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第四章

ルアーガ遭遇戦4

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 敵の巨大魔獣がその影を雲に映したとき、フリーデとリッドは各々の乗り物に跨がり、アドルフが搭乗する飛空艇と並走しながらその速度を弛めていた。

 二人のうちフリーデは、チェイカにブレーキをかけつつ、遠くの空域に眼を向けた。その鋭い眼差しは、魔獣の周囲に密集したさらなる異物たちを発見する。

 なぜなら魔獣は、呼集したロングレンジなどの雑魚モンスターを引き連れていたうえに、その胴体にはチェイカに乗った軍衣の集団が纏わりついていたからだ。

 両者のサイズを比較すると、地面に落としたアイスキャンデーに密集するアリの群れが連想されたが、夏の涼しい風情と魔獣の姿は絶望的にかけ離れており、灼けた石のような肌も露に、口の周囲から高温の煙を吐き出す光景は暑苦しいどころの騒ぎではない。

 けれど肝っ玉のすわったフリーデは非常事態にもかかわらず魔獣の正体を速やかに判じた。最初に目視したときの印象と巨大な翼という特徴から、その魔獣がウィザード・ドラゴンの別称を持つ〈ルアーガ〉に他ならないと結論づけたのである。

 ルアーガはその名が示すとおり、高位魔導師のように自在に魔法を操る稀少種の竜属だ。ただでさえ強力な火焔攻撃を得意とするドラゴンが、魔導支援をみずから備えているわけだからまさに鬼に金棒。そうした魔獣図鑑で得た情報にもとづくなら、彼方の空域ではいま激しい魔導戦が行われているはずである。

 そこまではすぐにわかった。しかし前方に眼を凝らすと唐突に疑問も湧いてくる。

 ――あの連中はいったい誰だ?

 ルアーガを取り囲む集団は何度見ても軍人にしか見えなかったが、注意深く観察するとその黒い軍装は奇異に映った。彼らは防塵マスクに冬装備という格好で、全員チェイカに乗り、ルアーガの周囲を旋回しながら後方に青白い炎を吹きあげている。おそらくはチェイカの出せる出力を限界まで吐き出しているのだろう。

 ちょうどそのとき、風を切って翼竜を操るリッドがフリーデに呼びかけた。

「あれは連邦の空挺兵だな。しかも黒染めの制服から判ずるに普通の軍人ではない。以前、王都に居たとき見たことがある」
「そうか。腑に落ちたよ」

 片手を挙げたフリーデはごく手短に返事をした。

 けれど本当をいえば、彼女にとってそれはもう無駄話でしかなかった。泡のように浮かんだ疑問は弾け、別の思考につながり、直前の会話を飛び越える。フリーデが瞬時に行き着いたのは、アドルフの請け負う任務が台無しにされる可能性にくわえ、最悪の場合彼の身が危険に晒されるという不安だった。

 戦闘に巻き込まれた場合、飛空艇は離脱行動がとれない。速度が足りないからだ。よって魔獣と行き会ったときは空域を突き進むより他に手段がない。そうなると機動性に欠ける飛空艇は敵の餌食になりかねない。

 しかしフリーデを突き動かす不安はそれだけではなかった。船上にいる味方はいま、元従者であるマクロのみだ。

 それがいったい何を意味するか。フリーデの考えでは、上官命令に従ったゼーマンは味方の数に入っていなかったのである。それどころかむしろ敵に値するとさえ判じられていたのだ。

 何事もなければ後方支援に回ったであろうゼーマンだが、それは積み荷の捜索が順調に進んだときの話。いまアドルフ率いる部隊が行き当たったのは、任務を根底から覆す状況。ルアーガという巨大竜の出現はゼーマンとアドルフの立ち位置を一変させてしまうはずだ。

 実際のところフリーデの想像は杞憂ではない。戦闘が引き起こす混乱に紛れ、裁判で苦杯を舐めた彼がアドルフ個人に害をなすことは十分考えられる。これから船上で起きる不協和音に思いを馳せれば、たんなる思い過ごしでは済まされない。

 強力な魔法を身につけたと聞いたが、つい先きごろまではフリーデのほうが優れた魔導師だった。魔法の経験に到っては駆け出しに過ぎないアドルフが、ゼーマンの蛮行を阻止できるだろうか。

 どう見てもマイナスの思考を走らせ、フリーデは同時に自分たち戦闘要員がこれから死地に赴くところであることにも意識を向けた。危機に直面しているのは自分たちも同様なのだ。

 むろんだからと言って、彼女に尻込みする気は微塵もなく、アドルフが必死に解放を勝ち取ろうとしていることを思い返し、最善の手が何かを息つく間もなく模索する。

 憮然とした顔の下にそうした健気な心を隠すフリーデにたいし、周囲の者たちはまったくべつの観点から彼女を観察していた。

 具体的に言うと、リッドの翼竜に分乗したディアナは、急に押し黙って距離をとりはじめたフリーデに不穏なものを感じとり、ひと声かけてやろうと考えた。

 お気楽な性格の彼女にとって思いつきを即行動に移すのはお手の物。すぐさま前方に座るリッドに呼びかけ、翼竜をフリーデのほうに寄せるよう願い出る。

「悩み事か?」

 再び並走する形となったところで、ディアナが海軍帽を抑えながら問うた。

「注意力が下がってるぜ。ひょっとしてアドルフのことが心配か?」

 ディアナは軽く言ったが、それは状況を驚くほど正確に捉えていた。
 勘が良いというのもあるが、無関心のようでいて気負いがちなフリーデの性格をよく理解していることの表れでもあった。

 しかしいまのフリーデが普段の百倍面倒な女であることには神経が行き渡らなかったと思う。

「アドルフのことだ、あいつはあいつで何とかやるさ。俺たちは俺たちで、持ち場を守って全力を尽くせばいいんじゃねぇか?」

 まっとうな意見を述べたディアナにたいし、フリーデは冷たい目を向けた。

「何だそれは? 君にアドルフの何がわかる?」

 塞ぎ込んだ同僚をなだめるつもりが逆効果になったとディアナは悟った。
 程なくフリーデはふてくされた顔を正面に向け、会話の糸口さえ掴ませないという頑な態度に出る。

「ちげえよ。てめえなぁ、ちょっくら冷静になれってマジで」
「…………」

 呼びかけにすら応じないことに苛立ち、ディアナは頭部をかきむしった。やがてフリーデはチェイカを操作し、二〇メーテル以上距離をとってしまった。

「何が起きたの?」

 入れ替わりのように、ノインがチェイカを寄せてきた。どうやら後方からディアナとのやり取りを見ていたようである。

「俺もわかんねぇよ。相変わらずなに考えてんのか理解できねぇ野郎だぜ……」

 困惑とぼやきでディアナの調子も狂っている。これではノインも状況がわからない。最初は小さかった懸念がみるみる膨れ上がってしまう。

 けれどもこの不毛だが看過しがたい出来事は傍観者の立ち位置にいるリッドの注意を引いていた。本当ならフリーデにたいし真っ先に懐柔を試みたいところであったが、戦闘態勢を整えることに比べれば優先順位が落ちてしまう。

 ――戦いは避けられない。やつらを現実に引き戻してやらねば。

 心の段取りをつけた彼女は引率教員よろしくやや厳しめな声を発した。

「敵はルアーガという巨大竜だ。攻撃をまともに食らったら命はないが、飛空艇の離脱速度を考えれば引き返すこともできない。力を合わせないと蹴散らされるぞ」

 ルアーガは討ち倒すと冒険者協会から多額の報奨金が出るほどの大物だ。ぼんやりしていると紅蓮の炎で灼き殺されるのがオチだ、とリッドはさらに言葉を継いだ。

「お、おう。気を引き締めるわ」

 ハッとなったディアナが返事をよこし、ノインも同調して親指を立てる。

 気もそぞろとなったフリーデは確かに心配だが、彼女らはこれまで毎日のように魔獣退治を行って来た空の船乗りである。戦闘から目を離さないことが最優先と判じ、翼竜と付かず離れずの距離に身を置いたノインは胸の谷間から双眼鏡を掴み取り、前方を視認しようとする。

「それでいい。何事も普段どおりにやるのが大事だ。安心しろ、敵との戦闘になったときは私が先導してやる。だから気を静めろ」

 リッドの冷静な言葉に場慣れした冒険者の落ち着きを感じとり、ディアナとノインは神妙に頷き返す。その様子を見たリッドは、状況の整理を彼女らに告げる。

「幸いなことに、小規模な軍集団が魔獣の足止めをしてくれている。彼らは国防軍の空挺兵、それも特殊部隊にあたる鉄兜団の連中だ」

 双眼鏡を覗き込んだノインにたいし、リッドが敵影にかき乱された黒衣のチェイカ乗りについて教える。その名前こそ記憶にないが、ノインには既視感があった。

「あたし、あの赤い制服を着た金兜は見たことあるわ!」

 風を切り裂くような声でノインが叫んだ。
 リッドにたいする説明は省いたが、彼女は囚人としてビュクシでの閲兵式を何かの機会に目にしたことがあったのだ。

 そのときも、真紅の上着をまとった若者が金兜をかぶっていた。おそらくきわめて高位の軍人だろうと判じられたが、それと同じ外見の者がルアーガに襲われている。

 その金兜を含む集団が連邦の鉄兜団に違いないとノインは認識したが、次の瞬間、翼竜の速度を弛めたリッドが簡単な提案をもちかけてくる。

「鉄兜団は精強だから、足止めはそこそこ続くだろう。逆にいうと、ルアーガの強さはいずれそれを圧倒すると思われるが、あの巨大竜は移動速度が平均以下。それが唯一の弱点だ。飛空艇を庇いながらやつを全力で振り切れば、活路は開ける」

 ノインと、そしてディアナも、その意見にたいして頷き返す。部隊長であるアドルフが直に統率をとれない状況下、戦闘経験の豊富そうなリッドに信頼を寄せた形だ。

 とはいえ本当をいえばこのとき、ノインの心は急激に曇っていた。アドルフは飛空艇外に配置した戦闘要員に自由裁量を与えていた。それはディアナ班のメンバーに一定のチームワークを見込んだ証であった。

 なのに隊列を揃えないフリーデの行動によって足並みは早くも乱れている。代わりに他人同然のリッドが戦闘を仕切ることになったわけだが、これをノインは自分たちの誤ちが招いた結果だと判じた。そしてそれを知ったアドルフがどれほど失望するか、目に見えぬ不安で胸を灰色に染めたのだ。

 というのも、彼女は囚人生活における労務を通じ、お嬢様育ちの独善的な性格を徐々に成長させてきたという経緯があった。だからこそ乱れた足並みをもう一度揃え、アドルフの期待に応えたいという思いが捨てきれなくなった。

 しかし、そんなノインの思いをよそに、戦況は刻々と移り変わっていく。

「現状の速度を保っていくと一分も経たぬうちに遭遇戦へ突入するだろう。簡単に持ち場を決めておこう。戦術というほど大げさではないが、ノインとディアナはそれぞれ雑魚モンスターを潰して貰えないか?」

 こうしたリッドの指揮は意図が明白だった。ともに戦った経験はないが、長剣を背負って出立したことから、ディアナはどう考えても戦士属性であり、かたやノインは空の船乗りであるなら攻性魔法のひとつくらい扱えるだろう。二人はそうリッドに見なされたのだ。

 つまりディアナは白兵戦を、ノインは飛び道具を任せたいと言われた格好であるが、ノインはすかさず「問題ないわ」と即答した。攻性魔法は使えなくもないし、投擲の槍を用いる遠隔攻撃はお手の物だったからだ。

 そして時を置かず、長剣を鳴らしたディアナも勢いよく返事をする。

「あたぼうよ。こいつで切り刻んでやるぜ」

 打てば響く答えに気をよくしたのか、リッドは「よし」と言って笑み、「あとはフリーデだな。彼女は私から直接伝える」と言葉を継いだ。

 そして逆巻く風に負けない声で、自分たちが矛であると同時に盾であることを告げる。

「敵を倒すことも重要だが、二人には魔獣の――つまりルアーガの火焔攻撃を後ろに逸らさないよう気をつけて欲しい。火球が飛んできたら出来る限り射線を逸らせ。飛空艇が燃えたら一巻の終わりだぞ」

 この発言をディアナは的確な指示と受けとめたのか「任せとけって」と言い、リッドの背中を叩く。
 ところが反対にノインは、それをリッドの思い込みから出た台詞と判じた。なぜならノインは飛空艇の面々を一括りにすることに抵抗があったからだ。

「ねぇ、アドルフの話だとあいつは最高位の魔法を会得したって話だけど、それを鵜呑みにしていいの? ゼーマンは味方っていうよりむしろ――」

 気づくと反論が口を突き、リッドへと視線を投げる。

 彼女にとってゼーマンは、魔人族以前に虫酸の走る男だ。危うく自分が死刑になる状況をつくりだした張本人。同じ作戦に従事しているだけで同床異夢に等しい。

 つまり、いつ敵に変わるかもわからない、とノインは言いたかったのだ。
 とはいえリッドも、何のあてもなく指示したわけではなかったから、やんわりとではあるが自論を押し返してくる。

「お前こそルアーガの脅威を過小評価している。アドルフとゼーマンの仲違いを気にしているようだが、いま最優先で案じるべきことではない。確かにお前たちにとってゼーマンは味方と呼ぶに値しないだろう。しかし敵が強大であるほど嫌でも歩調を合わせざるをえなくなるものだ」

 ノインの基準では楽観的な主張に聞こえたが、いまはその是非をめぐって議論をしていられる時間はない。そのぶん判断も大ざっぱになる。

「いまは俺たちが頑張んなきゃならねぇときだ。お前だってそのくらいわかってんだろ?」

 ディアナが逃げ道を塞いだので、不服そうなノインも首を縦に振らざるを得なくなった。
 アドルフを無防備にするリスクを訴えたくても、その心配が取り越し苦労かもしれない以上、いたずらに場をかき乱す行為は自重せねばならない。

「無駄話の余裕はないぞ。気持ちをひとつにしろ」

 リッドのは明快かつ迅速な戦闘指導によりノインも、差し迫った戦いへの素早い順応を選ぶよりほかにとれる手段はないのだった。
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