緋黒の焔〜ヒトラー異世界戦記〜

影山ろここ

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第三章

イェーガー少将

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 九歳になろうとしている年の春、ルツィエは能力の面で魔導師の完成に近づいた。桜の花が舞い散るなか、チェイカの操縦を学び、史上最年少で鉄兜団の一員となる。クラスA以上の魔法も修得し、これらの実績をもって彼女は魔導師の最高位を意味するデーシュトに仮認定された。

 ルツィエ自身も、ようやくおのれの力が自分が求める水準に達したことを喜んだ。

 その微笑は相変わらず薄気味悪かったものの、笑顔は百難隠すという。周囲にぎこちない印象を与え続けはしたが、変わり者は次兄で慣れていた父母はそこにむしろ大人びた要素を感じとりはじめ、三〇〇名からなる評議会の議席を彼女に与えることまで検討した。

 こうした所業を《魔王》の側近たちは見て見ぬふりをしようとしたが、たった一人、最高指導者にあるまじき振る舞いとして異論をぶつけた者がいた。ルツィエの家庭教師を任されたイェーガー少将である。

「恐れながら陛下、それは親ばかというものでございます」

 硬骨漢として名を馳せていた少将は、依然としてルツィエの家庭教師である立場から、魔導師としての能力を目覚ましく開花させた反面、人格的成長に難が見られることを包み隠さず具申した。

「人格といってもルツィエはまだ子供ではないか」

 信頼したイェーガーの意見に《魔王》はやんわり言い返す他なく、おまけにその釈明がはらんだ矛盾を「まだ子供であるならば、大人の集う評議会はなおさら時期尚早」と指摘され、返す言葉を失った。

 イェーガーは父が諦めた評議会の議席という報酬のかわりに、魔導師としてのルツィエに厳しい課題をかすことにした。しかもそれを乗り越えることなくしてはデーシュトの称号は半永久的に取りあげたままだと告げ、実の父以上に恐ろしい鬼として彼女まえに立ち塞がる。

 ここに到ってルツィエは、自分の置かれた状況と、物心ついてからの数年を振り返り、客観的に事態を眺めとった。

 自分は確かに恵まれていた。父母、二人の兄、周囲の取り巻きたち、誰もが幸福という花のなかで彼女を育んできた。ところが、そうした何ひとつ欠けることのない運命にたった一人傷をつけたのが家庭教師役を任じた歴戦の将軍。これがいったい何を意味するのか、彼女のなかにいる老成したスターリンが理解できないわけがなかった。

 セクリタナに転生する際、管理者となった悪魔は「悪を貫け」と言った。その目的を通じて彼女自身の悪が試されるとも。

 ここから導かれるのは、恵まれすぎた境遇は善性への堕落という答えだった。アドルフ・ヒトラーの宿敵として再び相まみえんとしたおのれへの裏切り。イェーガーの示した強烈な父性は、ルツィエに果たすべき宿命のようなものを思い出させた。

 王統府の裏には青くて広い敷地がある。師匠と弟子はそこで日々魔法の授業を重ねていた。

「課題は望むところです。存分に鍛えてください」

 それ自体〈増幅器〉の一種でもある魔法の杖を片手にルツィエは口調まで変えてイェーガーに対峙した。要領よく外見を取り繕ったようにも見えたが、軍人は形から入ることをよしとするため、ルツィエの示す変化はイェーガーの流儀に合致した。

「いまの状態では前線で足手まといになります。そんな自分を妾は認められない」
「ふむ。よい心がけですな、姫殿下」

 この日の授業を境に、課題は一気に倍になった。それまでも、一〇歳未満の子供がこなすには明らかに荷が勝ちすぎていたのにだ。

 デーシュトの称号を得ようとしていたのだから、すでに多くの〈文字にできない言葉〉を解き、詠唱文を覚え、クラスSの魔法さえ身につけていたルツィエだが、その達成は中身のない勲章だとイェーガーは判じ、野太い声で一喝をくだした。

「戦場で使うには魔法は手足のようでなくてはなりませぬ。恐れながら殿下の魔法は観賞用でございます。私はそのような方の指揮下はご免被りたい」

 王族との付き合いのなかでも家庭教師と子女は師弟の交わり、多少の不敬は織り込み済みとはいえど、容赦ない物言いはルツィエのプライドを切り刻む。

 しかしそれは乗り越えねばならない。彼女は幸福のまどろみから醒めようとしていた。二度目の人生を、隠居暮らしで終わらせる気はないと思い直したのだ。

 転生の際、グレアムはいった。
 悪を貫け。その先にヒトラーがいると。

 ソ連の最高指導者となり、世界の半分を支配した。それ以上の達成はないかのように思える。
 だが新しい人生をはじめると、過去の成功はリセットされ、ルツィエは思ったのだ、この広大な世界を同じように統べてみたいと。そのためにはいまの地位を覆すほどの活躍をやってのけ、最高指導者の椅子、すなわち《魔王》の座に就くことが至上命題となる。

 波乱に満ちた歩みになるのだろう。それでもそのみちの途上にこそ、一度はしとめ損なったヒトラーがいるはずだ。どんなやつが邪魔しようと、敵は倒すために存在する。

 プライドをへし折られる寸前で、ルツィエは心を入れ換えた。その爛々たるまなざしを見てとり、幼き弟子がようやく本気を出したとイェーガーは思った。わずか九歳で師を威圧するほどの覇気だ。どこまで成長するか将来が末恐ろしくなる。

 ルツィエのなかに一本芯が通ったことで、彼にできることはより高度な指導となった。すでに修得した魔法のうち、自分と相性のよいものを選び、自分なりの勝ち方を見つけ出すというものだ。

「察しますところ、殿下は攻撃に特化されてゆかれるのが望ましいかと思われます。防御や支援の類いは従者、もしくは部下に任せ、敵を撃滅することのみを研ぎ澄ましてはいかがでしょう」
「望むところだわ」

 ルツィエが答えるとイェーガーは待ってましたとばかりに掌を返した。

「それでしたら、従者や部下を絶えず味方につけておかねばなりませぬな。我がまま放題では人は離れてゆきます。先の大戦で英雄のひとりがこんなことをいった。人間を動かすのは恐怖と利益だと。私はそこに強さを付け加えたく思います」

 恐怖、利益、強さ。
 おのれが自在に操ったのはたぶん恐怖だな、とルツィエは前世を振り返り思った。しかしその血も涙もない国家指導は無数の犠牲者を出した。この世界で同じ手段は有効なのか。

 思考が横みちに逸れたのだろう。イェーガーが稲妻を発し、ルツィエの杖をしたたかに撃った。

「私の見るところ、殿下には魔法の特化のみならず、重大な修正点がございますな。それが何かおわかりですか?」

 イェーガーの問いかけにルツィエは答えられなかった。すると一拍置き、またしても稲妻が落ちる。慌てて伝導性の岩石を空中にばらまいたが、対応が遅いと灼け焦げるところだった。

「いまのは良い対処でしたな。殿下の魔法は確かにお強い。ですがその強さの向かう先がどこかを、感知できぬ私ではありませぬ」

 この発言にルツィエは戸惑いを覚えた。イェーガーの発言が思わせぶりだったことに加え、その表情が突然消失し、思考が全く読めなくなったからだ。

「何が仰りたいのですか、エルヴィン?」

 真顔で尋ねたルツィエにたいし、家庭教師は遠回しに告げた。

「敵の姿がぶれておいでです、殿下。それでは戦に負けまする。本当に倒すべき敵はだれか、あなた様はそのつど定めねばなりませぬ。それが戦の鉄則です」

 敵という単語から、彼女は王位継承権争いのことを連想した。自問自答すると、それはどうやら的外れではないように思えた。

 あいつも倒したい、こいつも倒したい。
 権力への欲望を滾らせ、自分が気づかぬうちに周囲へ敵意をばらまいていたことをこのときルツィエは初めて自覚した。そんな自分の内面が、イェーガーに看破されつつあったことも。

 年端もいかない子供のやることだ。その突出は幼い背伸びと見なされ、周囲に許容されていたのだろう。しかしあと五年もすれば通用しなくなる。

 自覚は必然的に危機感を生んだ。本当の野心は隠し続け、ここぞという場面でのみ用いる狡猾さがいまの自分には欠けていた。きっと幼い自分に苛立ち、焦りが抑えきれなくなっていたのだろう。前世の自分はむしろそうしたずる賢さに長けていたはずだ。

 慌てておのれを顧みたルツィエに、イェーガーは最後通牒のように言った。

「肉親を恨んではなりませぬ。あなた様が立派であれば、地位はおのずとついて参ります」

 これを聞き、ルツィエは激しくうろたえたが、決して悟られぬよう児戯という芝居を打った。

「妾はしがない魔導師見習いです。分に過ぎた野心など抱いておりません」
「心当たりは無いと。そうであればよいのですが」

 武骨な返事は、文字どおりに受け取れなかった。なぜならイェーガーは、淡白な口調とは裏腹に片手を水平に掲げ、矢継ぎ早に詠唱をはじめたからだ。

 のちにルツィエは思った。もしこのとき王位への野望を吐露したら、自分はイェーガーに殺されていたのではないかと。

 その想像はある意味恐怖の産物だった。けれど完全な思い過ごしではなかったと思わせる一撃が、このときルツィエを痛烈に襲ったのだ。

 それは〈爆縮〉魔法である。威力はE程度だが、初めて体験した彼女の眼にはそれ以上に映った。

 詠唱を終えたイェーガーの術式は彼の掌上にこぶし大の火球を出現させる。
 それが普通の火焔魔法と異なる点は、目にした火球が断続的に大きさを縮め、内部に向かって陥没することだった。現にこぶし大だった火球は小さな豆粒のような光へと凝縮していった。

 そして最後の瞬間、目も眩むような爆発が起こった。発熱にともなう閃光は想像よりも激しく、視界の全てが真っ白に塗り潰された。光線は目に灼きつき、ルツィエはしばらく視力を失った。

 殺意を感じるには控え目な威力だったと思う。しかし人知を超越する高位魔法を発動させたこと自体がイェーガーの心中を代弁しているように感じられ、ルツィエは背筋を凍らせながら恐れをなした。そして猛烈な反省が刻まれた。師であるイェーガーのまえでは二度と野心を覗かすまいと誓い、その思いはトラウマとなって心に大きな傷をつけたのだった。
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