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1話◆白皙の紫水晶

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 朝食を済ませてから、カイの職場である騎士団屯所へと赴くために二人は各々準備を進めた。然程体格に違いの無いイルの着替えは、部屋着や普段着などはカイのために用意された新品のストックをそのままイルに流しているだけだが、上着となると流石にまだ袖を通していない新品の用意もなく、カイのものを借りる形となった。ワードローブを見せて選ばせると、イルは一番刺繍や地模様の少ないシンプルな黒いコートを選んだ。比較的地味なシルエットのものを纏っている筈なのに、コート自体の仕立てが上等であること、何よりも纏う本人が人に非ざる美貌を持つため、白に近い薄紫のアスコットタイと銀細工のラペルピンやカフリンクスを合わせれば、下手な貴族よりも余程気品が有る。
「……似合うな」
 袖丈の具合を確かめているイルを眺めてはしみじみとカイが呟く。糧が糧であるだけに淫魔の印象を強く持たれている精霊族だが、その造形は妖艶というよりは上品な美しさで、こうして糧が絡まない佇まいには清楚な印象すら抱かせる。
「お前の趣味がまともで良かった」
 タイと同色の細いベルベットのリボンで艶やかな黒髪を項で結わえたイルは、カイの先導で衣裳部屋を出て館の玄関ホールへと向かう。
「まとも、って……イルなら何を着ても似合いそうな気がするけれど。今まではどんな服を着ていたんだ?」
「…………訊くのか、それ」
 死んだ魚のような虚無の眼をして、半ばドスの効いた低音で不穏に吐かれ、これは訊かない方が良いな、とカイは無言のまま賢明な判断をする。
「……まぁ、まともな服を着せてくれる奴も居たよ」
「…………」
 このままでは不本意な着せ替えばかりさせられていたことになるかと、フォローのつもりで付け加えた言葉だったのかもしれないが、それはそれで逆にまともではない服とは、と無駄に気になってしまう。訊かない方が良いだろうけれど、とカイが悶々としているうちに二人は玄関ホールへと辿り着いた。
「馬車で行くのか」
「そのつもりだよ」
 フットマンが玄関の扉を開けた向こうには、既に二頭引きの馬車が用意されている。昨夜古城から二人を乗せて駆けた馬車も、小振りながら決して粗末なものではなかったが、車体に家紋を掲げ、貴族としての立場のカイが使用する馬車ともなれば、格式の高さが段違いであった。今のイルの訊き方だと、他の移動手段を想定しているような口ぶりだなとカイが何となく思ったところで、イルは黒塗りの立派な馬車を眺めつつ口にする。
「直接馬を駆った方が馬車よりも早いだろう」
「……それはそうだろうけど……イル、君馬に乗れるのか」
「…………乗れないと思って馬車を?」
 明らかに不機嫌な声が相手の喉から漏れたのに気付き、カイは慌てて釈明する。
「その、馬鹿にしているとかではなくて……、閉じ込められていたことが多いのなら、馬に乗る機会も無かったのではないかと思って」
「……成程」
 そういう認識か、と納得したようでイルの不興が収まったことにカイはほっとする。
「馬術は、昔酔狂な貴族に飼われていたときにそれなりに仕込まれた。……テーブルマナーや人間の文字なんかもな」
「そうなのか」
 それで、人間の食べ物は要らないと避けていたにも関わらず、あんなに食べる所作が綺麗だったのかと、今度はこちらが納得する。それと同時に、彼が自分のことを話してくれるのが、どんな些細な事柄でも嬉しく思う自分に気付く。
(……もっと知りたい)
 彼を手に入れた経緯が経緯だけに、どれだけ踏み込んでいいものか迷っているところがある。住んでいた世界が違い過ぎて、何を訊いても失礼になりそうで、何かの折に触れてこうして断片的に零してもらうくらいしか今は歩み寄れないのがもどかしい。もっと精霊族の生態を、境遇を、現状を知ることが出来たなら、少しは彼を慮った問い掛けをすることが出来るだろうか。
「それじゃ、行ってくるよ」
 改めて用意された二頭の馬にカイとイルはそれぞれ跨り、マルクを始めとした館の者達に見送られて馬を走らせ始める。カイは敷地の外まで続く煉瓦造りの道を、馬車よりも若干早いくらいの速度で馬を進めようとしたが、イルはそんなカイの思惑など歯牙にもかけず、馬上で前傾気味の姿勢を取りどんどん先へと進んでしまう。それも闇雲に馬に全速力を出させているのではなく、屯所に到着するまで馬を潰さないギリギリを保っている。馬術の基礎は勿論、目的地までの距離感と馬の状態、速度やスタミナといった個体の特徴を正確に把握していないと不可能なことで、それはとても貴族が暇に飽かせて手慰みに教えたなどというレベルではない。カイは相手を気遣ってエスコートするどころか、自分の馬をバテさせないように配慮しながらも必死に彼を追い掛ける羽目になった。
(――――結構根に持つし意外と負けず嫌いだな!?)



 王家直属の近衛隊の本部も兼ねることから、騎士団屯所は王城の目と鼻の先に在る。仕事柄武芸に自信の有る者が多いが、細分化され多岐に渡る部署や部隊が存在し、職員には非戦闘員も多い。要職に就く貴族も多いが、全く武具を扱えないのに地位だけは高い、という者は先代の王の頃から少なくなってきている。そのため、要職に就く貴族は自己研鑽を欠かさないし、子もまた鍛えるべく努める。爵位とは異なり世襲制ではないので、逆に地位を持たぬ者でもいくらでも要職を目指せるということでもあり、花形と謳われる近衛隊の幹部クラスともなると、平民も貴族も入り乱れての熾烈な役職争いが常に繰り広げられている。本部の建物の外観はそれなりに壮麗だが、内装は極めて重厚且つ保守的であり、安定感は有るが面白味は無い。華やかさを求めるような仕事ではないことと、騎士団の幹部クラスにこの古い雰囲気が良いという変わり者や、そもそも職場の建物などにあまり興味が無い者の方が多いことで、今のところ建て替えや引っ越しなどの話も無い。
 ちょっとした町ほどの規模を持つ屯所の敷地内に入る頃には、馬の限界を見極めての疾走を強いられていたカイは疲労していたが、敷地に足を踏み入れるとやはり気が引き締まるのか、すぐに息を整えて所定の場所に二頭の馬を預ける手続きを済ませた。
「もう少し引き離せると思ったが、ちゃんと追い付いてきたな」
「侮るようなことを言ってしまったのは悪かったから、もう許してくれないか……」
 慣れた様子でイルを誘導しつつも、彼のあまりの言い様にカイは眉尻を下げて苦笑する。二人は基本的にカイの顔パスで屯所内を闊歩しているが、それも扉を重ねる毎に警備が厳重になってくる。廊下を進み、その奥に立つ何人目かの守衛との対峙に、カイは今までと同じようにイルの一歩前に立った。
「第一師団所属、カイ・ディーテ・アシュフォード。エディアルド様にお目通り願いたい」
「少々お待ちください」
 守衛が手元の滑らかな黒い石板に指でカイの名を書くと、石板は一瞬だけ僅かにふわりと光る。
「お伺いしております。アシュフォード侯と、お連れの精霊族が一人」
 守衛の確認にカイは肯く。守衛に示されて扉にカイが片手を翳すと、手の形の範囲の繊細な文様が一筆書きのように素早く扉に描かれては消え、施錠が小さな音を立てて解除される。カイはそのまま扉を押し開けてイルを促した。
「行こうか」
 守衛の会釈に見送られ、連れ立って扉の奥の廊下へと進む。扉が閉まり、自動的に施錠される音を背中で聞きながら、窓の無い薄暗い廊下を二人は更に奥へと進んでいく。
「……護りが手厚い」
「今からお会いする方の御身分もあるからね」
「そんなに偉い上司なのか」
「うん」
 そうこうしている間に廊下の突き当りに観音開きの扉が見えてくる。守衛らしい守衛は居ないが、代わりに一人の青年が扉の手前に佇んでいる。
「シェド、お疲れ様」
 気兼ねない声音で、カイは青年に声を掛ける。その様子だとかなり見知った相手なのだろう。二十歳前後の精悍な外見をした、しなやかな体つきのシェドと呼ばれた青年は、褐色の肌に純白の短い髪、髪と同色の立ち耳と尾の生えた、獣の特徴を持つ精霊族のようだった。シェドは表情を変えないまま言葉少なにカイに向かって小さく頷くと、観音開きの扉の片側を少し開けて二人を促す。薄暗い廊下に、開けられた隙間から光が漏れてくる。向こう側は室内になっていてそれなりに明るいようだ。
「失礼します」
 開けてもらっている扉を軽くノックして音を立て、カイは開いている隙間から部屋の中へと入る。続いてイルもするりと室内に足を踏み入れた。部屋の中は十人前後がゆったりと過ごせる広さで、窓も照明も快適な明るさに整えられており、調度品や内装も豪奢とまではいかずとも上品で清潔感が有る。その執務室然とした部屋の奥には広い窓を背にした書斎机が設けられていて、そこには一人の人物が席に着いてこちらを眺めていた。
「アシュフォード、参上致しました」
 部屋の中ほどまで進んだカイは、その人物に向かって深く一礼する。見遣るイルの視界には、歳の頃二十代半ばほどの人間の男。緩く波打つ肩に掛からない程度の焦げ茶の髪にオリーブ色の切れ長の瞳。こちらを観察するかのような、心の内の読めない淡い笑みを浮かべている。整った顔立ちに誤魔化されそうだが、人好きのするというよりは何を考えているか分からないところのある顔付きをしている男であった。そしてもう一人、椅子に掛ける男に付き従うように、斜め後ろに控えている人物は、一目で精霊族と分かる。鰭のような耳に、要所に煌めく小さな鱗。魚を彷彿とさせる特徴の有るその精霊族は、男女どちらにも見える中性的な線の細い美貌を持つ。中性的というならイルもそうだが、彼よりも余程女性的な顔立ちで華奢な体躯をしているのが服越しにも判る。この精霊族も、部屋の前に居たシェドという精霊族も、部屋を警護し本人に付き従っているところを見るに、恐らく焦げ茶の髪の人間の所有物なのだろう。イルは部屋で一人座する相手を見つめて緩と紫水晶の双眸を細めた。
「首尾は上々のようで何よりだ、カイ」
「恐れ入ります」
 焦げ茶の髪の男が声を掛け、カイが丁寧に一礼する。姿勢を正してからカイは男にイルを示した。
「この度、非合法の糶売より保護致しました精霊族、リカリアの一族のイルです」
 そうしてイルにも書斎机に着く男を紹介する。
「イル、こちらはエディアルド・ヴァイアシュトラス・ロディル・グランベルク王太子殿下。騎士団の統括責任者で、昨日話した、俺に精霊族のことを教えて下さった方だよ」
「…………」
 紹介された王太子をじっと見つめるイルに、エディアルドはにこりと笑んでみせる。挨拶どころか碌な反応も示さないイルだが、当の王太子は特に何とも思っていないようで、基本的にイルの好きにさせたいカイも少々ひやひやしながらも内心ほっとした。
「殿下、改めて御礼申し上げます。ご助力いただけたおかげで、ずっと探していた彼に会うことが出来ました」
「会いたい精霊族がいる、なんてお前の口から聞いた時には耳を疑ったが。無事に会えたようで良かったよ」
「有難うございます」
 耳を疑う、との言葉には、イルは内心で同意を示す。カイは精霊族などという貴族の爛れた性の玩具に僅かも関係が無さそうな人柄で、実際に彼の家は今まで精霊族と縁が無かった。そんな彼の口からまさか精霊族の単語が出るとは予想もつかないだろう。当のイルでさえ、恩人だと言われて一応納得はしたが、未だに心当たりが無く、実感が沸かないのだ。そもそも籠の鳥の精霊族に、貴族の子息に恩を売る機会など有るだろうか。
(心当たりが有るとすれば……)
 惟るイルをよそに、エディアルドと幾つか仕事上の話を終えたカイは、さて、とイルを見遣る。
「そろそろお暇しようか、イル。……殿下、差し支えなければ今後もぜひ精霊族のことをご教示願えますか。何分、これまで精霊族と接したことが無いものですから、イルに対しておかしな言動をとりかねなくて……」
「それは別に構わない。私としても精霊族に妙な偏見を持たずに付き合える者が増えるのは喜ばしいことだからな。……それはそれとして、お前に頼みが有るのだ」
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