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3話◆アスモダイの尖鋭
20
「トゥーラ、知っていたら教えて欲しいんだけど、イルがこの騎士団で過ごしていたときの事を知りたくて……」
「……イルが騎士団で過ごしていたとき、ですか」
「うん。俺と組む前にここに所属していた頃のイルが知りたい。……あ、イルのことは分かるかな。同じリカリアの一族なんだけれど……」
精霊族の中でも同じ一族の者たちは、全員が集落中心に息衝く女王蜂と呼ばれる一本の大樹から生まれた家族だという。二人が同じ一族なら、生まれた時期が違ったとしても集落の中で面識は有るだろうと思ったが、そもそもイルを知っている事前提で話を切り出してしまった、とカイは思い至って付け加える。
「ええ、分かりますよ。……あの子も今こちらに来ていますね」
期待した通りの返答にカイはぱっと顔を輝かせる。しかしふと引っ掛かる言葉に気付いて訝しく首を傾げた。
「……あの子?」
ふふ、とトゥーラは口元に指を寄せて小さく笑う。
「イルは私よりもかなり年下なのです。人間で言うところの弟……いえ、甥のような感覚でしょうか」
「甥……?」
思い掛けない言葉にカイは呆気に取られる。外見から精霊族の実年齢を推し量るのは難しいことだし、もしかしたらイルよりも彼女の方が年上の可能性も有るとは思っていた。しかし、まさかと思ったことが現実になると、予想したこととはいえ理解がすぐには追い付いてこない。自分より五つほども若く見えるこの女性が、時折老成した何かすら感じさせるイルよりも年上であるという事実に呆気に取られる。
「……ですが、申し訳ございません。私は王太子殿下の元に保護されてから日の浅い身。ここでは貴方と主従関係にあるあの子しか知らないのです」
「……そうか……」
流石に期待通りの答えばかりとはいかず、カイは少し気落ちするものの、それならそれでと再び訊ねる。
「じゃあ、君が知ってるイルのことを教えて欲しいな。……あ、あと凄く気になっているんだけど、リカリアには名乗り口上ってものが本当に無いのか……?」
「名乗り……?」
「なんとかの隣人、どこそこの森の……みたいな」
「トーシュの隣人、北黒の森のマトリアの子、といったようなものでしょうか」
「それ!……リカリアには無いと聞いたんだ。イルを疑う気は無いんだけど、可愛いからどうしても諦められなくて……」
イルには半目で溜息を吐かれそうな内容だが、それを耳にしても呆れるような様子も無く、トゥーラは暫く思案した後に口を開く。
「確かに、リカリアの一族には名乗りの言葉は有りません。名乗りの言葉は元々、複数の一族が人間に数で対抗するために結んだ、縁を確認するためのもの。私たち古の世代の一族は、戦力だけ見れば他の一族と組む必要性が有りませんでしたから」
トゥーラの言葉にカイは肩を落とす。彼女の説明は以前イルに聞いた内容そのものだった。自身で口にした通りイルを疑う気は無いのだが、本当に無いのだと面と向かって言い切られるととても残念な気持ちになる。だがトゥーラは更に続けた。
「……ただ、人間の貴族の中には、古の一族に名乗りの言葉が無いことを知っている者も居ます。古の一族は基本的に人間の脅威。そうと知られれば拘束は厳重になり逃走は困難を極めます。貴族を欺き、新世代の精霊族だと油断させるために、自前の名乗りの言葉を創作し、持っておくのが通例です」
まさかのトゥーラの補足にカイは目を輝かせる。
「……ということは、イルも独自の名乗り口上を持っているかもしれない……?」
「そうですね。古の一族と知られれば、最初は体力を削ぐ拷問から始まります。新世代の一族だと思われれば、そこまで手荒なことはされません。逃げる逃げないはさておいても、暴力を免れる意味合いでも最古の世代の者は出自を隠すのです」
「…………」
イルの名乗り口上を聞けるチャンスかもしれない、と輝いたカイの顔が、続くトゥーラの言葉にじわじわと萎れる。可愛い自己紹介を聞いてみたいと思っただけだったのが、口上一つとっても精霊族が人間に虐げられる事実が有った。古の一族であることが判れば、その稀少性からどこまでも追い詰められて狩られ、時には命を落とす。身の安全を重視すれば自らのルーツを封印し、ひた隠して生きていくことになる。そこに個人や血族の尊厳など何も無い。カイは強い罪悪感を抱いた。面白がってイルに名乗りを強請ったことに羞恥すら覚えた。
「ちなみに私の名乗りの言葉は、先程例として挙げたものです。アシュフォード侯は精霊族の文化にご興味が……アシュフォード侯?」
顔を曇らせるカイに、トゥーラは首を傾げる。顔を上げてカイはやんわりと苦笑した。
「……以前、セレナと話したときに初めて精霊族の名乗り口上を聞いて惹かれたんだ。とても可愛くて素敵な自己紹介だと思って……。イルにも聞きたいと言ってしまって。でもそれは、リカリアとしてのイルを否定してしまうことなんだな」
有ったとしても言わない、と彼は言った。その時は、仮にリカリアに名乗り口上が有っても恥ずかしがって言いたくないだけなのかと思った。けれども、今の話を聞くと事情は違ってくる。彼は新世代の精霊族に成りすます為の名乗りのことを言ったのではないか。身を守るために偽りの言葉を持ってはいるけれど、必要性を感じない場面で敢えて口にすることは意に反すると。
「……イルに自分を偽ってほしいと思っているわけじゃないんだ。……悪いことをしたな……」
「大丈夫です、アシュフォード侯」
眉尻を下げてしょげるカイの片手を取って両手にそっと挟み込むと、トゥーラは穏やかに目を細める。
「貴方がイルを辱める心算で言ったのではないことくらい、あの子はきっと分かっていますよ」
「……そうだと良いんだけど」
カイの片手を包み込んでくるトゥーラの白く細い手は、ほんの少しひんやりとしている。精霊族は寒暖に体調を左右されない。心当たりが有り過ぎるほどに有る膚の冷たさに、カイは堪らない気持ちになる。彼女もまた、あの日のイルと同様に、渡せるぎりぎりの生気をセレナに分け与えたのだろう。
「イルも大概、言葉の足りない子ですから。……これだけ精霊族の文化に興味を持って心を砕いて下さる方はそうそう居ません。これからも、どうかあの子をよろしくお願いいたします」
「……こちらこそ」
トゥーラはカイの片手を離すと丁寧に一礼する。カイも彼女に対して会釈した。他にもイルに関して教えて欲しいことは山ほど有ったが、やめておくことにした。訊きたいことが膨大過ぎてきりがないというのも有る。時間的にそろそろイルと合流しなければいけないだろうというのも有る。それよりも、何よりも。
(……やっぱり、本人と話して聞いてみたいな)
他者からイルの人となりを聞くことは出来ても、彼本人の思いが絡む事柄を知るのは難しい。彼が抱える事情のように、たとえ教えてくれなかったとしても、その意志も含めて彼のことは彼から聞きたいと思った。
「じゃあ、俺はこれで。……会えて良かったよ、トゥーラ」
「はい。またお会いしましょう」
騎士団所属の身と王太子従僕の身。そしてこの場所を知る者。イルの同郷と現在のイルの主人。接点は多い。顔を合わせる機会はこれから必ず有ることだろう。カイは踵を返すと広間の出入り口へと歩き出す。片隅に座り込んで何かを口ずさんでいるセレナを見遣ると、彼女の視線は未だに一点に向けられている。邪魔をしては悪いかと、その場から彼女に軽く手を振るだけしてカイは建物を後にした。
(……トゥーラ。リカリアの女性。……イル以外の古の一族に初めて会ったな)
彼女の佇まいを思い出す。これまでに目にした精霊族とは明らかに纏う空気が違って感じられる人物だった。格が違う、とでも言うのだろうか。生き物であることは間違いないのに、一線を越えてはいけない何かが有った。だからこそ余計に、彼女が人間に食い物にされた被害者であるという事実が只々申し訳なく感じられた。物憂い気持ちで小道を進み、最初に入ってきた門の所まで辿り着くと。
「……あれ」
門を出てすぐの木に、腕を組んで寄りかかっている馴染み深い姿が有った。カイが門を閉じて留め金を掛けているのを、イルは横目で見遣る。
「第一師団の執務室には居なさそうだったから、こっちかと思って来た」
「ごめん、探させたか。ちょっと長居し過ぎたな」
門を閉じるとカイはイルの傍に歩み寄る。ついさっきまで彼と同族の女性を目にしていたということもあり、その体躯の細さと比べると、決して筋骨隆々ではないイルが何だか逞しく見えたりする。しげしげと自分を見つめるカイに、イルは訝った。
「……何だ」
「ああ、うん、その……今日はトゥーラが居たんだ。やっぱり君と似てるなと思って」
「トゥーラ」
鸚鵡返しに呟く素っ気ない反応に、カイは少し不安になる。向こうはイルのことを分かっていたが、まさかイルが彼女を分からなかったりするのだろうか。
「リカリアの女性だよ。王太子殿下の精霊族で、イルと同郷の筈。……もしかして覚えてないのか」
「覚えている」
端的な一言だけを寄越して、行くぞ、とイルは歩き出す。カイは慌ててその隣に並んだ。
「折角ここまで来たんだし、会ってきたら良いのに。……もしかして仲が悪い?」
「そんなことは無い。トゥーラがエディアルドの従僕として迎え入れられていることは知っているし、所属が違っても俺と似たような仕事をしているならこの先いくらでも会う機会は有る。……個別に会ったところで話すことが無いだけだ」
(話すことが無いってことは無いと思うけどもな……)
お互いどれくらいの期間離れていたのかは分からないが、積もる話とやらも有るのではないか。そう思うカイだが、二人とも自分の意志で集落を離れたわけではなく、理不尽に人間に飼われる人生を歩んできた。イルが口にした通り彼の人生の殆どが閨事だというなら、恐らくトゥーラもまた然り。話すことが無いというよりも、話したくないことが多過ぎるというのが正確なところか。そこまで考えが至り、カイは彼にそれ以上言及するのをやめる。話題を変えるべきかという思いが過ったが、ふと思い出したことを口にした。
「そういえば、トゥーラとイルの話を少ししたよ。……イルのことをあの子って言ってたのは少し驚いた」
それを聞いた途端、イルがぴたりと足を止める。突然隣を歩いていたシルエットが消えたことで、カイもつられて彼の数歩前で止まる。振り返るとイルが代わり映えの無い表情で歩みを再開するところだった。追い付いてくる彼に合わせて再びカイも歩き始める。
「ちょっと気になったか?」
「……別に」
「おばさんと甥みたいな関係だそうだな」
「……まぁ、人間で言うならそんなところか」
「イルのこと、言葉の足りない子って言ってた」
「…………あいつ……」
止まりはしないものの、イルは片手で顔を覆って溜息をつく。身内の話で気まずい思いをしている彼が何だか思春期の男子のように感じられて微笑ましく、思わずカイは小さく肩を震わせた。少し拗ねた様子も窺えたイルだったが、カイの呼吸が落ち着いた頃にぽつりと切り出す。
「今あそこには何人居るんだ」
「保護されてる子?」
「ああ」
カイもそれほど多くあの施設を訪れているわけではないし、保護されている精霊族全員がいつもあの広間に居るということも無い。人数の変動もそこそこの頻度で有るから、もしかしたら正確な数ではないかもしれないが、自分がここ暫く見聞きして把握している人数を告げる。
「六人じゃないかな。……今日全員と会えたわけじゃないから、俺が知る限り、ではあるけど」
「……そうか」
セレナと、先程トゥーラに取り次いでくれた少女に加え、自分の持つ情報が今も正しければ後四人居る筈である。正確には、最初にセレナを含めて八人居て『二人減った』という情報からの引き算なのだが。施設から二人が居なくなった理由は、カイが訊いてもやんわりとはぐらかされた。何となく深く知ることは憚られてそのままでいる。憶測でしかないが、訊いて教えてもらうという立場でいる限り、きっと真相は明らかにならないのだろうと感じた。
「セレナは、元気にしていたよ」
「……なら、良かった」
会いに行かないのか、とはトゥーラ以上に言えなかった。イルはセレナのことを気に病んで体調を崩すような人である。本当は、会えるものならカイよりも先に会いたがるだろう。それが難しいなら、今は急かすような言葉を口にするべきではないと思った。だから、こう言うことにする。
「いつか、二人で会いに行こう」
「……そうだな」
それが明日になるか、数年後かは分からないけれども。彼にもセレナにも負担の無いようにしてやりたいと思う。生きることに懸命な彼らに、これ以上悲しい思いをして欲しくはないから。
「……イルが騎士団で過ごしていたとき、ですか」
「うん。俺と組む前にここに所属していた頃のイルが知りたい。……あ、イルのことは分かるかな。同じリカリアの一族なんだけれど……」
精霊族の中でも同じ一族の者たちは、全員が集落中心に息衝く女王蜂と呼ばれる一本の大樹から生まれた家族だという。二人が同じ一族なら、生まれた時期が違ったとしても集落の中で面識は有るだろうと思ったが、そもそもイルを知っている事前提で話を切り出してしまった、とカイは思い至って付け加える。
「ええ、分かりますよ。……あの子も今こちらに来ていますね」
期待した通りの返答にカイはぱっと顔を輝かせる。しかしふと引っ掛かる言葉に気付いて訝しく首を傾げた。
「……あの子?」
ふふ、とトゥーラは口元に指を寄せて小さく笑う。
「イルは私よりもかなり年下なのです。人間で言うところの弟……いえ、甥のような感覚でしょうか」
「甥……?」
思い掛けない言葉にカイは呆気に取られる。外見から精霊族の実年齢を推し量るのは難しいことだし、もしかしたらイルよりも彼女の方が年上の可能性も有るとは思っていた。しかし、まさかと思ったことが現実になると、予想したこととはいえ理解がすぐには追い付いてこない。自分より五つほども若く見えるこの女性が、時折老成した何かすら感じさせるイルよりも年上であるという事実に呆気に取られる。
「……ですが、申し訳ございません。私は王太子殿下の元に保護されてから日の浅い身。ここでは貴方と主従関係にあるあの子しか知らないのです」
「……そうか……」
流石に期待通りの答えばかりとはいかず、カイは少し気落ちするものの、それならそれでと再び訊ねる。
「じゃあ、君が知ってるイルのことを教えて欲しいな。……あ、あと凄く気になっているんだけど、リカリアには名乗り口上ってものが本当に無いのか……?」
「名乗り……?」
「なんとかの隣人、どこそこの森の……みたいな」
「トーシュの隣人、北黒の森のマトリアの子、といったようなものでしょうか」
「それ!……リカリアには無いと聞いたんだ。イルを疑う気は無いんだけど、可愛いからどうしても諦められなくて……」
イルには半目で溜息を吐かれそうな内容だが、それを耳にしても呆れるような様子も無く、トゥーラは暫く思案した後に口を開く。
「確かに、リカリアの一族には名乗りの言葉は有りません。名乗りの言葉は元々、複数の一族が人間に数で対抗するために結んだ、縁を確認するためのもの。私たち古の世代の一族は、戦力だけ見れば他の一族と組む必要性が有りませんでしたから」
トゥーラの言葉にカイは肩を落とす。彼女の説明は以前イルに聞いた内容そのものだった。自身で口にした通りイルを疑う気は無いのだが、本当に無いのだと面と向かって言い切られるととても残念な気持ちになる。だがトゥーラは更に続けた。
「……ただ、人間の貴族の中には、古の一族に名乗りの言葉が無いことを知っている者も居ます。古の一族は基本的に人間の脅威。そうと知られれば拘束は厳重になり逃走は困難を極めます。貴族を欺き、新世代の精霊族だと油断させるために、自前の名乗りの言葉を創作し、持っておくのが通例です」
まさかのトゥーラの補足にカイは目を輝かせる。
「……ということは、イルも独自の名乗り口上を持っているかもしれない……?」
「そうですね。古の一族と知られれば、最初は体力を削ぐ拷問から始まります。新世代の一族だと思われれば、そこまで手荒なことはされません。逃げる逃げないはさておいても、暴力を免れる意味合いでも最古の世代の者は出自を隠すのです」
「…………」
イルの名乗り口上を聞けるチャンスかもしれない、と輝いたカイの顔が、続くトゥーラの言葉にじわじわと萎れる。可愛い自己紹介を聞いてみたいと思っただけだったのが、口上一つとっても精霊族が人間に虐げられる事実が有った。古の一族であることが判れば、その稀少性からどこまでも追い詰められて狩られ、時には命を落とす。身の安全を重視すれば自らのルーツを封印し、ひた隠して生きていくことになる。そこに個人や血族の尊厳など何も無い。カイは強い罪悪感を抱いた。面白がってイルに名乗りを強請ったことに羞恥すら覚えた。
「ちなみに私の名乗りの言葉は、先程例として挙げたものです。アシュフォード侯は精霊族の文化にご興味が……アシュフォード侯?」
顔を曇らせるカイに、トゥーラは首を傾げる。顔を上げてカイはやんわりと苦笑した。
「……以前、セレナと話したときに初めて精霊族の名乗り口上を聞いて惹かれたんだ。とても可愛くて素敵な自己紹介だと思って……。イルにも聞きたいと言ってしまって。でもそれは、リカリアとしてのイルを否定してしまうことなんだな」
有ったとしても言わない、と彼は言った。その時は、仮にリカリアに名乗り口上が有っても恥ずかしがって言いたくないだけなのかと思った。けれども、今の話を聞くと事情は違ってくる。彼は新世代の精霊族に成りすます為の名乗りのことを言ったのではないか。身を守るために偽りの言葉を持ってはいるけれど、必要性を感じない場面で敢えて口にすることは意に反すると。
「……イルに自分を偽ってほしいと思っているわけじゃないんだ。……悪いことをしたな……」
「大丈夫です、アシュフォード侯」
眉尻を下げてしょげるカイの片手を取って両手にそっと挟み込むと、トゥーラは穏やかに目を細める。
「貴方がイルを辱める心算で言ったのではないことくらい、あの子はきっと分かっていますよ」
「……そうだと良いんだけど」
カイの片手を包み込んでくるトゥーラの白く細い手は、ほんの少しひんやりとしている。精霊族は寒暖に体調を左右されない。心当たりが有り過ぎるほどに有る膚の冷たさに、カイは堪らない気持ちになる。彼女もまた、あの日のイルと同様に、渡せるぎりぎりの生気をセレナに分け与えたのだろう。
「イルも大概、言葉の足りない子ですから。……これだけ精霊族の文化に興味を持って心を砕いて下さる方はそうそう居ません。これからも、どうかあの子をよろしくお願いいたします」
「……こちらこそ」
トゥーラはカイの片手を離すと丁寧に一礼する。カイも彼女に対して会釈した。他にもイルに関して教えて欲しいことは山ほど有ったが、やめておくことにした。訊きたいことが膨大過ぎてきりがないというのも有る。時間的にそろそろイルと合流しなければいけないだろうというのも有る。それよりも、何よりも。
(……やっぱり、本人と話して聞いてみたいな)
他者からイルの人となりを聞くことは出来ても、彼本人の思いが絡む事柄を知るのは難しい。彼が抱える事情のように、たとえ教えてくれなかったとしても、その意志も含めて彼のことは彼から聞きたいと思った。
「じゃあ、俺はこれで。……会えて良かったよ、トゥーラ」
「はい。またお会いしましょう」
騎士団所属の身と王太子従僕の身。そしてこの場所を知る者。イルの同郷と現在のイルの主人。接点は多い。顔を合わせる機会はこれから必ず有ることだろう。カイは踵を返すと広間の出入り口へと歩き出す。片隅に座り込んで何かを口ずさんでいるセレナを見遣ると、彼女の視線は未だに一点に向けられている。邪魔をしては悪いかと、その場から彼女に軽く手を振るだけしてカイは建物を後にした。
(……トゥーラ。リカリアの女性。……イル以外の古の一族に初めて会ったな)
彼女の佇まいを思い出す。これまでに目にした精霊族とは明らかに纏う空気が違って感じられる人物だった。格が違う、とでも言うのだろうか。生き物であることは間違いないのに、一線を越えてはいけない何かが有った。だからこそ余計に、彼女が人間に食い物にされた被害者であるという事実が只々申し訳なく感じられた。物憂い気持ちで小道を進み、最初に入ってきた門の所まで辿り着くと。
「……あれ」
門を出てすぐの木に、腕を組んで寄りかかっている馴染み深い姿が有った。カイが門を閉じて留め金を掛けているのを、イルは横目で見遣る。
「第一師団の執務室には居なさそうだったから、こっちかと思って来た」
「ごめん、探させたか。ちょっと長居し過ぎたな」
門を閉じるとカイはイルの傍に歩み寄る。ついさっきまで彼と同族の女性を目にしていたということもあり、その体躯の細さと比べると、決して筋骨隆々ではないイルが何だか逞しく見えたりする。しげしげと自分を見つめるカイに、イルは訝った。
「……何だ」
「ああ、うん、その……今日はトゥーラが居たんだ。やっぱり君と似てるなと思って」
「トゥーラ」
鸚鵡返しに呟く素っ気ない反応に、カイは少し不安になる。向こうはイルのことを分かっていたが、まさかイルが彼女を分からなかったりするのだろうか。
「リカリアの女性だよ。王太子殿下の精霊族で、イルと同郷の筈。……もしかして覚えてないのか」
「覚えている」
端的な一言だけを寄越して、行くぞ、とイルは歩き出す。カイは慌ててその隣に並んだ。
「折角ここまで来たんだし、会ってきたら良いのに。……もしかして仲が悪い?」
「そんなことは無い。トゥーラがエディアルドの従僕として迎え入れられていることは知っているし、所属が違っても俺と似たような仕事をしているならこの先いくらでも会う機会は有る。……個別に会ったところで話すことが無いだけだ」
(話すことが無いってことは無いと思うけどもな……)
お互いどれくらいの期間離れていたのかは分からないが、積もる話とやらも有るのではないか。そう思うカイだが、二人とも自分の意志で集落を離れたわけではなく、理不尽に人間に飼われる人生を歩んできた。イルが口にした通り彼の人生の殆どが閨事だというなら、恐らくトゥーラもまた然り。話すことが無いというよりも、話したくないことが多過ぎるというのが正確なところか。そこまで考えが至り、カイは彼にそれ以上言及するのをやめる。話題を変えるべきかという思いが過ったが、ふと思い出したことを口にした。
「そういえば、トゥーラとイルの話を少ししたよ。……イルのことをあの子って言ってたのは少し驚いた」
それを聞いた途端、イルがぴたりと足を止める。突然隣を歩いていたシルエットが消えたことで、カイもつられて彼の数歩前で止まる。振り返るとイルが代わり映えの無い表情で歩みを再開するところだった。追い付いてくる彼に合わせて再びカイも歩き始める。
「ちょっと気になったか?」
「……別に」
「おばさんと甥みたいな関係だそうだな」
「……まぁ、人間で言うならそんなところか」
「イルのこと、言葉の足りない子って言ってた」
「…………あいつ……」
止まりはしないものの、イルは片手で顔を覆って溜息をつく。身内の話で気まずい思いをしている彼が何だか思春期の男子のように感じられて微笑ましく、思わずカイは小さく肩を震わせた。少し拗ねた様子も窺えたイルだったが、カイの呼吸が落ち着いた頃にぽつりと切り出す。
「今あそこには何人居るんだ」
「保護されてる子?」
「ああ」
カイもそれほど多くあの施設を訪れているわけではないし、保護されている精霊族全員がいつもあの広間に居るということも無い。人数の変動もそこそこの頻度で有るから、もしかしたら正確な数ではないかもしれないが、自分がここ暫く見聞きして把握している人数を告げる。
「六人じゃないかな。……今日全員と会えたわけじゃないから、俺が知る限り、ではあるけど」
「……そうか」
セレナと、先程トゥーラに取り次いでくれた少女に加え、自分の持つ情報が今も正しければ後四人居る筈である。正確には、最初にセレナを含めて八人居て『二人減った』という情報からの引き算なのだが。施設から二人が居なくなった理由は、カイが訊いてもやんわりとはぐらかされた。何となく深く知ることは憚られてそのままでいる。憶測でしかないが、訊いて教えてもらうという立場でいる限り、きっと真相は明らかにならないのだろうと感じた。
「セレナは、元気にしていたよ」
「……なら、良かった」
会いに行かないのか、とはトゥーラ以上に言えなかった。イルはセレナのことを気に病んで体調を崩すような人である。本当は、会えるものならカイよりも先に会いたがるだろう。それが難しいなら、今は急かすような言葉を口にするべきではないと思った。だから、こう言うことにする。
「いつか、二人で会いに行こう」
「……そうだな」
それが明日になるか、数年後かは分からないけれども。彼にもセレナにも負担の無いようにしてやりたいと思う。生きることに懸命な彼らに、これ以上悲しい思いをして欲しくはないから。
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