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椿小路公爵家の誕生パーティー 1
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オメガのことさえなければ、心から喜べたのに。
安珠は陰鬱な思いを胸の裡に隠しながら、マホガニー製のグランドピアノを見つめる。
父には未だに告げていない。高野は約束どおり、結果を濁してくれているらしい。父は血液検査の結果が出ないことに対して高野に苛立ちをぶつけていたようなので、いずれ判明するのは時間の問題かもしれない。
ひとり息子の安珠が爵位を継ぐことは周囲の人間から見れば明らかであるので、誰もそのことについては話題にしなかった。
オメガであっても、安珠は父のただひとりの息子だ。
正直に話せば父は納得してくれるだろうか。身分を非常に重んじる父の価値観は妥協ができるのか、予想がつかなかった。すべては公爵である父の心積もりひとつである。揉め事を起こした息子を嫌い、叔父や甥に爵位を譲ったという例もある。
鬱々とする安珠の周りを、友人たちが取り囲んだ。五条公成は、親しげに安珠の肩を抱く。
「素晴らしい演奏だったよ、安珠。さすが華の和音だ。君の美しさの前には月も太陽も雲に隠れてしまうだろう」
この男は調子が良く、花から花へ飛び移る恋多き男と有名で、誰に対しても美しいと賞賛する。薄い賛辞を受けても何の感慨も湧かない。
「ありがとう」
安珠は平淡に述べると、さりげなく肩に置かれた公成の手を解いた。まるで安珠を自分のもののように扱うので始末が悪い。とはいえ公成ほどではないが、多くの人は安珠に対して下心をもって接してくる。欲を孕んだ目で見つめられることに安珠は慣れきっていた。
公成は同意を求めるように、少し離れたところでグラスを傾けていた大須賀晃久に訴える。
「晃久、君も同意見だろう。会社経営なぞ商人の真似事に精を出していても伯爵なのだから、安珠のピアノの素晴らしさくらいは分かるだろう?」
失礼な言いぐさに眉をひそめる。大須賀伯爵家を継いだばかりの晃久は口端を吊り上げながら、鋭い眦をむけた。
「華の和音にしては、勢いのないソナタだったな」
心中を見透かされたような指摘に動揺しかけたが、安珠は琥珀の眸を瞬かせて黙殺した。『華の和音』とは、安珠に捧げられた敬称だ。
数々の男や女を惑わす美しい華という意味らしく、音楽用語になぞらえて、いつの頃からかそう呼ばれるようになった。安珠が恋多き人であることを暗に示唆する皮肉も込められている。これまで数え切れないほど愛の告白を断ってきたので、恨みを抱いた紳士や令嬢がそのように称したことが始まりかもしれない。
賛同が得られなかったことを公成は予期していたのか、これだから無骨な者は美しさを理解しないなどと楽しげに語り出した。美醜の話なのかピアノの腕前なのか、どちらなのだ。安珠はこっそりと嘆息した。
公成が親しくもない晃久に声をかけた理由は明白だ。
晃久は友人ではあるが、安珠に興味がないので敵にはなり得ないからである。
多くの者が我こそはと目をぎらつかせて、華の和音を獲得しようと凌ぎを削る。そんなことが昔から繰り広げられてきたので、安珠にはそれが日常の風景となっていた。
公成が差し出してきたフルートグラスを受け取らず、席を立つ。安珠は取り巻きの後ろで眺めているだけの令嬢たちに足をむけた。
「皆様、楽しんでいただけましたか」
安珠に声をかけられた令嬢たちは驚きの表情を浮かべたが、それはすぐに笑顔に変わる。
「安珠さま、素敵でしたわ」
口々に述べられる賛辞。中には涙ぐんで祈るように手を合わせている令嬢もいる。
お客様には公平に接しなければいけない。
安珠の演奏を聴いて、安珠と話したいと思っているお客様がいるからには期待に応えなくてはいけない。それが安珠の信条だった。
置いてけぼりにされた紳士たちの間から溜息が零れる。
「罪な男だ」
晃久の呆れたような声音が耳に届いたが、安珠は卒のない微笑を浮かべて令嬢たちと歓談した。
パーティーはつつがなく進められ、安珠は数え切れないほどのお祝いの言葉と共に贈り物を頂戴した。中には邸宅や船など贈ってくれる紳士もおり、それらは丁重にお断りした。
豪奢なシャンデリアの煌めきが、紳士淑女のさざめきに零れ落ちる。銀食器に盛られた数々の肉料理、高名なシャンパン、誕生日を祝うケーキは塔のようにそびえ立つ。
だがどれも安珠の心を弾ませることはない。
主賓なので退出することもできない。ぼんやりしながらフルートグラスを傾けたが、最高級のシャンパンは味が分からなかった。
「退屈そうだね、安珠」
公成に声をかけられて、ふと目線をむけたとき。
あっ、と小さく声が上がる。
驚いている公成の視線を追えば、安珠のスーツの裾がわずかに濡れていた。純白のカシミアには黄金色の飛沫が散っている。
「すまない、安珠。私は何という粗相をしてしまったんだ」
彼の手にしていたシャンパンが零れてしまったらしい。一瞬のことなので全く気づかなかった。
安珠は陰鬱な思いを胸の裡に隠しながら、マホガニー製のグランドピアノを見つめる。
父には未だに告げていない。高野は約束どおり、結果を濁してくれているらしい。父は血液検査の結果が出ないことに対して高野に苛立ちをぶつけていたようなので、いずれ判明するのは時間の問題かもしれない。
ひとり息子の安珠が爵位を継ぐことは周囲の人間から見れば明らかであるので、誰もそのことについては話題にしなかった。
オメガであっても、安珠は父のただひとりの息子だ。
正直に話せば父は納得してくれるだろうか。身分を非常に重んじる父の価値観は妥協ができるのか、予想がつかなかった。すべては公爵である父の心積もりひとつである。揉め事を起こした息子を嫌い、叔父や甥に爵位を譲ったという例もある。
鬱々とする安珠の周りを、友人たちが取り囲んだ。五条公成は、親しげに安珠の肩を抱く。
「素晴らしい演奏だったよ、安珠。さすが華の和音だ。君の美しさの前には月も太陽も雲に隠れてしまうだろう」
この男は調子が良く、花から花へ飛び移る恋多き男と有名で、誰に対しても美しいと賞賛する。薄い賛辞を受けても何の感慨も湧かない。
「ありがとう」
安珠は平淡に述べると、さりげなく肩に置かれた公成の手を解いた。まるで安珠を自分のもののように扱うので始末が悪い。とはいえ公成ほどではないが、多くの人は安珠に対して下心をもって接してくる。欲を孕んだ目で見つめられることに安珠は慣れきっていた。
公成は同意を求めるように、少し離れたところでグラスを傾けていた大須賀晃久に訴える。
「晃久、君も同意見だろう。会社経営なぞ商人の真似事に精を出していても伯爵なのだから、安珠のピアノの素晴らしさくらいは分かるだろう?」
失礼な言いぐさに眉をひそめる。大須賀伯爵家を継いだばかりの晃久は口端を吊り上げながら、鋭い眦をむけた。
「華の和音にしては、勢いのないソナタだったな」
心中を見透かされたような指摘に動揺しかけたが、安珠は琥珀の眸を瞬かせて黙殺した。『華の和音』とは、安珠に捧げられた敬称だ。
数々の男や女を惑わす美しい華という意味らしく、音楽用語になぞらえて、いつの頃からかそう呼ばれるようになった。安珠が恋多き人であることを暗に示唆する皮肉も込められている。これまで数え切れないほど愛の告白を断ってきたので、恨みを抱いた紳士や令嬢がそのように称したことが始まりかもしれない。
賛同が得られなかったことを公成は予期していたのか、これだから無骨な者は美しさを理解しないなどと楽しげに語り出した。美醜の話なのかピアノの腕前なのか、どちらなのだ。安珠はこっそりと嘆息した。
公成が親しくもない晃久に声をかけた理由は明白だ。
晃久は友人ではあるが、安珠に興味がないので敵にはなり得ないからである。
多くの者が我こそはと目をぎらつかせて、華の和音を獲得しようと凌ぎを削る。そんなことが昔から繰り広げられてきたので、安珠にはそれが日常の風景となっていた。
公成が差し出してきたフルートグラスを受け取らず、席を立つ。安珠は取り巻きの後ろで眺めているだけの令嬢たちに足をむけた。
「皆様、楽しんでいただけましたか」
安珠に声をかけられた令嬢たちは驚きの表情を浮かべたが、それはすぐに笑顔に変わる。
「安珠さま、素敵でしたわ」
口々に述べられる賛辞。中には涙ぐんで祈るように手を合わせている令嬢もいる。
お客様には公平に接しなければいけない。
安珠の演奏を聴いて、安珠と話したいと思っているお客様がいるからには期待に応えなくてはいけない。それが安珠の信条だった。
置いてけぼりにされた紳士たちの間から溜息が零れる。
「罪な男だ」
晃久の呆れたような声音が耳に届いたが、安珠は卒のない微笑を浮かべて令嬢たちと歓談した。
パーティーはつつがなく進められ、安珠は数え切れないほどのお祝いの言葉と共に贈り物を頂戴した。中には邸宅や船など贈ってくれる紳士もおり、それらは丁重にお断りした。
豪奢なシャンデリアの煌めきが、紳士淑女のさざめきに零れ落ちる。銀食器に盛られた数々の肉料理、高名なシャンパン、誕生日を祝うケーキは塔のようにそびえ立つ。
だがどれも安珠の心を弾ませることはない。
主賓なので退出することもできない。ぼんやりしながらフルートグラスを傾けたが、最高級のシャンパンは味が分からなかった。
「退屈そうだね、安珠」
公成に声をかけられて、ふと目線をむけたとき。
あっ、と小さく声が上がる。
驚いている公成の視線を追えば、安珠のスーツの裾がわずかに濡れていた。純白のカシミアには黄金色の飛沫が散っている。
「すまない、安珠。私は何という粗相をしてしまったんだ」
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