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第六章
不穏な軍事指導2
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とはいえ着々と計画の準備を進めるのはアドルフひとりだったし、全体を把握できないフリーデの立場からすると困惑するようなことが少なくなかった。
大急ぎで編制された部隊にトルナバのヒト族が参加したこと。これはまだよい。作戦準備が予想よりも大がかりになっていったこと。これも許せる。問題はヒト族たちの指導役に就いているのが司祭、つまりリッドである点だ。
フリーデの理解によると、あの司祭はアドルフたちが得た解放が定着するまでの見届け人という立場にすぎなかったはず。にもかかわらず彼女は、今回の計画においてむしろ主導的役割を担おうとしていた。いや、現にそうしており、フリーデに不可解な印象を与えていた。
ルアーガ遭遇戦で実戦経験の豊かさをこれでもかとばかりに見せつけたリッドは、端的にいえば周囲の信頼が厚く、とりわけアドルフの信認を得たのは間違いない。だからこそフリーデも、彼女の重用を表立って批判する気はなく、実際何食わぬ顔で過ごしてきた。
しかしこの日の早朝。トルナバの正門に面した広場にいるリッドたちを見たとき、フリーデの我慢もついに限界へ達したようだ。
冬の一日ではあったが、見あげた大空は青く晴れ、風は清々しくさえある。最後通牒の結果が届くのはもう明後日に迫っていた。返事次第で戦端が開かれるのは必至な情勢だ。
したがってリッドが経験の浅いヒト族の冒険者を徹底的に鍛えていたとしても不自然ではないし、それどころか高まりゆく士気にはぐれ者のフリーデでさえどこか心地よいものを感じるほどだった。
違和感の種は彼女が整列する冒険者たちに近づいていったとき撒かれた。リッドが彼らに耳慣れない唱和を求めたのだ。
「勝利万歳」
それはゲルト語だったが、日常生活で使う言葉ではなく、おまけに軍隊式だった。
フリーデはおのれの属する集団をあくまで自分を含む冒険者を中心に編制された部隊と認識していた。ところが目の前でくり広げられる光景は彼女の思い込みを木っ端微塵に粉砕していった。
「ジークハイル! ジークハイル!」
ヒト族冒険者はリッドの求めに応じ、高らかに勝ちどきの声をあげた。瞬時に連想を働かせると勝利を得たときに行う儀式の予行演習か、あるいはこれから開始する戦いへむけた戦意の鼓舞といったあたりが考えられる。それにしても天に轟くような大声だ。しかし驚きはまだ本番ではなかった。
「万歳!」
絹を引き裂くような叫びをあげ、リッドが直立の姿勢で腕を斜め上に突き出した。右手をピンと張り、目の前に立ち塞がった見えない壁を突き破るような敬礼である。
その動作を懸命に模倣し、冒険者たちも腕を掲げながら唾を飛ばしこう続ける。
「ハイル! ハイル! ハイル!」
フリーデが知らなかっただけで、アドルフの編制した部隊は何やら不穏なものが注入されているようだ。記憶を掘り返せば、これまで目にした連邦の軍人でさえその立ち振る舞いはもっと雑然としていたはずだ。
――何だこれは?
聞き及んだ話によると、アドルフが志願者を選抜した基準は勇気があることだったという。その内実は、敵前逃亡がいかに罪深いかを理解し、殺人を恐れない者のみを選ぶという意味だ。
戦の女神に愛されたフリーデは、そうしたやり方に異論はなく、アドルフの価値観を非道とは思わない。気になったのは、想定される武力衝突にむけた一糸乱れぬ統制ぶりだ。戦いはすべからく覚悟を求める。だがその程度があまりに過剰だと目にした側は戸惑いを覚える。
――これが来るべき戦争の準備なのか?
疑問を何度もくり返すフリーデは知らないことだが、文明の発展と足並みを揃え、戦争はその戦術面ばかりでなく、すぐれた兵士を動員する技術をも高めていった。
国家と自分に分ちがたい絆を感じ、みずから進んで命を捧げる兵士を大量に生み出したのはナポレオン帝国以降の近代国家である。その指導者たちは古い枠組みに属する王制国家とは比較にならない軍事力を手に入れ、新たなる栄光を歴史に刻んだ。
なかでも独裁者ヒトラーが生み出したナチスドイツは、大衆や民族が主役となった国家体制における最高峰と言ってよい。
つまりアドルフがリッドに指示した冒険者の訓練は、彼にとっては普通のことでも、文明の進度が遅いセクリタナにおいては非常に異質で、ともすれば禍々しく感じられてもおかしくない。フリーデが抱いた感情も、そうした得体の知れないものへの警戒心だったと言えよう。
しかも状況がよくなかった。軍事指導を担っているのがリッドでなければ、彼女もここまで心を乱されなかったと思う。だがいまや彼女は不信の対象だった。自分の見えないところに隠れて、アドルフと何を企んでいたのだ。益体もない思考は彼女の脳裏をバターのように撹拌した。
得体の知れない儀式をやめさせねばならない。その意志はどこからともなく現れた。胸に迫る違和感はもはや消しがたい怒りへと姿を変え、気づいたらフリーデは大地を蹴り、全力で駆け出していた。
「ん? どうした」
広場を横切って息せき駆けつけると、敬礼を解いたリッドがきょとんとした顔で出迎えた。直前まで猛禽のような金切り声を叫んでいた者の態度とは思えない。悪意のなさは一目瞭然だが、妙に幼い顔だちもフリーデの心を嫌な気持ちにさせ、勢い声色も険しくなる。
「君にちょっと話がある。着いてこい」
大急ぎで編制された部隊にトルナバのヒト族が参加したこと。これはまだよい。作戦準備が予想よりも大がかりになっていったこと。これも許せる。問題はヒト族たちの指導役に就いているのが司祭、つまりリッドである点だ。
フリーデの理解によると、あの司祭はアドルフたちが得た解放が定着するまでの見届け人という立場にすぎなかったはず。にもかかわらず彼女は、今回の計画においてむしろ主導的役割を担おうとしていた。いや、現にそうしており、フリーデに不可解な印象を与えていた。
ルアーガ遭遇戦で実戦経験の豊かさをこれでもかとばかりに見せつけたリッドは、端的にいえば周囲の信頼が厚く、とりわけアドルフの信認を得たのは間違いない。だからこそフリーデも、彼女の重用を表立って批判する気はなく、実際何食わぬ顔で過ごしてきた。
しかしこの日の早朝。トルナバの正門に面した広場にいるリッドたちを見たとき、フリーデの我慢もついに限界へ達したようだ。
冬の一日ではあったが、見あげた大空は青く晴れ、風は清々しくさえある。最後通牒の結果が届くのはもう明後日に迫っていた。返事次第で戦端が開かれるのは必至な情勢だ。
したがってリッドが経験の浅いヒト族の冒険者を徹底的に鍛えていたとしても不自然ではないし、それどころか高まりゆく士気にはぐれ者のフリーデでさえどこか心地よいものを感じるほどだった。
違和感の種は彼女が整列する冒険者たちに近づいていったとき撒かれた。リッドが彼らに耳慣れない唱和を求めたのだ。
「勝利万歳」
それはゲルト語だったが、日常生活で使う言葉ではなく、おまけに軍隊式だった。
フリーデはおのれの属する集団をあくまで自分を含む冒険者を中心に編制された部隊と認識していた。ところが目の前でくり広げられる光景は彼女の思い込みを木っ端微塵に粉砕していった。
「ジークハイル! ジークハイル!」
ヒト族冒険者はリッドの求めに応じ、高らかに勝ちどきの声をあげた。瞬時に連想を働かせると勝利を得たときに行う儀式の予行演習か、あるいはこれから開始する戦いへむけた戦意の鼓舞といったあたりが考えられる。それにしても天に轟くような大声だ。しかし驚きはまだ本番ではなかった。
「万歳!」
絹を引き裂くような叫びをあげ、リッドが直立の姿勢で腕を斜め上に突き出した。右手をピンと張り、目の前に立ち塞がった見えない壁を突き破るような敬礼である。
その動作を懸命に模倣し、冒険者たちも腕を掲げながら唾を飛ばしこう続ける。
「ハイル! ハイル! ハイル!」
フリーデが知らなかっただけで、アドルフの編制した部隊は何やら不穏なものが注入されているようだ。記憶を掘り返せば、これまで目にした連邦の軍人でさえその立ち振る舞いはもっと雑然としていたはずだ。
――何だこれは?
聞き及んだ話によると、アドルフが志願者を選抜した基準は勇気があることだったという。その内実は、敵前逃亡がいかに罪深いかを理解し、殺人を恐れない者のみを選ぶという意味だ。
戦の女神に愛されたフリーデは、そうしたやり方に異論はなく、アドルフの価値観を非道とは思わない。気になったのは、想定される武力衝突にむけた一糸乱れぬ統制ぶりだ。戦いはすべからく覚悟を求める。だがその程度があまりに過剰だと目にした側は戸惑いを覚える。
――これが来るべき戦争の準備なのか?
疑問を何度もくり返すフリーデは知らないことだが、文明の発展と足並みを揃え、戦争はその戦術面ばかりでなく、すぐれた兵士を動員する技術をも高めていった。
国家と自分に分ちがたい絆を感じ、みずから進んで命を捧げる兵士を大量に生み出したのはナポレオン帝国以降の近代国家である。その指導者たちは古い枠組みに属する王制国家とは比較にならない軍事力を手に入れ、新たなる栄光を歴史に刻んだ。
なかでも独裁者ヒトラーが生み出したナチスドイツは、大衆や民族が主役となった国家体制における最高峰と言ってよい。
つまりアドルフがリッドに指示した冒険者の訓練は、彼にとっては普通のことでも、文明の進度が遅いセクリタナにおいては非常に異質で、ともすれば禍々しく感じられてもおかしくない。フリーデが抱いた感情も、そうした得体の知れないものへの警戒心だったと言えよう。
しかも状況がよくなかった。軍事指導を担っているのがリッドでなければ、彼女もここまで心を乱されなかったと思う。だがいまや彼女は不信の対象だった。自分の見えないところに隠れて、アドルフと何を企んでいたのだ。益体もない思考は彼女の脳裏をバターのように撹拌した。
得体の知れない儀式をやめさせねばならない。その意志はどこからともなく現れた。胸に迫る違和感はもはや消しがたい怒りへと姿を変え、気づいたらフリーデは大地を蹴り、全力で駆け出していた。
「ん? どうした」
広場を横切って息せき駆けつけると、敬礼を解いたリッドがきょとんとした顔で出迎えた。直前まで猛禽のような金切り声を叫んでいた者の態度とは思えない。悪意のなさは一目瞭然だが、妙に幼い顔だちもフリーデの心を嫌な気持ちにさせ、勢い声色も険しくなる。
「君にちょっと話がある。着いてこい」
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