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第六章

代理の杖1

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「弱い者がさらに弱い者を叩くのがこの世の摂理なのだから、いちばん弱い者がもっとも悲惨な目に遭う。でもそんな者にさえ仕事を与えて救う国家こそがもっとも偉大な存在ね。王族なんてそのおこぼれに群がる寄生虫みたいなものだわ」

 街外れの貧民窟を通り過ぎ、ヒト族住民の殺伐とした目線をかいくぐり中心街へと戻ってきたルツィエは、職にあぶれ命以外の全てを失った人々の冴えない顔を思い出しながら、富裕層を客としたレストランに入店した。

 そこは王侯貴族の邸宅を模したような店構えで、ついさっきまで目にしていた貧民窟とは別世界だった。店の格式も高く、九歳の少女がひとりで入るには気後れするような場所である。だが、鉄兜団の正装を見た支配人は彼女を追い出す真似はしなかった。

 気をよくしたルツィエはふんぞり返って着席し、テーブルに金貨を積みあげた。その途端、メニュー表を配りにきた店員の態度が豹変した。あからさまにへりくだって、ルツィエを淑女と持ちあげた。席を離れるときのお辞儀も最敬礼である。

 こうなると彼女は、年齢による物怖じなど一切感じさせない。

「ビュクシは交易地だけあって、不況の煽りをもろに受けているのね。モノが売れなくなれば、流通は細る一方。どんなに平和な民も不満を溜め込むでしょう。貧民窟はおろか、表通りの連中も疲れきった顔をして酷いこと。あれは何とかしないとダメね」

 メニュー表を眺めつつお忍びの感想を洩らすルツィエに、グレアムは「さようであるな」と頷き返した。人目を気にして声の音量を絞ったようだが、二人はどこまでも高みの見物で、評論家気取りである。

 それはしかし、統治者として自然なあり方だろう。ルツィエは貧民に憐れみを覚えるべく探索をおこなったわけではない。鮮度の高い情報収集こそが目的だったし、狙いどおり収穫はあった。

 貧民窟の路地裏で、彼女は街を噂を煽りたてるような一枚のビラを手に入れていたのだ。その紙面にはこんな文句が連ねてあった。


 ――いまは今日より明日が悪くなる時代。もはや巨大な国家事業を立ちあげねば景気の回復は望めず、失業者は増すばかりだ。連邦国家は一刻も早く需要をつくり出さねばならず、かつその事業は庶民に奴隷労働を強いるものであってはならない。我々の要求は今日より良い明日だ。しかしその願いが却下された日には、連邦の統治者たる魔人族に必ずや神罰が下る!


 街なかの探索で苺ショートぶんのカロリーを消費したことで、空腹がふたたびピークに戻っていたルツィエは、店員にガーリックトーストと前世でいうボルシチのような料理を頼んだ。そしてそれが来るまでのあいだ、手にしたビラを何度も読み返した。

 ルツィエは家庭教師にセクリタナ史をひと通り学んでいるが、そんな彼女の知る限りでも、不穏な政治文書が出まわり、民衆の危機感が煽られたことは世界大戦以降、ほとんど見られなかった現象だ。

 不平等もあった。貧困もゼロではない。だが史上空前の繁栄はそれを覆い隠してきた。独裁体制が樹立し、それが許されたのも、今日より良い明日が約束されてきたからこそだ。

 しかしそうした前提に亀裂が走ったことは貧民街を覗けばよくわかった。国民の不満は高まり、こんな政治文書まで出回るようになった。トルナバから賠償請求が起きたというのも、統治体制の弛みと無関係ではあるまい。

 経済状況の悪化が庶民生活を蝕むこと数年、ようやく反魔人族の兆しが現れたと見るべきか。

 そこまで考え、ルツィエはあることを思い出す。ビュクシの行政官に訴え出たトルナバの新町長、確か名前はアドルフ……

 ――あれ? 苗字が出てこないわ。

 ルツィエは答えに詰まった。パベルたちの会話にのぼっていたことは記憶にあるが、肝心の名前を聞き損ねていた。給仕された苺ショートに夢中だったからだ。

「グレアム。貴方、さっき話題になってたトルナバ町長の苗字覚えているかしら?」

 ペンダントを取り出し語りかけるが、グレアムの反応はつれなかった。

「我が輩が知るか。こうして浮上したとき以外、貴様らの行動などいちいち関知しておらぬ」
「まあいいわ。べつに知らなくても困らないもん」

 アドルフという名の亜人族は掃いて捨てるほどいる。問題は名前ではなくそいつが巻き起こした事態にどう対処するかだ。ルツィエはそう思い直し、ペンダントから手を離した。

 そうこうしているうちに料理が運ばれてきた。最初に頼んだホットミルクを三分の一ほど飲んだところだったから、ちょうど良い案配だった。

「さあ、いただきましょう」

 上機嫌に手を合わせたルツィエだが、遠慮知らずなグレアムが会話を続けてきた。

「不満を溜め込むばかりかこのようなビラをまかれるとはな。貴様の転生した世界も、盤石さという点で案外盲点が多いのかもしれぬ。適度なガス抜きを社会が必要としているのだろう」
「けどビュクシの住民が暴発寸前といった雰囲気でもなかったわね」

 器用に受け答えながらフォークに刺した人参を口にすると、味は濃厚で豊かな甘さが広がった。頼んだ料理は質素だが、富裕層向けの店だけあって素材の質が抜群に良い。

「おそらく住民は生活苦で疲弊しているのだろう。反旗を翻すにも体力、財力がいる」

 グレアムの発言にルツィエは「それはそうね」と頷く。皿に顔を近づけ、肉の塊をほおばりながらだ。
 するとペンダントからおぞましい声が聞こえてきた。

「なんとみっともない食べ方だ。王族のマナーとしていかがなものか?」

 ルツィエの食事風景が視界に入っているのか、口うるさい悪魔はまるで両親のような説教をはじめる。

「黙りなさい、邪魔しないで貰える?」

 儀礼に則った食事作法など、この際すっかり無視して好きにやらせてくれというのがルツィエの本心である。それに彼女は、くり返し読んだビラのことが頭を離れない。

 何しろルツィエがスターリンだった頃、彼女はロシア帝国で非合法活動に従事した革命家であり、労働者を組織すべくビラをまき、反旗を促し、反政府思想を植えつけるプロだったのだ。権力に歯向かう者の内面を、彼女は容易に推し量ることができる。

 ルツィエは配膳された料理をがつがつたいらげる一方、思いつめた顔でビラを睨み続けた。その様子がはっきり見えているのか、ペンダント越しにグレアムが苦言を呈してくる。

「そこまで神経質になることでもあるまい。粗末なビラではないか。首謀者に余力のない証拠だ」
「全然わかっていないわね、貴方?」

 スープを口に運びながら、ルツィエは呆れ声を放った。なぜなら彼女にとって、先ほど入手したビラは反政府的な主張が自然に醸成されたものでないことを物語っていたからだ。

 確かに王統府公邸に住み、俗世間と離れて暮らしていたことで、ルツィエの知識には偏りが生じていた。けれど彼女は前世の記憶を宿した転生者なのだ。その膨大な知識と経験は、遭遇する物事に奥深い意味を与える。

 人々が抱える強い不満は通常、行政府庁舎や食料庫を襲うといった直接的な行動に結びつくものだが、これにたいしわざわざビラを撒く行為は性質が異なる。つまりルツィエは貧民窟を探索した結果、自分が見つけた一枚のビラの背後にプロの活動家が暗躍する姿を感じとったのだ。

 そのとき、レストランの店員がルツィエの席に近寄ってきたのが視界に入った。彼は店の品位を崩さぬよう、腰を折り曲げ優雅に話しかけてきた。(続く
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