煌めく氷のロマンシア

沖田弥子

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皇帝との謁見 1

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 初めて訪れるロマンシアの帝都でまず目を奪われたのは壮麗な建造物だった。バロック様式の豪奢な大聖堂や宮殿が薄らと雪化粧を施して建ち並んでいるさまは圧巻だ。瑠璃国では風通しが良いように木造の平屋建てで建築されているので、文化の違いを痛感した。

「見てください、煌さま! 玩具みたいなお城ですよ」

 志音は初めて目にする光景に大騒ぎだ。聖堂の屋根はとんがり帽子で、翠や赤など多彩に塗られており、まさにお伽話に出てくる異世界の城だ。

「道を歩いている人も異国の服装ですよ。ブーツ履いてる! 髪が金色だ!」
「あのな、志音。ここでは僕たちが異国人なんだ。これからはロマンシアで暮らすわけだから、奇異な目で見られるのは僕たちのほうだぞ」
「なるほど。世界は広いですね」

 弾むような笑顔を見せている志音に、煌は小声で囁いた。

「僕は紗綾のふりをして皇帝に嫁ぐんだ。おそらく誰にも会わずに宮廷に篭る生活になるだろう。遊びに来たわけじゃないんだぞ。秘密を守れるか?」

 異国から嫁入りしてきた姫君は正体を偽っている。志音は女装する必要はないが、秘密を共有するただひとりの従者だ。正体が露見すれば大変なことになる。
 表情を引き締めた志音は深く頷いた。

「もちろんです。わたくしは生涯、煌さまの従者です。女装の煌さまが宮廷で編み物を編んでいるさなか、わたくしは街へ息抜き、ではなく買い物などをこなします。大丈夫ですよ、上手くいきます。煌さまは心配性なんだから」

 これでも忠義に厚く、悪気は一切ない。
 瑠璃国への心残りが志音の中に全くないことを確認すると、煌はひとつ頷いて窓の外へ視線を逸らした。

「……やっぱり置いてくるべきだったか」
「何か仰いました?」
「いや、なんでもない。まずは皇帝との謁見が関門だ」
「わかっています。煌さ……紗綾さまは病弱でお体が弱いという設定ですよね。何かあればわたくしが補佐しますからご安心ください」
「頼りにしてるよ、志音」

 衛士が警護する重厚な門を馬車はくぐる。一際大きな宮殿が眼前に広がっていた。ここがロマンシア皇帝の居城である、エルミターナ宮殿だ。爽やかな翠色に塗られた外壁は雪景色に美しく映える。ずらりと並んだ窓は一体幾つあるのか、数え切れない。  
 馬車は宮殿の一角に入り、屋内で止まった。馬車が乗り入れられる、専用の停車場らしい。
 煌は既に着用している長い鬘の上から被衣をかぶり、絹の手袋を嵌めた。
 子どもの頃から色白で華奢な体なので、成人した今も身長は一七〇センチしかない。少々大柄な女性で通用するくらいだ。加えて大きな眸を縁取る長い睫毛に柳眉、小さな鼻は中性的な印象を与える。淡い紅色の唇は少女のように可憐だ。全く男らしさのない己の容貌に引け目を感じたこともあったが、まさか活かされる時が来るとは思いもしなかった。これなら万が一顔を見られても、本物の紗綾を知ることのないロマンシアの人々は気づかないだろう。
 先に降りた志音に手を預けて、大理石の床に靴先を落とす。
 待機していた漆黒の衣装を纏う使用人たちが一斉に腰を折る。眼鏡をかけた麗しい男性が一歩進み出て、胸に手を宛てながら頭を下げた。

「ロマンシアへようこそおいでくださいました、春暁宮紗綾さま」

 女性の声音を作らなければ。
 煌は幾度か咳をして、「ご苦労さまです」と小さく謝辞を述べた。すかさず志音が笑顔で男性に向き合う。

「姫さまはお風邪を召していらっしゃいますので声が嗄れています」
「そうですか。ロマンシアは寒いですからね。体調を崩されてしまったのでしょう。謁見の間にてツァーリがお待ちでございますので、どうかご挨拶だけでも交わしていただければ嬉しく思います」
「ツァーリって、誰ですか?」

 皇帝は違う名だ。志音の素朴な疑問に、男性は柔和な笑みで応えてくれた。端麗な面立ちの美丈夫だが、眼鏡の奥に潜む切れ長の眸が理知的な冷たさを与える。

「ロマンシアでは敬意を込めて、皇帝陛下をツァーリとお呼びするのです」
「わかりました。ツーリーですね」
「発音が違います。ツァー、リィ。よろしいかな?」
「ツーリー」
「いえいえ、ツァーと歌うように、まず口を大きく開けて」

 発音講座は長くなりそうだ。メイドのひとりに手を差し伸べられたので、志音を残して階段を上る。
 迎えられた宮殿内部は壮麗な空間だった。天のように高い天井からは輝くシャンデリアが幾つも吊され、大理石の床を煌めかせている。精密な彫刻が施された石柱が連なる間に、甲冑を纏う騎士が配置されて厳粛に佇んでいた。骨董の鎧かと思ったが、被衣の隙間からちらりと見遣ると、何と本物の人間だ。大剣を両手で掲げている。忠誠を誓うという証なのだろう。
 扉の前に辿り着くと、両脇に立つ従者の手が重厚な樫の扉を開く。
 煌は息を呑んだ。
 真紅の絨毯が敷かれた果てに、鎮座する玉座。そこに泰然と腰掛けている人物は澄み切った碧い眸でこちらを見据えている。導かれるように足を運び、玉座の前に膝を付く。深く頭を垂れる煌に、厳かな声音が降り注いだ。

「長旅、ご苦労であった。久しぶりだな、紗綾姫」
「は、はい」

 久しぶりとはどういうことだろう。紗綾は一度もロマンシアを訪問したことはないはずだが。この国の作法として、初対面でも久しぶりと親愛の情を表すのかもしれない。
 被衣越しに窺えば、黄金の稲穂のごとき眩い髪と澄んだ碧い眸に目を奪われる。すっと通った鼻梁に薄い唇は気品があり、まるで彫刻のような美しさだ。
 紺色の礼装は彼の引き締まった体躯によく似合っていた。襟元だけが緋色の布地には金の刺繍が施され、胸に飾られた銀色の星章は輝きを放つ。藍の大綬が肩から脇に掛けられ、袖章も繊細な刺繍で飾られていた。
 彼こそがロマンシア帝国第四代皇帝、アレクサンドル・ロマンシア。
 即位して十年。現在は二八歳という年齢にも関わらず、外交や知略に長け、民と臣の絶大な信頼を集めているという。
 威厳に満ちた圧倒的な存在感は見る者を平伏させる力がある。
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