで図ったように九年前と同じ状況がくり返されているのだ。

 とはいえ当人が意識すらできないことを部外者のラグラウ司祭が関知するわけもない。

 そしてどちらにしろ、軍法会議で矢面に立つのはアドルフではなく、反体制分子の子息だったノインである。所長であるカフカが彼女の処分に甘い顔を見せなかったことに気を良くしたのか、紅茶を注ぎながら副所長は明るい声で言う。

「意見が一致して嬉しく思います、所長。つきましては本日の法廷では、アドルフの解放と引き換えにノインは死刑ということで。それこそが王統府の意志にかないます」

 彼の発言はしかし、一種の思い込みだった。その証拠にカフカは大げさに指を振って言い返した。

「勘違いするな。問題は解放を得るであろうアドルフから恭順の意を引き出すことが目的で、ノインの処遇は二の次だ。死刑こそが有効だと判断すれば罰を下し、最初から私につくと見なせばその限りではない。全ては法廷でのやり取りで決める」

 年齢は若くともカフカの口ぶりには辣腕将校がまとう威圧感があり、強い態度に出られた副所長はまたしても願望を挫かれる。

 とはいえいまの発言で囚人たちの運命は半分決まったようなものだ。筋書きと呼べるほど大げさなシナリオではないが、事前の擦り合わせはカフカの独壇場に終わった。

 ――相変わらず押しの強い男だ。私にしろ副所長にしろ、所詮は数合わせの道具ということか。

 カフカの発言を受け、嘆息したラグラウ司祭は皮肉を弄んだ。囚人の立場は吹けば飛ぶほど脆弱で、軍法会議の多くは職員側の論理で進む。それをよしとせぬ彼女は内心、忸怩たる思いがあるのだった。

 彼女は裁判官に指名されたひとりであり、一応拒否権も有しているため、公正さが損なわれるようなときは中立的な立場から介入ができる。よって状況次第では囚人の立場を擁護することもできるが、拒否権は闇雲に発せられるものではなく、何らかの筋道がなければ使えない。

 実際のところ、多数決が原則であるものの、軍法会議の行方を握るのはカフカの判断だ。しかし明白な証拠さえあれば、判決に影響を与えることは可能である。そんな意図を心に忍ばせた司祭は自分の権限を再確認した。

「所長。法廷において望めば質問の時間をとって貰えるのだろうな?」

 彼女が訊くと、口許をナプキンで拭ったカフカが眼を向けてくる。

「むろん許可しよう。我々も、君も裁判官である。納得いくまで問題を掘り下げ、厳正なる判断を示して頂きたい」

 少女のようにしか見えないラグラウ司祭にたいし慇懃に語りかけるカフカ。二人の力関係は微妙な要素が絡み合い、本当はどちらが優位なのか一概に決められない。
 その答えを知るためには、二時間後の開廷を待たねばならないのであった。
しおりを挟む

処理中です...