みちのく銀山温泉

沖田弥子

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第二章 ムゾウ

依頼人の正体

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 早く行こうと急かすように鳴いて、窓から羽ばたく。

「待ってください、ククル!」

 慌てた私は玄関から飛び出したけれど、軽トラで待機していた圭史郎さんのおかげで、無事に追いかけることができた。

「圭史郎さんも一緒に来てくれるんですね」
「当然だろ。どうにもあの手紙からは、うさんくさい匂いがするからな。……ん? おい、あいつどうしたんだ?」

 先を行っていたククルが道端に倒れている。急いで車を降りた私はククルを抱き上げた。昨日の疲労は回復できたと思ったのだが、ククルはぜえぜえと荒い呼吸を繰り返している。

「がんばりすぎて疲れちゃったみたいですね。太っているので疲れやすいのかなと思います」
「ったく、しょうがないやつだな。車にのせろ」

 腕に抱いて車にのせると、ククルはほっとしたように私の腕に凭れた。

「おい、ククル。俺が運転するから、分岐点に来たときに嘴で正しい道を示すんだ」
「クルッポ」
「優香は補助を頼む。左右を俺に教えてくれ」
「わかりました」

 圭史郎さんは車を発進させた。彼の指示どおり、分かれ道を訪れたときククルは「クルッポ!」と鳴いて一方の方角を指した。

「右です。次も右です。……左、左、右……」
「クルポッポ!」
「目的地はここみたいですね」

 圭史郎さんは車を停める。ククルに導かれて到着した地点は、住宅街からやや離れた一角にある荒れ地のようなところだった。
 手紙に書いてあった屋敷のような建物はどこにも見えない。杉や欅が佇む敷地の奥に、寂れた社がぽつんと佇んでいた。今は誰も訪れなくなった小さな神社のようだ。

「……ここか? おい、本当に合ってるんだろうな」
「クルッポー!」

 私たちは怪訝に思いながらも車から降りた。私の手から飛び立ったククルは、歓喜の声を上げながら社へ入っていった。
 入り口はククルが通れるほどの、少々の隙間が開いていた。
 やはり、ここが綾小路輝彦の住んでいる屋敷らしい。屋敷というからには豪勢な邸宅かと思っていたので、古びた社はあまりにもイメージからかけ離れていた。

「ここに綾小路さんがいるんでしょうか……。人が暮らせるようなところには見えませんけど」
「俺が先に入ろう」

 前に出た圭史郎さんは、階段を上る。ぎしりと軋んだ音が鳴り、この社が見た目どおりの古い建物であることを伝えた。私は圭史郎さんの後ろから、おそるおそるついていく。
 扉を開けると、意外にも室内は清潔だった。人がふたり入ればいっぱいになるほどの狭い社の中は古びているものの、埃が舞うようなことはない。誰かがここを掃除しているのだ。 
 部屋には古い祭壇のほかに、隅に重箱が置いてある。ククルは中央に、ぽつんと佇んでいた。

「お待ちしておりました……」

 薄暗い室内に、低い声が響いた。驚いた私は、びくりと肩を揺らす。
 ここには、私と圭史郎さんと、ククルの三人しかいない。ほかの人間が隠れられるような場所はないはずだ。
 私は勇気を振り絞り、謎の声に返事をした。

「あ、あなたが、手紙をくださった綾小路輝彦さんですか?」
「そのとおりです……。ぼくは人前に姿を現すことができませんので、このままで失礼します。若女将さま、どうかぼくの相談にのってくださいませんか?」

 姿を現せないのはなぜかわからないけれど、綾小路氏は手紙のとおり、礼儀正しい人物のようだ。ただ何者か不明なので、気味悪さは拭えない。
 このまま閉じ込められたらどうしよう、という恐怖が込み上げる。圭史郎さんが一緒でなければ、逃げ出していたかもしれない。

「相談……ですか。そ、その前にお伺いしたいんですけど、綾小路さんはどこにいらっしゃるんですか?」
「ぼくは近くにもいますし、遠くにもいます。怪しい者ではありませんので、どうかぼくのことについてはお気になさらず」

 ますます正体不明だ。
 ククルは先程から嘴を閉じているので、綾小路氏の言葉を代弁しているわけではない。不安になった私は室内を見回すが、これといって怪しいものは見当たらない。
 突如、圭史郎さんは足元を蹴り上げた。その瞬間、床にこびりついていた泥のようなものが、びちゃりと跳ねる。

「もったいぶるな。おまえか、ムゾウ」
「えっ?」

 下方に目を向ける圭史郎さんの視線を追うと、そこには泥の塊が蠢いていた。泥の中から現れた目玉がぎょろりと動く。驚いた私の喉から引きつった悲鳴が漏れた。

「ひいぃぃ……!」
「こいつは、ムゾウという泥のあやかしだ。有象無象のムゾウで、くだらない者という意味だ。あやかしの中でも最下級のやつだから能力は何もない」

 ムゾウと名付けられた泥のあやかしは逃げるように体をくねらせると、重箱の置かれた部屋の隅に寄った。ククルが羽をばたつかせて、ムゾウを守るように駆け寄る。
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