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西河くんはどこか得意気に、唇に弧を描く。
「どうして……」
どうして、知ってるの?
言葉にならない私に、西河くんは極上の笑みを見せて、ひと言だけ告げる。
「勘」
私の鞄を持った彼は教室を出る。
鞄を人質に取られてしまった私は仕方なく、あとを追いかけた。
「……勘なんだ?」
蒸し返したくないけれど、聞かずにはいられない。
西河くんは予知夢について何か知っているのだろうか。
廊下には灼熱の西日が射して、私たちの長い影を形作っている。
「悪夢ってさ、現実に起こったことの繰り返しだったりするんだよ。嫌なことを反芻しすぎて、夢にまで見てしまうってわけだ」
「ふつうはそうだと思うんだけど、私の悪夢はまだ現実に起こってないことなの。だから、予知夢なの」
自分でも驚くほどに、すらすらと述べてしまった。
私の顔を見た西河くんは平静な表情を浮かべていた。
「もう起こったんじゃないか?」
「起こってないから。現実に起こったら、私はもうこの場にいないよ」
「ということは、死ぬ夢?」
もはや九割を当てられてしまっている。あとは原因だけだ。
そのとき図書室に到着した。ひと気のなかった廊下とは違い、幾人かの生徒が室内にはいる。人に聞かれたくない内容なので、私は慌てて会話の舵を切る。
「えっと、竜神伝説についてだから、とりあえず郷土史を調べるんだよね?」
「そうだね」
かろうじて悪夢の内容を西河くんに告げずに済んだ。
安堵と、なぜかわずかな物足りなさを覚えた。
西河くんと共に郷土史についての書籍を調べてみたけれど、竜神伝説について詳しいことが記された書籍は見つからなかった。高校の図書室では限られたスペースしかないので、郷土史に関する資料は十冊ほどしかない。
西河くんは閉じた本を棚に戻した。
「ないね。結構昔のことだからな」
私はプリントを取り出して、そこに書かれた概要を読む。
「大昔に水没した村の名前は水池村というんだよね?」
「そう。今はもうないけどね。そこでは竜を神様として祀り、雨乞いをしていたんだよ」
「へえ、そうなんだ。雨乞いするほど雨がないのに、水没しちゃったの?」
「今と違って水への対策が難しかったからね」
それならば災害の歴史という方向で調べれば、資料が見つかるのではないだろうか。
どちらにしろ、学校の図書室では限界があるようだ。
西河くんも同じことを考えていたらしく、新たな提案を出す。
「市立図書館に行こうよ。そこならもっと蔵書も多い」
「そうだね。今から行く?」
「相原さんの家、図書館から遠いだろ。今度の日曜にしよう」
私は頷いた。それと同時に疑問が湧く。
なぜ西河くんは、私の家の位置を知っているのだろう。
彼を家に呼んだことなどもちろんない。西河くんがどこに住んでいるのかも、私は知らない。
「じゃあ連絡するから、アドレス交換しよう」
西河くんはスマホを取り出した。日曜日に出かけるのだから、連絡が必要になる。断る理由が見当たらない私は、西河くんとメールアドレスを交換する。私の数少ない登録に、新たに西河くんのアドレスが記された。
校舎を出るまで、悪夢のことを蒸し返されたらどうしようかと、私はそればかりを気にしていたけれど、西河くんはもう忘れたようだった。
なぜか上機嫌な彼は、頬を綻ばせていた。まるで鼻歌でも歌い出しそうだ。
自転車置き場に向かい、私は自分の赤い自転車の鍵を開ける。
西河くんは徒歩らしく、私が自転車を漕ぎ出す様子を傍らで眺めていた。
「それじゃ、私は自転車だから」
「うん。また明日。メールするから」
爽やかに微笑んで手を振る西河くんを一度だけ振り返ってから、前を向いて自転車を漕ぐ。
そのときになって、私は気がついた。
暗号のヒントを訊ねるのを、忘れていたことに。
西河くんも忘れていたのだろうか。
それともまさか、確信犯だろうか。
「明日でいいか……」
火事に遭って死ぬ運命であるはずの私が、明日に期待するなんて滑稽だ。
くすりと、自嘲の笑みを漏らした。
帰宅してからまず確認するのは台所だ。
夕飯の時間には早いので、母はまだ食事の支度を行っていない。台所には火の気がなかった。季節柄、ヒーターは使用していないので、火の元はここだけになる。
「おかえりなさい」
リビングでテレビを見ていた母は、わざわざ立ち上がって台所へやってきた。テレビの騒がしい音量が漏れ聞こえてくる。
「ただいま」
私の点検はいつもの日常なのだけれど、今日は特別に言いたいことがあるようで、母は眉をひそめている。
「あのね、お父さんとも相談したんだけど、家をオール電化にしようと思ってるの」
「そうなんだ」
オール電化にするということは、コンロもヒーターも設置しなくて良いので、火の元がなくなる。
けれど、結構な費用がかかるのではないだろうか。
「そのほうが、×××も安心できるでしょ?」
名前を呼ばれて、私の胸の内側を硝子の破片で傷つけられたかのような痛みを覚えた。
私は、自分の名前が、大嫌いだ。
「そうかも」
曖昧な返事をして踵を返し、二階への階段を上る。
火事に遭うという悪夢により神経症にでもなっていると、両親は思っている。
その対策のため、オール電化にするというわけだ。
けれど、そうしたところで悪夢を見続けるのであれば、結局は解決に至らない。
解決できない気がした。
たとえば放火されれば、家の中に火の元があるかどうかは関係なくなる。
陰鬱な気分で自室へ入り、扉を閉めた途端、スマホの着信音が鳴る。
メールだ。沙耶だろうか。
液晶に目をやれば、差出人は西河くんだった。件名には『ヒント』と付けられている。
「あっ」
私は暗号のことを思い出した。鞄を放り出し、慌てて本文を確認する。
「どうして……」
どうして、知ってるの?
言葉にならない私に、西河くんは極上の笑みを見せて、ひと言だけ告げる。
「勘」
私の鞄を持った彼は教室を出る。
鞄を人質に取られてしまった私は仕方なく、あとを追いかけた。
「……勘なんだ?」
蒸し返したくないけれど、聞かずにはいられない。
西河くんは予知夢について何か知っているのだろうか。
廊下には灼熱の西日が射して、私たちの長い影を形作っている。
「悪夢ってさ、現実に起こったことの繰り返しだったりするんだよ。嫌なことを反芻しすぎて、夢にまで見てしまうってわけだ」
「ふつうはそうだと思うんだけど、私の悪夢はまだ現実に起こってないことなの。だから、予知夢なの」
自分でも驚くほどに、すらすらと述べてしまった。
私の顔を見た西河くんは平静な表情を浮かべていた。
「もう起こったんじゃないか?」
「起こってないから。現実に起こったら、私はもうこの場にいないよ」
「ということは、死ぬ夢?」
もはや九割を当てられてしまっている。あとは原因だけだ。
そのとき図書室に到着した。ひと気のなかった廊下とは違い、幾人かの生徒が室内にはいる。人に聞かれたくない内容なので、私は慌てて会話の舵を切る。
「えっと、竜神伝説についてだから、とりあえず郷土史を調べるんだよね?」
「そうだね」
かろうじて悪夢の内容を西河くんに告げずに済んだ。
安堵と、なぜかわずかな物足りなさを覚えた。
西河くんと共に郷土史についての書籍を調べてみたけれど、竜神伝説について詳しいことが記された書籍は見つからなかった。高校の図書室では限られたスペースしかないので、郷土史に関する資料は十冊ほどしかない。
西河くんは閉じた本を棚に戻した。
「ないね。結構昔のことだからな」
私はプリントを取り出して、そこに書かれた概要を読む。
「大昔に水没した村の名前は水池村というんだよね?」
「そう。今はもうないけどね。そこでは竜を神様として祀り、雨乞いをしていたんだよ」
「へえ、そうなんだ。雨乞いするほど雨がないのに、水没しちゃったの?」
「今と違って水への対策が難しかったからね」
それならば災害の歴史という方向で調べれば、資料が見つかるのではないだろうか。
どちらにしろ、学校の図書室では限界があるようだ。
西河くんも同じことを考えていたらしく、新たな提案を出す。
「市立図書館に行こうよ。そこならもっと蔵書も多い」
「そうだね。今から行く?」
「相原さんの家、図書館から遠いだろ。今度の日曜にしよう」
私は頷いた。それと同時に疑問が湧く。
なぜ西河くんは、私の家の位置を知っているのだろう。
彼を家に呼んだことなどもちろんない。西河くんがどこに住んでいるのかも、私は知らない。
「じゃあ連絡するから、アドレス交換しよう」
西河くんはスマホを取り出した。日曜日に出かけるのだから、連絡が必要になる。断る理由が見当たらない私は、西河くんとメールアドレスを交換する。私の数少ない登録に、新たに西河くんのアドレスが記された。
校舎を出るまで、悪夢のことを蒸し返されたらどうしようかと、私はそればかりを気にしていたけれど、西河くんはもう忘れたようだった。
なぜか上機嫌な彼は、頬を綻ばせていた。まるで鼻歌でも歌い出しそうだ。
自転車置き場に向かい、私は自分の赤い自転車の鍵を開ける。
西河くんは徒歩らしく、私が自転車を漕ぎ出す様子を傍らで眺めていた。
「それじゃ、私は自転車だから」
「うん。また明日。メールするから」
爽やかに微笑んで手を振る西河くんを一度だけ振り返ってから、前を向いて自転車を漕ぐ。
そのときになって、私は気がついた。
暗号のヒントを訊ねるのを、忘れていたことに。
西河くんも忘れていたのだろうか。
それともまさか、確信犯だろうか。
「明日でいいか……」
火事に遭って死ぬ運命であるはずの私が、明日に期待するなんて滑稽だ。
くすりと、自嘲の笑みを漏らした。
帰宅してからまず確認するのは台所だ。
夕飯の時間には早いので、母はまだ食事の支度を行っていない。台所には火の気がなかった。季節柄、ヒーターは使用していないので、火の元はここだけになる。
「おかえりなさい」
リビングでテレビを見ていた母は、わざわざ立ち上がって台所へやってきた。テレビの騒がしい音量が漏れ聞こえてくる。
「ただいま」
私の点検はいつもの日常なのだけれど、今日は特別に言いたいことがあるようで、母は眉をひそめている。
「あのね、お父さんとも相談したんだけど、家をオール電化にしようと思ってるの」
「そうなんだ」
オール電化にするということは、コンロもヒーターも設置しなくて良いので、火の元がなくなる。
けれど、結構な費用がかかるのではないだろうか。
「そのほうが、×××も安心できるでしょ?」
名前を呼ばれて、私の胸の内側を硝子の破片で傷つけられたかのような痛みを覚えた。
私は、自分の名前が、大嫌いだ。
「そうかも」
曖昧な返事をして踵を返し、二階への階段を上る。
火事に遭うという悪夢により神経症にでもなっていると、両親は思っている。
その対策のため、オール電化にするというわけだ。
けれど、そうしたところで悪夢を見続けるのであれば、結局は解決に至らない。
解決できない気がした。
たとえば放火されれば、家の中に火の元があるかどうかは関係なくなる。
陰鬱な気分で自室へ入り、扉を閉めた途端、スマホの着信音が鳴る。
メールだ。沙耶だろうか。
液晶に目をやれば、差出人は西河くんだった。件名には『ヒント』と付けられている。
「あっ」
私は暗号のことを思い出した。鞄を放り出し、慌てて本文を確認する。
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