つがいの薔薇 オメガは傲慢伯爵の溺愛に濡れる

沖田弥子

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伯爵家の秘密 1

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 古き時代より大地主として地元の名士だった大須賀家は、晃久の祖父である幸之介が立てた戦功により伯爵の位を賜った。新華族と謳われ、大須賀伯爵の権力と栄華は華族のなかでも一際眩い輝きを放つ。広大な土地を所有して富を築き上げ、大須賀伯爵家は名実共に成功した。
 しかし、祖父の代で栄華を極めた伯爵家は嫡男の伸介が当主を継ぐと、途端に傾いた。放蕩な伸介は芸者遊びが尽きず、しかもお人好しで、仲間から頼まれれば多額の金を貸した。そのため地方の別荘や土地などを売り払って凌いだが、伯爵家の悩みの種はそれだけでは終わらなかった。

 伸介は妻である藤子との間に、子を授からなかった。
 政略結婚であり、公家の一族という名家から嫁いだ藤子は気位が高くて気性が荒く、穏やかな伸介の手に負えないだろうと親戚は失笑する始末。
 けれど藤子は義父である幸之介に指示を仰いだ甲斐あってか、ようやく懐妊した。
 生まれたのは男の子で、晃久と名づけられた。
 跡継ぎである男子の誕生に父親の伸介はさぞ喜ぶと思われたが、彼の顔色は冴えなかった。その頃から伸介は屋敷を不在にすることが多くなる。また芸者遊びかと疑われたが散財することはなくなったので、落ち着いたのだろうと察せられた。

 晃久は無事に成長して、大人しく気弱な父に似ず、快活な少年に育った。
 誰もが大須賀家の安寧に胸を撫で下ろした頃、伸介は伯爵家の敷地に小さな家を建てさせた。使用人の長屋とは異なる新たな家屋である。そしてどこからか母子を連れてきて、そこに住まわせた。使用人ということになっていたが、人目を惹く美しい母は元芸者で、愛人であることは明らかだった。
 しかも、子どもは男の子。
 晃久がいるのにどうなる。
 使用人たちからは噂話が絶えず、激昂した藤子は喚き散らした。
 そこへ幸之介は一喝する。

「伸介の後に大須賀伯爵家を継ぐのは、長子である晃久である」

 幸いと言うべきか、澪と名づけられた愛人の子は晃久よりも年下だった。しかも大人しく内向的な性質で、晃久に懐いている。晃久も弟のように面倒を見ていて、ふたりはいつも仲睦まじく遊んでいた。
 晃久のいいなりになって後を追いかけている澪を見遣った大人たちは沈黙する。
 この関係性なら、ふたりが大人になっても揉め事は起こらないのではないだろうか……。
 
 幸之介はすべてを見通していた。伸介の不貞も、子どもたちの性格も。
 その上で、晃久に当主を継がせると明瞭に示した。
 ただし、澪に権限がないとは触れなかった。
 それは澪は伸介の実子であり、もし晃久に不幸があったときには澪に伯爵家を継がせるという意味でもあった。
 藤子は義父に不満を訴えたが、何事かを告げられて押し黙った。
 事態が落着したので、伸介は足繁く敷地内の愛人の家に通い続ける。けれどそれも愛人が病死したことにより終わった。ほどなくして伸介も病に伏して亡くなる。そのときまだ晃久は若年だったため、当主の座は幸之介の判断により、一旦幸之介が担うことになる。
 
 幸之介は既に齢八十で、体調を崩すことも多くなった。
 大須賀伯爵家は、どうなるのか。使用人たちが再び噂を始める。
 大須賀伯爵家には歪んだ秘密がある。
 そして押し込めたその秘密は、いつか膨れ上がり、眼前に現れる。
 その精算は子どもたちが払わされるのかもしれない。



 ぱちりと鋏をひとつ入れるたびに、澪は淡い溜息を零す。
 毎日朝晩の薬を服用しているためか、体が疼くようなことはなくなった。発情は抑制されているのだろう。
 晃久と体をつないで、翌日に長沢から三種の性について聞かされたときは様々なことを考えすぎて混乱したが、日が経てば次第に落ち着きを取り戻した。今のところ体調は変わりなく、妊娠したような兆候は微塵も感じられない。やはりあれは研究者の一説に過ぎず、男が妊娠するなんて夢の話だったのではと思えてくる。
 ふいに背後から手を伸ばされて、木綿のシャツの袖に付いた葉を摘ままれた。

「あ……若さま」

 庭園を散策していたらしい。晃久が摘まんだ葉を放ると、ひらりと地に舞い降りた。
 屋敷で書き物などの仕事をすることもある晃久は気分転換と称してよく庭園を散歩している。

「あの薔薇、咲いたんだな」

 晃久の視線を追えば、薔薇園の一角にひっそりと佇む紅色の薔薇があった。
 真紅よりは色味が薄く、桃色に近い。優雅な花形をしているが栽培が難しい品種なので、今までは花が咲かなかったのだ。

「そうなんです。やっと咲いてくれたんです」

 晃久は薔薇の品種などに興味はないようで、いつもは全体を眺めているだけだ。特定の薔薇に目を留めてくれたのは初めてだった。彼が庭園で足を止めるのは、澪の傍で話をするときだけなのである。
 晃久に着目してもらえるのなら、頑張って世話をした甲斐があった。
 嬉しくて満面の笑顔を見せると、晃久にも優しい笑みが広がる。

「俺の部屋に持ってきてくれ。一輪でいい」
「はい。かしこまりました」

 喜んで満開の薔薇を一輪のみ切り取る。薔薇を手にした澪は、ふと顔を上げた。
 晃久の部屋に赴くのは久しぶりだ。体をつないだ夜以来だった。
あんなことがあっても、また顔を合わせれば、いつもどおりにふたりは会話を交わしている。まるで何事もなかったかのように。
 澪としては心の隅で意識してしまうのだが、晃久が平素な態度なのでいつもと同じように接するしかない。
 でも、それでいいのだ。
 きっと晃久は、あの夜のことは過ちだと思っている。澪に妊娠の兆候がないのを見て、彼も安心したことだろう。今までどおり伯爵家の若さまと使用人という関係で良いのだ。蒸し返されて無かったことだと念を押されでもすれば、深く傷ついてしまうであろう自分がいた。はしたなく自分から強請ったのに、勝手に傷つくなんて身の程知らずだ。

 澪は唇を噛みしめて、美しく咲き誇る薔薇を抱えた。
 不自然な態度にならないよう、足を如才なく前へ繰り出して、二階にある晃久の書斎に入る。

「失礼します」

 壁に設置された書棚には分厚い本が隙間なく並べられている。窓際にはマホガニー製の重厚な机と羅紗張りの椅子が置かれ、机には書きかけの書類が積み上げられていた。

「ああ。入れ」

 晃久は書棚から本を引き抜いてページを捲り、何事かの調べ物をしている。
 書棚の向かいにソファと小さなテーブルが鎮座している。テーブルにはいつも琉球硝子の一輪挿しが置かれていて、花はここに飾る。
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