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椿小路公爵家の誕生パーティー 3
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「いや、いい。何でもないんだ。さっき見たことはお父さまに報告しないでほしい」
公成に襲われたなどと事を大きくすれば、五条子爵家との関係も気まずくなる。父に余計な憂慮を抱かせたくない。
分かりました、と了承した鴇に着替え室へ導かれた。シャツとベストのみの格好なので、このまま広間には行けない。ハンガーにずらりと並べられた衣装の中から元々着ていた上着に似た白のジャケットを手に取った鴇は、着せかける前に安珠の眼前に立って首元のクラヴァットを直した。
熱い指先がわずかに首筋に触れる。
公成に触れられたときは嫌悪が湧いたのに、鴇が触れても何ともない。
なぜだろう。鴇には既に自慰の手伝いとして体に触れさせているから、慣れたということなのだろうか。でも初めてのときも嫌だという気持ちは湧かなかった。
部屋にふたりきりなのに、鴇は身を屈めて声をひそめる。
「まだ震えてる……。怖かった?」
「あ……」
恐怖を覚えたことを自覚させられてしまい、眦に涙が滲む。
泣いてはいけない。瞬きを繰り返して視線を彷徨わせる安珠の背を、逞しい腕が抱き込んだ。
「もう大丈夫。誰にも言わないよ。安珠は俺が守るから、何も心配しなくていい」
鴇の腕の中は熱くて、頼もしくて、心地良かった。大丈夫と告げられて、動揺していた心が凪いでいく。
震える指でジャケットの背に触れたとき、廊下を通る人の足音が聞こえたので我に返る。ぐい、と強靱な肩を押し戻すと、鴇は腕を解いて一歩下がった。
「……お父さまが呼んでいるんだったな。広間に戻る」
「涙は止まりました?」
鼻先がくっつくほど間近から覗き込まれる。そんなに近づかなくても見えると思う。
「泣いてない。少し動揺しただけだ。鴇が変なこと言うから」
微笑んだ鴇は精悍な顔を傾けた。頬から耳朶にかけて、熱い唇の感触が掠める。
「えっ」
そこは、公成に口づけられた箇所だ。
鴇は何事もなかったかのように背後に回り、上着を着せかけてくる。偶然触れたのだろうかと思わせるほど、刹那的な出来事だった。
着替え室を出る際、扉を閉める音に紛れて鴇はぽつりと呟いた。
「消毒です」
「……なんだって?」
「いえ。温かいお飲み物をお持ちしましょう。少しだけブランデーを入れますね」
パーティーが行われている広間から、紳士淑女の楽しげなさざめきが波のように伝わってくる。
次期公爵の顔を完全に取り戻した安珠は、招待客に囲まれて談笑している父の元へ向かった。
「お父さま、お待たせしました。僕をお呼びだと伺いましたが?」
「うん? 呼んではいないが、折角来たのだから皆さんの話を聞いていきなさい」
父が呼んでいるので、鴇は安珠を捜しに来たのではなかったのか。
紳士たちの隣で黙然としていると、音もなく近寄った鴇が慇懃な仕草で安珠に銀盆を差し出した。
琥珀色の飲み物が羹用のグラスに入れられて、湯気を立ち上らせている。わずかに漂うブランデーの芳醇な香りが鼻をくすぐる。取っ手を掴んでグラスを持ち上げた安珠は横目を投げた。
「嘘つきめ」
鴇は頭を下げたまま、唇に弧を描いた。
パーティーでは楽しげに振る舞っていた父は無理が祟ったのか、翌日から体調を崩した。
診察を終えた高野の表情は硬い。
応接室で待っていた安珠や山崎を始めとした古参の使用人たちに、重苦しく公爵家の専属医師は告げる。
「ご家族をお呼びください。史子さまと、奥様にもご連絡を」
「先生、まさか……!」
「旦那さまのお命は、後一週間ほどでございます」
冷静に宣告された台詞が、安珠の中で空回りしていく。肘掛けに置いた己の手が震えるのを止められない。その手を、温かくて大きな掌が包む。
ぎこちなく目をむければ、鴇に間近から覗き込まれていた。
「大丈夫です。旦那さまは必ず回復されます」
医師の高野が余命僅かだと見立てたのである。鴇の言い分には何も根拠がない。
言い返す気力もない安珠は唇を噛みしめることくらいしかできなかった。
山崎が男爵家に使いを遣り、事情を聞いた姉の史子はすぐさま来訪した。
「安珠、お父さまのご様子はどうなの?」
「お姉さま……それが……」
公成に襲われたなどと事を大きくすれば、五条子爵家との関係も気まずくなる。父に余計な憂慮を抱かせたくない。
分かりました、と了承した鴇に着替え室へ導かれた。シャツとベストのみの格好なので、このまま広間には行けない。ハンガーにずらりと並べられた衣装の中から元々着ていた上着に似た白のジャケットを手に取った鴇は、着せかける前に安珠の眼前に立って首元のクラヴァットを直した。
熱い指先がわずかに首筋に触れる。
公成に触れられたときは嫌悪が湧いたのに、鴇が触れても何ともない。
なぜだろう。鴇には既に自慰の手伝いとして体に触れさせているから、慣れたということなのだろうか。でも初めてのときも嫌だという気持ちは湧かなかった。
部屋にふたりきりなのに、鴇は身を屈めて声をひそめる。
「まだ震えてる……。怖かった?」
「あ……」
恐怖を覚えたことを自覚させられてしまい、眦に涙が滲む。
泣いてはいけない。瞬きを繰り返して視線を彷徨わせる安珠の背を、逞しい腕が抱き込んだ。
「もう大丈夫。誰にも言わないよ。安珠は俺が守るから、何も心配しなくていい」
鴇の腕の中は熱くて、頼もしくて、心地良かった。大丈夫と告げられて、動揺していた心が凪いでいく。
震える指でジャケットの背に触れたとき、廊下を通る人の足音が聞こえたので我に返る。ぐい、と強靱な肩を押し戻すと、鴇は腕を解いて一歩下がった。
「……お父さまが呼んでいるんだったな。広間に戻る」
「涙は止まりました?」
鼻先がくっつくほど間近から覗き込まれる。そんなに近づかなくても見えると思う。
「泣いてない。少し動揺しただけだ。鴇が変なこと言うから」
微笑んだ鴇は精悍な顔を傾けた。頬から耳朶にかけて、熱い唇の感触が掠める。
「えっ」
そこは、公成に口づけられた箇所だ。
鴇は何事もなかったかのように背後に回り、上着を着せかけてくる。偶然触れたのだろうかと思わせるほど、刹那的な出来事だった。
着替え室を出る際、扉を閉める音に紛れて鴇はぽつりと呟いた。
「消毒です」
「……なんだって?」
「いえ。温かいお飲み物をお持ちしましょう。少しだけブランデーを入れますね」
パーティーが行われている広間から、紳士淑女の楽しげなさざめきが波のように伝わってくる。
次期公爵の顔を完全に取り戻した安珠は、招待客に囲まれて談笑している父の元へ向かった。
「お父さま、お待たせしました。僕をお呼びだと伺いましたが?」
「うん? 呼んではいないが、折角来たのだから皆さんの話を聞いていきなさい」
父が呼んでいるので、鴇は安珠を捜しに来たのではなかったのか。
紳士たちの隣で黙然としていると、音もなく近寄った鴇が慇懃な仕草で安珠に銀盆を差し出した。
琥珀色の飲み物が羹用のグラスに入れられて、湯気を立ち上らせている。わずかに漂うブランデーの芳醇な香りが鼻をくすぐる。取っ手を掴んでグラスを持ち上げた安珠は横目を投げた。
「嘘つきめ」
鴇は頭を下げたまま、唇に弧を描いた。
パーティーでは楽しげに振る舞っていた父は無理が祟ったのか、翌日から体調を崩した。
診察を終えた高野の表情は硬い。
応接室で待っていた安珠や山崎を始めとした古参の使用人たちに、重苦しく公爵家の専属医師は告げる。
「ご家族をお呼びください。史子さまと、奥様にもご連絡を」
「先生、まさか……!」
「旦那さまのお命は、後一週間ほどでございます」
冷静に宣告された台詞が、安珠の中で空回りしていく。肘掛けに置いた己の手が震えるのを止められない。その手を、温かくて大きな掌が包む。
ぎこちなく目をむければ、鴇に間近から覗き込まれていた。
「大丈夫です。旦那さまは必ず回復されます」
医師の高野が余命僅かだと見立てたのである。鴇の言い分には何も根拠がない。
言い返す気力もない安珠は唇を噛みしめることくらいしかできなかった。
山崎が男爵家に使いを遣り、事情を聞いた姉の史子はすぐさま来訪した。
「安珠、お父さまのご様子はどうなの?」
「お姉さま……それが……」
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