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オメガの宿命 1

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 きっと子どもの頃に跡継ぎの証として贈られた懐中時計を紛失してしまったので、安珠が公爵としての資質に欠けるのではないかと心の隅に引っかかっているのだろう。
 椿小路公爵家の嫡男は、安珠ひとりしかいない。安珠が当主を継ぐのは定石だ。検査結果を目にすれば、父も杞憂だと分かってくれるだろう。
 姉の史子は既に嫁入り、病弱な母は安珠が初等部に入学すると間もなく、治療のため高原にある別邸へ移り住んだ。それゆえ父は心許ないのだ。

「お父さまがご心配になることは何もありません。高野先生が間もなく、血液検査の結果を持ってまいります」
「うむ……そうだな。ああ、胸が痛い。安珠は小さいときから愛らしく、それが私たちの自慢だったが、もしやオメガではあるまいなと心配だったのだ。オメガは見目麗しさで人を誘惑し、男でも子を孕むという。そのような忌むべき者でないと分かりさえすれば……」

 父が胸を押さえて呻きだしたので、咄嗟に机を回り込んで体を支える。

「お父さま、お休みになってください。山崎、先生を呼んでくれ!」

 執事の山崎を呼ぶと、素早く鴇が入室してきた。部屋の外で待っていたらしい。
 父を抱きかかえた鴇が痩せた体をソファに横たえる。

「旦那さま、大丈夫です。ゆっくり息をしてください。すぐに高野先生がいらっしゃいます」
「ああ……鴇か。おまえに、謝らなければならないことがある」
「とんでもございません。旦那さまに謝っていただくなど恐れ多い。今はお体を休めてください」

 しっかりと鴇の手を握りしめた父は、彼に信頼を寄せているようだ。
 鴇の何が父の心を掴んでいるのか分からない。釈然としないものを安珠は感じた。
 慌てた様子で入室してきた山崎が医師の高野を伴ってきた。

「皆様、退出されて結構でございます。旦那さまは私にお任せください」

 診察した高野の微笑から察するに、心配はなさそうだ。
 長年に渡り公爵家の専属医を務めてきた高野は、父の胸の病についても熟知している。皆が執務室を出ようとした間際、高野に声をかけられる。

「安珠さま。お伝えしたいことがございますので、お部屋でお待ちいただけますか」
「分かった」

 もしや、血液検査の結果だろうか。一抹の不安が過ぎるが、安珠がアルファであるのは疑いようがない。父の抱える不安は詮無いものだ。万にひとつも、オメガであるはずなどないのだから。
 踵を返した安珠の後ろを、鴇は当然のようについてくる。

「まだ何かあるのか」
「高野先生がお部屋にいらっしゃるんですよね。俺もお伴します」

 同席するつもりか。鴇には何の関係もない話だ。安珠は冷淡に言い放った。

「おまえは来なくていい。部屋の前で立ち聞きすることも禁止する」

 この図々しい男は、先ほどもこっそり中の様子を窺っていたのだ。
 鴇はどこか油断ならない男だ。父はどうしてそれが分からないのだろうか。

「承知いたしました」

 鴇は易々と引き下がった。ヒロを伴い、廊下の向こうへ去って行く。
 安珠は広い背をしばらく目に留めていたが、やがて自室へ足をむけた。
 高野を待ちながら、落ち着かない心地で部屋の窓と扉の間を往復する。
 敷かれた上質の絨毯は優しく革靴を包み込む。窓の外を覗けば、広大な公爵家の庭園が広がっていた。母屋はバロック様式の豪奢な邸宅で、繊細な細工が随所に施されている。敷地内の東側には茶室を兼ね備えた数寄屋造り。西側にはお客様をお迎えする迎賓館が厳かな佇まいを見せている。安珠が小さい頃は毎日のようにパーティーが開催されて、ピアノを披露する安珠に惜しみない拍手が注がれていたものだ。
 だが母が療養のために引っ越し、姉が嫁入って父の病状が思わしくない昨今は、そのような機会も減った。
 椿小路公爵家は古くは藩主であった由緒正しい華族で、母は宮家から降嫁した姫君だ。帝とも縁のある、真の貴族である。気位の高い父は、俄に新華族となった男爵や子爵を見下していた。姉が男爵と縁があり結婚する運びとなったときは、この世の終わりのごとく落胆していたものだ。
 だから安珠が無事に公爵家を継いで、父を安心させなくてはならない。
 扉を叩く音が鳴り、ぴくりと肩を跳ねさせる。

「どうぞ」

 入室してきた高野は一礼した。椅子を勧めて、安珠も向かいのソファに腰掛ける。

「先生、父の容態は?」
「心配ございません。今のところは」

 付け加えられたひとことに眉をひそめる。やはり命は長くないらしい。
 父とさほど変わらない年齢のはずの高野は若々しい容貌に影を落とす。診療鞄から封書を取り出すと、静かに卓に置いた。

「……私が安珠さまをお伺いしましたのは、先日の血液検査のことです。確認のため何度も検査を行いましたので、時間がかかってしまいました」
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