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第一章 カマクラコモリ
それぞれの思惑 2
懐から取り出したキツネの人形を、ずいと差し出す。
実は寝不足の原因は、徹夜でこの人形を作成していたからだった。
以前、くまっちというこまもふが宿を訪れたときに請われて、くまのぬいぐるみを作成したことがあった。それらのキットがあったので、急遽キツネのぬいぐるみを縫ってみたのだ。細長い人形は掌より少々大きいくらいなので持ち運びに便利である。さすがに本物と同じくらいのサイズを作成するのは困難なので、この大きさに落ち着いた。
双眸を細めた圭史郎さんは、怪訝な目つきで人形を見やる。
「相変わらず優香の造形は怪しいな。キツネというより、堕落した猫ってところだ」
「わしもそこだけは圭史郎に同意じゃのう」
ふたりから遠回しに下手という烙印を押されてしまい、私の頰が引きつる。
一生懸命作ったのに……。ただ、眠かったので少々生地がよれてしまったかもしれない。
「可愛いじゃないですか……。この人形を代わりに入れておけば、キツネのお母さんは無事にかまくらから出られるはずです」
「カマクラコモリがそんなものに騙されるわけないだろ。同行するならとりあえず、優香はかまくらからいつでも光希を取り出せるよう気を配っていてくれ」
「わかりました」
「ヨミじいさんは、不測の事態が起こったときにキツネの母親を説得してくれ。それ以外はふたりとも手を出すなよ」
「了解した。……もしかすると、あれを使うのか?」
「さあな。光希の様子を見てくる」
素知らぬ顔をした圭史郎さんは談話室へ向かっていった。
邪魔と言いつつも、圭史郎さんは私たちを頼りにしてくれるのだ。私はキツネの人形を、ぎゅっと抱きしめた。
「ヨミじいさん……『あれ』って何ですか?」
問われたヨミじいさんは、大きな目をぱちぱちと瞬かせる。
「う、うむ。単なるわしの憶測じゃ。圭史郎には奥の手があるのでな。そうじゃ、お代の銀粒をまだ払っていないゆえ、取ってくるわい」
ばさりと私の頭の上から飛び立ったヨミじいさんは、窓から外へ出て行ってしまった。
圭史郎さんもヨミじいさんも、秘密主義で困ってしまう。
でも、彼らには何らかの思うところがあるのだろう。圭史郎さんは、きっと悪いようにはしないはずだ。私は手にしたキツネの人形を見つめながら、そう信じた。
日中は談話室で、コロさんと子鬼たちが光希君と遊んでくれた。そこに保護者然とした圭史郎さんが加わる。彼は光希君の背後に回って、耳や首の後ろをしきりに触っていた。遊んであげているというわけでもなく、圭史郎さんは何やら神妙な顔をしている。
カマクラコモリについてコロさんと話したかったけれど、圭史郎さんが常に傍にいる状況なので、私は掃除の合間にみんなの様子を覗くくらいしかできなかった。
そして、夜が訪れた。
昨夜と同じように光希君を布団に寝かせ、彼の寝息を確認する。今日もたくさん遊んだので、光希君はぐっすり眠っている。
もうすぐ、キツネの母親の遠吠えが聞こえてくるかもしれない。
私はどきどきしながら、耳を澄ませた。
すると、ふいに光希君が寝返りを打った。ぴくりと、三角の耳が立つ。
「母さん……」
その呟きに息を呑んだ私は、眠っている光希君を凝視する。
今のは光希君の声ではない。それに彼はまだ、『パパ、ママ』としか喋れないはずだ。
ということは……
「イチ……?」
キツネの子どもの、イチだろうか。
昨夜の様子ではイチの意識はあるのかよくわからなかったけれど、光希君とひとつの体を共有しているので、夜はキツネのイチが覚醒している可能性が高い。
人間の子どもに取り憑いているということは、イチ自身もあやかしであり、言葉を話せるのだ。
ふっと瞼を開けた光希君は、ゆらりと立ち上がった。
「呼んでる……母さん……」
「あ……まって。待ってください、イチ!」
私の制止は全く聞こえていないようで、イチとなった光希君は驚くほどの俊敏さで部屋を出て行った。私が追いかけたときにはもう、廊下にいない。
すでにコートを纏って支度を済ませていた私は慌てて長靴を履き、屋外へ出る。
昨夜とは打って変わり、凍てつくような満天の星空が広がっている。晴れているので冷却現象が起き、路は鏡のように光り輝いた状態で凍りついていた。
白銀橋の向こうに、駆けていくコロさんの後ろ姿が見えた。光希君のあとを走って追いかけているのだ。
軽トラックに乗り込んでいる圭史郎さんはすでにエンジンをかけており、準備万端だった。
「早くしろ、優香。置いていくぞ」
「そう言われましても、道路がスケートリンクと化しているんですけども」
私は真っ白な息を吐きながら、おそるおそる足を前へ繰り出して、ツルツルの道路を半ば滑るように進む。ようやく助手席のドアにしがみつけた。まるで初めてスケートリンクに降り立った初心者のような覚束なさである。
発進した車の座席から夜空を見上げると、ヨミじいさんの羽ばたく姿が星に紛れて見えている。おそらくあの下には光希君が駆けているのだろう。私には聞こえないけれど、キツネの母親の遠吠えが響いているに違いない。
実は寝不足の原因は、徹夜でこの人形を作成していたからだった。
以前、くまっちというこまもふが宿を訪れたときに請われて、くまのぬいぐるみを作成したことがあった。それらのキットがあったので、急遽キツネのぬいぐるみを縫ってみたのだ。細長い人形は掌より少々大きいくらいなので持ち運びに便利である。さすがに本物と同じくらいのサイズを作成するのは困難なので、この大きさに落ち着いた。
双眸を細めた圭史郎さんは、怪訝な目つきで人形を見やる。
「相変わらず優香の造形は怪しいな。キツネというより、堕落した猫ってところだ」
「わしもそこだけは圭史郎に同意じゃのう」
ふたりから遠回しに下手という烙印を押されてしまい、私の頰が引きつる。
一生懸命作ったのに……。ただ、眠かったので少々生地がよれてしまったかもしれない。
「可愛いじゃないですか……。この人形を代わりに入れておけば、キツネのお母さんは無事にかまくらから出られるはずです」
「カマクラコモリがそんなものに騙されるわけないだろ。同行するならとりあえず、優香はかまくらからいつでも光希を取り出せるよう気を配っていてくれ」
「わかりました」
「ヨミじいさんは、不測の事態が起こったときにキツネの母親を説得してくれ。それ以外はふたりとも手を出すなよ」
「了解した。……もしかすると、あれを使うのか?」
「さあな。光希の様子を見てくる」
素知らぬ顔をした圭史郎さんは談話室へ向かっていった。
邪魔と言いつつも、圭史郎さんは私たちを頼りにしてくれるのだ。私はキツネの人形を、ぎゅっと抱きしめた。
「ヨミじいさん……『あれ』って何ですか?」
問われたヨミじいさんは、大きな目をぱちぱちと瞬かせる。
「う、うむ。単なるわしの憶測じゃ。圭史郎には奥の手があるのでな。そうじゃ、お代の銀粒をまだ払っていないゆえ、取ってくるわい」
ばさりと私の頭の上から飛び立ったヨミじいさんは、窓から外へ出て行ってしまった。
圭史郎さんもヨミじいさんも、秘密主義で困ってしまう。
でも、彼らには何らかの思うところがあるのだろう。圭史郎さんは、きっと悪いようにはしないはずだ。私は手にしたキツネの人形を見つめながら、そう信じた。
日中は談話室で、コロさんと子鬼たちが光希君と遊んでくれた。そこに保護者然とした圭史郎さんが加わる。彼は光希君の背後に回って、耳や首の後ろをしきりに触っていた。遊んであげているというわけでもなく、圭史郎さんは何やら神妙な顔をしている。
カマクラコモリについてコロさんと話したかったけれど、圭史郎さんが常に傍にいる状況なので、私は掃除の合間にみんなの様子を覗くくらいしかできなかった。
そして、夜が訪れた。
昨夜と同じように光希君を布団に寝かせ、彼の寝息を確認する。今日もたくさん遊んだので、光希君はぐっすり眠っている。
もうすぐ、キツネの母親の遠吠えが聞こえてくるかもしれない。
私はどきどきしながら、耳を澄ませた。
すると、ふいに光希君が寝返りを打った。ぴくりと、三角の耳が立つ。
「母さん……」
その呟きに息を呑んだ私は、眠っている光希君を凝視する。
今のは光希君の声ではない。それに彼はまだ、『パパ、ママ』としか喋れないはずだ。
ということは……
「イチ……?」
キツネの子どもの、イチだろうか。
昨夜の様子ではイチの意識はあるのかよくわからなかったけれど、光希君とひとつの体を共有しているので、夜はキツネのイチが覚醒している可能性が高い。
人間の子どもに取り憑いているということは、イチ自身もあやかしであり、言葉を話せるのだ。
ふっと瞼を開けた光希君は、ゆらりと立ち上がった。
「呼んでる……母さん……」
「あ……まって。待ってください、イチ!」
私の制止は全く聞こえていないようで、イチとなった光希君は驚くほどの俊敏さで部屋を出て行った。私が追いかけたときにはもう、廊下にいない。
すでにコートを纏って支度を済ませていた私は慌てて長靴を履き、屋外へ出る。
昨夜とは打って変わり、凍てつくような満天の星空が広がっている。晴れているので冷却現象が起き、路は鏡のように光り輝いた状態で凍りついていた。
白銀橋の向こうに、駆けていくコロさんの後ろ姿が見えた。光希君のあとを走って追いかけているのだ。
軽トラックに乗り込んでいる圭史郎さんはすでにエンジンをかけており、準備万端だった。
「早くしろ、優香。置いていくぞ」
「そう言われましても、道路がスケートリンクと化しているんですけども」
私は真っ白な息を吐きながら、おそるおそる足を前へ繰り出して、ツルツルの道路を半ば滑るように進む。ようやく助手席のドアにしがみつけた。まるで初めてスケートリンクに降り立った初心者のような覚束なさである。
発進した車の座席から夜空を見上げると、ヨミじいさんの羽ばたく姿が星に紛れて見えている。おそらくあの下には光希君が駆けているのだろう。私には聞こえないけれど、キツネの母親の遠吠えが響いているに違いない。
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