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第二章 ムゾウ
圭史郎の考察
「そういった記述はありませんね。だってもとから文通だから、遠くに引っ越しても困らないですよね。ククルが届けられないくらい遠いなら、郵便でもいいわけですし」
ムゾウに思い当たる節はないようだが、私は凜子さんが最後にくれたという手紙を読み返した。
そこでふと、とあることに気がつく。
「紅葉狩りのことが書いてありますけど、この手紙が届いたのはいつなんですか?」
今は雪深い真冬である。一週間に一通は凜子さんから手紙をもらうとムゾウは語っていたが、これが最後の手紙ということは、かなりの期間が経過しているのではないだろうか。
ムゾウはきっぱりと答えた。
「一〇一日前です」
「……えっ。ということは、三か月くらい、凜子さんに返事を出さないで今まで迷っていたわけですか?」
「そうですよ。若女将さまに相談するのも十日くらい悩みましたね。他人に話したら『ムゾウのくせに恋するなんて図々しい』とか言われちゃうんだろうな~……でもほかに相談できる人がいないしな~って」
呆れた私は圭史郎さんと目を合わせた。
三か月も返事が来なかったら、凜子さんは不安に思っているはずだ。特に前回の手紙が繊細な内容なので、綾小路輝彦に嫌われたと、がっかりしているかもしれない。それなのにムゾウは凜子さんの心情など気にも留めず、己の懊悩ばかりを優先させている。
私は重箱を探り、底にあった紙とペンを取り出した。
「ふぎゃあ! 何するんですか、勝手に触らないでくださいよ!」
「今すぐに、凜子さんへの返事を書いてください。三か月も手紙がないなら、何かあったのかと彼女は心配してますよ」
「ええ~? でも、大切なことというのが何なのかわからないと……それを聞く決心がつかないから返事が書けないんですってば」
「それは後回しでもいいです。とにかく、今まで手紙を書かなかったのは個人的な事情があるからで、凜子さんを忘れたわけではないと謝罪するんです」
おはじきを回収した圭史郎さんも大きく頷く。
「そうだな。文通でしか相手の情報が得られないんだ。御曹司の綾小路輝彦は体調が回復して別荘から去り、ひとときの文通相手のことなんて忘れた……とでも凜子は考えて、もう手紙は来ないものだと思っているかもな」
「ええっ⁉ そんなあ! ぼくが凜子さんのことを忘れるわけありませんよ」
ムゾウはペンを手にすると、すごいスピードで流麗な文字を書き綴った。綺麗な文字なのにとてつもなく手早い。
横から覗いてみると、『返事が遅くなり申し訳ありません。少々体調を崩していたのです。紅葉が終わり、空の色が勿忘草色になるのを見ました。凜子さんはどうしているだろうかと空を眺めつつ、いつも思っています。おかげさまで体調は回復しました。別荘の庭園では寒椿が美しく咲いています……』など、綾小路輝彦のイメージを崩さずに、私が勧めた謝罪の文章を盛り込んでいる。
これを読んだら、綾小路輝彦は実在すると信じてしまうだろう。空や庭園の様子をゆるりと眺める描写は、まさに別荘で療養している御曹司だ。
けれどムゾウは嘘をついて凜子さんを騙し、楽しんでいるわけではない。彼の妄想の中では綾小路輝彦としての世界が繰り広げられているのだと感じた。最下級の泥のあやかしという哀しい現実から逃れるための妄想から、綾小路輝彦は生み出されたのかもしれない。
丁寧に折り畳んだ手紙を封筒に入れたムゾウは、いつもそうしているようにククルに差し出した。ククルは嘴にしっかりと封筒を咥える。
「ふう、できた。とりあえず前回の『大切なこと』には一切触れてませんけど、手紙が遅れた謝罪だけでいいんですよね?」
「ああ、上等だ。俺はちょっと車を移動させてくる。路上駐車はまずいからな」
そう言った圭史郎さんは素早く立ち上がる。車を駐車したのは神社の敷地内だったはずなのに。
彼の意図を察した私は、素知らぬ顔をして腰を上げた。
「私も忘れ物がありました。取ってきますね」
ククルは開いた扉から飛び立っていった。ムゾウを残して社の扉を閉める。曇天を見上げると、杉の枝に一旦ククルがとまっていた。こっそりと圭史郎さんに耳打ちする。
「ククルを追いかけて、凜子さんの正体を確かめるんですね?」
顎を引いて軽く頷いた圭史郎さんは、車体の陰に移動した。ククルから見えない位置で、杉の木をうかがう。
「おそらく、凜子の正体はククルだ」
「……えっ⁉ どういうことですか?」
「あいつは言葉を喋れないが、知能は高い。ククルが文字を書けないという証拠はない。しかもメスだしな。ムゾウの文通相手は凜子と偽ったククルだと考えるのが妥当だ」
言われてみると、ムゾウが器用にペンを持って文字を書けるのだから、それを傍で眺めていたククルにも同じことができるかもしれない。
凜子さんに手紙を届けられるのはククルしかいない。ムゾウは動きが遅いようなので、ククルを追いかけて凜子さんの正体を確かめるといったことはできないだろう。
孤独だったふたりは身を寄せ合って暮らしていた。文通相手を望むムゾウの願いを叶えてあげようとしたククルが、理想の女性を演じる……
「ククルの気持ちを考えたらありうると思うんですけど、ひとつ問題がありますよね。あの栞や手紙は、どこで作成しているんでしょう? ククルが自分で作業できるとしても、細かい道具や場所が必要じゃありませんか?」
「それをこれから確かめに行くのさ。共犯がいるはずだからな」
ムゾウに思い当たる節はないようだが、私は凜子さんが最後にくれたという手紙を読み返した。
そこでふと、とあることに気がつく。
「紅葉狩りのことが書いてありますけど、この手紙が届いたのはいつなんですか?」
今は雪深い真冬である。一週間に一通は凜子さんから手紙をもらうとムゾウは語っていたが、これが最後の手紙ということは、かなりの期間が経過しているのではないだろうか。
ムゾウはきっぱりと答えた。
「一〇一日前です」
「……えっ。ということは、三か月くらい、凜子さんに返事を出さないで今まで迷っていたわけですか?」
「そうですよ。若女将さまに相談するのも十日くらい悩みましたね。他人に話したら『ムゾウのくせに恋するなんて図々しい』とか言われちゃうんだろうな~……でもほかに相談できる人がいないしな~って」
呆れた私は圭史郎さんと目を合わせた。
三か月も返事が来なかったら、凜子さんは不安に思っているはずだ。特に前回の手紙が繊細な内容なので、綾小路輝彦に嫌われたと、がっかりしているかもしれない。それなのにムゾウは凜子さんの心情など気にも留めず、己の懊悩ばかりを優先させている。
私は重箱を探り、底にあった紙とペンを取り出した。
「ふぎゃあ! 何するんですか、勝手に触らないでくださいよ!」
「今すぐに、凜子さんへの返事を書いてください。三か月も手紙がないなら、何かあったのかと彼女は心配してますよ」
「ええ~? でも、大切なことというのが何なのかわからないと……それを聞く決心がつかないから返事が書けないんですってば」
「それは後回しでもいいです。とにかく、今まで手紙を書かなかったのは個人的な事情があるからで、凜子さんを忘れたわけではないと謝罪するんです」
おはじきを回収した圭史郎さんも大きく頷く。
「そうだな。文通でしか相手の情報が得られないんだ。御曹司の綾小路輝彦は体調が回復して別荘から去り、ひとときの文通相手のことなんて忘れた……とでも凜子は考えて、もう手紙は来ないものだと思っているかもな」
「ええっ⁉ そんなあ! ぼくが凜子さんのことを忘れるわけありませんよ」
ムゾウはペンを手にすると、すごいスピードで流麗な文字を書き綴った。綺麗な文字なのにとてつもなく手早い。
横から覗いてみると、『返事が遅くなり申し訳ありません。少々体調を崩していたのです。紅葉が終わり、空の色が勿忘草色になるのを見ました。凜子さんはどうしているだろうかと空を眺めつつ、いつも思っています。おかげさまで体調は回復しました。別荘の庭園では寒椿が美しく咲いています……』など、綾小路輝彦のイメージを崩さずに、私が勧めた謝罪の文章を盛り込んでいる。
これを読んだら、綾小路輝彦は実在すると信じてしまうだろう。空や庭園の様子をゆるりと眺める描写は、まさに別荘で療養している御曹司だ。
けれどムゾウは嘘をついて凜子さんを騙し、楽しんでいるわけではない。彼の妄想の中では綾小路輝彦としての世界が繰り広げられているのだと感じた。最下級の泥のあやかしという哀しい現実から逃れるための妄想から、綾小路輝彦は生み出されたのかもしれない。
丁寧に折り畳んだ手紙を封筒に入れたムゾウは、いつもそうしているようにククルに差し出した。ククルは嘴にしっかりと封筒を咥える。
「ふう、できた。とりあえず前回の『大切なこと』には一切触れてませんけど、手紙が遅れた謝罪だけでいいんですよね?」
「ああ、上等だ。俺はちょっと車を移動させてくる。路上駐車はまずいからな」
そう言った圭史郎さんは素早く立ち上がる。車を駐車したのは神社の敷地内だったはずなのに。
彼の意図を察した私は、素知らぬ顔をして腰を上げた。
「私も忘れ物がありました。取ってきますね」
ククルは開いた扉から飛び立っていった。ムゾウを残して社の扉を閉める。曇天を見上げると、杉の枝に一旦ククルがとまっていた。こっそりと圭史郎さんに耳打ちする。
「ククルを追いかけて、凜子さんの正体を確かめるんですね?」
顎を引いて軽く頷いた圭史郎さんは、車体の陰に移動した。ククルから見えない位置で、杉の木をうかがう。
「おそらく、凜子の正体はククルだ」
「……えっ⁉ どういうことですか?」
「あいつは言葉を喋れないが、知能は高い。ククルが文字を書けないという証拠はない。しかもメスだしな。ムゾウの文通相手は凜子と偽ったククルだと考えるのが妥当だ」
言われてみると、ムゾウが器用にペンを持って文字を書けるのだから、それを傍で眺めていたククルにも同じことができるかもしれない。
凜子さんに手紙を届けられるのはククルしかいない。ムゾウは動きが遅いようなので、ククルを追いかけて凜子さんの正体を確かめるといったことはできないだろう。
孤独だったふたりは身を寄せ合って暮らしていた。文通相手を望むムゾウの願いを叶えてあげようとしたククルが、理想の女性を演じる……
「ククルの気持ちを考えたらありうると思うんですけど、ひとつ問題がありますよね。あの栞や手紙は、どこで作成しているんでしょう? ククルが自分で作業できるとしても、細かい道具や場所が必要じゃありませんか?」
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