みちのく銀山温泉

沖田弥子

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第一章 カマクラコモリ

不思議なかまくら 1

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 ぞくりと背を震わせた私は、恐怖を振り払うように明るい声を出した。

「そうだ! コロさんじゃないですか? ちょっと様子を見てきますね」

 コロさんが遠吠えをしたことなどないとわかっているのだが、首を捻っているヨミじいさんを残し、談話室の扉を開けて廊下へ出る。
 すると、廊下の向こうから小さな物体が、すうっと滑るように近づいてきた。

「ひっ……!」

 一瞬悲鳴を上げかけたけれど、よく見るとそれは光希君だった。
 つい先程まで、ぐっすり眠っていたはずなのに。

「光希君、どうしたんですか?」

 彼は私の問いに答えない。眼差しすら向けなかった。
 目は据わり、どこかぼんやりして虚ろだ。笑ったり、はしゃいだりする昼間の姿とはまるで別人である。
 光希君は私の脇を通り抜け、玄関へ向かっていった。

「待って、光希君!」

 私の声に反応して素早く談話室から飛び出したヨミじいさんは、ばさりと羽を広げた。

「始まったか、追うぞ。若女将たちは車でついてまいれ」
「わかりました!」

 慌てて防寒具を装着し、外へ出る。降りしきる雪の中で目にした光希君はとうに白銀橋を渡り、もはや豆粒のように小さくなっていた。飛び跳ねるように駆けるさまは、とても三歳児とは思えない。まるで獣だ。あれでは大人であろうとも追いかけるのは困難だろう。

「優香、さっさと乗れ!」

 軽トラックのハンドルを回した圭史郎さんが、運転席から呼びかける。
 助手席に飛び乗ると、車内はほんのりと暖まっていた。そのとき光希君の姿はすでに視界にない。窓越しに夜空を見上げると、空間を埋め尽くす雪の合間を縫って、ヨミじいさんが飛んでいるのが確認できた。

「雪がすごい……! 圭史郎さん、光希君は長靴を履いてないんです。大丈夫でしょうか?」
「キツネ憑きだから全身に毛皮を着ているようなものだ。防寒の面は問題ない。それより、ヨミじいさんが雪玉にならないか心配してやれ」

 ぞくぞくと雪は降り積もり、漆黒の世界を冷たい灰色に染め上げていく。日中に道路は掃かれていたのに、瞬く間に路は積雪した。軽トラは徐行運転せざるを得ず、私はヨミじいさんを見失わないよう目を凝らす。

「どこまで行くんでしょう。この辺りは民家もない山の中ですけど……」
「声のするほうだな。あの遠吠えに、光希は呼び寄せられているようだ」

 ヨミじいさんは獣の声がすると言っていたけれど、圭史郎さんにも聞こえているのだ。

「遠吠えですか……。私には何も聞こえませんけど」
「もうかなり近いぞ。ここらで車から降りて様子を見よう」

 停車した圭史郎さんはエンジンを切り、車のヘッドライトを消した。
 車外に出ると、ざくりと長靴が雪に沈む。雪はちらちらとした小降りに変わっていた。
 街灯のない山奥だが、雪が白いためか明かり代わりになり、木立が判別できる。
 コーン……コーン……
 そのとき、私の耳にも動物の鳴き声が届く。それは犬でも狼でもなく、特徴のある遠吠えだった。

「あっ……圭史郎さん、聞こえました!」

 小声で囁くと、頷いた圭史郎さんは前方を指差す。
 そちらに目を向けると、暗闇の中に橙色の明かりがほわりと浮かんでいた。
 このような山奥に民家があるのだろうか。
 不思議に思っていると、鳴き声がやんだ。圭史郎さんのあとに続き、長靴で雪を掻き分けるように進んで、明かりのほうへ近づいてみる。
 木立の陰にひっそりと佇んでいたのは、かまくらだった。
 山奥に灯る明かりは、かまくらの中から発せられている。なんて柔らかい、暖かな灯火なのだろう。
 惹かれるように歩を進めようとした私は、踏みとどまる。
 かまくらの中に、光希君がいたからだ。
 彼はこちらに背を向けて座っている。ひとりではなく、向かいに誰かいるようだが、ここからは見えない。

「あいつは……!」

 低く呟いた圭史郎さんが私の腕を取り、音を立てずに樹陰に隠れた。ひどく警戒する圭史郎さんだけれど、かまくらは優しげな雰囲気に包まれている。
 ふと見上げると、近くの枝にヨミじいさんがとまっている姿が確認できた。ひとまず私は息をひそめて、かまくらを注視する。
 光希君の向かいにいる人物が、優しい声を紡ぎ出した。

「イチ、よく来てくれたね。母さんは夜になるのを待ちわびていたのよ」
「ん」
「さあ、お餅をお食べ。イチはお餅が大好きだものね」
「ん」

『イチ』と呼ばれた光希君は、ぼんやりして短く返事をした。手を伸ばした彼は、皿に盛られたお餅をむしゃむしゃと食べ始める。ふたりの間には七輪が置いてあり、そこでお餅を焼いているようだ。

「鮎もあるのよ。イチはお魚が大好きだものね」
「ん」
「それからウサギの肉も。とても香ばしいのよ」
「ん」
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