みちのく銀山温泉

沖田弥子

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閑話 影

妹 1

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 ただの雑種だが、それなりに知能はある。小回りがきくので、上級あやかしがしもべとして使役することもある。地面を駆け回るのが目障りなので、俺は使ったことはないが。
 吊り下げられた奇妙な鼠又は、手を掻いて助けを求めた。

「ひゃあああ……おゆう、たすけてぇ」
小豆あずき! お願いです、兄さん、小豆を離してあげてください」

 両手を差し出して懇願されたので、おゆうの掌に、小豆だとか名づけられたあやかしを放ってやる。
 生まれたときからあやかしが見えるというのは、どうやら本当らしい。
 大切そうに掌に小豆を包んだおゆうは、ほっとした表情を見せた。
 そして、俺の心中を揺さぶる言葉を嬉々として紡ぐ。

「兄さんも、あやかしが見えるようになったんですね」

 しまった。圭史郎は本来、あやかしが見えないのだ。
 真実を告げるわけにもいかず、目線を逸らした俺は誤魔化した。

「……ああ。大怪我をしたせいだろう。急に見えるようになった」
「でも、小豆が鼠又の亜種だというのは私も初めて知りました。兄さんはどこでそれを知ったんですか?」

 不思議そうに目を瞬かせるおゆうに、どう返すべきか考えあぐねる。
 この娘は人間のようだが、どこまであやかしのことを知っているのか。それによって返答を変えなければならないので、まずはおゆうについて知る必要があった。

「怪我のせいで記憶が曖昧なんだ。今まで知っていたことを忘れたり、その逆に自分でも覚えのない知識が蓄えられていたりする。使用人たちは俺が別人のようだと噂していたな」
「父さんもそう言ってました。兄さんは怪我がひどくて気が立っているから、会ってはいけないと」
「死ぬような目に遭ったら誰でも人が変わるってことだ。……ところで、おゆうは生まれたときからあやかしが見えるんだったよな」
「そうですね。兄さんにはすべて話しているじゃありませんか。小豆という友人がいることも。みんな、私が嘘つきだと言うけれど、兄さんだけは信じてくれました」

 仲のよい兄妹だったらしい。そうすると、おゆうに圭史郎が死亡したことを知られるわけにはいかなかった。
 ちらりと小豆を見やると、この矮小な雑種は俺を観察するかのように注意深い眼差しで見上げている。
 地獄にいた頃、格下のあやかしが遠巻きにして、よくこんな目つきを向けてきたものだ。
 畏怖の中に混じるわずかな憧憬を、俺は鼻で嗤い飛ばす。

「友人か。いつからこいつと友人だったかは聞いたかな」
「私が生まれたときから傍にいましたよ。父さんが国に帰るときに、身代わりにと小豆を置いていってくれたんです」

 その情報を俺は聞き咎める。ということは、実の父親は上級あやかしで、この雑種はそいつのしもべか。それならば、おゆうが生まれつきあやかしが見えるのも納得できる。

「父親の名前は何だったかな」

 偽名を使っているかもしれないが、一応訊ねておく。
 おゆうは哀しげに目を伏せた。

「アカザという名だそうです……。父さんは神様で、私は神の力を授かったのだと、母さんは話しています。でも、本当は物の怪なのだと察していますけど……」

 あいつか……
 俺は大王の側近であるアカザの面を思い浮かべた。
 眉目秀麗なアカザは飄々とした男で、何を考えているのかわからないところがある。奴なら人間の女を孕ませておいて、またぶらりと地獄へ舞い戻ってもおかしくない。交流したことはほとんどないが、少々厄介な奴だ。
 おゆうの肩にちょろりとのった小豆は、舌足らずな声を出した。

「物の怪、ちがう。あやかし。しゅごいよ」
「そうね。ありがとう、小豆」

 笑みを浮かべたおゆうは小豆の小さな体を愛しげにさする。
 どうやら、おゆうはアカザに一度も会ったことがないようだ。あやかしのことについても、熟知しているわけではない。周囲からは物の怪が見える気味の悪い娘とでも囁かれているのだろう。
 アカザが地上に戻ってくる可能性は否めない。もし、おゆうと母親を放置するつもりなら、しもべを置いてはいかない。奴と顔を合わせれば、さすがに俺の正体を見破られてしまう。
 俺はさりげなく、小豆にアカザの動向を訊ねた。

「おい、小豆。おまえのご主人様はどうしてるんだ?」

 ところが聞き方が悪かったのか、あからさまに警戒した小豆は身を小さくして、おゆうの襟首に隠れる。

「しらにゃい」

 生意気な態度に苛ついた俺は半眼で小豆を睨み据える。
 この手のしもべはしたたかなあやかしであり、小狡い性質を可愛らしさで包み隠しているのだ。

「そんな口をきいていいのか。おまえは……うっ」

 再び小豆を捕まえようと腕を伸ばしたとき、ぐらりと体が傾く。
 なんだ? 目が回る。体を制御できない。

「兄さん⁉ どうしたんですか⁉」

 おゆうに掴まるように倒れ込んでしまった。必死で受け止めたおゆうは、俺に呼びかけながら体を支える。
 やがて騒ぎを聞きつけた使用人たちがやってきて、男衆の手により俺は布団に横たえられた。
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