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第六章
貧民窟1
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応接間での会談は、はなしが長くなり、延長戦に突入した。おまけにパベルがオフラーナからあがった情報を欲したことで会話が秘匿性の高いものに変化したらしく、政治の汚い部分を見せたくなかったのか、パベルはルツィエに外で食事をとるよう金貨を渡し、体よく追い払った。
懐中時計を見ると時刻は午前一〇時半。
お茶菓子の苺ショートをたいらげたが、相変わらず空腹を持て余しているルツィエにとって食事にありつくのは待望の瞬間であった。しかし会話に混ざれずのけ者にされたのは愉快とは言えず、だから自然と彼女の独り言も愚痴っぽくなる。
「トルナバで起きた町長弾劾の件は合法なので無視することはできない。問題の落とし所は支払うカネの額みたいなことになっていた。でも本当にそうかしら。妾ならもっとよい方法をとれるわ、王族の威厳を損ねないやり方で」
顔色には出さなかったが、実際のところパベルたちが後手にまわっていることを知ったルツィエは酷く呆れ返っていた。愚痴の原因は本来彼らにぶつけるべきだった不満に他ならない。
そんな彼女は行政府の建物を出て、ビュクシの中心街をひとりで歩いていた。なのにどうしてだろう、ルツィエの耳には彼女の愚痴に受け答える声がはっきりと聞こえるのだった。
「元は貴様たち魔人族の撒いた火種が原因だろう。尻拭いに威厳もくそもあるか」
その声はルツィエの下げたペンダントから聞こえてくる。傍目には独り言をいっているようにしか見えないルツィエだが、そこにはまぎれもない会話がなりたっていた。
「そんなことないわよ。オフラーナ要員と連絡を取り合えるのなら、そいつを経由して相手と接触すれば済むでしょうに。交渉から何から一切合切やらせたらいいわ」
「だがそうすると、諜報員の身元が割れるだろう。パベルと行政官は細心の注意を払うつもりでいるのだ」
ペンダントの声は正論を言っており、ルツィエもそれはわかっていた。けれども包み隠さずにいえば、何ともじれったい対処をするのだと呆気にとられたのは確かである。
彼女がスターリンだった頃の国家指導において、秘密警察は陰に日向にばりばりと働いていた。収容所職員、すなわち軍の不始末を理由に金銭を要求してくる輩など、交渉に見せかけて逮捕し、拷問をさせ、身に覚えのない罪を着せ処刑すればよいのだ。
そんな本音を押し隠したからこそルツィエの愚痴は止まらない。だが、ぼそぼそと小声で文句をたれる彼女にたいし、ペンダントの声は辺りを構わずげらげらと笑った。
「何でも昔の流儀が通用すると思うな。このイェドノタ連邦は独裁国家だが、貴様がソ連を統治した頃に比べいくぶん優しくできている。流血を避けようとするのは合理的だ」
「でもそんな理由で権力者にさからうやつを持て余すなんて、ベル兄様も優し過ぎるわ。貴方もそう思うでしょ、グレアム?」
ルツィエはペンダントに呼びかけ、控え目だが判然と言った。グレアムと。
その名前の持ち主はもちろん、ルツィエが転生する際に契約をかわした悪魔である。親しく付き合ってみると、グレアムは実は驚くほどおしゃべり好きで、身につけたペンダントを通じて暇を見つけては話しかけても律儀に応えてくれるのだった。年がら年中というわけではないが、グレアムが非番なときなどは会話に花が咲くことも多い。その意味でルツィエのペンダントはもはや二人の電話代わりといっても過言ではなかった。
「それにしても貴様は、何かと言うと我が輩を呼び出すな。まるで他に話し相手がいないみたいではないか。友達をつくれ、友達を」
グレアムは嫌みをいったが、ルツィエは華麗に無視した。
普通の子供のように学校へ通っていない彼女においそれと友達などできるわけがない。機会さえ稀なのだ。人間関係は狭いうえに相手は年長者ばかりだった。気楽な会話ができる相手など、グレアム以外には残っていない。
「友達はいらないわ。貴方が話し相手になってくれていればそれで十分」
「我が輩は貴様の友人役など願い下げである」
悪魔にまで嫌われる極悪人は長い人類史、数多の可能世界を紐解いてもそうざらにいるものではないが、ルツィエは少しもめげなかった。
「態度は大きくてもこけおどしね。貴方は妾を拒めないわ。《主》の意志によって常に注意を払う義務を負っているのだから」
「事情を知りながら振りまわすとはたちの悪い幼女であるな。唯一の救いは、貴様が成長してもこれ以上性格が悪化しないで済むことだ」
言い合いになるふたりだが、第三者が見れば随分仲が良いと思うだろう。確かに浅からぬ因縁があり、互いの性格も噛み合った。すでにルツィエとグレアムは他人行儀な間柄ではない。それはある意味では、ルツィエが転生後の自分になじんだことを示している。
確かに彼女は思っていた。幼女という体も、一度手に入れてみれば悪くないものだと。こじんまりした外見のおかげで、人目につかず、いろんな場所に潜り込めるからだ。
パベルに放逐されたいまも、ルツィエは食堂を探しながらこっそり街の様子を探索していた。
鉄兜団が辺境調査の拠点とした城塞都市ビュクシ。散策するたびごと、見えない情報が着実に集まっていく。その情報は、行政官経由で入手するものよりもはるかに色彩に富んでいた。
なかでも特筆すべきは、鉄道敷設にかんする噂が早くも浸透しはじめている事実だ。ルツィエはそれを、人々が交わす雑談から入手した。
建前上は、行政官とその側近以外、機密に触れられるわけがない。だがおそらく、上層部で情報共有をする際、口の軽い連中から洩れたのだろう。何にしろ街には物珍しい鉄兜団が出入りをしている。どんな任務を負っているか、関心は高まっていたはずだ。
「自分で手に入れた生の情報は、この地のオフラーナに貰うより正確で貴重だわ。妾は秘密警察が大好きだけど、盗聴はもっと好きだったの。密かな自慢だったのよ」
ソ連時代に側近の電話を全て盗聴し、だれとだれが自分の悪口を言ったか詳細に把握することに努めたルツィエにとり、この程度の情報収集はお手の物だ。
「フヒハハハ。猜疑心を自慢するのは暴君の共通項であるな」
グレアムは嫌みっぽく言ったが、ルツィエは黙って聞き流し、自分の思考に閉じこもった。(続く
懐中時計を見ると時刻は午前一〇時半。
お茶菓子の苺ショートをたいらげたが、相変わらず空腹を持て余しているルツィエにとって食事にありつくのは待望の瞬間であった。しかし会話に混ざれずのけ者にされたのは愉快とは言えず、だから自然と彼女の独り言も愚痴っぽくなる。
「トルナバで起きた町長弾劾の件は合法なので無視することはできない。問題の落とし所は支払うカネの額みたいなことになっていた。でも本当にそうかしら。妾ならもっとよい方法をとれるわ、王族の威厳を損ねないやり方で」
顔色には出さなかったが、実際のところパベルたちが後手にまわっていることを知ったルツィエは酷く呆れ返っていた。愚痴の原因は本来彼らにぶつけるべきだった不満に他ならない。
そんな彼女は行政府の建物を出て、ビュクシの中心街をひとりで歩いていた。なのにどうしてだろう、ルツィエの耳には彼女の愚痴に受け答える声がはっきりと聞こえるのだった。
「元は貴様たち魔人族の撒いた火種が原因だろう。尻拭いに威厳もくそもあるか」
その声はルツィエの下げたペンダントから聞こえてくる。傍目には独り言をいっているようにしか見えないルツィエだが、そこにはまぎれもない会話がなりたっていた。
「そんなことないわよ。オフラーナ要員と連絡を取り合えるのなら、そいつを経由して相手と接触すれば済むでしょうに。交渉から何から一切合切やらせたらいいわ」
「だがそうすると、諜報員の身元が割れるだろう。パベルと行政官は細心の注意を払うつもりでいるのだ」
ペンダントの声は正論を言っており、ルツィエもそれはわかっていた。けれども包み隠さずにいえば、何ともじれったい対処をするのだと呆気にとられたのは確かである。
彼女がスターリンだった頃の国家指導において、秘密警察は陰に日向にばりばりと働いていた。収容所職員、すなわち軍の不始末を理由に金銭を要求してくる輩など、交渉に見せかけて逮捕し、拷問をさせ、身に覚えのない罪を着せ処刑すればよいのだ。
そんな本音を押し隠したからこそルツィエの愚痴は止まらない。だが、ぼそぼそと小声で文句をたれる彼女にたいし、ペンダントの声は辺りを構わずげらげらと笑った。
「何でも昔の流儀が通用すると思うな。このイェドノタ連邦は独裁国家だが、貴様がソ連を統治した頃に比べいくぶん優しくできている。流血を避けようとするのは合理的だ」
「でもそんな理由で権力者にさからうやつを持て余すなんて、ベル兄様も優し過ぎるわ。貴方もそう思うでしょ、グレアム?」
ルツィエはペンダントに呼びかけ、控え目だが判然と言った。グレアムと。
その名前の持ち主はもちろん、ルツィエが転生する際に契約をかわした悪魔である。親しく付き合ってみると、グレアムは実は驚くほどおしゃべり好きで、身につけたペンダントを通じて暇を見つけては話しかけても律儀に応えてくれるのだった。年がら年中というわけではないが、グレアムが非番なときなどは会話に花が咲くことも多い。その意味でルツィエのペンダントはもはや二人の電話代わりといっても過言ではなかった。
「それにしても貴様は、何かと言うと我が輩を呼び出すな。まるで他に話し相手がいないみたいではないか。友達をつくれ、友達を」
グレアムは嫌みをいったが、ルツィエは華麗に無視した。
普通の子供のように学校へ通っていない彼女においそれと友達などできるわけがない。機会さえ稀なのだ。人間関係は狭いうえに相手は年長者ばかりだった。気楽な会話ができる相手など、グレアム以外には残っていない。
「友達はいらないわ。貴方が話し相手になってくれていればそれで十分」
「我が輩は貴様の友人役など願い下げである」
悪魔にまで嫌われる極悪人は長い人類史、数多の可能世界を紐解いてもそうざらにいるものではないが、ルツィエは少しもめげなかった。
「態度は大きくてもこけおどしね。貴方は妾を拒めないわ。《主》の意志によって常に注意を払う義務を負っているのだから」
「事情を知りながら振りまわすとはたちの悪い幼女であるな。唯一の救いは、貴様が成長してもこれ以上性格が悪化しないで済むことだ」
言い合いになるふたりだが、第三者が見れば随分仲が良いと思うだろう。確かに浅からぬ因縁があり、互いの性格も噛み合った。すでにルツィエとグレアムは他人行儀な間柄ではない。それはある意味では、ルツィエが転生後の自分になじんだことを示している。
確かに彼女は思っていた。幼女という体も、一度手に入れてみれば悪くないものだと。こじんまりした外見のおかげで、人目につかず、いろんな場所に潜り込めるからだ。
パベルに放逐されたいまも、ルツィエは食堂を探しながらこっそり街の様子を探索していた。
鉄兜団が辺境調査の拠点とした城塞都市ビュクシ。散策するたびごと、見えない情報が着実に集まっていく。その情報は、行政官経由で入手するものよりもはるかに色彩に富んでいた。
なかでも特筆すべきは、鉄道敷設にかんする噂が早くも浸透しはじめている事実だ。ルツィエはそれを、人々が交わす雑談から入手した。
建前上は、行政官とその側近以外、機密に触れられるわけがない。だがおそらく、上層部で情報共有をする際、口の軽い連中から洩れたのだろう。何にしろ街には物珍しい鉄兜団が出入りをしている。どんな任務を負っているか、関心は高まっていたはずだ。
「自分で手に入れた生の情報は、この地のオフラーナに貰うより正確で貴重だわ。妾は秘密警察が大好きだけど、盗聴はもっと好きだったの。密かな自慢だったのよ」
ソ連時代に側近の電話を全て盗聴し、だれとだれが自分の悪口を言ったか詳細に把握することに努めたルツィエにとり、この程度の情報収集はお手の物だ。
「フヒハハハ。猜疑心を自慢するのは暴君の共通項であるな」
グレアムは嫌みっぽく言ったが、ルツィエは黙って聞き流し、自分の思考に閉じこもった。(続く
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