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第二章

遵守1

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「なるほどな、よくぞ〈文字にできない言葉〉を読み解いたと正直驚嘆している。月並みな表現だが、天賦の才能としか思えない」

 まるで嵐が過ぎ去った後のような教会裏。
 大水を浴びたローブを木の枝にかけ、リッドがテラスの椅子に座り込む。

 そして「もしお前が〈増幅器〉を所持していたら大変なことになっていたぞ」と余裕のない顔つきで苦笑いする。

 アドルフは自分が詠唱文を解読した理屈を、総統時代に出会ったエニグマの話を隠しつつ述べた。とはいえ暗号を短時間で読み解くのはやはり常軌を逸していたようだ。リッドは依然興奮と戸惑いの入り混じった表情で称賛をやめない。

「お前の発見したとおり、古代ゲルト語の表音文字をセルヴァ語の表音文字に置き換え、それをある法則性をもった変換式に通せば、ゲルト語の詠唱文が得られる。このからくりに気づくまでにひとつ、変換式を数学的に導くのにひとつ、最後の詠唱文を記憶するのにもうひとつ、合計三つのハードルがあるわけだが、たった数時間で全部乗り越えたのは私の知る限りお前だけだ。誓ってもいい、私が《主》の理を授けたらお前はSクラスの魔法を修得し、それを使いこなせるようになったときデーシュトを名乗れるだろう」

 リッドが最上級の賛美を与える一方、アドルフは魔法で出現した水をたらふく飲み込み、たいへん気分が悪かった。ゆえにデーシュトになれることがどれほど名誉かもわからないまま、会話の流れにどうにかしがみつく。

「細かいことは後にして、さっそく《主》の理とやらを実行して貰おうか。我はすぐにも〈死の森〉へ旅立つ。手短に済まして貰いたい」

 相手の尻を叩く形になるが、リッドは不快な態度をとらなかった。

「なに、儀式自体は数分で終わる。時間的余裕もないし〈増幅器〉は私のブツをやろう」

 そう言うとリッドは身につけた〈増幅器〉のうち、指にはめたリングを外し、アドルフへ手渡す。

「高価なものなのであろ。本当によいのか?」
「気にするな。優れた魔導師が誕生しようとしているんだ。安い出費さ」
「わかった、感謝する」

 リングを指に通しながらアドルフが礼を言うと、儀式にむけた説明をリッドがはじめる。

「お前に自覚はないだろうが、魔法体系の根源も、万物の創造主である《主》によって支えられている。《主》の理とはその自覚に目覚め、根源とおのれを結びつける行為にある」
「なるほど、だいたい理解した。我は全てをお前に委ねればよいのだな?」
「少しばかり能動性を発揮して貰うぞ。《主》の存在をイメージしろ。具体的であればあるほど望ましい」

 リッドの要求は思いの外無茶ぶりであったが、アドルフは幸い、人知を超越した存在には接点があった。転生する直前、天界で出会ったネーヴェという天使がそれだ。

「呼吸を深め、自我を捨てろ。おのれが何者でもなく、いと高き《主》によって生かされてることに思いを馳せろ」

 言葉を継ぎ、手を掲げたリッドは、もう一方の手で濡れた衣服にぱたぱたと風を送り込む。水浸しのローブはもう脱いだが、その下の衣服までずぶぬれだったから仕方ない。

 アドルフも似たようなものだが、リッドは女性なので濡れた衣服が体のラインを強調してしまう。眼を凝らせば、薄い白地の衣服だけに下着が否応なく透けて見えた。幼い見た目に反して大人びた黒いブラを着けていることがわかり、男性としては眼のやり場がない。

「邪念があるな。集中力が足りてないぞ」

 アドルフの頭上に手をかざしたリッドが注意を発したため、アドルフは慌てて目を塞ぎネーヴェの姿を回想した。

 何もなく真っ白な場所にそよぐ風。たなびく白装束。人間離れした装いの天使がかしずく《主》という存在。

 それがアドルフの信じたキリスト教の唯一神と同じであるかはわからない。だが、似たような存在であることは容易に推し量れる。

 いつの間にか彼の頭からリッドの肢体は消え去った。その瞬間を待ち構えたかのように彼女は、聞いたこともないような声で不思議な詩を口ずさむ。どの言語にも属さない言葉の羅列。それが魔法の記述と酷似していることを悟ったとき、体の奥に見えない火が灯った。

 どれだけ時間が経ったのだろう。胸に灯る火をまるで生命の象徴だと彼が思ったとき、リッドの唱える詩がぴたりと止んだ。

「《主》の理が根づいたようだな。お前にはそれが何に見える?」
「やわらかに燃える赤い炎だ」
「よく覚えておくがいい、アドルフ。その炎はお前自身の現れだ」

 リッドいわく、《主》の理によって覚醒するイメージは個人差があるという。火、水、風、土などの四元素が基準となり、心身のあり方を物語ってくれるらしい。

「炎が現れたからと言って、お前の属性が決定されるわけではないが、方向性にはなる。火属性、つまり酸素の燃焼をともなう魔法がお前の得意分野となるわけだ。火属性と言っても、さきほど披露してみせた〈火焔〉にとどまらない。意外な魔法がその属性の系列となる」

 大づかみな説明だが、混乱に到るほどではない。アドルフは「ふむ」と言ったきり、自分の掌をじっと眺める。

 そんな彼を尻目に、いまやリッドはアドルフの傍から離れ、彼のことを見つめている。その視線はややこそばゆいが、彼のなかで炎はまだ燃え続けていた。それはあたかも彼自身の抱く野心のようである。

 自分がなぜ火属性の魔導師になったか、何となくわかる気がした。全てを燃やし尽くすような破壊の後に新たな秩序はつくられる。耐えがたきしがらみにとらわれたドイツ国を一度はナチス運動で、二度めはドイツ民族の真価を問う戦争で破壊し尽くした彼にとっては、それはどこか懐かしさすら感じさせるものだった。

「ところでアドルフ」

 しばし哀愁に浸りかけたアドルフを呼び覚ます声で、リッドが何事か問いかけてきた。

「お前はどの程度の詠唱文を覚えた? ある程度説明をくわえ、運用の際の手助けにしてやろうと思うのだが」

 ぼんやりしていたアドルフであったが、ここで意識を切り替えた。自分が覚えたのは〈火焔〉だけではない。それ以外にも、いまいち使い途のわからない魔法も興味の赴くまま読み解いていた。

 まずはさきほど使い損ねた水属性の〈放水〉だった。何となく〈火焔〉と反作用をもつ魔法を覚えておけば、柔軟な運用が可能になると思ったからだ。

 それを聞くとリッドは、訳知り顔で首を横に振った。

「火属性のお前にとって、水属性は相性が良いとは呼べない。万能型の魔導師に発展するならいざ知らず、補助的な位置づけがせいぜいだろう」

 一見筋のとおった助言だが、アドルフは不可解な気持ちになって思わず反論する。

「万能型といったな、それはどういうことか。我はそういう魔導師にはなれんのか」

 疑問はピント外れではなかったようだ。リッドは人差し指を立て、疑問に答えていく。

「万能型の魔導師は、四元素の全てを自身のイメージにもつことが多い。どっちつかずと言えばそうなんだが、どれも平均的に力を発揮できる。むろんそのぶん、突出した力はつきづらい。いいとこ取りはできないというわけだ」

「そうか、意外と世知辛い仕組みだ」

 残念ではあるが納得感はあったため、アドルフはすぐ気を取り直した。彼にはまだリッドに聞くべきことがあったのだ。(続く
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