氷剣の皇子は紫水晶と謳われる最強の精霊族を愛でる

梶原たかや

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3話◆アスモダイの尖鋭

21

 騎士団屯所を出て、二人はそれぞれ馬を駆りゴルディニア領へと向かっていた。昼下がりの麗らかな陽光の下、それほど急ぐでもなく街道を並走する。このままのペースで行けば夕刻近くには公爵邸に戻れるだろう。カイが予め館に施しておいた侵入者感知の術式にも、今のところ何か引っ掛かっている様子は無い。屯所に向かった時と同じ道を戻る形で進む二人は、急いでいないといっても特に会話も無しに進んでいく。そうして街道の左右を木々が多く生い茂る地点を通過しているときだった。不意にカイの耳に至近距離からイルの声が飛び込む。
『――――カイ』
 ぎょっとして隣を見遣ると、並走する馬の上の相手が視線だけでこちらを見ながら口元に人差し指を寄せるのが視界に入る。イルはこの距離で、肉声による会話ではなく遠くの相手と会話をする術式を用いて、声無き声で話す方法を選んでいる。訝りつつカイは同じように思念で返事した。
『どうしたんだ』
『気になるものを見付けた。……少し単独行動がしたい』
『俺も一緒じゃなくて大丈夫か』
『大丈夫だ。逆に二人とも馬を止めれば勘付かれる。このまま俺の馬の手綱を持って走ってくれ』
 それは少なくとも何者かにこちらの存在を把握されているということか。カイはそんな状況でイルを一人向かわせることに一瞬躊躇するものの、彼に何か考えが有ってのことと踏んで頷いた。
『分かった。……気を付けて』
『……深追いはしない。すぐに戻る。出来そうなら逐一報告する』
『うん』
 速度はそのままに、イルは馬の体を寄せてカイに手綱を渡す。手綱が相手に渡り、しっかり握られたことを確認すると、馬の背に片足を掛けてとんと後ろに飛び退く。ふわりと浮かんだ身体は確かに後方の茂みに沈んだ筈なのに、草むらに落下する音も無い。カイは感心した。
(……凄いな)
 隠密行動に長けているというのは、本人も口にしているし、先日の夜会でも断片的に垣間見ているが、第一世代の精霊族の能力を目にする度に舌を巻く。あれだけの存在感を持ちながら、こちらにその姿を一切気付かせなかったトゥーラの仕事振りも肯ける。案じる気持ちは勿論有るが、相手を信頼することもまた相棒の務めと、カイは速度を落とさずにイルの馬を伴って、振り返ることもなく街道を突き進んだ。

 カイとイルの馬とは行き違いになる形で、彼らが駆ける街道から離れた小道を小さな幌馬車が走っていく。馬車は小道を暫く行くと減速して曲がり、細い横道に入って、ゆっくりカーブする形で進んでいく。つまりゴルディニア領を出ていくかに見えたその馬車は、大回りして再びゴルディニア領の外れの地域に戻っていくことになる。幌馬車自体はそれほど綺麗な見た目ではないが、舗装されていない悪路を走るにしては安定している。即ち、見た目を偽装されたそれなりに造りの良い馬車であることが窺える。
 馬車はやがて、領地の端に位置する人気の無い廃墟群へと入っていく。そこはかつて僅かながら鉱石が採れたことで小さな炭鉱場を構えたのだが、すぐに枯渇して人々も去ってしまって久しかった。鉱石の加工場もそれなりの設備を整えたのが、今となっては全てが朽ちて崩れ、野生動物のねぐらと化している所も多い。枯草や砂利に車輪を取られつつも馬車は廃墟の中を進んでいき、そのうち奥の方の建物の前で止まった。車体の扉が開いて男が一人出てくる。漆黒のインバネスコートに身を包んだすらりとした細身の男の頭部には、黒に近い灰色の柔らかな被毛に覆われた少し長めの耳。男――クレフトは、御者に待機の旨を伝えると、建物正面の半分壊れた扉を跨ぎ、奥へと入っていく。汚れた窓が天井近くにしか無い広いエントランスは薄暗く、埃っぽい。俯きがちの能面めいた表情が、がらんとしたエントランスの片隅を捉える。汚れた干し藁が無造作に散らばっているそこを靴裏で払うと、金属製の小さな取っ手が姿を現す。クレフトは腰を曲げて取っ手に手を掛け、引っ張り上げた。小さな金属音と共に、扉大の床が持ち上がって床に穴が開く。地下に続く階段を数段下りながら扉を内から閉めると、クレフトはそのまま階段を降りていく。
 地下は地上の廃墟が嘘のような空間が広がっていた。暖色の光を湛えた高温の炉を含め、よく手入れされた近代的な金属製の設備は進行形で稼働している。それらがあちこちで轟音を齎しつつ何かを精製し、梱包して巨大空間の隅に集積する。クレフトは近寄るだけで全身が焼けそうな高温の炉には近付かず、何かが絶えず運ばれていくレーンの横を靴音を立てて通り抜け、何やら人影が集まる辺りへと歩み寄っていった。机を中心にして座る数人が何事か話し合っていたが、訪れた精霊族の青年を見付けた一人が声を掛ける。
「遅かったじゃねえか」
 明らかに柄の悪い口調の男がクレフトを上から下まで眺めて下卑た薄笑いを浮かべる。対して、反応を見せるどころか眉一つ動かさずにクレフトは彼らに向かって一礼した。
「申し訳ございません。出向いてくるのに少々手間取りました」
「公爵の護衛には精霊族が混ざっているんだろう。きちんと撒いてきたのだろうな」
 囲んでいる机に対して上座に位置する男が、鋭い視線をクレフトに投げる。ごろつきばかりの中で、彼だけが場違いなほどに隙が無い。着込んでいるシンプルな外套の襟元には小さな徽章。クレフトは彼に向かってこうべを垂れた。
「はい、手抜かりございません。王都から戻る護衛とすれ違いましたが、彼らはそのまま公爵領へ戻っていきました」
 ふむ、と眉根を寄せて視線の鋭い男はクレフトを見据える。
「お前の力を疑うわけではないが……その護衛の精霊族、よもやお前と同族か、それ以上の格の個体ではあるまいな」
 クレフトは顔を上げて男を見つめた。
「格が上……古の一族ではないかと?」
「違うのか。王太子が向かわせた護衛が連れているとなると、王太子の従僕という可能性も有るだろう」
「王太子殿下の従僕には、古の一族が居るのですか」
「……そんな噂が有る。あの色狂いの小僧、自分だけで独占せずにこちらにも回せば良いものを」
 半笑いの男の周りでごろつき共が笑い出す。下品な嘲笑が絶え間ない轟音に溶ける中、彼らから死角となる位置で什器の影に紛れ、そっと窺う人影が一つ。紫水晶の瞳が、視線の鋭い男の顔と外套の徽章を捉える。
(……第六師団長補佐……名は……確かベイレス)
 カイが知れば卒倒しそうな事実がそこに有るが、イルにとっては別段驚くことでもない。この界隈では要職に就く聖職者が複数の精霊族や薬物を所持しているなどよく有る話だし、イル自身がそうした輩に囲われていたことも多々有る。こうした任務に復帰するにあたって多少ブランクが開いたとはいえ、昔も今も汚泥の在り様はさして変わっていないことに、内心で息をつく。そして目の前では、依然としてイルのことを話しているのだろう会話が続いていた。
「私が見る限り、護衛の中の精霊族は古の一族ではありません」
「間違い無いだろうな。……油断させるためにお前のような出来損ないの振りをしている個体も居ると聞くが」
 懐疑的に問い質すベイレスに、涼やかな面のままクレフトは続ける。
「始祖の一族の方は、我ら下位の者にとっては存在自体が別格です。誤魔化しようが有りません」
(……何故嘘をつく……?)
 極々自然な声音で自陣らしき者達を騙るクレフトの真意が分からず、イルは眉を顰める。それこそクレフトの言葉通り、彼は瞬時にイルを始祖の世代であると認識した。そもそも新世代の精霊族は、古の世代の精霊族を人間のように外見や能力の差で見分けているのではない。セレナのような年若く古の一族と遭遇したことすら無い者でも、圧倒的な存在感の違いですぐに感知出来るため、彼らを欺くことは決して出来ない。完全にイルを古の一族の者であると判っていてのこの虚言は何を意味するのだろうか。
(……しかし、この臭い……)
 地下工場に侵入したときからずっと堪えてきた独特の臭い。まだ嘔吐くほどではないが、イルは鼻先を袖で覆い、不快感に目を眇める。ほんの少し前に嗅いだ、身に覚えが有り過ぎる臭いでもある。それは先日カイが服用してしまった薬物固有のもの。耐性の無い者なら速攻で昏倒し、そうでなくても長時間晒されれば体調に影響も出てくる。この臭いが充満している工場で大量生産されているものとなると、カモフラージュでもない限り一つしか無い。集積場所に山のように積まれていく該当の品々を一瞥して、イルは再び会話へと意識を集中する。
「まぁ良い。予定通り明日の正午に受け渡しだ。遅れるなよ。……しかし護衛が付くと聞いて色々変更せねばならないかと思ったが、拍子抜けだったな」
「あんたが異様に心配性なのさ。番犬どころか愛玩犬だろ。公爵にしたって世間知らずの箱入りお嬢様だ。敏腕だというから、いつ何時ガサ入れが有るかと心配してたのに、とんだボンクラだぜ」
 ぼやくベイレスにごろつきの一人がおどけた調子で返すと、他の無頼漢も馬鹿にした笑いで盛り上がる。その最中で薄く笑みを浮かべるだけのクレフトに、ベイレスは言い放つ。
「明日の受け渡しの責任者はお前だ、クレフト。納品の書類は手筈通りにな」
「……かしこまりました」
「大将、こんなウサギ野郎居なくたって俺達が上手くやってやるよ。任せなって」
 淡々とした態度のクレフトとは対照的に、だらしなくも派手な格好のごろつきは猫撫で声でベイレスに言い寄る。だが眼光鋭い師団長補佐は相手を一瞥しただけだった。
「お前たちに腕力以外の信用は無い。言われたことだけしていろ」
「ちぇっ。はっきり言いやがる」
 悪態を吐くものの、柄の悪い男が本当に気分を害した様子は無い。下手に腹を立てて逆にベイレスの機嫌を損ねるのは悪手だと理解しているのか、はたまた何を言われても不満を溜めないくらいに報酬がたんまりと出るのか。恐らくはその両方なのだろう。ベイレスと複数の男たち、そしてクレフトは、悪魔の名を冠する薬物が延々と精製されていく空間で、轟音に包まれながら尚も何事かを話し合っていた。イルはその全てを耳にしつつ、自らは音を立てずにあちこち忍び寄って各設備の詳細を掴む。彼が巨大空間に築かれた地下工場を一通り把握した頃、ごろつきの一人が言い出した。
「なぁ、大将。……そろそろいいだろ」
 いつの間にか話し合いは終わっていたようで、にやにやと下品な笑みを浮かべる男たちがクレフトをやんわりと囲んでいる。
「こいつだってもう腹が減って仕方ない筈だ。あの無知な公爵サマは、恋愛小説の真似事みたいな口吸いしかしてくれないんだったな」
「何の腹の足しにもならねえだろう。可哀相になぁ」
 明らかに口だけの言葉を吐きながら男たちはあちこちで嘲笑う。表情を変えぬまま佇む無言のクレフトを一瞥してベイレスは息をついた。
「お前たちも好きだな。見てくれが良いといってもこいつは男だろう」
「そりゃあ女の方が良いに決まってますがね。この顔と身体ならそこそこ楽しめますよ」
 ベイレスは呆れたように鼻を鳴らすと、音を立てて椅子の背凭れに上体を預け、興味無さそうに手元の書類に視線を落とす。彼らを視界に入れないままベイレスは淡々と告げる。
「何度も言うが手足は折るなよ。内臓を傷付けるのも駄目だ。回復に時間が掛かると公爵に外出を怪しまれる」
「分かってますよ。……面倒臭ぇな」
「古の一族なら、どんなに死にかけようが餌さえ与えれば秒で治るらしいがな。出来損ないは扱いに気を遣うから困る」
 イルの眼がずっと見ていることにも気付かずに、この場に集いクレフトを取り囲む人間の男たちは、精霊族の身体の耐久性に好き放題文句を垂れる。見慣れた光景、聞き慣れた台詞。イルは依然として何の感情も孕まない視線を静かに向けている。ごろつきの一人がやおら立ち上がり、クレフトに近付いて柔らかな被毛に覆われた長い耳の片方を無造作に掴み、そのままぐいっと頭を押しやった。思わずよろけるクレフトに周囲から野次が飛ぶ。
「ほら、脱げよ。そのお綺麗な服、汚して帰ったんじゃ都合悪いんだろ」
「優しいご主人様に心配かけちまうなぁ」
 下卑た嘲笑が、製造施設が齎す轟音と共に周囲に響く。床に視線を落としていたクレフトは、ゆっくりと顔を上げると腕を持ち上げ、インバネスコートのボタンに自ら手を掛けた。
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