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第四章

ルアーガ遭遇戦9

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 飛空艇の船上。

 アドルフとゼーマンの〈火焔〉の撃ち合いは、狙いを正確に捉えたという点でゼーマンのほうに軍配があがった。

 彼の放った火焔魔法がノインの元従者、つまり操舵を担っていたマクロを襲ったのにたいし、ゼーマン自身が食らったダメージは咄嗟に体を躱したことにより、左腕のみが炎に巻かれるだけに終わった。

 もちろんそれとて放置すれば、炎にやがてのみ込まれ、ゼーマンに死をもたらしただろう。しかし彼はアドルフのまえで果断な行動をとった。腰に差したサーベルを抜き、魔導武装をまとわせ、何の躊躇いもなく自分の左腕を切り落としたのだ。

 船上に花火のごとく血しぶきが舞う。誇り高き魔人族だからなしえる渾身の荒技であった。

「ククク……。高位魔法を撃ち放ったわりにアテが外れちまったみてぇだな」

 そして失血を抑えるべく、みずから小さな火球を発生させ、傷口を炎で灼き固めた。少しでも迷いがあればできない処置。この流れるような動作にアドルフは、全力で〈火焔〉を放った反動もあって何ら干渉することができなかった。

 しかも視線を移せば、自分たちのほうが著しい損害を受けていることが火を見るよりも明らかとなる。
 ゼーマンによって人質となったマクロは〈火焔〉の直撃を受け、紅蓮の炎に全身を包んでいた。アドルフは短い詠唱を行い、慌てて〈放水〉を発動させたが、到底間に合うようには思えなかった。

 彼の想像はやがて動かしがたい現実となる。
 船上に立ちのぼった炎が消えたとき、腕を一本失っただけのゼーマンにたいし、船底に倒れ伏したマクロは灼け落ちた軍衣から黒こげとなった肌を露出させ、意識を失っていた。

「大丈夫か!?」

 ゼーマンを警戒して駆け寄る真似はしなかったが、代わりにアドルフは指揮官の責務に突き動かされて大声で叫んだ。しかし派手に火傷を負ったマクロの体は微動だにしない。

 表面積の二〇パーセントが火傷を負うと生命の危機に陥ると彼はどこかで学んだ。それが正しい記憶なら、マクロはすでに虫の息。たとえまだ生命力が残っているのだとしても、意識が戻ればもの凄い苦痛が彼女を襲うだろう。

 味方の安否にアドルフは思いを馳せた。しかしその瞬間、操舵士を失った飛空艇は大きく艇身を傾けた。アドルフ、ゼーマンの双方が左舷から体をはみださせ、かろうじて船体からの落下を防いだ。

 だれかに体をひと押しされたらそのまま地上へ真っ逆さまだろう。万が一助かっても〈死の森〉に落ちれば、べつの形で命は危うい。

 そう、死のリスクと背中合わせなのはマクロだけではなかった。敵と化したゼーマンにくわえ、不安定な艇身、それに近接した空域には見たこともないほど大型の魔獣がいる。運に見放されるきっかけが少しでもあれば、彼の転生はたちまち終わりを告げる。

 このとき、逼迫した状況に陥ったアドルフを極度の疲労が襲いはじめていた。全力で〈火焔〉を撃ち放ったせいか、大きく肩で息をするほどになっていたのだ。

 不安定な状況で発したため、力の加減を間違えたのだろうか。ただでさえ足場の悪いなか、気を抜くとしゃがみ込んでしまいそうになる。

 初心者なので、魔法の制御が大雑把だったとしか思えない。いかにクラスが高かろうと、効率的な運用には戦闘経験が要ることを彼は初めて思い知らされる。

 ゆえに船上の攻防において先に主導権を握ろうとしたのは、左腕こそ失ったがいまだ頑強な肉体を残し、戦意の衰えぬゼーマンであった。

 彼の目的はもはやひとつしかなかった。ルアーガとの遭遇戦というどさくさに紛れ、自分に恥をかかせたアドルフを葬り去ることだ。

 体のバランスを取り戻して魔法を展開し、ふらつく彼に叩き込めば、確実な死を与えられるに違いない。この場にもし冷静な第三者がいたらそう考えたことだろう。しかし飛空艇の揺れが収まりだし、いち早く体を安定させたのはゼーマンだったが、どういうわけか彼は魔法を発動させることができない。

「クソッ!?」

 苛立ちを含む罵声がアドルフの耳にまで届く。彼が視線をあげると、ゼーマンの右手には一瞬、術式が浮かびあがり、そしてすぐに消え失せた。

 アドルフ自身、全く気づけていないが、彼とゼーマンの身にはこのとき同じ現象が起きていた。異常なまでの疲労を感じるのは、体内にあるオドが急激に目減りしたせいだった。他の種族より豊富なオドを誇る人狼だが、さすがにクラスSの魔法を無駄撃ちしてしまった代償は小さくなかったのだ。

 そして同じことが他ならぬゼーマンの身にも起きていたのである。オドがなければマッチがない状態でランプに火を灯そうとするようなもの。魔法が発動するわけがない。

 ちなみに一度減少したオドは時間が経たねば回復しない。理論上、マナをオドに転換可能であることをアドルフは知識として持っているが、この場のマナは先ほどの魔導戦によって大量に消費してしまったらしく、経験値で上まわるゼーマンもそれを実行する様子には見えない。実際アドルフも、周囲のマナを恐る恐る取り込んではみたが、それが何かに転換される気配は感じられなかった。

 つまりこのとき、アドルフ、ゼーマンともにオドの回復を待ち、我慢比べを強いられるはめになった。

 ――おのれ、こんな場所でくたばるわけにはいかんぞ!

 逆境をはねのけるべく、歯を食いしばったアドルフ。実は彼を焦らせる理由はもうひとつあった。魔法の力が戻れば、瀕死のマクロを救えるかもしれないと思ったのだ。

 彼は回復魔法の修得を終えていない。だが、アドルフは直感的に思ったのだ。体内に蓄えられたオドは、いわば生命力の一部。よってそれを注入すれば、瀕死の重傷を負った同胞を助けられるかもしれないと。

 総統時代の彼は、兵士の命を粗末にすることにかけて人後に落ちなかった。しかし若き頃の彼は、兵卒の一人として同胞の痛みをその身で分かち合ってもいた。

 二つの自分は葛藤を起こさず、まだ何者でもなかった頃のヒトラーが前に足を踏み出した。かろうじてバランスを取り、マクロのもとへ駆け寄ろうとする。だがそのとき、か細い声がアドルフの耳をうった。

「……力を無駄遣いしちゃだめよ。私はもう助からない」

 電撃が体を走り抜け、アドルフは両目を凝らした。たった数メーテル離れた場所で、船底に横たわったマクロが震える腕を伸ばし、彼のことを見つめていた。風圧にかき消されそうな声は、すでに力なき者のそれだった。

「…………」

 掠れた声は見る間に細っていき、アドルフの耳に届かない。
 体を横たえた状態で、マクロが体をわずかに浮かす。その瞳がアドルフの視界に入った。無言で何かを訴えかけられた気がした。その意志は、最後に力強い言葉を象った。

「……お嬢をよろしくね」

 かろうじて聞き取れた言葉を託され、アドルフは反射的に目を見張ったが、マクロはもう動かない。
 医師でない者には知りえないことだが、このときマクロは重度の火傷によって絶命したのだ。傷口から体液を失うことで起きる一種の失血死。あまりにも呆気ない死に様に言葉がない。

 けれどアドルフがショックを受けた短い時間は、回復中のゼーマンに反撃の機会を与えてしまった。

「ちくしょう、オドが戻らねぇ。直接ぶった斬ってやる!」

 苛立ちを吐き捨て、サーベルを抜いたゼーマンがバランスを取りながら船底を踏みしめた。

「もう死ね、アドルフ。貴様は大人しく死ね!」

 飛空艇の艇身を、ゼーマンは軍靴で思いきり蹴りつけた。与えた衝撃でアドルフを船外に叩き落そうとするつもりのようだ。しかし、アドルフが左舷にしがみついているとわかった途端、サーベルを握る手をかざし、瞬時に力学魔法を発動させた。

 回復させたオドと釣り合ったのか、そのもっとも単純な魔法はアドルフとの間に力場を形成し、何事もなければ彼はその力を正面から受け、空中に吹き飛ぶはずだった。

 しかしそうはならなかった。なぜならこのとき、アドルフも同時に力学魔法を発動させたからだ。

 ――馬鹿者めが。死ぬのはお前だ、ゼーマン!

 腹の内で罵声を浴びせ、かざした手に全神経を注ぎ込む。無駄遣いしたオドは十分には回復しておらず、二人の生み出した魔法は互いに拮抗するが、時間が経つと少しずつ変化が生じた。ゼーマンの魔法が徐々に勢力を増したのだ。

「ククッ、《主》はオレに味方したようだぜ」

 下卑た笑い声を立て、じわじわと距離を詰めてくるゼーマン。力学魔法の均衡が崩れた瞬間であった。ゼーマンの作り上げた力場がアドルフを押し込み、彼は浮き上がる体を何とか艇内へ収める。しかし抵抗しようにも圧力は増し、力の差は否応なく明らかとなる。

 力場の生んだ圧力はついにアドルフの胴体を浮かしはじめた。彼の力学魔法に何かが足りなかったのだ。その答えを対峙するゼーマン自身が教えてくれた。

「土壇場で魔導師としての経験が差をつけたな。こういうときは常に先手を取ったほうが有利なのよ」

 荒い息を吐くように一歩ずつ間合いを詰め、哄笑をあげながらゼーマンは言った。

「どっちみち〈死の森〉に落ちれば簡単に捜査は入れねぇわな。貴様は魔獣の襲撃によってあえなく墜落死したってことになる。オレの証言どおり全ては進む。悔しいか、アドルフ?」

 優位に立った者の余裕か、愉しげな嘲りを浮かべ、ゼーマンがさらに迫り来る。二人の距離が狭まるにつれ、力学魔法どうしの衝突が美しい干渉を起こす。目に見えない術式が軋み合うことで真っ白い火花が周囲に飛び散った。

 こうした光景に目を細めたゼーマンは、何の前ぶれもなく憤然と言い放った。

「貴様はもう終わりだ。それもこれも亜人族の分際で解放に浮かれた思いあがりが原因。他の囚人たちはみんな懸命に奉仕をこなしているっつうのに、自分だけ楽になろうとする思いあがり。みんな頑張ってんだよ、抜け駆けなんか許さねぇんだよ。この怠け者野郎が!」

 ゼーマンの体がまた一歩、前に進む。だがアドルフは、圧倒的な不利を前にして降参する態度も、諦めを思わせるしぐさも見せない。それどころか彼は、怒りに燃えた瞳を敵対者に向け、慎重に言葉を選びながら愚直な反論を試みた。

「ゼーマン、お前は初めて輸送船任務に就いた日、我にこんな台詞をぶつけてきたな。〈お前だけじゃない〉〈みんな頑張ってる〉と。その挙句に〈怠け者野郎〉と罵ってくれたな。実に不快であった」

 言葉で斬り合っても戦況は変わらない。だがアドルフは、言葉こそが優位を作るとばかりに内に秘めた感情をむき出しにする。

「そもそもお前のいう〈みんな〉とはだれのことだ? 亜人族全員というつもりかもしれんが、噴飯ものである。お前の言う〈みんな〉は、現状を変えられない無力さに同調させ、人の心を奴隷に変えるための言葉だ。そういう卑しい存在へ我を貶めようとするまやかしには断固抵抗する。我の辞書における〈みんな〉は、同胞や同志といったもっと崇高な意味をもっておるのだ」

 音量こそ抑えめだが、よく通る声は周囲の空気をびりびりと震わせた。
 やはり言葉は、武器や魔法と同じように力を持つ。アドルフの戦い方は、その真実を船上に厳然と浮かびあがらせた。

 その証拠にゼーマンは、決して焦る必要などないのに強い苛立ちの声をぶつけてきたのだった。
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