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第四章
ルアーガ遭遇戦10
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「感じるか、アドルフ。空のむこうでとんでもねぇ魔法ができあがっているぜ。そいつに巻き込まれて死んだことにしてやんよ!」
みずからの笑い声を打ち消す勢いで叫んだゼーマンは、力学魔法を操り、宙に浮かせたアドルフを船底に叩きつけた。飛空艇から突き落とす予定を変え、べつの殺し方を思いついたのだろうか。
実際、先手をとっていたゼーマンにはより確実な攻撃を選ぶだけの余裕があった。相手の苦しみを引き出し、より無慈悲な死を与えるだけの余裕が。
船底にうずくまるアドルフをよそに、ゼーマンは新たな魔法を詠唱し、たちまちクラスEの〈稲妻〉を形成しはじめた。オドの量が回復したのだ。同じことはアドルフにも言えたはずだが、後手にまわるぶん攻撃を放つ余力はない。
「フンッ!」
サーベルに気合いを込めたゼーマンの腕から小さな稲光りが発した。魔法の位階こそ低いが、詠唱時間を重ねることで威力を増加させる気でいるのだろう。
ほとんどタイムラグなく出現した魔法は周囲のマナを飲み込み、人間をショック死させるだけの規模に膨れ上がろうとする。完成した魔法を食らったら命などひとたまりもない。
このときアドルフに感じとれたのは、周囲の空域にある三つのマナ凝集反応だった。
ひとつはゼーマンから発せられるもの。残りの二つは数百メーテル以上離れた場所でせめぎあう巨大なマナの渦。それらはかつて経験したこともないほどの大規模魔法へと変貌しているようだった。
だが、この期に及んでアドルフは、亜人族の仲間たちを案じてしまう。
――フリーデたちは無事であろか。
本当は自分こそがもっとも危険であるかもしれないのに全体のことが脳裏をよぎる。彼を脅かす大規模魔法はそれほどまでに危険な代物であったわけだが、実際アドルフの視界に入らないだけで、彼方の空域では大口を開けたルアーガが喉の奥から白い光を発しており、その射線はまっすぐ飛空艇までつながっていた。
つまりアドルフの危機はゼーマンの詠じた魔法攻撃のみならず、ルアーガの射程圏内にいる運のなさにもあったのだ。よって本来ならこの時点で攻防は詰んだようなものである。しかし彼は灼熱のような怒りを抱きつつも冷静な思考を残しており、自分が会得した魔法に状況を打開する力があることをすでに思い出していた。
逆境をはね除ける秘策。それは魔導書を読み解いた際覚えた〈反動〉である。
アドルフは回復した魔力と、体内に眠る生命力を混合し、それらを根こそぎ魔法の発動へと注ぎ込む。不可能かもしれないが、少しでも威力を高めようとしたのだ。
充填した火薬のように魔力の熱を体が感じた。そこから唱えだしたのは〈文字にできない言葉〉である。
――逆しまなる守護者よ、あらゆる災いを
しかし詠唱文を口にした直後、ゼーマンが高笑いをあげた。
「グワハハ、貴様の切り札はそれか。便利な魔法だからな、想定の範囲内だったぜ」
ゼーマンが確信を語ったのには理由があった。アドルフが険しい顔を見せるのを嬉しそうに眺めやり、彼はみずからの根拠を明らかにした。
「オレの会得した最上位の魔法はクラスBの〈禁止〉。支援魔法の一種だが、こいつは相手の魔法を封じることができる。高位魔導師でもしばらくは詠唱すらできねぇって寸法だ。ククク、どっちが勝つかは自明の理ってやつだろ?」
圧倒的に正しい理屈を喚き散らし、ゼーマンは新たな術式をアドルフにかざし、〈稲妻〉の上から〈禁止〉の詠唱文を同時に重ねていった。決して簡単な芸当ではないが、それを可能にする技量が彼にはあるようだった。
もはや逆転の策などないように見える。しかしそう判じるのは早計であった。
「フッ……」
絶体絶命の危機に陥ったアドルフが洩らしたのは、鼻息だった。それが何を意味するか、最初ゼーマンの眼中にはなかった。
だが次の瞬間、彼は自分の身に起きた異変を察知する。
「クッ!?」
〈禁止〉が発動しない。詠唱文を述べたのに、術式が形成途中で止まったのだ。ゼーマンの吸い上げたマナはどこへも向かわない。体内へと溜まり、無意味に空回りしはじめる。
――なぜだ!?
ほんのわずかな攻防に二人の運命が行き違う。息をのんだゼーマンは露骨に狼狽を浮かべたが〈禁止〉の不発を知ったアドルフはみずからの策が功を奏したことに控え目な笑みを浮かべた。それは攻守が逆転したことを示す合図となった。
「ゼーマンよ、いまのお前には困惑しかないであろな」
「貴様、アドルフ!」
「大声を出すな。おおかた〈禁止〉が唱えられず行き詰まったのであろ?」
矢継ぎ早に言葉を紡ぐアドルフに、ゼーマンは苛立ちを隠せない。彼はアドルフが魔導の経験値が低いことを織り込み、そんな彼だからこそ自分の弱点を補う万能型の支援魔法、この場合〈反動〉を行使するだろうと判じ、あえてそれを詠唱させるよう追いつめた。攻性魔法を使うまえに魔力を無駄打ちさせる。それは実に優れたプランだった。
しかしなぜ〈禁止〉が使えなくなったのか。技量の問題ではないのは明らかだ。突如湧き上がった焦燥に灼かれながら、ゼーマンはひとつの解答へと到る。
「貴様、まさか……」
魔導師としての位階は低くとも、ゼーマンは馬鹿な男ではない。論理的に分析する頭脳がある。ゆえに一秒にも満たない時間を活用し、たったひとつの答えに行き着いた。
「そのとおりだ、ゼーマンよ。我が覚えた支援魔法は〈反動〉だけではない。もうひとつ〈遵守〉という魔法を身につけておったのだ」
アドルフが口にした解は、ゼーマンの予想とぴったり一致した。けれど状況を理解したところで時すでに遅し。相手を物の見事に罠にかけたのはアドルフであり、彼は半ば勝利を確信しながら右足を前に踏み込んだ。
「どうやら察しがついておるようだな。〈遵守〉とは文字どおり、自分の命令を相手に遂行させる魔法である。我は飛空艇に乗り込むとき、お前に〈遵守〉をかけておったのだ。むろんその内容は、クラスBの〈禁止〉を使えなくするというものだ。本当なら全ての魔法を不使用にしたかったが、抵抗感のある命令ほど失敗確率が高いと聞いてな。危険な〈死の森〉に飛び込もうとするのだ、魔力は温存しておきたいであろ? ゆえに欲張るのはやめておいた」
威力の凄まじさとは裏腹に万能性を欠く〈遵守〉だが、アドルフはそれをリッドとのやり取りで学んだことを生かし、効果的に用いたわけだ。〈禁止〉という切り札を失ったゼーマンにとっては最悪の展開。アドルフにとってはまたとない好機が訪れようとしている。
絶対的な優位。戦況をパズルに喩えれば、狙ったピースがぴたりとはまり、見事な絵となった瞬間だ。
「クソッ、貴様そんなモンどこで覚えた?」
〈遵守〉は一部の限られた高位魔導師しか使えない魔法だ。ゼーマンはアドルフを無力な囚人と見なしており、その意識は依然残っていた。しかしこのときようやく彼は、アドルフが自分を凌駕するクラスの魔導師であることに思いを馳せた。
「リッドに借りた魔導書から学んでおる。だがそれは全く些末なことではないかね? お前はいま、我に向けて放とうとしている〈稲妻〉をキャンセルするしかなくなった」
傲然と言い放ったアドルフだが、本心では忸怩たる思いも渦巻いていた。周到に手を打っておきながら、ゼーマンと対立し、結果的にマクロは死んだ。それは彼の魔導師として未熟さを物語っている。
――我の失策を許せ。責任は魔人族を葬ることではたす!
失った味方を思いやる後悔と、みずからの計算違いを棚に上げる冷酷さがせめぎあい、両者がないまぜになった感情は研ぎ澄まされた刃のような風格をアドルフに与えた。
「いますぐ攻撃を止めれば、降伏する機会をやってもいい」
断られることは承知だが、アドルフは最後に情けをかけるふりをした。
「フン、嫌だと言ったら?」
「逆らえば、駆逐する」
「生意気ぬかしやがって。だれが従うかよ!」
「死ぬ覚悟があるのだな、いいだろう。もうじきお前は二度と怠け者野郎と口にできなくなる、喜ばしい限りだ」
アドルフの挑発的な言葉に刺激され、ゼーマンが右腕を掲げた。詠唱を重ね続けたおかげで、彼はこのときすでに〈稲妻〉を完成させていたのだ。
損得勘定だけで見れば無謀な攻撃と言うしかない。だが、降伏は誇り高き魔人族にとって命を差し出すのも同然であり、それ以外にとれる手段はなかったのだろう。
術式を展開するゼーマンの右手が頭上にふりかざされ、サーベルの先端が大気を引き裂くような火花を発した。
しかしほぼ同時にアドルフの〈反動〉も完成に到った。それが現象として象られたとき、飛空艇の周囲が閃光に包まれた。
雷鳴とともに空が割れ、垂直な稲妻が発生したのだ。その長さは一〇メーテル以上にも及ぶが、同じく垂直に伸びた放電はアドルフの前髪をわずかに焦がした。裏を返せば、ダメージはそれだけだった。
すでに牢固な術式として現された〈反動〉はいまや同等のクラス以下の攻撃を跳ね返す無敵の盾となり、アドルフが食らうはずだった稲妻をそっくりそのままゼーマンに叩きつけた。
稲妻とは、蓄積した電荷のエネルギーが一気に放出される現象であり、そのとき二万度を超える高熱を発する。よって衣服にふれた途端、まるでガソリンでもしみ込んでいたかのごとき勢いで燃え移り、瞬きした頃にはゼーマンの体は猛烈な炎に包まれ、人体が爆ぜる音が四方に飛び散った。アドルフはそれらを打ち消すように張り裂けそうな声で叫んだ。
「これは我のみではない、亜人族同胞全員の怒りである。天界で悔い改めよ!」
瞼にかぶさった前髪をかきあげると、彼と五メーテルも離れていない場所でゼーマンが威勢よく燃えていた。全身をよじり、何かを叫んでいるように見えるが、言葉は聞き取れない。
長く放置すると炎が飛空艇に燃え移るため、いずれ消火せねばならないが、まだその時ではない。消し止めるための魔法はあるし、アドルフはすでに動きを止めたゼーマンをサーカスの出し物を眺めるような目で見つめ続けた。
ただやはり、炎から立ちのぼる臭気には閉口したらしく、彼は無意識の内に鼻をつまみむせ返るように何度も咳き込んでしまった。
弾みで視線を移せば北東の方角に出現した巨大なマナの渦が見える。そう、空域に展開する危険なマナ凝集反応はまだ二つ存在しているのだ。
もしもあれが自分に向かうなら、もう一度〈反動〉を使わねばならない。だが、貴重なオドはゼーマンとの攻防で使い果たしてしまっている。しかしアドルフは持ち前の柔軟な思考でこの土壇場を切り抜けるヒントをすでに得ていた。魔力の供給を達成する手段は、幸い手元に残っていると彼は判じたのだ。
「マクロよ、お前のオドを貰い受けるぞ」
アドルフは物言わぬ骸となった仲間の体に近づき、心臓部へ手をかざした。オドの吸引が可能であるという知識は彼にはない。ただ、魔力は大気や人体を通して循環している物体のようなもの。そこに干渉をくわえることは理屈のうえでは可能なのではないかという見立てがあり、実際行動に移すとそれは正しい判断だった。
すでに燃え残りであったマクロの生命力が、掌を通じて自分の体へのみ込まれていく。あと一回でいい。行使しうる最大の〈反動〉を形成するため、命の残滓を彼は吸い取っていく。
「頼む、間に合ってくれ!」
体に満ちていくオド、つまり魔力が全ての支えだ。これで〈反動〉を形成すれば、生存へ向けて打てる手は尽くしたことになる。《主》が不能だと知っていてもなお、彼は思うのだった。確かな未来を掴めるか否かは、もはや天命に委ねるしかないであろうと。
みずからの笑い声を打ち消す勢いで叫んだゼーマンは、力学魔法を操り、宙に浮かせたアドルフを船底に叩きつけた。飛空艇から突き落とす予定を変え、べつの殺し方を思いついたのだろうか。
実際、先手をとっていたゼーマンにはより確実な攻撃を選ぶだけの余裕があった。相手の苦しみを引き出し、より無慈悲な死を与えるだけの余裕が。
船底にうずくまるアドルフをよそに、ゼーマンは新たな魔法を詠唱し、たちまちクラスEの〈稲妻〉を形成しはじめた。オドの量が回復したのだ。同じことはアドルフにも言えたはずだが、後手にまわるぶん攻撃を放つ余力はない。
「フンッ!」
サーベルに気合いを込めたゼーマンの腕から小さな稲光りが発した。魔法の位階こそ低いが、詠唱時間を重ねることで威力を増加させる気でいるのだろう。
ほとんどタイムラグなく出現した魔法は周囲のマナを飲み込み、人間をショック死させるだけの規模に膨れ上がろうとする。完成した魔法を食らったら命などひとたまりもない。
このときアドルフに感じとれたのは、周囲の空域にある三つのマナ凝集反応だった。
ひとつはゼーマンから発せられるもの。残りの二つは数百メーテル以上離れた場所でせめぎあう巨大なマナの渦。それらはかつて経験したこともないほどの大規模魔法へと変貌しているようだった。
だが、この期に及んでアドルフは、亜人族の仲間たちを案じてしまう。
――フリーデたちは無事であろか。
本当は自分こそがもっとも危険であるかもしれないのに全体のことが脳裏をよぎる。彼を脅かす大規模魔法はそれほどまでに危険な代物であったわけだが、実際アドルフの視界に入らないだけで、彼方の空域では大口を開けたルアーガが喉の奥から白い光を発しており、その射線はまっすぐ飛空艇までつながっていた。
つまりアドルフの危機はゼーマンの詠じた魔法攻撃のみならず、ルアーガの射程圏内にいる運のなさにもあったのだ。よって本来ならこの時点で攻防は詰んだようなものである。しかし彼は灼熱のような怒りを抱きつつも冷静な思考を残しており、自分が会得した魔法に状況を打開する力があることをすでに思い出していた。
逆境をはね除ける秘策。それは魔導書を読み解いた際覚えた〈反動〉である。
アドルフは回復した魔力と、体内に眠る生命力を混合し、それらを根こそぎ魔法の発動へと注ぎ込む。不可能かもしれないが、少しでも威力を高めようとしたのだ。
充填した火薬のように魔力の熱を体が感じた。そこから唱えだしたのは〈文字にできない言葉〉である。
――逆しまなる守護者よ、あらゆる災いを
しかし詠唱文を口にした直後、ゼーマンが高笑いをあげた。
「グワハハ、貴様の切り札はそれか。便利な魔法だからな、想定の範囲内だったぜ」
ゼーマンが確信を語ったのには理由があった。アドルフが険しい顔を見せるのを嬉しそうに眺めやり、彼はみずからの根拠を明らかにした。
「オレの会得した最上位の魔法はクラスBの〈禁止〉。支援魔法の一種だが、こいつは相手の魔法を封じることができる。高位魔導師でもしばらくは詠唱すらできねぇって寸法だ。ククク、どっちが勝つかは自明の理ってやつだろ?」
圧倒的に正しい理屈を喚き散らし、ゼーマンは新たな術式をアドルフにかざし、〈稲妻〉の上から〈禁止〉の詠唱文を同時に重ねていった。決して簡単な芸当ではないが、それを可能にする技量が彼にはあるようだった。
もはや逆転の策などないように見える。しかしそう判じるのは早計であった。
「フッ……」
絶体絶命の危機に陥ったアドルフが洩らしたのは、鼻息だった。それが何を意味するか、最初ゼーマンの眼中にはなかった。
だが次の瞬間、彼は自分の身に起きた異変を察知する。
「クッ!?」
〈禁止〉が発動しない。詠唱文を述べたのに、術式が形成途中で止まったのだ。ゼーマンの吸い上げたマナはどこへも向かわない。体内へと溜まり、無意味に空回りしはじめる。
――なぜだ!?
ほんのわずかな攻防に二人の運命が行き違う。息をのんだゼーマンは露骨に狼狽を浮かべたが〈禁止〉の不発を知ったアドルフはみずからの策が功を奏したことに控え目な笑みを浮かべた。それは攻守が逆転したことを示す合図となった。
「ゼーマンよ、いまのお前には困惑しかないであろな」
「貴様、アドルフ!」
「大声を出すな。おおかた〈禁止〉が唱えられず行き詰まったのであろ?」
矢継ぎ早に言葉を紡ぐアドルフに、ゼーマンは苛立ちを隠せない。彼はアドルフが魔導の経験値が低いことを織り込み、そんな彼だからこそ自分の弱点を補う万能型の支援魔法、この場合〈反動〉を行使するだろうと判じ、あえてそれを詠唱させるよう追いつめた。攻性魔法を使うまえに魔力を無駄打ちさせる。それは実に優れたプランだった。
しかしなぜ〈禁止〉が使えなくなったのか。技量の問題ではないのは明らかだ。突如湧き上がった焦燥に灼かれながら、ゼーマンはひとつの解答へと到る。
「貴様、まさか……」
魔導師としての位階は低くとも、ゼーマンは馬鹿な男ではない。論理的に分析する頭脳がある。ゆえに一秒にも満たない時間を活用し、たったひとつの答えに行き着いた。
「そのとおりだ、ゼーマンよ。我が覚えた支援魔法は〈反動〉だけではない。もうひとつ〈遵守〉という魔法を身につけておったのだ」
アドルフが口にした解は、ゼーマンの予想とぴったり一致した。けれど状況を理解したところで時すでに遅し。相手を物の見事に罠にかけたのはアドルフであり、彼は半ば勝利を確信しながら右足を前に踏み込んだ。
「どうやら察しがついておるようだな。〈遵守〉とは文字どおり、自分の命令を相手に遂行させる魔法である。我は飛空艇に乗り込むとき、お前に〈遵守〉をかけておったのだ。むろんその内容は、クラスBの〈禁止〉を使えなくするというものだ。本当なら全ての魔法を不使用にしたかったが、抵抗感のある命令ほど失敗確率が高いと聞いてな。危険な〈死の森〉に飛び込もうとするのだ、魔力は温存しておきたいであろ? ゆえに欲張るのはやめておいた」
威力の凄まじさとは裏腹に万能性を欠く〈遵守〉だが、アドルフはそれをリッドとのやり取りで学んだことを生かし、効果的に用いたわけだ。〈禁止〉という切り札を失ったゼーマンにとっては最悪の展開。アドルフにとってはまたとない好機が訪れようとしている。
絶対的な優位。戦況をパズルに喩えれば、狙ったピースがぴたりとはまり、見事な絵となった瞬間だ。
「クソッ、貴様そんなモンどこで覚えた?」
〈遵守〉は一部の限られた高位魔導師しか使えない魔法だ。ゼーマンはアドルフを無力な囚人と見なしており、その意識は依然残っていた。しかしこのときようやく彼は、アドルフが自分を凌駕するクラスの魔導師であることに思いを馳せた。
「リッドに借りた魔導書から学んでおる。だがそれは全く些末なことではないかね? お前はいま、我に向けて放とうとしている〈稲妻〉をキャンセルするしかなくなった」
傲然と言い放ったアドルフだが、本心では忸怩たる思いも渦巻いていた。周到に手を打っておきながら、ゼーマンと対立し、結果的にマクロは死んだ。それは彼の魔導師として未熟さを物語っている。
――我の失策を許せ。責任は魔人族を葬ることではたす!
失った味方を思いやる後悔と、みずからの計算違いを棚に上げる冷酷さがせめぎあい、両者がないまぜになった感情は研ぎ澄まされた刃のような風格をアドルフに与えた。
「いますぐ攻撃を止めれば、降伏する機会をやってもいい」
断られることは承知だが、アドルフは最後に情けをかけるふりをした。
「フン、嫌だと言ったら?」
「逆らえば、駆逐する」
「生意気ぬかしやがって。だれが従うかよ!」
「死ぬ覚悟があるのだな、いいだろう。もうじきお前は二度と怠け者野郎と口にできなくなる、喜ばしい限りだ」
アドルフの挑発的な言葉に刺激され、ゼーマンが右腕を掲げた。詠唱を重ね続けたおかげで、彼はこのときすでに〈稲妻〉を完成させていたのだ。
損得勘定だけで見れば無謀な攻撃と言うしかない。だが、降伏は誇り高き魔人族にとって命を差し出すのも同然であり、それ以外にとれる手段はなかったのだろう。
術式を展開するゼーマンの右手が頭上にふりかざされ、サーベルの先端が大気を引き裂くような火花を発した。
しかしほぼ同時にアドルフの〈反動〉も完成に到った。それが現象として象られたとき、飛空艇の周囲が閃光に包まれた。
雷鳴とともに空が割れ、垂直な稲妻が発生したのだ。その長さは一〇メーテル以上にも及ぶが、同じく垂直に伸びた放電はアドルフの前髪をわずかに焦がした。裏を返せば、ダメージはそれだけだった。
すでに牢固な術式として現された〈反動〉はいまや同等のクラス以下の攻撃を跳ね返す無敵の盾となり、アドルフが食らうはずだった稲妻をそっくりそのままゼーマンに叩きつけた。
稲妻とは、蓄積した電荷のエネルギーが一気に放出される現象であり、そのとき二万度を超える高熱を発する。よって衣服にふれた途端、まるでガソリンでもしみ込んでいたかのごとき勢いで燃え移り、瞬きした頃にはゼーマンの体は猛烈な炎に包まれ、人体が爆ぜる音が四方に飛び散った。アドルフはそれらを打ち消すように張り裂けそうな声で叫んだ。
「これは我のみではない、亜人族同胞全員の怒りである。天界で悔い改めよ!」
瞼にかぶさった前髪をかきあげると、彼と五メーテルも離れていない場所でゼーマンが威勢よく燃えていた。全身をよじり、何かを叫んでいるように見えるが、言葉は聞き取れない。
長く放置すると炎が飛空艇に燃え移るため、いずれ消火せねばならないが、まだその時ではない。消し止めるための魔法はあるし、アドルフはすでに動きを止めたゼーマンをサーカスの出し物を眺めるような目で見つめ続けた。
ただやはり、炎から立ちのぼる臭気には閉口したらしく、彼は無意識の内に鼻をつまみむせ返るように何度も咳き込んでしまった。
弾みで視線を移せば北東の方角に出現した巨大なマナの渦が見える。そう、空域に展開する危険なマナ凝集反応はまだ二つ存在しているのだ。
もしもあれが自分に向かうなら、もう一度〈反動〉を使わねばならない。だが、貴重なオドはゼーマンとの攻防で使い果たしてしまっている。しかしアドルフは持ち前の柔軟な思考でこの土壇場を切り抜けるヒントをすでに得ていた。魔力の供給を達成する手段は、幸い手元に残っていると彼は判じたのだ。
「マクロよ、お前のオドを貰い受けるぞ」
アドルフは物言わぬ骸となった仲間の体に近づき、心臓部へ手をかざした。オドの吸引が可能であるという知識は彼にはない。ただ、魔力は大気や人体を通して循環している物体のようなもの。そこに干渉をくわえることは理屈のうえでは可能なのではないかという見立てがあり、実際行動に移すとそれは正しい判断だった。
すでに燃え残りであったマクロの生命力が、掌を通じて自分の体へのみ込まれていく。あと一回でいい。行使しうる最大の〈反動〉を形成するため、命の残滓を彼は吸い取っていく。
「頼む、間に合ってくれ!」
体に満ちていくオド、つまり魔力が全ての支えだ。これで〈反動〉を形成すれば、生存へ向けて打てる手は尽くしたことになる。《主》が不能だと知っていてもなお、彼は思うのだった。確かな未来を掴めるか否かは、もはや天命に委ねるしかないであろうと。
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