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第四章

ルアーガ遭遇戦3

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 ――我は昨日の軍法会議でこいつに赤っ恥をかかせた。誇り高き魔人族がそれを無傷で済ましたとは思えん。魔獣退治に協力するどころか叛旗を翻す恐れは高い。

 しかしこのときアドルフは、自分が絶対的優位を手にしているとも考えた。彼はリッドの手ほどきで魔導師として確固たる力を手に入れた。その事実をゼーマンがどう捉えたかは瞭然としないが、反抗しようにもどちらの力量が上かはクラスの違いとしてはっきりしている。

 ――だが不満分子は歯向かわなくともよい。戦闘の足を引っ張ればよいのだ。我の指示を無視して作戦行動を邪魔できる。そんな自由をゼーマンに与えてはならん。

 そう、懸念すべきは戦闘のどさくさに紛れて部隊に害をなすことだ。アドルフが戦いに没頭しはじめた途端、彼らの足を掬う絶好のチャンスが訪れる。

 もっともこの時点において、アドルフの思考は先走りと言えなくもなかった。しかし肝心のゼーマンはあごをしゃくりながら挑戦的な台詞を放った。

「心配だよな、アドルフ。本当はオレのことが怖くて仕方ねぇんだろ。高位魔法を手に入れたって話だが、背中がお留守じゃ役に立ちゃしねぇ。頼りになる連中も船外で戦闘態勢。オレがその気になれば、情勢は貴様に不利となるぜ」

 じゃりっと、ゼーマンが靴音を立てる。木で出来た船底を砂利付きの足が踏みしめた音だ。

「気苦労が溜まると頭ハゲ散らかるだろ。ここはお互い、安全保障協定でも結ぼうや」

 アドルフとの距離を縮め、圧力を掛けるかと思いきや、ゼーマンの発言は唐突に穏当さをおびた。

 安全保障協定?
 その言葉が示すものは何だろうか。

 ゼーマンもまた、巨大魔獣との遭遇に危機感を抱いているということだろうか。

 例えば、魔獣の攻撃を受けたという口実で船外に転落。そんな不慮の死を与えることはいまのアドルフにも行いうる芸当だ。操船を誤ったふりをする程度造作もない。

 妥協を口にしたのは彼なりの警戒心の現れにも思える。なにせここは、逃げ場所など存在しない船上という名の閉鎖空間。ゼーマンとて身の安全を図りたいのが本音だろう。

 ――ふむ。やはりこいつは我の学び取った高位魔法に怯えておるのだな。

 しばらく頭をめぐらし、最善策は何であるかを、アドルフはようやく感じとる。先手必勝。ゼーマンの誘いは無視せねばならない。
 そう断じた彼は指にはめたリング状の〈増幅器〉に意識をこめ、唇を小刻みに動かす。

 ――暁の光よ、灼熱よ

 アドルフにとって最大の攻撃力は魔導書から学んだクラスAからS規模の〈火焔〉だ。どの程度の破壊力をおびるかは、リッドの言ったとおりマナの供給量によるのだろう。

 身体をマナで満たすこと自体は労務で経験済みである。そのとき得た感覚をイメージすると、掌から冷たい水のようなものが気体のごとき速度で這い上がってくるのがわかった。

 魔法の詠唱をはじめたアドルフは、ゼーマンの射線を外して右舷へ素早く移動した。頭では考えない。足が船底を擦り、口が勝手に動きだす。詠唱文は術式を紡ぎだし、彼の周囲に魔方陣を出現させる。

 命の源たる炎よ――

 アドルフはなぜゼーマンが提案した和平を無視したのか。それは彼の思惑が偽りなら、アドルフは俄然不利を背負うからだ。

 協力し合わないことで利益を得る場合、自分に有利な状況は先に裏切ることでしか得られない。その判断は理論的に正しく、心の善悪や些末な事実の入り込む余地など皆無だった。

「ゼーマンよ、我はクラスSの魔法を修得した。それを目に焼きつけながら、命乞いして滅びるがよい」

 しかしアドルフにはわずかな計算違いがあった。
 ゼーマンの虚を突いたはいい。やつが瞬時に紡げる攻性魔法は精々クラスEであり、最高難度の魔法も〈禁止〉のクラスBだと記憶している。だが、この場にいる人間は彼ら二人だけではなかった。

「ふん、攻撃を止めろ。あいつが死ぬぞ?」

 早口で言ったゼーマンの右手に術式が浮かび、それは空中のマナと激しく干渉する。

 ほどなく火球が発生し、急激に膨れ上がるが、そのサイズはきわめて小さい。もしアドルフにぶつける気なら、彼の〈火焔〉に消滅させられる程度の規模。クラスが桁違いなのだから当然の原理だ。

 そんな状況下で、ゼーマンのとれる策はひとつしかなかった。それは船上に佇むマクロを捉え、彼女を人質に取ること。彼の選択もまた、心の卑劣さとは無関係に、論理的帰結の一種であった。

 ゼーマンの唱えた〈火焔〉が、迷いなき動作で操船中のマクロに向けられた。ここで不幸だったのは、アドルフがまだ未熟な魔導師であった点だ。

 卓越した魔導師なら、一度発動した魔法を急停止させたり、撃ちだす方向を自在に変えたりできるため、ゼーマンの放つ〈火焔〉を発動した瞬間打ち消すことなども可能であった。しかしそれらの操作は、魔法を単純に生み出す以上の難易度を有している。

「クソったれ!」

 アドルフは露骨に舌打ちを鳴らし、自分の甘い判断をなじった。

 もし人質をとられる可能性まで最初から織り込んでいれば、遅れを取ることなどなかったかもしれない。それこそ魔獣との遭遇を感じとった時点で、障害となりうるゼーマンを無力化できたはずだ。そうすれば、マクロの身を確実に守れたであろう。

 取り返しのつかない悔いは突如爆発した。魔法を完成させたゼーマンは〈火焔〉をマクロに打ち放し、アドルフの魔法はゼーマンの左半身に覆い被さる。これらは全部、ほんの刹那に起きた出来事であった。
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