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第三章 地獄の道具師
追尾
まさか、今日は学校を休んだとか……?
溜息を吐きかけたそのとき、道の向こうからやってくる男の子の姿に、はっとした。彼が隼斗君だ。
ただ、そこに友人たちとはしゃいでいた先日の面影はなかった。ひとりきりで俯きながら、とぼとぼと歩いてくる。彼の手に望遠鏡はない。両手は黒いランドセルのベルトを握りしめていた。
隼斗君は時折、腕で顔を擦っている。泣いているのだろうか。何だか様子が変だ。
私は圭史郎さんに小声で囁いた。
「泣いているみたいですね。何かあったんでしょうか……?」
「望遠鏡を持ってないな。まさか取られて泣いてるんじゃないだろうな」
「今は事情を聞いても話してくれなさそうな雰囲気ですね」
「あとをつけるか。隼斗の家がわかれば、いつでも押しかけられるからな」
不穏なことを呟いた圭史郎さんは、さりげなく顔を背けた。
隼斗君は私たちに注意を向けることなく通り過ぎていく。一度会っただけで話してもいないので、圭史郎さんの存在に気づかなかったようだ。
距離を取りながら、隼斗君を尾行する。
彼は通学路を逸れると、大通りの信号を横切っていった。
家に帰るにしては少々遠いが、目的地へ向かって迷いなく歩いていく。
やがて隼斗君は、とある病院の敷地内へ入っていった。
「内科の病院か。ひとりで診察に来たわけじゃないよな」
「二階には病棟もあるんですね。入院している人のお見舞いでしょうか」
こぢんまりとした病院の二階には、入院患者のための病棟の窓が画一的に並んでいた。私たちが入り口の自動ドアを通ったときには、隼斗君はエレベーターに乗り込んでいた。
階段を使い、先回りする。二階に到着すると、すでに廊下の向こうにいた隼斗君は、病室のひとつに入っていった。
「あそこですね」
さりげなく廊下を歩いた私と圭史郎さんは、隼斗君のいる病室の傍の壁に並んで張りついた。室内から声が漏れ聞こえてくる。
「隼斗、学校は楽しいか? 友達と仲良くしているか?」
「うん……。ちゃんとやってるよ。じいちゃんは、いつ退院するの?」
「わしのことはいいんだ。隼斗が毎日見舞いに来てくれるから、すぐに元気になるさ」
「じゃあ、いつ退院か、わからないんだよね」
「そうだな。じいちゃんがいないと寂しいか?」
「うん……そうだけど……」
隼斗君は言い淀んでいる。どうやら入院しているのは隼斗君の祖父で、彼は頻繁に見舞いに訪れているようだ。
そのとき、私の襟首が何だかもそりとして、頓狂な声が上がる。
「ひゃっ」
「静かにしろ。……ん? おまえ、いつの間に……」
圭史郎さんが怪訝な目つきで私の襟首を見る。
ちょろりと頭の上にのった感触は、覚えのあるものだった。
「じゃーん! あじゅき、きちゃった」
小豆も花湯屋で留守番していたはずだけれど、なぜか私たちについてきてしまったらしい。圭史郎さんは手を伸ばして小豆を摘まもうとしたが、看護師が廊下を通り過ぎたので、素知らぬふりをして腕を下ろした。
私の頭の上で、小豆は嬉しそうにぽよんぽよんと飛び跳ねる。
「ばれちゃう! けーしろ、しずかにして」
「この雑種め……」
聞き捨てならない単語が出たので、私は圭史郎さんにずいと顔を寄せた。
「雑種じゃありません。『こまもふ』です」
何度も言っているのだけれど、圭史郎さんは『雑種』という蔑視した名称が染みついてしまっているらしく、私が独自に考えた『細やかなもふもふ』、略して『こまもふ』を使ってくれない。
「こまもふ、こまもふ!」
代わりに小豆が、ころんころんと丸くなりながら連呼した。そこは私の頭の上ですが、もはや小豆の庭と化している。
苛々した圭史郎さんは私に文句を言ってきた。
「こいつは昔から生意気で小狡いやつだった。雑種で充分なんだよ」
「昔というと、どのくらい前ですか?」
小豆とアカザが前回地上を訪れたのは、地獄の望遠鏡を貸した五十年前なのだ。
私が生まれるずっと前から彼らは仲良くこうしていたのだと思うと、ふと寂しさがよぎる。
つい『昔』と口走ってしまった圭史郎さんは、急に口ごもった。
「どのくらいかというとだな……まあ、そんなことはいいだろ。過去はすべて昔だ」
「はあ、そうですか。圭史郎さんは昔のことを私に知られると困るんですか?」
「何を言ってるんだ。そういうわけじゃない」
「どういうわけなんですか?」
上目で問いかけると、困り果てた圭史郎さんは腰に手を当て、項垂れる。
問い詰めるつもりなんてないのに、何だかうまく言えない自分がもどかしかった。
そのとき、私の頭の上に重みがないことに、ふと気づく。
「あれ、小豆は……?」
はっとして振り向くと、すばしっこい体はちょろりと戸の隙間をくぐり抜けていった。
溜息を吐きかけたそのとき、道の向こうからやってくる男の子の姿に、はっとした。彼が隼斗君だ。
ただ、そこに友人たちとはしゃいでいた先日の面影はなかった。ひとりきりで俯きながら、とぼとぼと歩いてくる。彼の手に望遠鏡はない。両手は黒いランドセルのベルトを握りしめていた。
隼斗君は時折、腕で顔を擦っている。泣いているのだろうか。何だか様子が変だ。
私は圭史郎さんに小声で囁いた。
「泣いているみたいですね。何かあったんでしょうか……?」
「望遠鏡を持ってないな。まさか取られて泣いてるんじゃないだろうな」
「今は事情を聞いても話してくれなさそうな雰囲気ですね」
「あとをつけるか。隼斗の家がわかれば、いつでも押しかけられるからな」
不穏なことを呟いた圭史郎さんは、さりげなく顔を背けた。
隼斗君は私たちに注意を向けることなく通り過ぎていく。一度会っただけで話してもいないので、圭史郎さんの存在に気づかなかったようだ。
距離を取りながら、隼斗君を尾行する。
彼は通学路を逸れると、大通りの信号を横切っていった。
家に帰るにしては少々遠いが、目的地へ向かって迷いなく歩いていく。
やがて隼斗君は、とある病院の敷地内へ入っていった。
「内科の病院か。ひとりで診察に来たわけじゃないよな」
「二階には病棟もあるんですね。入院している人のお見舞いでしょうか」
こぢんまりとした病院の二階には、入院患者のための病棟の窓が画一的に並んでいた。私たちが入り口の自動ドアを通ったときには、隼斗君はエレベーターに乗り込んでいた。
階段を使い、先回りする。二階に到着すると、すでに廊下の向こうにいた隼斗君は、病室のひとつに入っていった。
「あそこですね」
さりげなく廊下を歩いた私と圭史郎さんは、隼斗君のいる病室の傍の壁に並んで張りついた。室内から声が漏れ聞こえてくる。
「隼斗、学校は楽しいか? 友達と仲良くしているか?」
「うん……。ちゃんとやってるよ。じいちゃんは、いつ退院するの?」
「わしのことはいいんだ。隼斗が毎日見舞いに来てくれるから、すぐに元気になるさ」
「じゃあ、いつ退院か、わからないんだよね」
「そうだな。じいちゃんがいないと寂しいか?」
「うん……そうだけど……」
隼斗君は言い淀んでいる。どうやら入院しているのは隼斗君の祖父で、彼は頻繁に見舞いに訪れているようだ。
そのとき、私の襟首が何だかもそりとして、頓狂な声が上がる。
「ひゃっ」
「静かにしろ。……ん? おまえ、いつの間に……」
圭史郎さんが怪訝な目つきで私の襟首を見る。
ちょろりと頭の上にのった感触は、覚えのあるものだった。
「じゃーん! あじゅき、きちゃった」
小豆も花湯屋で留守番していたはずだけれど、なぜか私たちについてきてしまったらしい。圭史郎さんは手を伸ばして小豆を摘まもうとしたが、看護師が廊下を通り過ぎたので、素知らぬふりをして腕を下ろした。
私の頭の上で、小豆は嬉しそうにぽよんぽよんと飛び跳ねる。
「ばれちゃう! けーしろ、しずかにして」
「この雑種め……」
聞き捨てならない単語が出たので、私は圭史郎さんにずいと顔を寄せた。
「雑種じゃありません。『こまもふ』です」
何度も言っているのだけれど、圭史郎さんは『雑種』という蔑視した名称が染みついてしまっているらしく、私が独自に考えた『細やかなもふもふ』、略して『こまもふ』を使ってくれない。
「こまもふ、こまもふ!」
代わりに小豆が、ころんころんと丸くなりながら連呼した。そこは私の頭の上ですが、もはや小豆の庭と化している。
苛々した圭史郎さんは私に文句を言ってきた。
「こいつは昔から生意気で小狡いやつだった。雑種で充分なんだよ」
「昔というと、どのくらい前ですか?」
小豆とアカザが前回地上を訪れたのは、地獄の望遠鏡を貸した五十年前なのだ。
私が生まれるずっと前から彼らは仲良くこうしていたのだと思うと、ふと寂しさがよぎる。
つい『昔』と口走ってしまった圭史郎さんは、急に口ごもった。
「どのくらいかというとだな……まあ、そんなことはいいだろ。過去はすべて昔だ」
「はあ、そうですか。圭史郎さんは昔のことを私に知られると困るんですか?」
「何を言ってるんだ。そういうわけじゃない」
「どういうわけなんですか?」
上目で問いかけると、困り果てた圭史郎さんは腰に手を当て、項垂れる。
問い詰めるつもりなんてないのに、何だかうまく言えない自分がもどかしかった。
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「あれ、小豆は……?」
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