氷剣の皇子は紫水晶と謳われる最強の精霊族を愛でる

梶原たかや

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1話◆白皙の紫水晶

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「……本当に、媚びることに躊躇いが無いなら、……自由が無いなんて言い方はしないだろう」
 常夜灯の仄かな明りが作る翳りが、歎きに歪んだカイの顔に陰を落とす。イルの身体から力が抜けたことで、ベッドへと肩を押し付けていた手を離し、カイは相手の頭の横へと両手をつく。
「体を差し出すことに抵抗が無ければ、囲われるのは寧ろ喜ばしいことの筈だ。糧の心配をしなくて済むんだから」
 だから、自虐的な言葉を吐けば吐くほど、彼が語る際に選ぶ言葉とは径庭が生じる。
「君はずっと、自分の……、精霊族の現状を憂えている。君の話し方を聞いていればそれくらい判る。その君が、自分を辱めるような言い方……、しないでくれ」
 深い矢車菊の双眸からは怒りは消え、いつしか組み伏せた相手を案じる色を見せる。真摯な眼差しを向けるカイは、見つめ合う異種の青年に、そっと問い掛けた。
「……この家は、嫌いか」
 不意に振ってきた問いに怪訝に眉を寄せるものの、イルは暫時考えてからそっと答える。
「別に……、嫌いではない」
 寧ろその逆である。歩いた範囲しか知らないとはいえ、建物は隅々まで手入れや掃除が行き届いており、住環境としては快適で拒む理由は何も無い。カイに付き従うマルクも、自分を湯殿へと案内したメイドも、精霊族であるイルに対して差別的な態度を取ることは一度も無かった。例え隠そうとしても潜在的な嫌悪が有れば態度に滲むものだが、それすらも無い。鑑みるほどに、イルはくしゃりと顔を歪めて相手から眼を逸らす。
「だからこそ、……俺はここには居られない」
 性奴としての精霊族の噂くらいは耳にしたことが有るだろうが、恐らくこの家は昔から精霊族という存在と無縁なのだ。それは従者として古参であるだろうマルクの態度を見れば良く分かる。その一方で、イルの性格や素行がどうあれ、家に性奴を迎えたという事実は世間一般的に心象の良いものではない。主であるカイは勿論のこと、今までに精霊族を使役した者の居ない家であれば、猶更勘繰られるだろう。だが、カイにとってそれは瑣末なことだった。
「……この家を……、俺を案じてくれるんだな。だけど俺達は大丈夫だ。……だから、ここに居て欲しい」
 体重を掛けて乗り上げていた腹から腰を浮かせれば、もう組み敷いていた彼を戒めるものは何も無くなる。今なら逃げるのも容易だが、イルはそのまま動かなかった。
「何が大丈夫だというんだ。……それこそお前が自分の代で辱めていい家じゃないだろう」
 ここがどれほどの階級の家なのか、詳細を聞いてもいなければ紋を目にしたわけでもないが、それでも経験上かなりの上級貴族であることは察していた。何よりも、これだけ真っ直ぐで色事に縁の無さそうな目の前の青年に、爛れた経歴しか無い自分と関係を持たせることが憚られた。そんなイルをよそに、カイは相手の肩の上で手をついたまま、そっと告げる。
「大丈夫なんだ。……オークションは中断されたけれど、元々俺は財産を全て注ぎ込んで君を競り落とすつもりだったし、家の皆もその覚悟だった。……君を迎えることくらい、どうということはない」
「…………」
 今度はイルが絶句する番だった。背けていた視線を相手へと戻せば、そこには真剣な眼差しが変わらずに在って、冗句や比喩で述べているわけではないと判る。言葉通り彼にはイルの為に全財産を掛ける覚悟が有ったのだ。
「どうしてそんなに……」
 自分に肩入れするのかとイルは眉を寄せる。彼が自分を特別視して身柄を確保しようとしているのは古城の地下牢で出会った当初から察していたが、何かの折に偶然見掛けたか何かで気に掛けていたのだろうくらいにしか思っていなかった。それが使用人の雇用はおろか、家の維持すら天秤に掛ける覚悟が有ったことには只々疑問と喫驚しかない。
「……君が居なければ、この家は無かったからだ」
「…………は……」
 いよいよ意味が分からず、イルは困惑する。黙りこくったままの相手に、カイは僅かに眉尻を下げて小さく笑む。
「……覚えていないか」
 カイの言い方では、自分がこの家に何か貢献したように聞こえるが、どれだけ記憶を探ってみてもこれだけ立派な家に関わった覚えは無いし、何よりも目の前の青年のような精霊族に縁の無い清廉な美丈夫に出会った覚えも無い。誰かと勘違いしているのではないかとすら思うが、勘違い如きでリスクを冒して地下牢から性奴を連れ出したり全財産を投げ打とうとしたりするものだろうか。記憶を総動員して心当たりを探るも、全くそれらしき欠片を見付けきれないイルの渋面を見つめていたカイだったが、体を起こすと相手の足と足の間に腰を下ろす。次いでイルも片腕をつく形で軽く上体を起こし、目前に座るカイを見遣った。
「結局よく分からないままだが。……俺には心当たりは無いが、お前はそれでも良いのか」
「……君が覚えていなくても、俺が覚えてる」
「…………」
 眉根を寄せるイルに対して、カイは片手を延べて相手の手を引いた。引っ張られるがままに腰から上を起こしたイルは、先ほどとは違う立場で近距離からカイと相対する形になる。
「ここに居てくれないか、イル。……君が気に病むようなことは何も無い」
 引いた手を離さずに握り込んだまま、カイは透き通るような薄紫の双眸を見つめて希う。先ほどから何度も同じ言葉で願われて、未だ迷いが無いわけではなかったが、真正面から向けられるひたむきな思いをイルはこれ以上拒絶出来なかった。常夜灯の柔い暖色が溶け合い、目の前の矢車菊の色は自分に似た紫紺を宿す。己と異なり迷いの無い視線に、思わずイルはそっと視線を落とす形で逸らしてしまう。
「……本当に、俺がここに居ても重荷にはならないんだな?」
「ああ、大丈夫だ」
「…………なら、分かった」
 息を飲む微かな音にイルは顔を上げる。それと同時に正面から前のめりに抱き締められて面食らってしまう。
「……良かった」
 ほっとした声音でカイは呟くと、イルの肩口に顔を埋めて尚も強く抱き締める。そんなに喜ぶようなことだろうかと戸惑うイルだが、相手にとって自分はどうも恩人のようなので、こういう反応にもなるか、と自覚が無いながらも納得する。暫しそうして抗わない相手を抱き締めていたカイは、ふと神妙な面持ちでそっとイルの身体を解放してやる。
「……さっきからずっと思っていたんだが」
 両手を延べ、柔らかな黒い毛織を羽織ったイルの腕に触れて、カイは心配そうに相手を見つめた。
「湯を浴びたわりには体がずっと冷たいように思うんだ。……もしかしてこの部屋は寒いか」
 相手の手が肩に置かれていたときも、その体を抱き締めたときも、衣服を通しても尚ひんやりとした感触が有った。死人のように冷たいとまでは流石にいかないものの、芯から冷え切っている感が有った。何なら彼の手を引いて追手から逃げているときから変わりが無かった。
「……それはそうかもな。部屋の温度は関係ない。言っただろう、枯渇が進んでいると。……生命維持で精一杯なんだ」
 にべもなく告げられ、カイは思い出す。先ほども限界だという言葉を聞いたが、体温が保たれないほどとなると事態は思った以上に深刻なのだろう。
「でも、くれるんだろう、……お前が」
 見つめたままの相手が確認のように問う。そのつもりだとカイは肯いた。彼の持ち主になるということは、彼に糧を提供するということ。それは理解している。
「……だけど、どうしてあげるのが一番良いのか……。とりあえず、乱暴なことはしたくない。君も暴力的ではない相手の方が良いと言ってたな」
 僅かな唾液でも怪我を治せるだけの効力が有るのは把握したが、人間の体液の中でも摂取効率が良いのは精液だと言っていたのを覚えている。それはつまりそういうことをするのだろうという想像は漠然と出来たが、想像は出来ても実際にするとなるとどうしても躊躇いは有る。また、認識が相手と異なっているのではないかという懸念も有った。何しろ自分には、とにかく知識が足りない。精霊族に関しても、色事に関しても。対するイルは、思案するように緩く首を傾ぐ。
「慣れていないのは分かったが、……そもそもお前、男を抱いたことは有るのか」
「……いや……、」
 確認のためだというのは分かっているのだが、何とも私的に踏み込んだ問いに相手の目を見られなくなる。
「無いんだ。……だから分からないことも多くて面倒を掛けると思う」
 ばつが悪そうに視線を落とすカイに、イルは無言のままなるほどと理解した。口付け程度しか相手の反応を目にしていない今の時点では、彼の嗜好が男女どちらに対してなのかは判然としない。自分との性的接触では動揺が見られたが、唐突な口付けばかりだったのもあって、単に驚いただけの反応だったのかもしれない。それでも、交わるとまではいかずとも相手が達するまでの手助けくらいは出来るか、と思ったその時、不意に片方の耳元に唇が寄せられる。
「…………っ、」
 柔い感触が耳に触れては離れ、次の瞬間両肩を掴まれる形でイルは再びベッドに横倒しにされる。無理に押し倒されたわけではないので背に衝撃は無いが、相手の思わぬ行動に純粋に少し驚いた。視界には再度の天蓋とカイの貌。常夜灯の灯りに陰る肌は、僅かながら上気して見えた。片手で頬に触れてくる指が緊張しているのを感じる。
「女性とは経験が有るけど、やはり勝手が違う……、よな」
「……どこまでするかにもよる」
 頬に添えられたカイの手を取って、イルは手慰みのように対する方の手指を絡めては握り込んだり開いたりする。
(……冷たい)
 ひんやりとしたイルの手を好きにさせつつ、握る手を見つめるイルを見下ろしてカイは相手の言葉を待つ。
「最後までしたいのか……、射精まででいいのか」
「……君に負担が少ない方が良い」
「あまり身体を使わないという意味なら、お前に達してもらって経口摂取する方が負担は少ないが。……内臓に直接流し込む方が摂取の効率は良いな」
「直接……」
 事も無げに言うが、つまり今の文脈だと体を繋げて腹の中に出す方が摂取するには一番効率的なのだと理解して、カイは悩ましく黙り込んでしまう。そんな相手を予測出来た筈だが、イルは他人事のようにカイの手を弄びつつ視線を上げる。
「一つ聞きたい。……お前、俺に触れたいのか。それとも義務感で糧を与えようとしているだけか」
 問い掛けにカイは軽く目を瞠った。暫し目が泳ぐが、自分の想いを確かめるように小さく頷く。
「……そう、だな、……うん……。……君に触れたい」
 じっと見上げてくるイルと視線を合わせたカイは、耳先を朱に染めつつ手遊びされていた片手を握り込む。
「…………」
 イルはカイの表情を黙して見つめていたが、視線を定めたまま握り込まれた手ごと引き寄せて、相手の手の甲に唇で触れる。
「……なら、最後までする方向でやってみるか」
 訊ねれば緊張した面持ちで肯くカイを見つめ、イルはこの先を考える。女性との経験は有るとのことだが、基本的に婚前の性交渉が重罪となる身分なので、恐らく精通を貴族階級の未亡人辺りと経験した、所謂通過儀礼の筆下ろし程度のものだろう。先ほど耳に口付けて来たことからもこちらに対するある程度の好意は窺えるが、性嗜好がまだ分からないのもあって、最後まで出来るかどうかは正直可能性としては高くない気がしていた。性的嗜好が同性だとしても、相手に対する好意だけで必ず勃つわけでもない。
(……それならそれで、手か口に切り替えれば)
 閨事に慣れていて同性との行為に抵抗が無いなら話は早いが相手はそうではない。上手く出来れば運が良いし、出来なくても慣れていないからと言い訳が立つ。何よりも義務ではなく触れたいと言った相手の気持ちを立てたいと思ったし、正直なところ、完全な欲望しか向けてこない輩とは違う彼の触れ方に少し興味が有った。
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