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第四章

ルアーガ遭遇戦6

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 リッドの操る翼竜のうえに跨がっていたディアナは、その疾風のごとき速度に何度歓声をあげそうになったことか。

 しかしルアーガとの遭遇が明らかになった途端、彼女は真顔になった。元々図太い神経の持ち主だから、意識をひとつにまとめあげるのは特に難しいことではなく、だらりと抜いた長剣に〈強化〉魔法をかけると、リッドの指示に応じて枯れ葉を払うように雑魚モンスターを斬りまくった。

 しかもこのとき、ディアナは〈増幅器〉を装備していた。おかげで魔法の威力は、労務で発揮した力を遥かに上まわる。

「クエエエーーッ!!」

 哀しげな悲鳴を残し、魔獣たちは戦闘空域から次々と離脱していく。ディアナはそれを眺めやり、自分がいかに冒険者向きな性格をしているかを実感する。

 顔つきこそ真剣な表情へと変化させたが、やはり湧きあがる歓喜は止められない。戦闘が楽しいのだ。命を懸けているというプレッシャーや死に行く者たちの絶叫が、彼女には心地よい。

 その感情は、いまここにいるだれとも共有できないだろう。

 いや……違う。彼女が一目置くフリーデだったら一抹の共感を示してくれるかもしれない。そう考えるとディアナには、敵に叩きつける長剣の重さがよりずっしりとした手応えとして跳ね返ってくる。

 戦いの幕はすでに切って落とされ、ディアナはもう数えきれないほどの敵を屠った。それも全て、リッドによるルアーガへの打撃を確実なものとするため。

 翼竜の前衛へ配置転換された意味をディアナは十分理解していたし、なすべきこともわかっていた。べつに殺さなくていい、魔獣の戦闘力を奪うのが目的だということが。

 交わす言葉は少しでよかった。勘の良いディアナはとても順応性が高いのだ。
 その意味では先ほどから雑魚モンスターに苦戦しはじめたノイン、雑魚モンスターを親の仇のように狩りまくっているフリーデのほうが、見た目の必死さから明らかなようにやり方は愚直だ。

 それでも彼女らが成果を挙げているのは、ノインの場合は労務を通じた努力の賜物、フリーデは明らかに優れた魔導能力のおかげだろう。

 どちらにせよ、雑魚モンスター狩りを楽しむ自分には、観察力につながる余裕があった。それゆえディアナは、飛空艇に魔獣を近づけさせないという目的を達成しつつも、同時にリッドが放とうとしている打撃に意識を向けることができた。

 リッドはいまや彼女の背後にいるため、様子を視認することはできないが、徐々に圧力を増していくマナの濃度は否応なく感じとれ、何かがはじまったと神経を昂らせた。

 もっともこのときリッドが紡ぎあげた魔法は、彼女の〈戦斧〉に強大な攻撃力を与えるためのもの、すなわち詠唱型の強化魔法であった。クラスはCで卓越したものではないが、場慣れしたマナの凝集が示すとおり、行使しうる限り最大の破壊力を秘めた一撃が、魔法の詠唱として積みあがりつつある。

 非詠唱の強化魔法とは比較にならない強度を持ち、並みの魔獣相手ならオーバーキルになる。そんな力を発揮しつつあるリッドに思わず尊敬を覚える。自分にできないことを容易くやってのける者をディアナは心の底で無条件に支持する。

 フリーデの強さ。アドルフの勇気。
 そしていまこの場ではリッドの頼もしさ。

 信じるに足るものに命を預ける感覚。ディアナは深く考えない。わかりやすいものに飛びつき、大して吟味せず、意識を集中させる。心の余裕はそこから発生する。

 だからこのときも、リッドが何とかしてくれると思っていた。

 自分の背後にいわく言いがたい力の奔流を感じ、太陽のごとき眩い光を見た。それは詠唱型の魔法によって強化された彼女の戦斧だった。

 手綱はリッドが操っているため、ディアナはほとんどなす術無くルアーガとの距離をつめる。明後日の方向をむいた巨大な目玉がぐんぐん近づいてくる。

 どこまで近づけば、必要なダメージを与えられるのだろう。
 近ければ近いほどいい。そんな単純な理屈は黙っていてもわかる。

 幸いルアーガは空域に展開した鉄兜団との戦いに没頭し、速度をあげていく翼竜の動きにはまったく無関心に見えた。そしてその観察は、事態を的確に捉えていた。

「ハァァーーッ!」

 後部からリッドの裂帛が聞こえる。
 ずっしりと重みを増した戦斧。その重量で翼竜の図体が右側に傾いているが、すれ違うのは一瞬だった。

 猛烈な速度をたもったまま翼竜は突進し、頭上で何回転かした戦斧がルアーガの土手っ腹に叩き込まれた。悲鳴を聞くまえに、血しぶきのあがる音が聞こえた。

 よく見ると、ルアーガの後ろ足が一本、戦斧によって切断されていた。ちぎれた肉が重力によってはがれ、胴体から切り離されて地上へと落下していく。

 途轍もない打撃を与えたことはもう間違いない。望むべき成果をあげただろうと考えた直後、左後方からルアーガの絶叫があがる。哀しみと怒りが混じり合った山を揺るがす轟音。

 ディアナは最初、それを断末魔の声として聞いた。

 巨大竜とて動物の一種だ。人間に喩えれば、足を切り取られた体はやがて失血死するのは確実。同じことがルアーガに起きると思うのは的外れではない。回復魔法を使おうにも、敵対する相手が多すぎてそんな猶予は得られないと思う。

 何の疑いも無く、そう理解した。単純明快な思考こそがディアナの取り柄だ。
 しかしそれゆえに、彼女は事態の正確な理解を損ねだす。

 もう一度、大空を打ち振るわすほどの絶叫があがった。その声は凄絶な悲鳴だった。背後を振り返ると飛空艇が見え、視線を戻せばフリーデとノインのチェイカが映る。

 当初の予定どおり、ルアーガに手痛い一撃を浴びせかけ、たたらを踏んでいるあいだに戦闘空域を離脱すること。その目的は無事果たせるように思えた。

 けれど違ったのだ。狙い澄ました作戦行動は、ルアーガの高い魔導能力によって打ち破られる。
 まさかと思うようなことが起きた。

 大地まで届くような轟きに耳を塞いだディアナだが、数瞬後に驚くべき展開を目撃する。

 空気中には魔力の源となるマナが含まれている。術者はそれを取り込み、魔法を行使するための力に変える。
 そのとき、マナと空気中の塵が干渉を起こし、雪のように輝く発光現象が起きる。

 人間が行う場合でもその現象は発生し、ある種の条件を満たせば術者の周囲にきらめくようなベールを作り出す。気温の低い日、太陽の光が強い時間帯が、それらの発生条件である。

 いまは晩秋。まだ陽も高い頃の晴天。条件はきれいに揃っていた。

 ルアーガの半径三〇メーテルの空域にキラキラと大量の粉雪が舞った。それはこの巨大竜が莫大な量のマナを集め、大規模魔法を詠唱しはじめたことの何よりの証拠であった。

 よく見れば、これまで果敢に戦いを挑んでいた空挺兵たちが、さすがに疲労を溜め込んだのか、動きがぱったり止み、ルアーガに自由を与えていた。魔力の凝集はその隙を逃さずこれまで苛立ちまぎれの戦闘を強いられたルアーガがついに反撃をくわえようとする宣言ともいえた。

 ディアナの鼓膜をつんざく絶叫。それは人間に喩えるなら、魔法の詠唱を意味する声だったのだ。

「まずいことになったな」

 ふいに耳もとで誰かの声が聞こえた。姿勢を変えずに発せられたことから、リッドによる水素伝達だということはすぐにわかった。
 彼女は落ち着きのない声で、状況説明を口にした。

「ルアーガの攻撃は二種類ある。ひとつは〈爆裂〉だ。膨張した火球が全てをのみ込み、燃焼し尽くす魔法。もうひとつは〈熱線〉だ。これは約一八〇度に広がる文字どおり灼熱の光線を発する魔法。いずれもまともに受けたら骨すら残らず灼き払われる」
「なにが言いてぇんだ?」

 物騒なことを教えられ、イラッとしたのもある。言い返せると思っていなかったが、水素伝達は受けた側も使用できるようで、魔法による会話は成立した。けれどリッドの見せた落ち着きのなさは、言葉を交わすごとに焦りの色を含んでいく。

「とにかく逃げる。〈爆裂〉はお前や私の武器を使えば、射線から逸らすことは可能かもしれない。だがいちばん確実なのは逃げることだ。〈熱線〉が来ることも想定すれば、ルアーガの後方にまわり込もうと思う。安全を得るために、全速力で背後をとる」

 即断したそばからリッドの翼竜が動きだす。それはたちまち最大速力に達したが、ディアナには戦闘を放棄し、抜け駆けしているようにしか見えなかった。

 ――ここは私が守る、先に逃げろ!

 そんな漫画のような展開を期待したわけではない。けれどここまで露骨に自己防衛的だと、怒るより先に思考が止まってしまう。元よりルアーガとの撃ち合いは戦闘プランになく、空域からの離脱は予定どおりの行動と言えたが、それでもディアナの眼にはリッドの逃走ぶりはどこか卑怯に映ったのだ。

 義理堅い性格のディアナは、逃走の遅延がいかに命を危うくするかを考える前に、仲間の状況を慮ってしまう。この場合、後方の空域に残した飛空艇のアドルフたち、そして現在戦闘を共にしているノインとフリーデの安否である。

 実はこのとき、飛空艇から突如燃え盛る炎が巻き起こったのだが、距離がだいぶ離れていることもあり、ディアナはそれを視認できなかった。代わりに彼女を不安にさせたのは、本来翼竜を追走しているはずのチェイカが視界から消えたことだ。

「ノイン。フリーデ。聞こえるか?」

 思わず口走ったが水素伝達はリッドとの間にしか成立しない。返事がないことからそのことに気づき、ディアナはチッと舌打ちしながら眉をつり上げる。

 どうやら彼女たちのチェイカを完全に見失ったのかもしれない。ディアナはとにかく周囲を眺めまわし、上から下まで隈無く眼を動かす。その間、五秒は時間を無駄にした。彼女はもう一度舌を鳴らし、後方のリッドに呼びかけた。

「全然見当たらねぇんだけど、ノインたちに呼びかけてくれないか!」
「あまり騒ぐな。さっきからそうしている」

 二人が押し問答をはじめた瞬間、離れた空域に目的の姿を見つけた。一体はだいぶ後方に、もう一体はルアーガの射線上を飛んでいた。

「クッソ、あんなとこにいやがった!」

 フリーデのチェイカが見つかったのは、黒衣の空挺兵と違い、囚人の着る黄土色の軍衣が見えたからだ。ルアーガの射線上に機体を滑り込ませ、後方を振り返る気配もない。ディアナは喉を涸らし背後から大声を浴びせたが、彼女はそれを無視し続けた。

「逃げろ! 逃げろって!」

 焦燥感に駆られたディアナは再び状況確認をする。ノインの機体は翼竜から遅れを取っていたが、ルアーガの攻撃を察したのかその射線上から逸れ、迂回をはじめていた。

 そして視野の端ではアドルフの操縦する飛空艇が懸命にカーブを切っていた。一度は出現した炎はもう見えなくなっていたが、その動き自体は戦況に即した退避行動と考えられる。

 つまりこのとき、フリーデだけが周囲と違う行動をとっていた。戦闘に没頭しすぎて位置感覚が狂ったのだろうか。あるいは彼女なりに思うことがあるのかもしれない。いつも何かに怒っているような表情で、他人との同調を好まない彼女の顔がディアナの脳裏に浮かぶ。

 やがて現実は、おぼろげな想像どおりになった。前方の空域を斬り裂いていたはずのフリーデの機体が突如動かくことをやめたのだ。
 その停止を、ディアナは最初機体トラブルだと判じた。

 ――俺が助けに行くべきなのか?

 自己犠牲を尊ぶほど殊勝ではなかったが、フリーデの予測不能な行動が直感的に理解でき、だとすればディアナという女に迷いはない。翼竜をすぐさま向かわせるべく、背後を振り返ってリッドに呼びかけた。

「フリーデが危ねぇんだ。戻ってくれ!」

 位置的に翼竜はチェイカを追い越していたが、ディアナの要求はリッドに拒まれてしまう。

「無理だ。そんなことをしてみろ、共倒れに終わるのが目に見えている。フリーデをどうにかしたいのだろうが、いまは彼女自身がおのれを助けなくてはならない局面だ」

 随分と冷たいことを言うのだと思い、ディアナは頭にきた。しかし翼竜の操舵はリッドに握られている。彼女は無力な同乗者に過ぎない。

「フリーデ!」

 破れかぶれになって何度めかの絶叫をあげた。
 するとフリーデのチェイカがようやく動きだすのが目に入った。ルアーガが集めだしたきらめくマナの流れに逆らい、空域を移動しつつある。速度は徐々にあがっており、機体に異常はなかったらしい。

 ほっと胸を撫で下ろしたディアナは、フリーデへ向けて両手を振る。

「こっちだ!」

 ルアーガの背後に導くべく、声を張り上げ、ちぎれんばかりに腕を左右に振った。

 ところがフリーデは、ここから奇怪な行動に出る。
 一度はディアナたちのほうに動きだしたチェイカが進路を右側にとったのだ。それはルアーガの射線に乗っており、それどころかさらに距離を詰める動作だった。

 自分から死ににいくようなもの。やはり機体の制御を失っているのか?

「フリーデ!」

 再び懇願するようにディアナは声を張り上げる。だが、翼竜はルアーガの背後へとまわり込むルートをたどり、フリーデとの距離は開く一方となる。

「馬鹿野郎、くたばるじゃねぇか!」

 フリーデのチェイカはそこから猛烈な加速をする。このまま事態が推移するとルアーガに衝突するしか見える結末はない。
 ここに到りディアナの必死さが響いたのか、リッドがおもむろに言葉を発した。

「もしやあれは……」

 その声には、先ほどまでの冷たさと同様、揺るぎない落ち着きが含まれている。どうしてそんなに平然としていられるのだろう。この司祭はヒト族だから、亜人族のことを軽く見ているのか。
 思考はどんどんささくれ立ってくる。そんなディアナの耳にさらなる追い打ちがぶち込まれた。

「まさかあいつ、特攻を仕掛けるつもりではあるまいな」

 冷静に発せられた分析は、ひっくり返るほどの驚きをディアナにもたらす。

「嘘だろ!? てめぇ、何を根拠に!」

 ついにディアナは怒りに駆られ、背後に罵声を浴びせてしまった。そこには信じがたいほど無感情で、良心のかけらもない表情のリッドがいた。

「ふざけんなよ! あいつがそんなことするわけねぇだろうが!?」

 怒鳴り散らすことしかできないディアナにたいし、困り顔になったリッドが淡々と告げる。

「私だって信じたくはない。だがフリーデの機体はまっすぐルアーガに向かっている。おそらく原動機をぶつけ、自爆するつもりなのだろう。チェイカ乗りらしい最後の攻撃だ」

 賞賛とも諦めともつかないリッドの台詞はディアナの耳に強い残響をもたらす。

 ――特攻。
 そんなことがあっていいのだろうか。

「水素伝達があるんだろ、あいつに言い聞かせて特攻をやめさせろ!」
「だから声はかけている。無視されているんだ」
「まじかよ……!?」

 絶句したディアナ。戦況は彼女の見えないところでも着々と動いていたのだ。けれど変わらないことがある。それはリッドが指摘したとおり、フリーデが確かな意図をもって直進し続けているということ。

 速度を高めたフリーデの機体から射線を引くと、ルアーガの目玉がぎょろりと動いていた。眼球は動物にとって急所のひとつである。チェイカの原動機が爆発すれば、脳にダメージを与えられるかもしれない。

 そんなことを本当にフリーデが考えたのだろうか?
 もしルアーガが〈熱線〉を放ったら彼女はひとたまりもないが、特攻が成功してもルアーガを葬り去ることは不可能だ。引き受けたリスクと釣り合わないのは明白に思える。

 いや、そうとも限らない。ルアーガが半壊すれば、リッドの第二撃が可能となり、あわよくば引導を渡せるのではないか。くわえて戦況に空白をもたらすことができれば、アドルフが搭乗する飛空艇が安全なルートを得て戦闘空域を通過できるだろう。

 ――まさか、あの野郎。アドルフのことを?

 思考がそこに及ぶことで、ようやくディアナはフリーデの意図を理解した気になれた。彼女には自分を犠牲にしても守りたい相手がいたのだ。一見すると身勝手な単独行動をとった理由は、彼女の勝利条件が根本的に異なっていたから。だとすれば、絶対に折り合うはずがない。

「クッソ、どこまでアドルフが大事なんだよ!」

 心配と怒りと混乱で、ディアナはもう泣き出しそうだった。感情はすでに振り切れていた。とち狂った行動を選びとったフリーデを闇雲になじるが、その怒声は周囲にきらめくマナの力によってどこへも届かない空の塵となった。
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