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第二章
軍法会議2
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収容所は元々、ビュクシに住む亜人族の大富豪から接収した土地と建物が原型で、そこに大規模な増築をくわえた南北に長い施設である。囚人棟は南側にある建物だから、法廷が開かれる教会まで石畳で舗装された道をアドルフとフリーデは北に向かった。
教会に入ると、そこには傍聴のために収容所職員、くわえて多数の囚人が集まっていた。二人が目をやると、そのなかの一人が片手を衝き上げ、大声を発した。
「頑張れ、アドルフ!」
そう、囚人たちはきょうの弁護人がアドルフであることを風の便りで知っており、なおかつ彼は唯一将校の肩書きを得た亜人として、他の囚人からも一目置かれる有名人。
無視するのも悪いと思ったのか、アドルフは口許を弛めながら軽く手を挙げた。だがそのとき、傍聴席の囚人からひと際大きい歓声があがった。
アドルフが振り返ると、教会の入口に看守に付き添われながら入廷するノインの姿があった。
三日ぶりに目にしたノインだが、その憔悴した表情は痛々しく見るに耐えない。ところが傍聴席から、そんな彼女を励ますように耳馴染みのある声たちも聞こえてくるのだった。
「お嬢、しっかりなさって」
「絶対勝てるやで。ワイは信じとる」
「頑張れ、頑張れ、ノイン」
傍聴席の最前列では、三人の囚人が、愚直な様子でノインに応援を送っていた。
彼らは、ノインがまだ富豪の令嬢だった頃の従者〈青い三連星〉である。九年に及ぶ収容所生活だが、終りの見えない労務の日々を彼らもまた生き抜いていたのだ。
しかしノインは彼らを一瞥すると、力のない笑みを浮かべ、すぐに目線を外した。
悄然としたノインの様子に心を痛めたのか、フリーデは悲しそうな顔を浮かべ、その場に足を止めた。アドルフはその意味を十分理解しつつも、感傷に浸る余裕を与えまいと、教会の奥に用意された弁護人席へむかいながら、フリーデの手を引いて言った。
「安心せよ。ノインの苦しみにはこの法廷でケリをつける」
相変わらず自信に満ち溢れたアドルフの言葉に、暗い顔をしたフリーデもわずかに笑みを浮かべた。打ちひしがれたノインの姿に軍法会議の現実を読みとった彼女だが、すぐそばに信頼できる男がいることを思い出し、気持ちを奮い立たせたのだろう。
そんな彼女を無表情で眺めるアドルフだが、その直後、傍聴席の囚人から再びどよめきがあがった。
入口に視線を移すと、そこには縦一列に並ぶこの法廷の裁判官の姿があった。
先頭は所長のカフカ、ついで副所長のミシュカ。最後に収容所付き教会の司祭、名前はイングリッド・ラグラウといったか。司祭は聖職者が着るローブをまとい、二人の収容所幹部はサーベルを帯剣している。
そして彼らの最後尾を、きょうの軍法会議を受理し、みずから検事役に就いたゼーマンが歩いている。相変わらず強気な表情を浮かべるゼーマンをちらりと見たアドルフは、フリーデとともに弁護人席へとつき、壇上に用意された裁判官席を見上げた。そこには左から副所長、カフカ、司祭が着席し、なかでも十字架を背にして座り、灰色の士官服をまとうカフカの長身が一段抜けて目立っていた。
そんな彼らを視認したアドルフが、小さく息を吐いたときである。
「なあ、ちょっといいか」
隣で落ち着かない様子で佇むフリーデが、小声ながらせっつくような態度で口を開いた。
「さっきの食堂でもそうだが、君はこの軍法会議に随分と自信を持っているようだが、何か確信でもあるのか? 僕は正直なところ、ノインの処遇が気が気でならないんだが」
その疑問を聞き、アドルフはフリーデの不安を当然だと思った。一方的に助手として選んだ彼は詳しい説明を省いている。
もっとも彼の腹づもりでは、大事な部分は共有される必要などないのだったが、フリーデに懸念があると法廷の進行に噛み合わないことが増えるだろう。
もう情報漏洩の恐れはないため、真意を伝えることに障害はなく、気を楽にしたアドルフは、端的な説明でフリーデの不安を解消してやるのだった。
「裁判の勝訴に関して言うと、十分な確信がある。お前は知らないだろうが、副所長のミシュカは王都の士官学校時代、教官としてゼーマンを指導した過去があったらしく、明らかにゼーマン寄りの人物。これにたいし司祭のラグラウだが、元々裏表のない人物との評判を得ておる。理路整然と攻めれば心証をよくすることは間違いない」
フリーデの耳に口を近づけ、囁くように語りかけるアドルフ。その話にはしかし、まだ続きがあった。
「最後に所長のカフカ。彼は我が将校になるにあたって後ろ盾になった者たちのひとりだ。おまけに労務の生産性にもっとも気を配る男でもある。ノインが処刑され、アドルフ班が機能不全に陥るのは望むまい。よって多数決を前提とすれば、ラグラウ司祭、カフカ所長の二票で、我の勝訴はほぼ確定的と言ってよいだろう」
「だとすれば早く言ってくれよ、もはや勝訴は揺るぎないじゃないか」
返事をかえすフリーデの声に安堵のようなものが混じった。しかしアドルフは、それとは逆に慎重な声を放つ。
「いささか早計だな、フリーデよ。法廷の勝ち負けはまだ決まっておらん」
「どういうことだ?」
「我は、多数決を前提にすれば、と言ったはずだ。普通に考えればそうなるはずだが、この国の軍法会議に限っては違う。議論が紛糾した場合に備え、裁判長に判断が一任されることもまれではない」
「つまり?」
「自分の頭を使え。カフカの思惑次第で、法廷がどんな結論を出すか現状読めんということだ」
ここでアドルフは、フリーデへの説明を切りあげた。壇上に座ったカフカに動きがあったからだ。
「諸君、そろそろ始めようか」
カフカが声を発した途端、教会の空気は引き締まったものに変わる。アドルフはこの軍法会議のために入念な準備をしてあったが、その全てをフリーデに教えてやることはできなそうだ。
もっとも彼は、つねに臨機応変な男だ。裁判の流れによっては説明を追加する機会は訪れるだろうし、最悪フリーデは彼にとって道具でしかない。法廷の空気を変え、傍聴席に陣取る囚人たちに影響を及ぼすための便利な道具。
アドルフにとって同僚さえ自分の手足に過ぎない。だが同時に得がたい味方でもある。矛盾といえば矛盾だが、言い換えるなら彼にはフリーデを思いやる側面があり、緊張を隠さない彼女をおもんぱかり、華奢な肩を優雅な動きで叩いてやる。
「案ずるな。最初から最後まで自然体を心がけよ」
そのひと言をどう聞き取ったのかは判然としないが、フリーデは普段の恐ろしげな表情をわずかに崩し、検事席を大人しく見つめた。そこではゼーマンがカフカの呼びかけに応え、片手を顔のそばにあげながら真実を約する宣誓をおこなおうとしていた。
教会に入ると、そこには傍聴のために収容所職員、くわえて多数の囚人が集まっていた。二人が目をやると、そのなかの一人が片手を衝き上げ、大声を発した。
「頑張れ、アドルフ!」
そう、囚人たちはきょうの弁護人がアドルフであることを風の便りで知っており、なおかつ彼は唯一将校の肩書きを得た亜人として、他の囚人からも一目置かれる有名人。
無視するのも悪いと思ったのか、アドルフは口許を弛めながら軽く手を挙げた。だがそのとき、傍聴席の囚人からひと際大きい歓声があがった。
アドルフが振り返ると、教会の入口に看守に付き添われながら入廷するノインの姿があった。
三日ぶりに目にしたノインだが、その憔悴した表情は痛々しく見るに耐えない。ところが傍聴席から、そんな彼女を励ますように耳馴染みのある声たちも聞こえてくるのだった。
「お嬢、しっかりなさって」
「絶対勝てるやで。ワイは信じとる」
「頑張れ、頑張れ、ノイン」
傍聴席の最前列では、三人の囚人が、愚直な様子でノインに応援を送っていた。
彼らは、ノインがまだ富豪の令嬢だった頃の従者〈青い三連星〉である。九年に及ぶ収容所生活だが、終りの見えない労務の日々を彼らもまた生き抜いていたのだ。
しかしノインは彼らを一瞥すると、力のない笑みを浮かべ、すぐに目線を外した。
悄然としたノインの様子に心を痛めたのか、フリーデは悲しそうな顔を浮かべ、その場に足を止めた。アドルフはその意味を十分理解しつつも、感傷に浸る余裕を与えまいと、教会の奥に用意された弁護人席へむかいながら、フリーデの手を引いて言った。
「安心せよ。ノインの苦しみにはこの法廷でケリをつける」
相変わらず自信に満ち溢れたアドルフの言葉に、暗い顔をしたフリーデもわずかに笑みを浮かべた。打ちひしがれたノインの姿に軍法会議の現実を読みとった彼女だが、すぐそばに信頼できる男がいることを思い出し、気持ちを奮い立たせたのだろう。
そんな彼女を無表情で眺めるアドルフだが、その直後、傍聴席の囚人から再びどよめきがあがった。
入口に視線を移すと、そこには縦一列に並ぶこの法廷の裁判官の姿があった。
先頭は所長のカフカ、ついで副所長のミシュカ。最後に収容所付き教会の司祭、名前はイングリッド・ラグラウといったか。司祭は聖職者が着るローブをまとい、二人の収容所幹部はサーベルを帯剣している。
そして彼らの最後尾を、きょうの軍法会議を受理し、みずから検事役に就いたゼーマンが歩いている。相変わらず強気な表情を浮かべるゼーマンをちらりと見たアドルフは、フリーデとともに弁護人席へとつき、壇上に用意された裁判官席を見上げた。そこには左から副所長、カフカ、司祭が着席し、なかでも十字架を背にして座り、灰色の士官服をまとうカフカの長身が一段抜けて目立っていた。
そんな彼らを視認したアドルフが、小さく息を吐いたときである。
「なあ、ちょっといいか」
隣で落ち着かない様子で佇むフリーデが、小声ながらせっつくような態度で口を開いた。
「さっきの食堂でもそうだが、君はこの軍法会議に随分と自信を持っているようだが、何か確信でもあるのか? 僕は正直なところ、ノインの処遇が気が気でならないんだが」
その疑問を聞き、アドルフはフリーデの不安を当然だと思った。一方的に助手として選んだ彼は詳しい説明を省いている。
もっとも彼の腹づもりでは、大事な部分は共有される必要などないのだったが、フリーデに懸念があると法廷の進行に噛み合わないことが増えるだろう。
もう情報漏洩の恐れはないため、真意を伝えることに障害はなく、気を楽にしたアドルフは、端的な説明でフリーデの不安を解消してやるのだった。
「裁判の勝訴に関して言うと、十分な確信がある。お前は知らないだろうが、副所長のミシュカは王都の士官学校時代、教官としてゼーマンを指導した過去があったらしく、明らかにゼーマン寄りの人物。これにたいし司祭のラグラウだが、元々裏表のない人物との評判を得ておる。理路整然と攻めれば心証をよくすることは間違いない」
フリーデの耳に口を近づけ、囁くように語りかけるアドルフ。その話にはしかし、まだ続きがあった。
「最後に所長のカフカ。彼は我が将校になるにあたって後ろ盾になった者たちのひとりだ。おまけに労務の生産性にもっとも気を配る男でもある。ノインが処刑され、アドルフ班が機能不全に陥るのは望むまい。よって多数決を前提とすれば、ラグラウ司祭、カフカ所長の二票で、我の勝訴はほぼ確定的と言ってよいだろう」
「だとすれば早く言ってくれよ、もはや勝訴は揺るぎないじゃないか」
返事をかえすフリーデの声に安堵のようなものが混じった。しかしアドルフは、それとは逆に慎重な声を放つ。
「いささか早計だな、フリーデよ。法廷の勝ち負けはまだ決まっておらん」
「どういうことだ?」
「我は、多数決を前提にすれば、と言ったはずだ。普通に考えればそうなるはずだが、この国の軍法会議に限っては違う。議論が紛糾した場合に備え、裁判長に判断が一任されることもまれではない」
「つまり?」
「自分の頭を使え。カフカの思惑次第で、法廷がどんな結論を出すか現状読めんということだ」
ここでアドルフは、フリーデへの説明を切りあげた。壇上に座ったカフカに動きがあったからだ。
「諸君、そろそろ始めようか」
カフカが声を発した途端、教会の空気は引き締まったものに変わる。アドルフはこの軍法会議のために入念な準備をしてあったが、その全てをフリーデに教えてやることはできなそうだ。
もっとも彼は、つねに臨機応変な男だ。裁判の流れによっては説明を追加する機会は訪れるだろうし、最悪フリーデは彼にとって道具でしかない。法廷の空気を変え、傍聴席に陣取る囚人たちに影響を及ぼすための便利な道具。
アドルフにとって同僚さえ自分の手足に過ぎない。だが同時に得がたい味方でもある。矛盾といえば矛盾だが、言い換えるなら彼にはフリーデを思いやる側面があり、緊張を隠さない彼女をおもんぱかり、華奢な肩を優雅な動きで叩いてやる。
「案ずるな。最初から最後まで自然体を心がけよ」
そのひと言をどう聞き取ったのかは判然としないが、フリーデは普段の恐ろしげな表情をわずかに崩し、検事席を大人しく見つめた。そこではゼーマンがカフカの呼びかけに応え、片手を顔のそばにあげながら真実を約する宣誓をおこなおうとしていた。
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