また、恋をする

沖田弥子

文字の大きさ
33 / 39

暗号の正解

しおりを挟む
「いいけど。じゃあ私、白ね。西河くんが先攻でいいよ」

 黒い石がパチリと置かれる。
 西河くんの指の形を改めて間近から見た私は、息を呑んだ。
 節々が際立った那岐の指に、よく似ている。瞬きをしたとき、西河くんの手は盤から引かれてしまった。

「あ……」
「どうかした?」
「ううん。西河くんの手、綺麗だね」
「そうかな。相原さんの番だよ」

 気のせいかもしれない。
 そもそも那岐は西河くんに容貌が瓜二つだった。私の記憶が那岐という虚像を作り上げたのかもしれない。
 でも……西河くんの手に着目したのは初めてだった。
 那岐の手は何度も見て、触れていたから記憶に鮮明だ。
 夢は現実から得た情報の繰り返しのはず。
 現実のほうが、後になっているのはなぜなのか。
 私は首を傾げながら、白の石を盤面に乗せた。
 西河くんは全く容赦がなく、一切歯が立たなかった。黒一色に塗られた盤上を見て、私は肩を落とす。

「西河くん、強すぎ……」
「それじゃあ約束どおり、勝ったほうが負けたほうの言うことをきくを実行してもらおうかな」

 勝ち誇った笑みが癪に障る。
 西河くんがまた無理難題をふっかけてくることは想像に易い。

「しょうがないね……。お手柔らかに頼みます」
「それは俺の台詞」
「え?」

 私は首を捻り、わずかに感じた不可思議を探る。
 西河くんは口端を引き上げて、意地悪そうな笑みを見せていた。

「……あっ」

 勝ったほうが負けたほうの言うことをきく。
 言うことをきくのは勝ったほうで、負けたほうが命令できるのだ。
 オセロが終わるまで、全く気づかなかった。
 私が勝っていたら、西河くんの命令どおりにしなければならないところだった。

「負けて良かった……」
「というわけで、俺に何を命令する? お手柔らかに頼むよ」

 命令と言われても困るのだけれど。
 ふいに、そのままになっていた暗号のことを思い出した。
 私は自分の鞄から、暗号文を書き留めていたノートを取り出す。

「そうだ。モールス信号のこと、まだ教えてもらってないよね? 信号の一覧表みたいなもの、ないの?」

 一覧表と暗号文を照らし合わせれば、一目瞭然だ。それはネットで調べてはいけないというルールに当て嵌まらない。

「一覧表があるか、ないかという質問でいい?」

 私は西河くんの意図を素早く察知した。ある、という答えだけでオセロに負けた報酬を終わらせるわけにはいかない。
 意地悪な西河くんと暗号の決着を付けるべく、私は腰に手を宛てて命じた。

「モールス信号の一覧表を、出しなさい」
「了解しました」

 茶化して慇懃な礼をした西河くんは、また押し入れを探る。彼は畳まれていた白い紙を差し出した。
 どきどきしながら紙を広げる。
『和文モールス符号』というタイトルの下に、イロハ順に符号が記されていた。
 暗号文と、その符号を当て嵌めてみると……


-・-・ --・-・ ・-・・ -・- ・-・ -・-・・・・


「……なぁんだ」

 私は嘆息と共に声を漏らした。
 そういうことだったんだ。
 つまり西河くんは、それほどに自分の名前を呼ばせたかったわけで。
 それをきっかけにして、私の名前も呼びたかったのかもしれない。
 ペナルティは名前で呼ぶことなんて西河くんは提案していたけれど、これでは正解してもしなくても一緒だ。
 私はまんまと、西河くんの手のひらで踊らされていたわけ。

「暗号、解けたよ」
「正解は?」
「……えっとね」

 夢の中で何度も呼んだ名前を、今ここで口にすることを、私はためらう。
 沈黙している私に眼差しを注いでいた西河くんは、ふっと息を吐いた。

「言えないみたいだね。じゃあペナルティとして、相原さんを名前で呼んでもいいよね?」

 私はどうしても、『那岐』と言えなかった。
 その名を口にすれば、押し込めていた様々な想いが溢れそうな気がしたから。

「いいよ」

 私は了承した。
 那岐に、一度も呼ばれることのなかった、私の本当の名前。
 夢の中ではどうしても思い出せなかった。
 西河くんは私の目をまっすぐに見ながら、ゆっくりと発音する。

きずな

 手許に目を落とせば、左手の痣が目に入る。
 それはまさに、私の名前を表していた。
 片仮名の『キ』に似た痣。
 絆の文字に組み込まれた、傷のような烙印。
 きずなという呼び方も、キズと被っているので、逐一痣のことを思い起こさせた。

「自分の名前、嫌いなの?」
「うん……だって、絆っていう漢字の中に、痣の形が入ってるから……」
「痣の形? ああ、手の。どんなだっけ」

 もう引っかからない。
 私は左手を握りしめると、背中に隠した。

「汚いから、見ないで」
「汚くないよ。まあ、でも、見られたくないよな」

 西河くんは何やら考え込んでいる。
 今度は、私の痣をじっくり見るための作戦を練っているに違いない。
 暗号文については完全な敗北を喫してしまった。今後、西河くんから名前で呼ばれることについては了承せざるを得ないけれど、
 西河くんが悪巧みを考えている隙を突いて、私はさっさと帰り支度を始めた。
 窓の外に目をむければ、辺りはすでに夕闇が迫っている。街灯の明かりが灯るのが窓の端に見えた。私はスマホを取り出そうとして、鞄を探る。

「あれ? ない……」

 ふと西河くんに目をむければ、彼は私のスマホを手にしていた。いつのまに。
 悠々と、勝手に操作している。

「西河くん。それ、私のスマホ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!

秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。 民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。 「おまえたちは許さない」 二度目の人生。 エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。 彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。 1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。 「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」 憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。 二人の偽りの婚約の行く末は……

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

さようなら、私を「枯れた花」と呼んだ貴方。~辺境で英雄を救って聖女と呼ばれたので、没落した元婚約者の謝罪は受け付けません~

阿里
恋愛
「お前のような見栄えの悪い女は、俺の隣にふさわしくない」 婚約者アレクに捨てられ、辺境へ追いやられたセレナ。 けれど、彼女が森で拾ったのは、アレクなど足元にも及ばないほど強くて優しい、呪われた英雄ライアンだった。 セレナの薬草が奇跡を起こし、王都を救う特効薬となったとき、かつて自分を捨てた男との再会が訪れる。 「やり直そう」と縋り付くアレクに、セレナは最愛の人と寄り添いながら静かに微笑む。 ――あなたが捨てたのは、ただの影ではなく、あなたの未来そのものだったのですよ。

処理中です...