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第二章

軍法会議1

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「助手につけだと?」

 調子外れな声をあげたフリーデが、赤茄子《トマト》ジュースを片手に動きを止めた。

「大声を出すな。他の連中が騒ぎだすであろ」

 周囲をおもんぱかり低い声でたしなめたアドルフは、食事に手をつけながらフリーデの口を塞いだ。

 この日の朝、軍法会議のため労務は休みだった。おかげでアドルフたちは朝食を食堂で摂ることができ、トーストにポテトサラダ、ベーコンエッグを載せたトレイを自分の席に置いて、十字の祈りを捧げてから焼きたてのトーストにかぶりついた。

 今ごろ被告人となったノインは独居房に閉じ込められ、おそらくはるかに貧しい食事を摂らされているのではないか。そんなことに思いを馳せると普通は食事が喉を通らなくなるもの。しかしアドルフは実に活発に咀嚼をくり返し、目の前の食事を旺盛にたいらげていく。食の進まない様子のフリーデはたちまち置いてけぼりを食らうが、器用なアドルフは会話をしつつ山盛りのバターを塗りトーストを二枚、三枚と口に運んでいく。

「なに、助手と言っても特別なことは頼まん。我のそばにおり、適宜意見を貰いたいのだ。法廷で自分のペースを握るには色々と道具立てが要る。お前を助手に置いておくのもいわば演出のひとつだ」
「釈然としないが、何か考えがあるんだな。頼み事とあれば是非もないが、軍法会議を乗り切るアイデアなんて僕は持ち合わせていないぞ」

 アドルフの強引な性格を熟知しているフリーデはわりと素直に頷いたが、そうなることを予期していたかのようにアドルフは声を潜めて言った。

「案ずるな。きょうの法廷ではお前の働きが必要なのだ」

 そこまで言われて気分を悪くする者はいない。小さく頷き返したフリーデは、それ以上深入りすることなく、厚いトーストをにイチゴのジャムを塗りたくった。

 もっともこのときアドルフは、昨晩のうちに軍法会議のシミュレーションを念入りにおこなっており、また疑問点を収容所幹部に問うなど、事前の準備は万端だった。したがって今朝は、エネルギーの充填が何より大事なことだった。

 やがてふたりが〆のミルクをごくごく飲み干したとき、時間にしてかっきり一〇分はかかっただろう。しかしまるで時計の針のような正確さで動くアドルフは、ここから少しだけ意外な行動に移る。トレイを下げて、自室に戻るまえ、班員のところへゆっくりとむかったのだ。相手はディアナである。

 ディアナはいつもなら彼女を慕う子分に囲まれつつ飯を食うのが日常だが、今朝は同僚の死が懸かっていることに気分が乗らないのか、珍しくひとりで席につき、スライスした黒パンをもそもそ食べていた。

 そこへふらりとアドルフが現れたのだ。予期せぬ接近にディアナは驚いた様子だったが、すぐに状況を察したのか口に詰まったパンを慌ててのみ込み、

「弁護人に指名されたらしいじゃねぇか、頑張れよ」

 にこりともせぬまま、ちょっとだけうわずった声をアドルフにむける。
 その激励を受け、アドルフは頷き返した。とはいえ軍法会議という戦いを前に、なにゆえディアナの傍へと立ち寄り、雑談でもするかのごとき態度をとったのか。

 いつの間にか背後についたフリーデは怪訝そうな目で二人を見たが、理由はアドルフだけが知っている。彼はおもむろにディアナの席へ座り込み、穏やかな声で告げた。

「今週の給仕当番はお前だったな。頼みたいことがある。本日午後に、辺境州東部地区の全体会議がこのビュクシで開催されるが、そこに総督であるパベル殿下が顔を出す。殿下は午前中、正確な時間はわからぬが、ビュクシに到着してすぐ、休憩場所にむかうはずだ。普通の囚人は知らないだろうが、我は収容所幹部の聞き取りで、殿下がいつも敷地内にある別邸に腰を落ち着けることを知っておる。そしてそのお世話係を給仕当番から職員が募ることになっておることも。朝食を終えた後、お前がお世話係に立候補しろ」

 そう、週明けが明けた月曜のきょう。アドルフ班の給仕当番はアドルフからディアナへと移っていた。そして種を明かせば、アドルフが軍法会議を三日後に開廷させたのはパベル殿下の来訪が最大の理由だった。

 しかしディアナはその計算を承知していない。情報漏洩を恐れたアドルフは、直前になるまで腹案を黙っていたのだが、上から目線を嫌うディアナは素直に首を縦に振らない。

「いきなり命令かよ。ただじゃ請けられねぇな」
「ノインの処刑を撤回させ、同胞を助けてみせる。それが報酬では割に合わんかね?」

 事態は逼迫しているため、アドルフは小声で殺し文句を口にした。
 するとディアナは面倒くさそうに鼻らを鳴らし、

「俺はノインなんてどうだっていいんだけどさ、同僚がみすみす殺されるのは見たくねぇし、話を聞いてやらないこともねぇぜ」

 アドルフの思惑どおり、さすがのディアナも渋々態度を変えた。

「なに、簡単なことだ。我にはノインを救う手札がいくつもある。だが軍法会議は正論が通るとは限らん。よって保険をかけたいのだ」
「保険?」

 予想外の申し出にディアナは一瞬、狐につままれたような声を出す。

「そう、保険だ。駆け引きとは、自分がどんなゲームをしているか理解し、それをやり抜ける者が勝つ。現実はつねに流動的だ。自分のゲームを貫くためにはあらゆる手を打っておかねばならん」

 やがてわずかに口許を弛めたアドルフが、ディアナの傍に屈み込み、さらに低めた声で耳打ちをする。

「軍法会議の開始時刻は午前一〇時だ、裁判がはじまった直後を狙い殿下を法廷へお連れしろ。あとのことは我に任せるがよい。裁判で痛い目を見るのはノインではない。かわりに痛い目に遭うのは――」

 アドルフのひそひそ話は、ここでほぼ無音同然となった。おそらくフリーデの耳にも聞こえなくなっただろう。また会話の時間も一瞬で、挨拶を交わした程度だったから、監視に就いている職員たちも彼らのやり取りを注視した様子はない。

 だが他のだれもが知らないことだが、アドルフのなかではノインの処刑を食い止める論理は一分の隙もなく完成していた。あとはそれを見届ける第三者が必要。
 それがパベル殿下というわけだろうか?

 いずれにしろ、その答えはディアナだけが聞き取った。彼女は、自分が重要な役割を与えられたことを意気に感じたのか、相槌を打つように何度も頷き返していた。ほんの三〇秒にも満たない密談が終わった頃には、柱時計の針は午前九時を指し、厳かな鐘を広い食堂に満たしていった。
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