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第六章

代理の杖2

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「申し訳ありません、お客様。こちらの椅子をお借りいたします」

 四人がけのテーブルを一人で占拠していたルツィエは、その申し出に異議はなかった。

「どうぞ、使っていいわ」
「すみません、ありがとうございます」

 見れば店は昼時を迎え、混雑をはじめており、近くの狭い席に三人の客が案内されていた。おかげで椅子がひとつ足りなかったようだ。

 いっそ席を譲ってやればよいのではないか。心配りのできる客なら、問答無用でそうしただろう。だがルツィエはわざわざ益にならないことはしない。それどころか、連れがいないことを幸いに、スープをすするとき、盛大な音を立てる。だからグレアムが声を発したとき、またぞろお節介な小言の類かと胡乱な態度をとった。

「ルツィエよ」

 その呼びかけはしかし、煩わしい説教ではなかった。

「貴様によい知らせがある」

 それだけ言って、忍び笑いを洩らすグレアム。いったい何事だろうか。

「思わせぶりは気に入らないわ。用があるならさっさと話しなさいよ。妾はあのビラを配っていた連中にどう対処するべきか考えている最中だったのに」

 謎解きを邪魔されて不機嫌になったルツィエだが、耳を塞ぎかけた彼女をグレアムの発言が強引にひき止める。

「ビラの配り手に悪意があったとき、戦端が開かれるかもしれない。我が輩はそんな貴様にとっておきの切り札をやろうとしているのだぞ」

 憤慨した様子を感じとり、仕方なくルツィエが耳を傾けるとグレアムは早口で歌うように言った。

「よいか、小僧。いまこの瞬間をもって貴様は魔導師としての位階をきわめた。この世界ではデーシュトという位が最高峰だが、天界の基準ではさらに上がある。魔法体系とはべつの特別な力を褒美として授けようと思う、存分に感謝するがいい」

 唐突に何のはなしだろうか、と最初ルツィエは訝しんだ。しかしグレアムの「時間を見ろ」という言葉にしたがって懐中時計を開くと、時刻はちょうど正午であった。

 つまりこの瞬間、何かが区切りを迎えたようだ。そしてその何かを、自慢げなグレアムが誇らしい声で教えてくれた。

「経験値が貯まったら報酬を授けると以前に言っていただろう。ルアーガを倒し、調査任務を無事にこなしたことが全て数値として上積みされたのだ」

 報酬という甘美なひと言がルツィエの記憶を刺激した。そんな約束を転生を受け入れたあの日、天界において交わしたことがあったっけ――。
 おぼろげな過去を振り返ったルツィエに、念を押すようにグレアムが言う。

「貴様はこの二ヶ月あまり、王統府のなかにいてはできない経験を重ね、並みのデーシュトならば三年はかかる魔獣との戦闘をこなしてみせた。その達成の重みは認めねばならぬ」

 悪魔は調子が出てきたのか、高らかに声を重ね、そのおかげでルツィエも重要なこと思い出していく。特にきょうが調査隊任務の完了を祝う記念日でもあったことを。

「それにしても、我が輩が贈り物をやろうとしているのに貴様の芳しくない表情は何事か?」
「浮かれるのは嫌いなの。子供扱いしないでくださる?」

 嫌みをきれいにいなすと、グレアムは楽しそうに笑った。憎まれ口は叩くが機嫌はすこぶる良いようだ。

「いいだろう、とくと耳にせよ。貴様にくれてやるのは魔法を超えた魔法だ。《主》の意志に沿った駒として、勝利をもたらすべく授けるとしよう。万が一にもヒトラーと相対するまえに負けて貰っては困るのでな」

 その笑いまじりの声はルツィエを一瞬苛立たせた。まるで特別な力がなければ、ヒトラーに敗北すると決めつけられたように聞こえたからだ。

「妾は貴方がたに補佐されなくても、この世界のヒトラーに引導を渡せるわ」

 不満を露骨に出すと、グレアムは失言を感じとったのか、わりと素直に謝罪をよこした。

「言い方が悪かったな。とはいえ思い出してほしい、貴様は王位継承者のなかでも劣位な存在だ。ヒトラーはあれで有能な男だ、いずれこの世界で頭角を現すだろう。そのとき戦局を主体的に動かせなければ、貴様はただの小間使いで終わる。権力の頂点に立つためにはハンデを超える力が必要だ。我が輩が悪魔として授けるのは、そうした必勝の法だと思って貰いたい」

 そこまで言い終えると、何の前ぶれもなく奇妙なことが起こった。空中に亀裂が入り、そこから細長い物体が姿を現したのだ。

 年代物の樹木とその枝ぶりを思わせる太い棒状のもの。慌てて手を添えると、ルツィエの華奢な指先に恐ろしく馴染むではないか。

 まるでべつの空間から送り込まれたように物体はやがてその全身を現した。静かな面持ちでそれを抜き取ったルツィエは、物体が一本の杖であることを認識した。〈増幅器〉代わりに使う魔法の杖と似ているようで似ていない。ルツィエがそれを握り締めると、グレアムは愉しみを抑えきれない声で言った。

「これは〈代理の杖〉という。貴様が悪魔の代わりに悪魔を使役することを許す宝呪だ。召喚魔法というものを知っているか?」
「当たり前じゃない。魔獣を呼び出して戦闘させる技でしょう」
「そのとおりである」

 グレアムは前提を共有させた途端、またしても自慢げに語りだした。

「貴様にくれてやる力は、いわば悪魔を召喚する魔法だ。我が輩もそうだが、悪魔は一人ひとりがどれも一騎当千の強者揃い。強大な魔獣に勝るとも劣らない力をもつ。勝利を確実にしたいとき、悪魔の支援を迷わず仰ぐがよい。貴様が強く願えば、代理の杖は宙より現れる。それは貴様を異世界の高みへと導くであろう」
「ふうん。そこまで聞くと、ありがたい物に聞こえてくるわね」

 口調こそつまらなそうに言ったが、ルツィエの内面はこのとき秒速で掌を返していた。

 こけおどしに乗るのは死んでもご免だが、散々勿体ぶられた代理の杖がたんなるハリボテには思えない。むしろこの世界での成長に応じて与えられた恩寵とみなし、文字どおり感謝して受けとればよいだろうと彼女は判じたのだ。

 なにせ彼女は政敵に遅れをとってはいけない立場。表向き恩着せがましい態度に見えても、天界の住人としては対ヒトラーを想定して便宜を図っても不思議はない。

 ただし異世界におけるルツィエは食えない幼女だ。子供のようにはしゃいでは馬鹿にされると思い直し、なおかつ力を授けた相手を立てれば上下関係が生じると考えた。むろんこの場合、自分が下になる。

 天界の住人がどんなに人間離れしていても絶対に頭を垂れてはならない。彼らの軍門に下らないという強い意志があればこそ、ルツィエはグレアムに王族が下僕を遇するような態度をとった。

「せっかくだしこの杖、貰っといてあげるわ。ついでにうまく使いこなしてあげる」
「フヒハハ、小賢しく生意気をぬかしよるわ」

 グレアムが苦笑いを洩らしても、彼女はそれを涼しげな顔で聞き流す。そして手にした代理の杖をわざとつまらなそうに眺めるが、内心はまるで異なっていた。なぜなら彼女は早くも強い衝動に駆られていたからだ。一刻も早く悪魔を使役してみせ、敵を粉砕したいと願う破壊衝動に。
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