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「あやかしお宿の若女将と雪なごり」 プロローグ
花湯屋の冬ごもり
旅館の玄関扉を開けると、眼前には眩い銀世界が広がっていた。
雪の煌めきを目にした私――花野優香は思わず歓声を上げる。
「わあ……なんて綺麗!」
銀山温泉には冬が到来した。
約一年前に東京から山形の銀山温泉に引っ越してきた私は、ここ花湯屋の若女将として、あやかしの訪れる臙脂の暖簾を預かっている。
私があやかし使いの末裔であると聞いたときはとても驚いたけれど、神使の圭史郎さんや看板犬のコロさん、それに花湯屋の面々に支えられて、若女将を務められてきた。これまでに出会った様々なあやかしたちや人々とのかかわりを通して、私自身が日々成長できていると実感している。今は冬休みに入ったので高校が休みだから、お客様をお迎えするために、よりよい宿にしていこう。
奮起した私は早朝の氷点下、玄関から一歩を踏み出した途端に足を滑らせる。
「ひゃああああ⁉ ……あ、セーフでした……」
「気をつけろ。凍っているところを歩いたら地元民でも転ぶからな」
呆れ声で注意を促しつつ、私の腕を取って助けてくれた圭史郎さんを振り返る。
花湯屋で長く臙脂の暖簾を守ってきた神使の圭史郎さんは、高校では私と同じクラスだけれど、冷たい眼差しと不遜な態度は年長を思わせる。
それというのも、彼の正体はあやかしらしいのである。
夏の花火大会で圭史郎さんの過去の一部を告白された私は、詳細を問い詰めることを控えた。
初代当主おゆうの兄である花野圭史郎は、あやかしの能力で長生きをしている――と歴代の当主に伝えられているようだ。
よく考えてみれば、ずっと若いままの姿でいる圭史郎さんを周囲が不審に思わないわけがないだろう。それを黙認しているのはひとえに、圭史郎さんが花湯屋のために尽力してくれるからにほかならない。
圭史郎さんが何者であっても、私にとっては昼寝が趣味の残念なイケメンでしかない。それに彼には数々の場面で助けてもらった。過去に何があろうとも、それを掘り返して責めるようなことはしたくない。ともに花湯屋を盛り立てていく仲間であることに変わりはないのだから。
「圭史郎さんってば、そろそろ私を東京の人として扱わないでくださいよ。私だって一年くらい山形に住んでるんですからね」
形ばかり唇を尖らせると、私の腕を解放した圭史郎さんは怪訝な目つきを向ける。
「優香はまだまだ、ひよっこだ。今日の恰好も落第だぞ」
「万年高校二年生の圭史郎さんに言われたくないんですけど。私の雪かきスタイルは完璧じゃないですか?」
「重装備すぎる。その支度は積雪が膝上くらいのときだ」
「レベルがあるんですか……」
雪国の冬に欠かせない仕事、それが雪かきである。
雪深い山形県の中でも特に山奥の銀山温泉は、平地では積もっていないのに、温泉街は猛吹雪という天候もあるのだ。ピークの一月から二月にかけては、二メートルほどの積雪量のときもあるとか。それでもたくさんのお客様が訪れる観光地なので、温泉街は綺麗に雪を片付けておかなければならない。私は毎朝、率先して雪かきを行っていた。
初日に毛糸素材のもこもこジャケットを着用したので、雪まみれになったことは痛い思い出である。
撥水加工のある防寒具でないと、雪で濡れてからが大変だと知った。さらに帽子を被っていなかったので頭にはこんもりと雪が積もり、かじかんだ耳は痛んだ。圭史郎さんに追い立てられて温泉に駆け込んだのは言うまでもない。
雪かきには適した装備が必要だと学習した私は、腰まで隠れるダッフルコートに防水のズボン、二重素材の手袋、さらに耳当てのついた帽子という出で立ちになった。もちろん足元は底がでこぼこで滑らない雪道用の長靴です。
本日はさらりと降った程度で、路が雪に隠れているくらいだ。近所の宿のみなさんは雪かき専用の、赤いスコップで路を掃いている。
紺の法被の代わりに漆黒のダッフルコートを纏った圭史郎さんは、同様に赤いスコップを操る。素材がプラスチックなので軽いけれど、雪は結構重いので大変な作業だ。彼がスコップで路を擦ると、寄せられた雪が柵の向こうの銀山川へ落ちていった。
ほろりと溶けた雪は水となり、流れる川と混じって透明に変わる。
私は温泉街の中央を流れる銀山川が雪を呑んでいくさまを嬉々として眺めた。
「雪のときは真っ白なのに、溶けたら透明になるなんて不思議ですね」
「呑気だな。雪投げ場がないところでは道の両脇に積んでおくしかないから大変だぞ。銀山温泉は雪を投げられる川が近くにあるのが助かる」
雪を投げる、という表現に私は目を瞬かせた。
「投げるんですか? 雪合戦じゃないのに?」
「雪に限らないが、山形では『捨てる』と言わずに、『投げる』と表すんだ。ごみも、『投げる』だ。捨てるのは情がないからという理由らしい」
「北国の人は情に厚いと言いますものね。ということは……『ボールを投げる』は、どうなります?」
「……ボールを投げる、だな」
なぜか圭史郎さんは困ったように眉をひそめた。
通常の『投げる』は、そのまま使用するらしい。また山形弁をひとつ習得した私は嬉しくなった。
でも飛び跳ねてはいけない。雪道でジャンプしたら危険なのだ。
私が一センチくらいの小ジャンプを行っていると、それを横目にした圭史郎さんは黙々と雪を掃いていく。そうしていると、玄関からコロさんがやってきた。ふわふわの茶色の毛を纏っているコロさんは朗らかに微笑む。
「おはよう、若女将さん、圭史郎さん。少し積もったね。雪が冷たくて気持ちいいなぁ」
看板犬のコロさんは犬のあやかしなので、いつもは二本足で立っているけれど、雪の上では滑りやすいためか四本足で歩行していた。安定しているため、コロさんは軽やかな足取りで跳ねている。
「おはようございます、コロさん。素足で寒くないですか?」
「僕は犬だから、素足で雪の上を歩いても平気なんだ。若女将さんのくれた、このポンチョはとても温かくて気持ちいいよ」
散歩のときはコロさんがいつも着用している緑色のポンチョが大活躍だ。
すっかり綺麗になった玄関前で、圭史郎さんはスコップの柄に片腕をかけて溜息を吐く。
「コロ、散歩に行ってこい。もう山道の除雪も終わってるからな」
「まだ暗いうちから、ゴウンゴウンっていう音が聞こえたもんね。僕、あの音が好きなんだ」
県道に積雪があると、早朝の暗い時間帯に大型の除雪車が通って雪を掃いてくれるのだ。布団にくるまっていると響いてくるその音は、遠い世界から聞こえる祭り囃子にも似ていて心地好い。まさに雪国の風物詩だ。
「私も、除雪車が作業している音が大好きです。規則的だからか眠くなっちゃうんですよね」
「そうか? 俺には地獄の風の音に聞こえて居心地悪いんだが」
「もう、圭史郎さんってば天邪鬼なんだから」
「天邪鬼じゃないんだよ。正直な感想を述べただけだろ」
「ここは空気を読んで、俺も好きと同調……なんて、するわけないですね。私はこの一年で圭史郎さんという人を把握しました」
「完結してるじゃないか」
私と圭史郎さんのやり取りを微笑ましく見守っていたコロさんは、散歩に出かけようと足を踏み出す。
「ふたりで楽しくお喋りしていてね。それじゃあ、僕は……あれ?」
言葉を止めたコロさんの視線を追うと、銀山川に架かる白銀橋の向こうから、四駆の車がやってくるのが見えた。
まだようやく太陽が昇る白々とした時間だ。冬の早朝から山道を越えて観光客が訪れるなんて珍しい。
コロさんは華やいだ声をあげた。
「お客さんかな? ほら、あの子、僕と目が合ったよ」
「えっ……」
車窓からこちらを見ている小さな子が、コロさんを直視して笑みを浮かべている。
あやかしのコロさんは、ふつうの人間には見えないはずなのに、どうして。
小さな子をのせた四駆は花湯屋の前へ停車した。
雪の煌めきを目にした私――花野優香は思わず歓声を上げる。
「わあ……なんて綺麗!」
銀山温泉には冬が到来した。
約一年前に東京から山形の銀山温泉に引っ越してきた私は、ここ花湯屋の若女将として、あやかしの訪れる臙脂の暖簾を預かっている。
私があやかし使いの末裔であると聞いたときはとても驚いたけれど、神使の圭史郎さんや看板犬のコロさん、それに花湯屋の面々に支えられて、若女将を務められてきた。これまでに出会った様々なあやかしたちや人々とのかかわりを通して、私自身が日々成長できていると実感している。今は冬休みに入ったので高校が休みだから、お客様をお迎えするために、よりよい宿にしていこう。
奮起した私は早朝の氷点下、玄関から一歩を踏み出した途端に足を滑らせる。
「ひゃああああ⁉ ……あ、セーフでした……」
「気をつけろ。凍っているところを歩いたら地元民でも転ぶからな」
呆れ声で注意を促しつつ、私の腕を取って助けてくれた圭史郎さんを振り返る。
花湯屋で長く臙脂の暖簾を守ってきた神使の圭史郎さんは、高校では私と同じクラスだけれど、冷たい眼差しと不遜な態度は年長を思わせる。
それというのも、彼の正体はあやかしらしいのである。
夏の花火大会で圭史郎さんの過去の一部を告白された私は、詳細を問い詰めることを控えた。
初代当主おゆうの兄である花野圭史郎は、あやかしの能力で長生きをしている――と歴代の当主に伝えられているようだ。
よく考えてみれば、ずっと若いままの姿でいる圭史郎さんを周囲が不審に思わないわけがないだろう。それを黙認しているのはひとえに、圭史郎さんが花湯屋のために尽力してくれるからにほかならない。
圭史郎さんが何者であっても、私にとっては昼寝が趣味の残念なイケメンでしかない。それに彼には数々の場面で助けてもらった。過去に何があろうとも、それを掘り返して責めるようなことはしたくない。ともに花湯屋を盛り立てていく仲間であることに変わりはないのだから。
「圭史郎さんってば、そろそろ私を東京の人として扱わないでくださいよ。私だって一年くらい山形に住んでるんですからね」
形ばかり唇を尖らせると、私の腕を解放した圭史郎さんは怪訝な目つきを向ける。
「優香はまだまだ、ひよっこだ。今日の恰好も落第だぞ」
「万年高校二年生の圭史郎さんに言われたくないんですけど。私の雪かきスタイルは完璧じゃないですか?」
「重装備すぎる。その支度は積雪が膝上くらいのときだ」
「レベルがあるんですか……」
雪国の冬に欠かせない仕事、それが雪かきである。
雪深い山形県の中でも特に山奥の銀山温泉は、平地では積もっていないのに、温泉街は猛吹雪という天候もあるのだ。ピークの一月から二月にかけては、二メートルほどの積雪量のときもあるとか。それでもたくさんのお客様が訪れる観光地なので、温泉街は綺麗に雪を片付けておかなければならない。私は毎朝、率先して雪かきを行っていた。
初日に毛糸素材のもこもこジャケットを着用したので、雪まみれになったことは痛い思い出である。
撥水加工のある防寒具でないと、雪で濡れてからが大変だと知った。さらに帽子を被っていなかったので頭にはこんもりと雪が積もり、かじかんだ耳は痛んだ。圭史郎さんに追い立てられて温泉に駆け込んだのは言うまでもない。
雪かきには適した装備が必要だと学習した私は、腰まで隠れるダッフルコートに防水のズボン、二重素材の手袋、さらに耳当てのついた帽子という出で立ちになった。もちろん足元は底がでこぼこで滑らない雪道用の長靴です。
本日はさらりと降った程度で、路が雪に隠れているくらいだ。近所の宿のみなさんは雪かき専用の、赤いスコップで路を掃いている。
紺の法被の代わりに漆黒のダッフルコートを纏った圭史郎さんは、同様に赤いスコップを操る。素材がプラスチックなので軽いけれど、雪は結構重いので大変な作業だ。彼がスコップで路を擦ると、寄せられた雪が柵の向こうの銀山川へ落ちていった。
ほろりと溶けた雪は水となり、流れる川と混じって透明に変わる。
私は温泉街の中央を流れる銀山川が雪を呑んでいくさまを嬉々として眺めた。
「雪のときは真っ白なのに、溶けたら透明になるなんて不思議ですね」
「呑気だな。雪投げ場がないところでは道の両脇に積んでおくしかないから大変だぞ。銀山温泉は雪を投げられる川が近くにあるのが助かる」
雪を投げる、という表現に私は目を瞬かせた。
「投げるんですか? 雪合戦じゃないのに?」
「雪に限らないが、山形では『捨てる』と言わずに、『投げる』と表すんだ。ごみも、『投げる』だ。捨てるのは情がないからという理由らしい」
「北国の人は情に厚いと言いますものね。ということは……『ボールを投げる』は、どうなります?」
「……ボールを投げる、だな」
なぜか圭史郎さんは困ったように眉をひそめた。
通常の『投げる』は、そのまま使用するらしい。また山形弁をひとつ習得した私は嬉しくなった。
でも飛び跳ねてはいけない。雪道でジャンプしたら危険なのだ。
私が一センチくらいの小ジャンプを行っていると、それを横目にした圭史郎さんは黙々と雪を掃いていく。そうしていると、玄関からコロさんがやってきた。ふわふわの茶色の毛を纏っているコロさんは朗らかに微笑む。
「おはよう、若女将さん、圭史郎さん。少し積もったね。雪が冷たくて気持ちいいなぁ」
看板犬のコロさんは犬のあやかしなので、いつもは二本足で立っているけれど、雪の上では滑りやすいためか四本足で歩行していた。安定しているため、コロさんは軽やかな足取りで跳ねている。
「おはようございます、コロさん。素足で寒くないですか?」
「僕は犬だから、素足で雪の上を歩いても平気なんだ。若女将さんのくれた、このポンチョはとても温かくて気持ちいいよ」
散歩のときはコロさんがいつも着用している緑色のポンチョが大活躍だ。
すっかり綺麗になった玄関前で、圭史郎さんはスコップの柄に片腕をかけて溜息を吐く。
「コロ、散歩に行ってこい。もう山道の除雪も終わってるからな」
「まだ暗いうちから、ゴウンゴウンっていう音が聞こえたもんね。僕、あの音が好きなんだ」
県道に積雪があると、早朝の暗い時間帯に大型の除雪車が通って雪を掃いてくれるのだ。布団にくるまっていると響いてくるその音は、遠い世界から聞こえる祭り囃子にも似ていて心地好い。まさに雪国の風物詩だ。
「私も、除雪車が作業している音が大好きです。規則的だからか眠くなっちゃうんですよね」
「そうか? 俺には地獄の風の音に聞こえて居心地悪いんだが」
「もう、圭史郎さんってば天邪鬼なんだから」
「天邪鬼じゃないんだよ。正直な感想を述べただけだろ」
「ここは空気を読んで、俺も好きと同調……なんて、するわけないですね。私はこの一年で圭史郎さんという人を把握しました」
「完結してるじゃないか」
私と圭史郎さんのやり取りを微笑ましく見守っていたコロさんは、散歩に出かけようと足を踏み出す。
「ふたりで楽しくお喋りしていてね。それじゃあ、僕は……あれ?」
言葉を止めたコロさんの視線を追うと、銀山川に架かる白銀橋の向こうから、四駆の車がやってくるのが見えた。
まだようやく太陽が昇る白々とした時間だ。冬の早朝から山道を越えて観光客が訪れるなんて珍しい。
コロさんは華やいだ声をあげた。
「お客さんかな? ほら、あの子、僕と目が合ったよ」
「えっ……」
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