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第七章
ビュクシ攻防戦6
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「だれか助けに来る者はおらんのか!」
敵指揮官の叫んだ言葉の意味をルツィエは文字どおりに受け取った。彼は自分が包囲されかけていることを悟り、焦って味方の援護を呼んだのだろうと。
とはいえそれは思い違いであった。
なぜなら彼らは水素伝達による命令をどうやらとっくに済ませており、叫び声自体はだめ押しに過ぎなかったのだ。
ルツィエがその事実を知ったのは、ほんの数秒後である。東壁のほうから猛スピードで迫り来る一機のチェイカが見えたからだ。
「間に合ってくれよ!」
海軍帽を目深にかぶった操縦者が雄叫びをあげ、そんな輩が駆動する敵機は庁舎の上空を通り過ぎ、瞬く間にパベルの機体へ近接した。とても飾りとは思えぬバカでかい長剣を携え、乱戦を挑むかのごとき構えだ。
もちろんパベルに護衛はいたが、反応が遅れた。形式的にはパベルが和睦を呼びかけ、その返事待ちだったからである。
しかしこのとき、返事は明白だった。和睦を望みながら、援軍を突撃させる指揮官は存在しない。敵はパベルの持ちかけようとした取引を、最初の段階で踏み躙ってきたわけだ。
護衛の反応が遅れた理由がもうひとつある。海軍帽の操縦者が外見以上の機敏さを見せたからだ。
重量級の武器は何ら足枷になっておらず、むしろその慣性を最大限いかし、鋭角な楕円を描きながら飛び込んでくる。
その急激に曲がる軌道に攻性魔法を浴びせようとしたときはもう遅かった。ひと息ぶん躊躇した護衛の隙を突き、驚くべき力で長剣を振りかぶってきた。
「死にやがれクソ野郎が――!」
やたらと口汚い言葉を発し、敵機の操縦者は長剣をパベルに叩きつけた。
慌てて抜刀したルツィエの兄はよろめき、防御魔法を展開する間もないまま一騎打ちという形になるが、さすがに相手の返事を待つどころではないと判じたか、剣戟の合間を縫って荒い息で告げた。
『これは最終通告である。大人しく降参せよ。さすれば全ての罪は許す。だがもし要求を拒むのなら、ビュクシの街は火の海となろう。くり返す、これは最終通告である――』
ついに敵を追い込むためのカードがめくられた。
ルツィエが視線を下げると、逃げ場を失い庁舎に集まった民衆が上空を見あげている。固唾をのんでやり取りを見守っていた彼らの耳にも、パベルの宣告は届いたようだ。
――ここまで戦場になるのか。
そんな嘆きがざわつきをともなって聞こえた。けれど誰一人その場を動こうとしない。
恐怖が限界を超え、八方塞がりに陥ると、人はなす術がなくなるのだ。体が完全に凍りつき、パニックすら起こさなくなる。
はたして森に迷い込んだ羊のごとき民衆をまえに、敵指揮官はどう答えるだろう。和睦の申し出をはね除けた一方で、その意志を貫けばビュクシを焦土に帰すとパベルは言った。もし敵の狙いが、亜人族収容所の解放と、そのためのビュクシ占領にあるのなら、到底受け入れがたいはずだ。
相手の出方を待つ他ない状況において、ルツィエがとれる選択肢はひとつしかなかった。
敵指揮官の観察に努め、取引を拒む様子を少しでも見せれば、ただちに街の重要拠点を破壊してまわること。
それで言うと、彼女の眇めた視線の先で、肝心の敵指揮官は不気味な沈黙を続けている。相手に迷いがあるのだとすれば、直ちに街を灼き尽くすか否かを即断できずにいるのは明らかだ。
けれど、ルツィエは電光石火で決断を下した。それはきわめて主観的な、ふたつめの選択肢だった。
兄の命令に歯向かうこと。そして自分の勝利のみを追求すること。
思いつきで決めたのではない。積もり積もった忸怩たる思いがその裏にはあった。
「いま抗わなければ妾は王になれない」
白い吐息と化し、呟きはひとりでに洩れた。
ルツィエは二つの腕を脱力させ、周囲のマナを吸い上げはじめる。挙動はもの静かだが、恐るべき勢いであった。
周囲の目など気にしない。大規模魔法に備えたものとして看過されるはずだからだ。
そのときペンダントがふわりと浮かび、性別不詳な声が聞こえてくる。
「ほう、何やら腹を固めたようであるな?」
感嘆を含んだグレアムの声。しばらく黙りこくっていた様子だが、そのわりに的を射た指摘だ。
「貴様がせっかちになるとは珍しい。マナが溢れて出しているぞ」
笑いを押し殺したような声色だが、これもまた的確であった。ただしその響きには、ルツィエを弄ぶかのごとき色彩がある。
もっとも彼女は他人の言葉などに惑わされる心境にない。血なまぐさい戦場を最大限利用し、願望と行動の不一致を解消して、世界を掴むための第一歩を踏み出す気でいる。
「ねぇ、グレアム?」
彼女は小声で問うた。
「何事か?」
グレアムは短い反応を返し、ルツィエはさらに言葉を継ぐ。
「貴方、このあいだ悪魔を使役する力をくれたわよね。代理の杖とかいうのを出してほしいの。それとその力はどの程度のマナを必要とするか教えてくれない?」
「フヒハハ!」
ルツィエの願望を聞き取ったグレアムは、普段より高らかに笑い立てる。ルツィエの発言から、彼女が何を望み、何をなす気でいるか、全て合点がいったのだろう。
「慎重な貴様らしく判断に時間はかかったが、やっと切り札を使う決心がついたか?」
そう、スターリンは生前、絶対に勝てる戦いしか政敵に挑まなかった。逆に言えば、一旦戦うと決めたらどんなことでもした。おべっかも使ったし、身の上相談をして一緒に泣いたことさえあった。
地位の低い王族に生まれついたせいで、媚を売る対象がもっぱら肉親や廷臣へと向かっていただけのこと。ルツィエはこの異世界で兄に可愛がられ、師匠を慕い、与えられた役割を裏切ることはなかった。しかしそれも今日までの話だ。
「代理の杖は願えば出てくる。必要なマナは貴様が気に入った最高度の〈爆縮〉と同等である」
グレアムは淡々と取り扱いについてのみ述べる。だがルツィエとしても、教えられた情報だけで十分だった。すでにマナの凝集を進めていたし、あとは魔法を放つタイミングの問題だった。
おのれの悪を貫き、必ずヒトラーをこの手で縊り殺す。彼女はそう転生の際に誓った。決して人後に落ちることなかれ、めざすのはこの世界の頂点。そうすればヒトラーがどんな身に転生していようとも、直接引導を渡せるはずだと。
そのためにはパベルの存在が邪魔だった。取り除くなら混沌に紛れ込ませられるいまが絶好の好機。迷いを捨てた彼女は、グレアムが与えた宝呪を凛々しい声で呼び出した。
「代理の杖を我が手に――」
祈りをともなう言葉は、目のまえの空間に亀裂を走らせ、一本の禍々しい杖を出現させる。幾重にも歪んだ胴体部分を掴み取り、ルツィエは小さく歓喜を洩らした。
「なかなか素敵な代物じゃない?」
その嬉しげな声を発した瞬間、彼女は背後を振り返る。喜びをかき消すように、べつの空域で動きがあったのだ。
視界に飛び込んできたのは北壁で暴れていたエディッサ。鉄兜団員が引きつけ、殲滅へ向かっていたようだが、耳をつんざく咆哮をあげ、猛烈な勢いで突進をはじめている。攻撃で傷ついた体をぐらつかせているが、その進路の先にあるのは行政府庁舎。人命のことを考えれば、きわめて危うい挙動だった。
ルツィエにとって街の住民がどうなろうと一切興味はなかったが、戦闘中の者たちが全て彼女と同じことを考えているわけではなかった。
なぜなら右手から、一機のチェイカが視界を横切っていったのだ。操縦席に覆い被さったのは銀髪の操縦士。戦線を離脱していた相手が急に動きを見せたのを見て、鋭敏なルツィエは、その動きに敵側の連携を感じとった。
むろん想像の域を出ないが、エディッサの動きは何らかの合図だったのではないか。事実、銀髪をはためかせた操縦士は、行政府庁舎へとまっしぐらに向かっている。
敵指揮官が取引の呼びかけを泰然と無視し続けたのも、ひょっとするとこの瞬間を待っていたのかもしれない。叛乱軍に水素伝達の使い手がいると仮定すれば、ありえなくもない動きだ。
ルツィエは呼吸を整えながら、状況の観察へと意識を注いだ。するとたった数瞬まえ、危険な挙動を見せていたエディッサが、ついにバランスを崩し、地面にゆっくり頽れ伏す姿が目に入った。
その動作はまるで図ったように、街の中心部付近に嵐のような風を巻き起こす。幸いルツィエは風圧を受ける位置にいなかったが、行政府庁舎脇に佇む翼竜は風の影響をもろに受け、敵指揮官の国民服が突風に煽られ激しくはためく。露出した彼の額はそれなりに広く、口許こそ防塵マスクで隠れていたが目許は不敵に笑っているように見えた。
とはいえルツィエは、もはやそれらを見てはいない。膨大な量のマナを体内に宿しながら、代理の杖なる宝呪を握り締め、瞼を閉じ意識を集中しはじめている。
魔法の発動へと移行しつつある証拠だったが、おかげで彼女は見逃してしまうのだった。庁舎に佇む翼竜が胸部を膨らませ、声高く鳴き叫ぶ姿も。負けじと大声を張り、勢いよく拳を振りあげた敵指揮官の姿も。
「我が名はアドルフ・ヒトラー、諸君らを救うために来た!」
混乱を顧みずその男は、なおも立ち上がろうとするエディッサの前に進み出て、悠然と右手を掲げた。
魔法を唱えるにしてはあまりに呆気ない動きと言える。しかしたったそれだけのアクションで、魔獣は弾かれたゴムのように後方へ一〇メーテル以上のけぞった。
このとき行政府庁舎の周りには数多くの民衆が集まっていたから、男の立ち振る舞いは彼らによって逐一目撃されている。けれど人々の大半は、前ぶれもなくはじまった騒乱がどんな意味をもち、だれが味方かもおぼろげな状態。エディッサが災いの根源だという思いがかろうじて共有されているくらいだ。
ゆえに魔獣を撃退した男の行動はビュクシの住民にとって味方のそれに映る。決して街を襲う叛乱軍のものであるとは認識されなかったようだ。
そうこうしているうちに、救援に現れた銀髪の魔導師が、翼竜から飛び降りた僧服の女と協力し、防御魔法を張りめぐらせはじめた。彼女たちが発現した魔法の盾は大きく、ほとんど一種の結界であり、行政府庁舎一帯を覆い尽くす。もちろんその光り輝くベールは行き場を失った民衆をもカバーしていた。
これらの動きが入念に練りあげられたものか、即興に近い代物だったかは判然としない。しかし大勢の民衆は、引き続きそれを味方による行動と認識した。国民服の男が命令したのだろうとさえ、考えたかもしれない。
一連の流れは皮肉にも、本来街を防衛すべき立場の者、つまり鉄兜団を率いるパベルを蚊帳の外に置く結果を生んだ。
彼にしてみれば、敵の行動は自作自演もいいところだ。しかし割り込んできた敵機を退けている間、事態が矢継ぎ早に動いてしまった。妨害を終えると忌々しい海軍帽は速やかに退却していき、先手を打たれたツケだけがどっと押し寄せてくる。
エディッサを制圧することを通じて、敵は民衆をたちまち味方につけてしまった。その証拠に庁舎の周囲に集まった民衆は、国民服を翻した若者を晴れ渡った顔でその目に焼きつけている、
本来ならパベルの軍こそが救世主と見なされるべきだったが、手勢の主力が鉄兜団だったことがマイナスに作用したかもしれない。戦力としては申し分ないものの、特殊部隊の軍装は一般に馴染みが薄く、敵味方の識別を困難にさせた可能性は高い。
こうなると狙撃手を配備した逆転の一手は宙ぶらりんだ。敵指揮官を無防備な状態で討ち取り、彼を反乱者に仕立て上げるチャンスをすでに逸してしまったからである。
しかしよく考えると、それはパベルの自業自得だ。彼は住民保護を棚上げにしたが、民衆を盾にした敵指揮官の動きに足並みを揃えてしまった。この状況で狙撃兵に攻撃を命じれば、虐殺が起きることを本能的に恐れてしまったのだろう。
徹底的にやるべきときに中途半端な対処を選んでしまったわけだが、たいする敵指揮官の側は、民衆の保護を露骨に示してみせた。しかし生命財産を守ることに必死な者にとって、それこそが味方のなすべきことに他ならなかった。
いずれにせよ、思惑が外れたうえに民衆の支持まで失った。パベルは苦渋を浮かべ、親指を強く噛み締める。彼は判断ミスが招いた事態を乗り越えるべく、当初抱いた覚悟へと自分を引き戻していった。住民保護を二の次にすると決めた以上、民衆の目など気にせず敵指揮官の殲滅に全力を注ぐべきだと。
『戻ってこいルツィエ!』
パベルは水素伝達を用いて速やかに妹の名を呼んだ。
敵が防御魔法を張りめぐらし、〈凍結〉による騙し討ちが潰えた以上、街を順次破壊していく命令にもはや意味などない。味方の戦力を庁舎周辺に集中させ、力づくで敵指揮官を倒す。それ以外に勝利に到る道はないと考え、即断したわけである。
ところが彼の飛ばした水素伝達はなぜか返事をよこさない。通信上のエラーでも起きたのかと不安視させるほどの沈黙が何秒も続く。よもや妹の裏切りなど想像できるわけもないから、パベルは不可解な気持ちにとらわれ、命令を荒い声でくり返した(続く。
敵指揮官の叫んだ言葉の意味をルツィエは文字どおりに受け取った。彼は自分が包囲されかけていることを悟り、焦って味方の援護を呼んだのだろうと。
とはいえそれは思い違いであった。
なぜなら彼らは水素伝達による命令をどうやらとっくに済ませており、叫び声自体はだめ押しに過ぎなかったのだ。
ルツィエがその事実を知ったのは、ほんの数秒後である。東壁のほうから猛スピードで迫り来る一機のチェイカが見えたからだ。
「間に合ってくれよ!」
海軍帽を目深にかぶった操縦者が雄叫びをあげ、そんな輩が駆動する敵機は庁舎の上空を通り過ぎ、瞬く間にパベルの機体へ近接した。とても飾りとは思えぬバカでかい長剣を携え、乱戦を挑むかのごとき構えだ。
もちろんパベルに護衛はいたが、反応が遅れた。形式的にはパベルが和睦を呼びかけ、その返事待ちだったからである。
しかしこのとき、返事は明白だった。和睦を望みながら、援軍を突撃させる指揮官は存在しない。敵はパベルの持ちかけようとした取引を、最初の段階で踏み躙ってきたわけだ。
護衛の反応が遅れた理由がもうひとつある。海軍帽の操縦者が外見以上の機敏さを見せたからだ。
重量級の武器は何ら足枷になっておらず、むしろその慣性を最大限いかし、鋭角な楕円を描きながら飛び込んでくる。
その急激に曲がる軌道に攻性魔法を浴びせようとしたときはもう遅かった。ひと息ぶん躊躇した護衛の隙を突き、驚くべき力で長剣を振りかぶってきた。
「死にやがれクソ野郎が――!」
やたらと口汚い言葉を発し、敵機の操縦者は長剣をパベルに叩きつけた。
慌てて抜刀したルツィエの兄はよろめき、防御魔法を展開する間もないまま一騎打ちという形になるが、さすがに相手の返事を待つどころではないと判じたか、剣戟の合間を縫って荒い息で告げた。
『これは最終通告である。大人しく降参せよ。さすれば全ての罪は許す。だがもし要求を拒むのなら、ビュクシの街は火の海となろう。くり返す、これは最終通告である――』
ついに敵を追い込むためのカードがめくられた。
ルツィエが視線を下げると、逃げ場を失い庁舎に集まった民衆が上空を見あげている。固唾をのんでやり取りを見守っていた彼らの耳にも、パベルの宣告は届いたようだ。
――ここまで戦場になるのか。
そんな嘆きがざわつきをともなって聞こえた。けれど誰一人その場を動こうとしない。
恐怖が限界を超え、八方塞がりに陥ると、人はなす術がなくなるのだ。体が完全に凍りつき、パニックすら起こさなくなる。
はたして森に迷い込んだ羊のごとき民衆をまえに、敵指揮官はどう答えるだろう。和睦の申し出をはね除けた一方で、その意志を貫けばビュクシを焦土に帰すとパベルは言った。もし敵の狙いが、亜人族収容所の解放と、そのためのビュクシ占領にあるのなら、到底受け入れがたいはずだ。
相手の出方を待つ他ない状況において、ルツィエがとれる選択肢はひとつしかなかった。
敵指揮官の観察に努め、取引を拒む様子を少しでも見せれば、ただちに街の重要拠点を破壊してまわること。
それで言うと、彼女の眇めた視線の先で、肝心の敵指揮官は不気味な沈黙を続けている。相手に迷いがあるのだとすれば、直ちに街を灼き尽くすか否かを即断できずにいるのは明らかだ。
けれど、ルツィエは電光石火で決断を下した。それはきわめて主観的な、ふたつめの選択肢だった。
兄の命令に歯向かうこと。そして自分の勝利のみを追求すること。
思いつきで決めたのではない。積もり積もった忸怩たる思いがその裏にはあった。
「いま抗わなければ妾は王になれない」
白い吐息と化し、呟きはひとりでに洩れた。
ルツィエは二つの腕を脱力させ、周囲のマナを吸い上げはじめる。挙動はもの静かだが、恐るべき勢いであった。
周囲の目など気にしない。大規模魔法に備えたものとして看過されるはずだからだ。
そのときペンダントがふわりと浮かび、性別不詳な声が聞こえてくる。
「ほう、何やら腹を固めたようであるな?」
感嘆を含んだグレアムの声。しばらく黙りこくっていた様子だが、そのわりに的を射た指摘だ。
「貴様がせっかちになるとは珍しい。マナが溢れて出しているぞ」
笑いを押し殺したような声色だが、これもまた的確であった。ただしその響きには、ルツィエを弄ぶかのごとき色彩がある。
もっとも彼女は他人の言葉などに惑わされる心境にない。血なまぐさい戦場を最大限利用し、願望と行動の不一致を解消して、世界を掴むための第一歩を踏み出す気でいる。
「ねぇ、グレアム?」
彼女は小声で問うた。
「何事か?」
グレアムは短い反応を返し、ルツィエはさらに言葉を継ぐ。
「貴方、このあいだ悪魔を使役する力をくれたわよね。代理の杖とかいうのを出してほしいの。それとその力はどの程度のマナを必要とするか教えてくれない?」
「フヒハハ!」
ルツィエの願望を聞き取ったグレアムは、普段より高らかに笑い立てる。ルツィエの発言から、彼女が何を望み、何をなす気でいるか、全て合点がいったのだろう。
「慎重な貴様らしく判断に時間はかかったが、やっと切り札を使う決心がついたか?」
そう、スターリンは生前、絶対に勝てる戦いしか政敵に挑まなかった。逆に言えば、一旦戦うと決めたらどんなことでもした。おべっかも使ったし、身の上相談をして一緒に泣いたことさえあった。
地位の低い王族に生まれついたせいで、媚を売る対象がもっぱら肉親や廷臣へと向かっていただけのこと。ルツィエはこの異世界で兄に可愛がられ、師匠を慕い、与えられた役割を裏切ることはなかった。しかしそれも今日までの話だ。
「代理の杖は願えば出てくる。必要なマナは貴様が気に入った最高度の〈爆縮〉と同等である」
グレアムは淡々と取り扱いについてのみ述べる。だがルツィエとしても、教えられた情報だけで十分だった。すでにマナの凝集を進めていたし、あとは魔法を放つタイミングの問題だった。
おのれの悪を貫き、必ずヒトラーをこの手で縊り殺す。彼女はそう転生の際に誓った。決して人後に落ちることなかれ、めざすのはこの世界の頂点。そうすればヒトラーがどんな身に転生していようとも、直接引導を渡せるはずだと。
そのためにはパベルの存在が邪魔だった。取り除くなら混沌に紛れ込ませられるいまが絶好の好機。迷いを捨てた彼女は、グレアムが与えた宝呪を凛々しい声で呼び出した。
「代理の杖を我が手に――」
祈りをともなう言葉は、目のまえの空間に亀裂を走らせ、一本の禍々しい杖を出現させる。幾重にも歪んだ胴体部分を掴み取り、ルツィエは小さく歓喜を洩らした。
「なかなか素敵な代物じゃない?」
その嬉しげな声を発した瞬間、彼女は背後を振り返る。喜びをかき消すように、べつの空域で動きがあったのだ。
視界に飛び込んできたのは北壁で暴れていたエディッサ。鉄兜団員が引きつけ、殲滅へ向かっていたようだが、耳をつんざく咆哮をあげ、猛烈な勢いで突進をはじめている。攻撃で傷ついた体をぐらつかせているが、その進路の先にあるのは行政府庁舎。人命のことを考えれば、きわめて危うい挙動だった。
ルツィエにとって街の住民がどうなろうと一切興味はなかったが、戦闘中の者たちが全て彼女と同じことを考えているわけではなかった。
なぜなら右手から、一機のチェイカが視界を横切っていったのだ。操縦席に覆い被さったのは銀髪の操縦士。戦線を離脱していた相手が急に動きを見せたのを見て、鋭敏なルツィエは、その動きに敵側の連携を感じとった。
むろん想像の域を出ないが、エディッサの動きは何らかの合図だったのではないか。事実、銀髪をはためかせた操縦士は、行政府庁舎へとまっしぐらに向かっている。
敵指揮官が取引の呼びかけを泰然と無視し続けたのも、ひょっとするとこの瞬間を待っていたのかもしれない。叛乱軍に水素伝達の使い手がいると仮定すれば、ありえなくもない動きだ。
ルツィエは呼吸を整えながら、状況の観察へと意識を注いだ。するとたった数瞬まえ、危険な挙動を見せていたエディッサが、ついにバランスを崩し、地面にゆっくり頽れ伏す姿が目に入った。
その動作はまるで図ったように、街の中心部付近に嵐のような風を巻き起こす。幸いルツィエは風圧を受ける位置にいなかったが、行政府庁舎脇に佇む翼竜は風の影響をもろに受け、敵指揮官の国民服が突風に煽られ激しくはためく。露出した彼の額はそれなりに広く、口許こそ防塵マスクで隠れていたが目許は不敵に笑っているように見えた。
とはいえルツィエは、もはやそれらを見てはいない。膨大な量のマナを体内に宿しながら、代理の杖なる宝呪を握り締め、瞼を閉じ意識を集中しはじめている。
魔法の発動へと移行しつつある証拠だったが、おかげで彼女は見逃してしまうのだった。庁舎に佇む翼竜が胸部を膨らませ、声高く鳴き叫ぶ姿も。負けじと大声を張り、勢いよく拳を振りあげた敵指揮官の姿も。
「我が名はアドルフ・ヒトラー、諸君らを救うために来た!」
混乱を顧みずその男は、なおも立ち上がろうとするエディッサの前に進み出て、悠然と右手を掲げた。
魔法を唱えるにしてはあまりに呆気ない動きと言える。しかしたったそれだけのアクションで、魔獣は弾かれたゴムのように後方へ一〇メーテル以上のけぞった。
このとき行政府庁舎の周りには数多くの民衆が集まっていたから、男の立ち振る舞いは彼らによって逐一目撃されている。けれど人々の大半は、前ぶれもなくはじまった騒乱がどんな意味をもち、だれが味方かもおぼろげな状態。エディッサが災いの根源だという思いがかろうじて共有されているくらいだ。
ゆえに魔獣を撃退した男の行動はビュクシの住民にとって味方のそれに映る。決して街を襲う叛乱軍のものであるとは認識されなかったようだ。
そうこうしているうちに、救援に現れた銀髪の魔導師が、翼竜から飛び降りた僧服の女と協力し、防御魔法を張りめぐらせはじめた。彼女たちが発現した魔法の盾は大きく、ほとんど一種の結界であり、行政府庁舎一帯を覆い尽くす。もちろんその光り輝くベールは行き場を失った民衆をもカバーしていた。
これらの動きが入念に練りあげられたものか、即興に近い代物だったかは判然としない。しかし大勢の民衆は、引き続きそれを味方による行動と認識した。国民服の男が命令したのだろうとさえ、考えたかもしれない。
一連の流れは皮肉にも、本来街を防衛すべき立場の者、つまり鉄兜団を率いるパベルを蚊帳の外に置く結果を生んだ。
彼にしてみれば、敵の行動は自作自演もいいところだ。しかし割り込んできた敵機を退けている間、事態が矢継ぎ早に動いてしまった。妨害を終えると忌々しい海軍帽は速やかに退却していき、先手を打たれたツケだけがどっと押し寄せてくる。
エディッサを制圧することを通じて、敵は民衆をたちまち味方につけてしまった。その証拠に庁舎の周囲に集まった民衆は、国民服を翻した若者を晴れ渡った顔でその目に焼きつけている、
本来ならパベルの軍こそが救世主と見なされるべきだったが、手勢の主力が鉄兜団だったことがマイナスに作用したかもしれない。戦力としては申し分ないものの、特殊部隊の軍装は一般に馴染みが薄く、敵味方の識別を困難にさせた可能性は高い。
こうなると狙撃手を配備した逆転の一手は宙ぶらりんだ。敵指揮官を無防備な状態で討ち取り、彼を反乱者に仕立て上げるチャンスをすでに逸してしまったからである。
しかしよく考えると、それはパベルの自業自得だ。彼は住民保護を棚上げにしたが、民衆を盾にした敵指揮官の動きに足並みを揃えてしまった。この状況で狙撃兵に攻撃を命じれば、虐殺が起きることを本能的に恐れてしまったのだろう。
徹底的にやるべきときに中途半端な対処を選んでしまったわけだが、たいする敵指揮官の側は、民衆の保護を露骨に示してみせた。しかし生命財産を守ることに必死な者にとって、それこそが味方のなすべきことに他ならなかった。
いずれにせよ、思惑が外れたうえに民衆の支持まで失った。パベルは苦渋を浮かべ、親指を強く噛み締める。彼は判断ミスが招いた事態を乗り越えるべく、当初抱いた覚悟へと自分を引き戻していった。住民保護を二の次にすると決めた以上、民衆の目など気にせず敵指揮官の殲滅に全力を注ぐべきだと。
『戻ってこいルツィエ!』
パベルは水素伝達を用いて速やかに妹の名を呼んだ。
敵が防御魔法を張りめぐらし、〈凍結〉による騙し討ちが潰えた以上、街を順次破壊していく命令にもはや意味などない。味方の戦力を庁舎周辺に集中させ、力づくで敵指揮官を倒す。それ以外に勝利に到る道はないと考え、即断したわけである。
ところが彼の飛ばした水素伝達はなぜか返事をよこさない。通信上のエラーでも起きたのかと不安視させるほどの沈黙が何秒も続く。よもや妹の裏切りなど想像できるわけもないから、パベルは不可解な気持ちにとらわれ、命令を荒い声でくり返した(続く。
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⭐︎注意⭐︎
女性が多く出てくるため、ハーレム要素がほんの少しあります。特に苦手な方はご遠慮ください。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
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つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
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・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
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※画像はAI作成しました。
※現在毎日2話投稿。11時と19時にしております。
※2026年半ば過ぎ完結予定→七月に完結(決定)
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