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第三章 地獄の道具師
一番星の下に
「しょんなぁ……」
しゅんとした小豆に、アカザは淡々と諭した。
「おゆうは、死んだのだ。優香と重ねてはならぬ。それに今は圭史郎がいる。これに任せておけば、花湯屋は安泰だろう。もはや小豆が仲介する必要などないのだ」
なぜか咳払いを零した圭史郎さんは顔を背けると、軽トラックのほうへ歩いて行った。
アカザは今まで圭史郎さんのことを、『影』と呼んでいたのだけれど、初めて正しい名前で呼んだからかもしれない。
アカザが圭史郎さんを信頼してくれていると知り、私の胸に温かなものが満ちた。
さめざめと泣き出した小豆の体を、私はそっと撫でる。
「小豆は、おゆうさんのことが大好きだったんですね」
「こいつはおゆうが生まれてから死ぬまで、傍にいたからな。そうして地獄にいるおれに報告をしていたのだよ。だが、おゆうが死んだときに役目を終えたのだ」
「おゆうさんの一生を、アカザは小豆を介して見守っていたんですか? どうして……」
疑問を述べると、アカザは瞬きもせずに私を見つめた。
そして、静かにひとこと放つ。
「なぜならば、おゆうは、おれの娘だからだ」
「……えっ⁉」
「優香はあやかし使いの能力がなぜ生じたのか、疑問を持ったことはないか。それは、おゆうが上級あやかしであるおれの血を受け継いだからなのだよ」
アカザが、初代当主おゆうさんの父親――
ということは歴代の当主はみな、アカザの子孫ということになる。もちろん、私も。
あやかしであるアカザを父に持ったおゆうさんが、その能力を受け継いだことにより、あやかしお宿の花湯屋は連綿と続いてきたのだ。
「つまり優香も、おれの大切な娘なのだ。それゆえ、その事実を知る圭史郎に邪険に扱われるというわけよ。おれにとっては、あいつこそが娘に張りつく邪魔者なのだがな」
「そうだったのですね……。アカザは花湯屋に縁が深いのだろうとは思っていましたけど、まさか私の遠いおじいさんだったとは驚きました」
ふっと笑みを浮かべたアカザは踵を返した。
「しばらくは、おれの娘を圭史郎に任せるとしよう。だが、おれはいつでも花湯屋を訪れることができると、あいつに伝えておいてくれ。おゆうの血が絶えるまで、おれは見守っている」
小さな手で涙を拭った小豆は、私に向けて手を振る。
「さよなら、ゆうか」
「また、花湯屋に来てくださいね……!」
一陣の風が私の声を掻き消す。
アカザは振り返らずに、軽く手を上げた。風に巻き上げられた彼のストールがたなびく。
臙脂色のそれは、花湯屋の暖簾と同じ色だと、私は初めて気がついたのだった。
花湯屋へ戻る道すがら、私の脳裏には様々なことが浮かんでは消えていった。
初代当主おゆうさんにまつわること、そして父親だった上級あやかしのアカザ、かつては『影』と呼ばれ、ずっと花湯屋で神使を務めていた圭史郎さん……
私が生まれるずっと前から続いてきたあやかし使いの血族。
そのはじまりを知り、改めて臙脂の暖簾の重みを意識した。
沈黙が流れる車内に、圭史郎さんがふいに問いかける。
「アカザが去って、寂しいか?」
「そうですね……少し寂しいですけど、でもきっと、また会いに来てくれますよね」
「そうかもな。俺はアカザが来ると鬱陶しいんだが」
「いつでも花湯屋を訪れることができると、アカザは言ってましたよ。圭史郎さんに会いたいんじゃないでしょうか」
がくりと項垂れた圭史郎さんの頭が、音高くクラクションを鳴らす。
「気をつけてくださいよ。運転中ですから」
「あのな……。もしかして、『影』のことを聞いたのか?」
「それって、圭史郎さんのあだ名ですよね。どうして『影』なのか、アカザは何も言ってませんでしたけど、私にはわかりますよ」
「へえ。言ってみろ」
「上級あやかしのアカザと『影』は閻魔大王の側近で、双璧と呼ばれていた。その頃からふたりは睨み合っていたので未だに仲がよいのか悪いのか、ってところじゃありませんか?」
圭史郎さんが彫像のように固まってしまったので、私はハンドルの行方を案じた。
ややあって、彼はぽつりと呟く。
「大体、合っている……」
私の想像だったのだけれど、的を射ていたらしい。
圭史郎さんには、話したくない凄惨な過去があったかもしれない。それを私に知られたくないのは、彼なりの優しさなのだと気づいた。
花湯屋の若女将と、神使としてあやかしのお客様を迎えるために。
そして、おゆうさんの築き上げた花湯屋を守っていくために。
希望ある未来のため、私はこれからも圭史郎さんを信じていこうと心に刻む。
「昔の話ですものね。今の圭史郎さんは、花湯屋の神使ですから」
「そのとおりだ。終わった過去より、大事なのは明日の献立だからな」
私たちの間に、明るい笑い声が弾けた。
車窓から見える一番星の下に、銀山温泉街のガス灯の明かりが浮かぶ。
ほんのりとした輝きは、いつでも心の安寧を誘うのだった。
しゅんとした小豆に、アカザは淡々と諭した。
「おゆうは、死んだのだ。優香と重ねてはならぬ。それに今は圭史郎がいる。これに任せておけば、花湯屋は安泰だろう。もはや小豆が仲介する必要などないのだ」
なぜか咳払いを零した圭史郎さんは顔を背けると、軽トラックのほうへ歩いて行った。
アカザは今まで圭史郎さんのことを、『影』と呼んでいたのだけれど、初めて正しい名前で呼んだからかもしれない。
アカザが圭史郎さんを信頼してくれていると知り、私の胸に温かなものが満ちた。
さめざめと泣き出した小豆の体を、私はそっと撫でる。
「小豆は、おゆうさんのことが大好きだったんですね」
「こいつはおゆうが生まれてから死ぬまで、傍にいたからな。そうして地獄にいるおれに報告をしていたのだよ。だが、おゆうが死んだときに役目を終えたのだ」
「おゆうさんの一生を、アカザは小豆を介して見守っていたんですか? どうして……」
疑問を述べると、アカザは瞬きもせずに私を見つめた。
そして、静かにひとこと放つ。
「なぜならば、おゆうは、おれの娘だからだ」
「……えっ⁉」
「優香はあやかし使いの能力がなぜ生じたのか、疑問を持ったことはないか。それは、おゆうが上級あやかしであるおれの血を受け継いだからなのだよ」
アカザが、初代当主おゆうさんの父親――
ということは歴代の当主はみな、アカザの子孫ということになる。もちろん、私も。
あやかしであるアカザを父に持ったおゆうさんが、その能力を受け継いだことにより、あやかしお宿の花湯屋は連綿と続いてきたのだ。
「つまり優香も、おれの大切な娘なのだ。それゆえ、その事実を知る圭史郎に邪険に扱われるというわけよ。おれにとっては、あいつこそが娘に張りつく邪魔者なのだがな」
「そうだったのですね……。アカザは花湯屋に縁が深いのだろうとは思っていましたけど、まさか私の遠いおじいさんだったとは驚きました」
ふっと笑みを浮かべたアカザは踵を返した。
「しばらくは、おれの娘を圭史郎に任せるとしよう。だが、おれはいつでも花湯屋を訪れることができると、あいつに伝えておいてくれ。おゆうの血が絶えるまで、おれは見守っている」
小さな手で涙を拭った小豆は、私に向けて手を振る。
「さよなら、ゆうか」
「また、花湯屋に来てくださいね……!」
一陣の風が私の声を掻き消す。
アカザは振り返らずに、軽く手を上げた。風に巻き上げられた彼のストールがたなびく。
臙脂色のそれは、花湯屋の暖簾と同じ色だと、私は初めて気がついたのだった。
花湯屋へ戻る道すがら、私の脳裏には様々なことが浮かんでは消えていった。
初代当主おゆうさんにまつわること、そして父親だった上級あやかしのアカザ、かつては『影』と呼ばれ、ずっと花湯屋で神使を務めていた圭史郎さん……
私が生まれるずっと前から続いてきたあやかし使いの血族。
そのはじまりを知り、改めて臙脂の暖簾の重みを意識した。
沈黙が流れる車内に、圭史郎さんがふいに問いかける。
「アカザが去って、寂しいか?」
「そうですね……少し寂しいですけど、でもきっと、また会いに来てくれますよね」
「そうかもな。俺はアカザが来ると鬱陶しいんだが」
「いつでも花湯屋を訪れることができると、アカザは言ってましたよ。圭史郎さんに会いたいんじゃないでしょうか」
がくりと項垂れた圭史郎さんの頭が、音高くクラクションを鳴らす。
「気をつけてくださいよ。運転中ですから」
「あのな……。もしかして、『影』のことを聞いたのか?」
「それって、圭史郎さんのあだ名ですよね。どうして『影』なのか、アカザは何も言ってませんでしたけど、私にはわかりますよ」
「へえ。言ってみろ」
「上級あやかしのアカザと『影』は閻魔大王の側近で、双璧と呼ばれていた。その頃からふたりは睨み合っていたので未だに仲がよいのか悪いのか、ってところじゃありませんか?」
圭史郎さんが彫像のように固まってしまったので、私はハンドルの行方を案じた。
ややあって、彼はぽつりと呟く。
「大体、合っている……」
私の想像だったのだけれど、的を射ていたらしい。
圭史郎さんには、話したくない凄惨な過去があったかもしれない。それを私に知られたくないのは、彼なりの優しさなのだと気づいた。
花湯屋の若女将と、神使としてあやかしのお客様を迎えるために。
そして、おゆうさんの築き上げた花湯屋を守っていくために。
希望ある未来のため、私はこれからも圭史郎さんを信じていこうと心に刻む。
「昔の話ですものね。今の圭史郎さんは、花湯屋の神使ですから」
「そのとおりだ。終わった過去より、大事なのは明日の献立だからな」
私たちの間に、明るい笑い声が弾けた。
車窓から見える一番星の下に、銀山温泉街のガス灯の明かりが浮かぶ。
ほんのりとした輝きは、いつでも心の安寧を誘うのだった。
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