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第四章
ルアーガ遭遇戦7
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フリーデのとった命懸けの戦法を目にしながら、それが何の成果も上げられないであろうことを連邦の空挺兵ルツィエ・スターリン・バロシュは看破していた。ルアーガは近接戦闘で倒せない。それが最先端の魔獣戦闘における鉄則だ。
なぜなら近年、ルアーガに新種がいることが判明したのだ。
この世界の科学水準に対応する概念はまだないが、それは新種といっても遺伝子レベルで異なるのではなく、従来より進歩が見られたくらいの意味である。あるタイプのルアーガは高速で斬り込まれる攻撃に対処し、危険を克服する術を見出だしたようなのだ。
鉄兜団にあがってきた報告書によれば、遭遇戦となったルアーガが瞬間移動の魔法を使うようになったことが明記されている。高度な魔法を有するルアーガにしてはクラスCからD程度の水準ではあったが、それでも斬り込まれる寸前に体の位置を数十メーテル横へ移動させることくらいはできたという。完璧に回避し続けるのは困難でも、接触を減らせば致命傷は食いづらい。
通常、魔獣は複雑な戦況を客観的に分析できるだけの知性をもたず、パターン化した戦闘を行う機械に近い存在だと考えられてきた。だが、最新の研究は従来の学説を覆そうとしている。
それが偶発的に発生したのか、それとも種としての進化に結びつくものなのか、残念ながら答えを解き明かすまでには到っていないが、人類の抱いてきた魔獣観を揺さぶる事例であることは間違いなかった。
ルツィエたちが遭遇したルアーガもまさにその新種に該当していた。よって彼女は、フリーデの攻撃を失敗に終わる無謀と決めつけ、かわりに強敵を屠る役目を担えるのは自分以外にないと思い定めた。いまさら名誉を得る気はない。あくまで戦況を大局的に俯瞰した結果、彼女は年長の上級隊員に参戦の意志を告げた。
「そこをどきなさい、お前たち。ルアーガは妾が仕留める。これ以上損害が出るのを見過ごせないわ」
実は鉄兜団の面々は、王族であるルツィエを戦闘から隔離させ、ルアーガ殲滅の先兵となるべく長時間に及び果敢な攻撃をくり返していた。
しかし結果は散々である。チェイカを破損させ、〈死の森〉へ落下する者多数。浮遊魔法を身につけた者は無事落命を逃れるが、それ以外の者たちは絶命が確実。強力な攻性魔法をくり出すうえに、正面から狙うと瞬間魔法で逃げるルアーガを相手に、一騎当千を誇った鉄兜団の誇りは切り刻まれた紙のごとき有様であった。
そんな中、ついにルツィエが戦闘参加を表明した。連邦の鉄兜団を率いる責務から出た発言と理解した上級隊員たちは、王族にリスクを負わせるか否かの判断を迫られた。
――やむをえん。この場は姫殿下のお力を借り、事態の打開を図らねば。
手短に話し合った末に、おそらくそんな意志決定がなされたのだろう。力量の高さを考慮すれば、最初から参戦して貰うべきだったとすら考えたと思う。
「お願いいたします、殿下」
一度は覚悟した死を打ち払ってくれるという期待を込め、彼らはルツィエに頭を下げた。
「畏まる必要はないわ。なすべきことをなす。ただそれだけよ」
ルツィエはその返事を微笑とともに返した。
――微笑。
それは言うまでもないがきわめて曖昧な表情である。
喜怒哀楽。そのどれとも結びつき、複雑な感情表現を示しうる。したがって齢九を数える程度の子供が浮かべるにはいささか不釣り合いな表情ともいえた。
天真爛漫と呼ぶには達観しており、そのぶんひどく大人びて見える。隊員たちはそこに年少である姫殿下の背伸びを垣間見て、歳の離れた妹を案ずるかのように胸を熱くさせた。
ところがルツィエは、そうした優しさを取るに足らないものと受け取り、鼻で笑っていた。
――フン。見くびられたものね。
大人を意のままにしたい子供は媚を売るのが上手で、必要以上に子供らしくふるまう。ルツィエはときに不遜だが、歓心を買うべきときはそれに徹してきた。
たったひとり騙し通せなかった家庭教師も、精神的成長をちらつかせたらそれを鵜呑みにした。イェーガーは恐ろしく鋭敏な男だが、人間的な深みは自分のほうが一枚上手だとルツィエは思っている。何しろ彼女はスターリンの転生体として、だれより濃密な時をもう八三年も生きているのだ。
よってルツィエの浮かべた微笑には、到底子供らしさと無縁な感情が渦巻いている。例えば彼女はいま、魔法の詠唱をはじめながら殺戮と出世のことを考えている。これまで相手にしたことのない強敵の存在に震えている。そして覚えたての魔法で敵を叩き潰せるチャンスを得て、嗜虐心を大いに高ぶらせている。
精強を誇る鉄兜団員でさえ戦線離脱を余儀なくされる状況下、戦勝を掴み取ってみせたら上層部の評価が爆発的にあがることは確実。
そんな損得勘定含みの打算を思い浮かべ、ルツィエは右手を正面に掲げる。まさにそのときだった。
彼女の首から下がったペンダントがふわりと浮き、陽光に溶け込むような輝きを放った後、おもむろに声を発したのだ。
「何やら見せ場が来たようだな、スターリンよ?」
ルツィエを真の名で呼ぶ声は他でもない、男女の区別もつかず、老人にも子供にも聞こえる、天界人に特有の声を持ち、ペンダントを依り代とする悪魔のものだった。
悪魔の名はグレアム。調査隊の任務に就いて以降、通信回線を開くのは初めてになる。唐突に浮上した格好のグレアムだが、ルツィエはまったく驚かなかった。
グレアムは、ルツィエがヒトラーに比肩しうる存在となるため、魔導師としての卓越した成長を求めていた。転生して以来、恐らく最強の敵と遭遇したいまがその千載一遇のチャンスであることを察し、我慢しきれず浮上したものと彼女は判じたのだ。
そこまで理解しておきながら、ルツィエはあえてそっけなく応じる。
「失礼な悪魔ね。この世界で妾をスターリンと呼ぶなんて。いったい何の用かしら?」
「フヒハハハ。我が輩は貴様を適宜監視している。ここぞという場面が訪れたからこそ、わざわざ連絡を取ったに決まっておろうが」
「思わせぶりなことを言うじゃない。時間がないの、早くしてくださる?」
鼻であしらうような態度を取ると、グレアムは一瞬黙り込んだ。戯れた挨拶が無用であることを悟ったのか、悪魔はひと呼吸を置き、興奮が伝わるほどの速度で本題を語りだした。
「我が輩が声をかけたのは、貴様が相手にしているルアーガを倒した場合、相当の経験値が転がり込むからである。魔導師としての訓練過程、調査隊としての作戦行動。環境に恵まれ、努力を惜しまなかった貴様は、最短距離で我が輩の求める水準に到達しようとしている。ここまで成長が早いのは正直たまげた。ルアーガを倒し、四週間ほど通常任務をやり過ごせば、当初設定した合格ラインに届いてしまうだろう」
半ば予想どおりの説明を聞き終え、ルツィエは小さく頷いた。自信家のヒトラーとは正反対に、自尊心の欠落に終生苦しみ続けたスターリン、つまりルツィエは、上から目線の悪魔に褒められて素直に喜べない自分を発見したが、このときは喜びがわずかにまさった。
「確かご褒美があると言ってたわよね。妾は王族に生まれついた反面、過酷な教育に追い立てられてきたから、やる気を支える餌がほしいところだったわ」
大気中のマナを凝集させながら軽口を叩くルツィエだが、同時に魔法の詠唱もはじめており、そこから打って変わって神妙な顔つきへと変化した。
心を入れ替えたわけではない、そうしないと魔法の発動にぶれが生じるのだ。どんなに心根が腐っていようが、魔法は平等である。悪も善もない。力が全てなのだ。
ルツィエは魔法のそういった側面をこよなく愛していた。いまこの瞬間も、かつて唱えたことのない大規模魔法の威力をいち早くこの目で確かめたいと待ちわび、心躍らせはじめる。
こうなるとグレアムの話し声はもう耳に入らない。覚えたての魔法を一字一句間違いなく唱えることに集中し、雑音のない世界へとルツィエは埋没していった。
なぜなら近年、ルアーガに新種がいることが判明したのだ。
この世界の科学水準に対応する概念はまだないが、それは新種といっても遺伝子レベルで異なるのではなく、従来より進歩が見られたくらいの意味である。あるタイプのルアーガは高速で斬り込まれる攻撃に対処し、危険を克服する術を見出だしたようなのだ。
鉄兜団にあがってきた報告書によれば、遭遇戦となったルアーガが瞬間移動の魔法を使うようになったことが明記されている。高度な魔法を有するルアーガにしてはクラスCからD程度の水準ではあったが、それでも斬り込まれる寸前に体の位置を数十メーテル横へ移動させることくらいはできたという。完璧に回避し続けるのは困難でも、接触を減らせば致命傷は食いづらい。
通常、魔獣は複雑な戦況を客観的に分析できるだけの知性をもたず、パターン化した戦闘を行う機械に近い存在だと考えられてきた。だが、最新の研究は従来の学説を覆そうとしている。
それが偶発的に発生したのか、それとも種としての進化に結びつくものなのか、残念ながら答えを解き明かすまでには到っていないが、人類の抱いてきた魔獣観を揺さぶる事例であることは間違いなかった。
ルツィエたちが遭遇したルアーガもまさにその新種に該当していた。よって彼女は、フリーデの攻撃を失敗に終わる無謀と決めつけ、かわりに強敵を屠る役目を担えるのは自分以外にないと思い定めた。いまさら名誉を得る気はない。あくまで戦況を大局的に俯瞰した結果、彼女は年長の上級隊員に参戦の意志を告げた。
「そこをどきなさい、お前たち。ルアーガは妾が仕留める。これ以上損害が出るのを見過ごせないわ」
実は鉄兜団の面々は、王族であるルツィエを戦闘から隔離させ、ルアーガ殲滅の先兵となるべく長時間に及び果敢な攻撃をくり返していた。
しかし結果は散々である。チェイカを破損させ、〈死の森〉へ落下する者多数。浮遊魔法を身につけた者は無事落命を逃れるが、それ以外の者たちは絶命が確実。強力な攻性魔法をくり出すうえに、正面から狙うと瞬間魔法で逃げるルアーガを相手に、一騎当千を誇った鉄兜団の誇りは切り刻まれた紙のごとき有様であった。
そんな中、ついにルツィエが戦闘参加を表明した。連邦の鉄兜団を率いる責務から出た発言と理解した上級隊員たちは、王族にリスクを負わせるか否かの判断を迫られた。
――やむをえん。この場は姫殿下のお力を借り、事態の打開を図らねば。
手短に話し合った末に、おそらくそんな意志決定がなされたのだろう。力量の高さを考慮すれば、最初から参戦して貰うべきだったとすら考えたと思う。
「お願いいたします、殿下」
一度は覚悟した死を打ち払ってくれるという期待を込め、彼らはルツィエに頭を下げた。
「畏まる必要はないわ。なすべきことをなす。ただそれだけよ」
ルツィエはその返事を微笑とともに返した。
――微笑。
それは言うまでもないがきわめて曖昧な表情である。
喜怒哀楽。そのどれとも結びつき、複雑な感情表現を示しうる。したがって齢九を数える程度の子供が浮かべるにはいささか不釣り合いな表情ともいえた。
天真爛漫と呼ぶには達観しており、そのぶんひどく大人びて見える。隊員たちはそこに年少である姫殿下の背伸びを垣間見て、歳の離れた妹を案ずるかのように胸を熱くさせた。
ところがルツィエは、そうした優しさを取るに足らないものと受け取り、鼻で笑っていた。
――フン。見くびられたものね。
大人を意のままにしたい子供は媚を売るのが上手で、必要以上に子供らしくふるまう。ルツィエはときに不遜だが、歓心を買うべきときはそれに徹してきた。
たったひとり騙し通せなかった家庭教師も、精神的成長をちらつかせたらそれを鵜呑みにした。イェーガーは恐ろしく鋭敏な男だが、人間的な深みは自分のほうが一枚上手だとルツィエは思っている。何しろ彼女はスターリンの転生体として、だれより濃密な時をもう八三年も生きているのだ。
よってルツィエの浮かべた微笑には、到底子供らしさと無縁な感情が渦巻いている。例えば彼女はいま、魔法の詠唱をはじめながら殺戮と出世のことを考えている。これまで相手にしたことのない強敵の存在に震えている。そして覚えたての魔法で敵を叩き潰せるチャンスを得て、嗜虐心を大いに高ぶらせている。
精強を誇る鉄兜団員でさえ戦線離脱を余儀なくされる状況下、戦勝を掴み取ってみせたら上層部の評価が爆発的にあがることは確実。
そんな損得勘定含みの打算を思い浮かべ、ルツィエは右手を正面に掲げる。まさにそのときだった。
彼女の首から下がったペンダントがふわりと浮き、陽光に溶け込むような輝きを放った後、おもむろに声を発したのだ。
「何やら見せ場が来たようだな、スターリンよ?」
ルツィエを真の名で呼ぶ声は他でもない、男女の区別もつかず、老人にも子供にも聞こえる、天界人に特有の声を持ち、ペンダントを依り代とする悪魔のものだった。
悪魔の名はグレアム。調査隊の任務に就いて以降、通信回線を開くのは初めてになる。唐突に浮上した格好のグレアムだが、ルツィエはまったく驚かなかった。
グレアムは、ルツィエがヒトラーに比肩しうる存在となるため、魔導師としての卓越した成長を求めていた。転生して以来、恐らく最強の敵と遭遇したいまがその千載一遇のチャンスであることを察し、我慢しきれず浮上したものと彼女は判じたのだ。
そこまで理解しておきながら、ルツィエはあえてそっけなく応じる。
「失礼な悪魔ね。この世界で妾をスターリンと呼ぶなんて。いったい何の用かしら?」
「フヒハハハ。我が輩は貴様を適宜監視している。ここぞという場面が訪れたからこそ、わざわざ連絡を取ったに決まっておろうが」
「思わせぶりなことを言うじゃない。時間がないの、早くしてくださる?」
鼻であしらうような態度を取ると、グレアムは一瞬黙り込んだ。戯れた挨拶が無用であることを悟ったのか、悪魔はひと呼吸を置き、興奮が伝わるほどの速度で本題を語りだした。
「我が輩が声をかけたのは、貴様が相手にしているルアーガを倒した場合、相当の経験値が転がり込むからである。魔導師としての訓練過程、調査隊としての作戦行動。環境に恵まれ、努力を惜しまなかった貴様は、最短距離で我が輩の求める水準に到達しようとしている。ここまで成長が早いのは正直たまげた。ルアーガを倒し、四週間ほど通常任務をやり過ごせば、当初設定した合格ラインに届いてしまうだろう」
半ば予想どおりの説明を聞き終え、ルツィエは小さく頷いた。自信家のヒトラーとは正反対に、自尊心の欠落に終生苦しみ続けたスターリン、つまりルツィエは、上から目線の悪魔に褒められて素直に喜べない自分を発見したが、このときは喜びがわずかにまさった。
「確かご褒美があると言ってたわよね。妾は王族に生まれついた反面、過酷な教育に追い立てられてきたから、やる気を支える餌がほしいところだったわ」
大気中のマナを凝集させながら軽口を叩くルツィエだが、同時に魔法の詠唱もはじめており、そこから打って変わって神妙な顔つきへと変化した。
心を入れ替えたわけではない、そうしないと魔法の発動にぶれが生じるのだ。どんなに心根が腐っていようが、魔法は平等である。悪も善もない。力が全てなのだ。
ルツィエは魔法のそういった側面をこよなく愛していた。いまこの瞬間も、かつて唱えたことのない大規模魔法の威力をいち早くこの目で確かめたいと待ちわび、心躍らせはじめる。
こうなるとグレアムの話し声はもう耳に入らない。覚えたての魔法を一字一句間違いなく唱えることに集中し、雑音のない世界へとルツィエは埋没していった。
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