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第六章

密談する二人1

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 腕を引く力が強すぎる、とリッドは思った。相手はフリーデだ。彼女はリッドの袖を上腕の肉ごとふん掴み、馬車馬のごとき勢いでぐいぐい乱暴に引っ張っていく。

「なぁ、どこへ行くつもりだ?」

 小走りになりながら尋ねるも、フリーデの返事はない。

 ほどなくして連れて行かれたのは広場の隣にある聖隷教会の建物。リッドにとってそこは重ねた歴史を感じさせる心落ち着く場所だが、いまは戸惑いの渦中でありそんな余裕はまるでない。

 建物の裏手にまわった二人は、そこではじめて正面から向き合う。

 普段でも鬼のように怖いフリーデが悪魔を召喚しそうなほど恐ろしい顔をしている。眉間に込めた力が尋常ではない。またどこか、思いつめた雰囲気も感じられる。呼吸が浅いせいだろうか、緊張した口許は苦しそうだ。
 しばらく沈黙は続いたが、先にフリーデが鉛の球を吐き出すようにして言った。

「単刀直入に訊かせて貰う、司祭殿。さっきのかけ声と敬礼は何だ。随分物々し過ぎるじゃないか。冒険者らしくないし、僕が知る軍隊とも異なっている」

 明らかに感情的なフリーデの文句にたいし、リッドは拍子抜けした。大層な言い分を切りだされるかと思えば、所詮いちゃもんではないかと考えたのだ。
 ゆえにその対応も、意図せずおざなりになってしまう。

「アドルフの指示だ。頼まれたことをやっただけだし、それに以前も言ったと思うが、私のことは愛称で呼んで貰って構わない。肩肘を張らないでほしい」

 そう言ってリッドは、さらに淡々と説明をくわえた。

 志願者は冒険者でもあったが、実戦経験という点では不安もあり、自分たちのような息の合った連携はとれないだろう。よって必要なのは彼らをまとめあげる規律だ。アドルフはそれを望み、みずから軍隊式の統制を実演してみせ、指導役に自分を任命したのだと。

 しかしそうした事務的な態度がフリーデの心を逆撫でしたようだ。

「言われたら何でもするのか。すっかり副官気取りだな。いつからそんなに偉くなった?」

 のっけからケンカ腰である。会話が成り立たない予感を覚えたリッドは浅く息を吐いた後、フリーデの口撃を避ける態度に出た。

「何か盛大な誤解をしている。私は一介の司祭だぞ。権力に執着する野心など持ち合わせていない」

 自分の地位が向上したことに古い仲間が不審感を抱いたのかだろうか。リッドは現状をそのように判じ、無害をアピールしたのだが、実はまったくの誤解だったようだ。

「言い訳をするな。うまいことアドルフに取り入ったつもりだろうが、僕に言わせれば君の動機は不純なんだ」
「不純?」
「ああ。ただの司祭がいつまで僕たちに関わろうとするつもりだ。用が済んだら教会に帰ればいいだろう。そうしないところを見るに不純な動機があるようにしか思えない。アドルフに個人的な執着心をもったのなら、正直にそうと言え」

 フリーデの言い分は決めつけに等しかったが、部分的に的を射ている。なりゆきであることを隠れ蓑にアドルフたちと行動をともにしているという指摘がそれだった。むろんリッドには、言い訳の余地がないこともなかった。

「私はお前たちが日常生活に復帰するまでの見届け人だ。それ以上でも以下でもない」

 リッドが述べたのはしかし、公式見解のようなものだ。説得力はあるにせよ、やはり形式的な雰囲気が滲んでしまう。なぜなら彼女自身が自覚しているとおり、現状あてがわれている役割は見届け人としての立場を超えているからだ。

 ゆえにフリーデがこう反論しても、リッドは返事に窮する他なかったのである。
「最後通牒がはねつけられたら戦争になるんだぞ? なのに君は本来の役割から逸脱するばかりか、身の危険から逃げようともしない。具体的な説明を求めても不自然じゃないだろう。違うか?」

 鋭い指摘を突きつけられたリッドは即答できなかった。かわりに彼女は、その沈黙の間を言い訳探しに費やそうとする。

 まず目をつけたのはフリーデの感情だった。彼女以外の連中はそもそも、リッドの協力を好意的に受け取り、嫌疑を示す者は皆無だった。ではなぜ彼女だけが自分をやり玉にあげるのか。

 ――ふむ、そういう線もありうるのか。

 落ち着いて考えるとリッドの脳裏にひとつの仮説が浮かび上がった。それは直感が導いたわりに有力な見方と言って差し支えなかった。

 リッドがこのとき思い出したのはルアーガ遭遇戦で見せたフリーデの自爆行為である。あれがもし敵を確実に仕留めるためではなく、アドルフを守るためにとった行動だとするなら、どうだろう。フリーデの心に眠る感情がくっきり浮き彫りになるのではないか。

 ――そう。こいつは私に嫉妬しているんだ。それ以外考えられない。

 嫉妬の原因は何だろう、自分を差し置いてアドルフという指揮官と近い立場におさまったことか。どちらにしろ彼女が口にした不満は、権力をめぐる軋轢ではなく、もっと平たくありふれた感情にもとづいている。そもそも女が女に食ってかかる最大の理由はいつの世も嫉妬だ。

 次第に余裕を取り戻したリッドは、冷静な目でフリーデのことを観察する。

 見れば彼女の耳は白い肌を充血させ、リンゴのように赤い。口喧嘩を吹っかけておきながら表情変化に乏しいため看過していたが、どうやらここで生じている修羅場は彼女にとっても精一杯の振る舞いであるらしい。原因が嫉妬ならそれも納得がいく。

 だが事ここに到って、リッドはある選択肢を突きつけられた。

 少女の戯れ合いのごとき嫉妬を解消することはじつは簡単だ。リッドがアドルフに協力するのは半分はなりゆきだが、半分は違う動機にもとづいていた。したがって隠された後者について教えてやれば諍いは解決する。

 支援対象である亜人族たちに知られていないことだが、リッドは聖職者としての顔以外にべつな一面をもっている。しかもその一面は決して公にできない類いのものだ。人間にはそうした秘密がつきものとはいえ、リッドの場合おいそれと口にできる話ではない。

 ――真相を隠しながら、フリーデの感情を穏便な着地点へと導けないものか。

 嫉妬を飼い馴らすのは骨が折れることだろう、しかし逃げ道は他にない。フリーデが嫉妬に狂っていると仮定するなら、自分の無実を示すことが唯一の突破口となる。

 リッドの黙考は時間にして五秒程度だったが、それが終わると彼女は困り笑いとも取れる表情を浮かべ、アドルフとの無関係を語ってやることにした。

「考えすぎだぞ、フリーデ。私は聖職者として手を貸したが、こういうのは手放すタイミングが難しい。家の柱が急に欠けることを考えてみろ、どうなるかは一目瞭然だろ。ひょっとしてお前は、私がアドルフへの個人的な思慕で動いていると疑っているのかもしれないが、それは違う。勘違いというものだ。そもそもアドルフは私の好みのタイプではない」

 偉大なる《主》にその身を捧げた聖職者が好みのタイプもくそもないのだが、説明に没頭したリッドはそこまで気がまわらない。いまは矢継ぎ早に言葉を重ねていくのみだ。

「あの口ひげだってやはり私には高圧的に映る。異性の魅力という点では心が動かされない」

 嫌いと断言するのは支障があると思い、リッドは遠回しにアドルフのことを下げた。ところがその瞬間、状況が一変した。険しい顔を一段と怖くさせたフリーデが、固く尖った声でこう言い返してきたのだ。

「それは見解の相違だ。新たな属性がくわわった程度でアドルフの良さは変わらない」

 誤解を解くつもりが真逆の結果を生んだとしか思えない態度だった。色恋沙汰に疎いリッドでさえその程度のことはさすがにわかった。

 気持ちのうえでたじろぎを感じると、フリーデは鋭い目つきで畳みかけてくる。

「この際だから言わせて貰うが、リッド。僕は君が、アドルフとべたべたするのが大変気に食わないんだ。あいつはここぞというときに色欲を優先させるやつじゃないし、だとすれば原因は君にある」

 とうとうフリーデが心の内を断定的に述べ、リッドは自分の仮説の正しさを思い知るが、状況はさらに悪化していた。これを覆すにはちょっとした曲芸が必要になる。

 彼女は普段使うことのない知力を絞り出し、不自然な笑みのまま言い返した。

「いまの言葉が全てだと思えるが。アドルフの気持ちにかんしてお前のほうが遥かによく理解している。口ひげの件といい、私は彼の魅力など全然わかっていなかった。それどころか、彼の邪悪な面を見せつけられたことがトラウマになっているくらいだ」

 またしても遠回しにアドルフを下げ、無関係を強調するリッドだったが、肝心のフリーデはそうは受け取らなかったようだ。

「邪悪な面とは何だ?」

 彼女はどうやらアドルフへの邪な関心を断罪するばかりか、彼を馬鹿にする言動にも目くじらを立てる女だったらしい。その証拠として、段々と荒い息を吐き、苛立たしげに短い銀髪をかきむしっている。

 リッドは亜人族との付き合いに慣れた人間ではないから、それが彼女の属性からくるものか、たんなる性格に由来するのか見分けがつかない。はっきりしているのは、彼女が発する謎の威圧感が魔獣のそれにきわめて近いという点だ。

 これは腹をくくらねばならない。リッドはへらへらした笑いをやめ、毅然とした顔になった。(続く
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