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皇帝との謁見 2
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緊張で喉元が絞られたように声が出ず、身が強張ってしまう。皇帝は傍に控えている侍従に「姫に椅子をもて」と指示した。ほどなくして金の猫足が付いた羅紗張りの椅子が運ばれ、玉座の傍らに置かれる。立ち上がった皇帝は、跪いている煌に近づいてきた。すい、と掌が差し出される。
「立ちなさい」
絹の手袋を嵌めているとはいえ、手に触れれば男だと悟られてしまう可能性がある。煌は皇帝の手を取らず、自力で立ち上がった。侍従が驚いたように仰け反ったが、平静な表情の皇帝は何事もなかったように空の手を下ろす。ロマンシア皇帝の差し出した手を拒むとは、何という不作法者かと思われたかもしれない。けれど、ここで正体が明らかになってはすべてが水の泡になる。
「椅子に座りたまえ。疲れているだろう。今日の謁見は手短に終わらせるとしよう」
「お気遣いに感謝いたします、ツァーリさま」
椅子に腰掛けると、玉座の後方に垂れ下がった幕間から小さな笑い声が響いてきた。
「ツァーリさま、だって。ヘンなの」
「ユーリイ。よしなさい」
声の主を見れば、小さな子どもが天鵞絨の幕から顔だけを出してこちらを眺めていた。金の巻き毛に青い眸、薔薇色の頬。まるで天使のように可愛らしい。
「だって父上。ツァーリさまなんて誰も言わないもの」
皇帝を父上と呼ぶからには、この子が亡くなった妃の残した皇子なのだろう。
考えてみれば「陛下さま」という言い方になってしまったのかもしれない。覚えたての言葉を安易に使用して間違ってしまうとは恥ずかしい。煌は頬を朱に染めて俯いた。被衣は薄い布で出来ているが、顔を完全に覆っているので周囲からは表情すら覗えないだろうが。
皇帝は厳しい貌で皇子を諭した。
「紗綾姫はロマンシアに慣れようと心を配ってくれたのだ。それを笑ってはいけない。ユーリイ、皇子としてきちんと挨拶しなさい。彼女はおまえの母となる人なのだ」
大きな青い眸が「母」という言葉に、一瞬にして衝撃に見開かれた。その色には明確な嫌悪が宿っている。
ユーリイ皇子は唇を尖らせたが、父である皇帝を窺うように見上げる。皇帝の厳格な態度が変わらないのを察すると、両手を後ろに回して俯きながら、ぽそりと呟いた。
「ユーリイ・ロマンシアです。六歳です」
煌が返事をする前に、兎のように素早く走り去ってしまった。付き添いの女官が咎める声と共に追いかけ、扉のむこうに消える。皇帝は深い溜息を吐いて玉座に腰を落とした。
「礼儀がなっていなくてすまない。気を悪くしたのなら許してほしい」
煌はゆるりと首を振る。自分の幼い頃を思い出す。礼儀作法は子どもには堅苦しくて、式典が終わるやいなや席を立っていたものだ。
「まだ小さいのですから仕方ありませんよ。私も、子どもの頃は人見知りでした」
「母がいないので甘やかして育てたのが裏目に出ているのだ。ユーリイのお守り役は誰にも務まらないので難儀している。先ほどは母と称したが、あくまでも身分上の話なので紗綾姫は気負わずとも良い」
継母として皇子と上手くやっていける自信はないが、母親にはなれなくても、時間が経てば徐々に打ち解けるのではないだろうか。とはいえ、堂々と素顔を晒して一緒に遊べるわけではないのだが。
「ユーリイさまと仲良くなれるよう、努力いたします」
皇帝は安堵した様子で、微笑をむけた。
「紗綾姫はいずれ私の正妃となるのだから、『さま』はいらない。私のことも名で呼んでほしい」
「はい。アレクサ……ンド」
ロマンシア語は固有名詞の発音が難しい。主要外国語は幼少の頃から教育されてきたので日常会話は習得しているが、人名には着目していなかった。結婚する人の名を辿々しく呼ぶなんてかなり失礼だ。焦った煌が何度も言い直していると、皇帝は気を悪くする様子もなく穏やかな笑みで見守っている。
「アレクで良い」
「はい。アレク」
「私も、紗綾と呼んで良いか?」
「もちろんです」
始めは厳格な皇帝かと思ったのだが、こうして対話していると印象がまるで異なる。微笑みながら優しい声音で語りかけてくるアレクは、本当に紗綾を妃として望んで迎えたのだ。大国ロマンシアが瑠璃国の末席の姫を指名するからには、何か裏があるのか、まさか人質にして国土を要求するつもりかと大臣は秘かに協議を重ねていたが、それらは杞憂に終わるだろう。
「紗綾は寒いのは平気か? いや、平気ではあるまいな。用意した紅宮殿には大型の暖炉を設えてある。コートにはすべて貂の毛皮を付けさせた。それを着るが良い。暖かいぞ」
「ありがとうございます」
「ロマンシアは寒い国だが資源は豊かだ。欲しいものがあれば何でも取り寄せよう。紗綾に不自由な思いはさせない。宝石が良いか、花が良いか?」
「お気遣いだけで充分です」
気遣いは嬉しいのだが、あまり喋ると疑われてしまうかもしれない。軽快なアレクの問いかけに対して、煌は最低限の返答をするのみに留めた。
「立ちなさい」
絹の手袋を嵌めているとはいえ、手に触れれば男だと悟られてしまう可能性がある。煌は皇帝の手を取らず、自力で立ち上がった。侍従が驚いたように仰け反ったが、平静な表情の皇帝は何事もなかったように空の手を下ろす。ロマンシア皇帝の差し出した手を拒むとは、何という不作法者かと思われたかもしれない。けれど、ここで正体が明らかになってはすべてが水の泡になる。
「椅子に座りたまえ。疲れているだろう。今日の謁見は手短に終わらせるとしよう」
「お気遣いに感謝いたします、ツァーリさま」
椅子に腰掛けると、玉座の後方に垂れ下がった幕間から小さな笑い声が響いてきた。
「ツァーリさま、だって。ヘンなの」
「ユーリイ。よしなさい」
声の主を見れば、小さな子どもが天鵞絨の幕から顔だけを出してこちらを眺めていた。金の巻き毛に青い眸、薔薇色の頬。まるで天使のように可愛らしい。
「だって父上。ツァーリさまなんて誰も言わないもの」
皇帝を父上と呼ぶからには、この子が亡くなった妃の残した皇子なのだろう。
考えてみれば「陛下さま」という言い方になってしまったのかもしれない。覚えたての言葉を安易に使用して間違ってしまうとは恥ずかしい。煌は頬を朱に染めて俯いた。被衣は薄い布で出来ているが、顔を完全に覆っているので周囲からは表情すら覗えないだろうが。
皇帝は厳しい貌で皇子を諭した。
「紗綾姫はロマンシアに慣れようと心を配ってくれたのだ。それを笑ってはいけない。ユーリイ、皇子としてきちんと挨拶しなさい。彼女はおまえの母となる人なのだ」
大きな青い眸が「母」という言葉に、一瞬にして衝撃に見開かれた。その色には明確な嫌悪が宿っている。
ユーリイ皇子は唇を尖らせたが、父である皇帝を窺うように見上げる。皇帝の厳格な態度が変わらないのを察すると、両手を後ろに回して俯きながら、ぽそりと呟いた。
「ユーリイ・ロマンシアです。六歳です」
煌が返事をする前に、兎のように素早く走り去ってしまった。付き添いの女官が咎める声と共に追いかけ、扉のむこうに消える。皇帝は深い溜息を吐いて玉座に腰を落とした。
「礼儀がなっていなくてすまない。気を悪くしたのなら許してほしい」
煌はゆるりと首を振る。自分の幼い頃を思い出す。礼儀作法は子どもには堅苦しくて、式典が終わるやいなや席を立っていたものだ。
「まだ小さいのですから仕方ありませんよ。私も、子どもの頃は人見知りでした」
「母がいないので甘やかして育てたのが裏目に出ているのだ。ユーリイのお守り役は誰にも務まらないので難儀している。先ほどは母と称したが、あくまでも身分上の話なので紗綾姫は気負わずとも良い」
継母として皇子と上手くやっていける自信はないが、母親にはなれなくても、時間が経てば徐々に打ち解けるのではないだろうか。とはいえ、堂々と素顔を晒して一緒に遊べるわけではないのだが。
「ユーリイさまと仲良くなれるよう、努力いたします」
皇帝は安堵した様子で、微笑をむけた。
「紗綾姫はいずれ私の正妃となるのだから、『さま』はいらない。私のことも名で呼んでほしい」
「はい。アレクサ……ンド」
ロマンシア語は固有名詞の発音が難しい。主要外国語は幼少の頃から教育されてきたので日常会話は習得しているが、人名には着目していなかった。結婚する人の名を辿々しく呼ぶなんてかなり失礼だ。焦った煌が何度も言い直していると、皇帝は気を悪くする様子もなく穏やかな笑みで見守っている。
「アレクで良い」
「はい。アレク」
「私も、紗綾と呼んで良いか?」
「もちろんです」
始めは厳格な皇帝かと思ったのだが、こうして対話していると印象がまるで異なる。微笑みながら優しい声音で語りかけてくるアレクは、本当に紗綾を妃として望んで迎えたのだ。大国ロマンシアが瑠璃国の末席の姫を指名するからには、何か裏があるのか、まさか人質にして国土を要求するつもりかと大臣は秘かに協議を重ねていたが、それらは杞憂に終わるだろう。
「紗綾は寒いのは平気か? いや、平気ではあるまいな。用意した紅宮殿には大型の暖炉を設えてある。コートにはすべて貂の毛皮を付けさせた。それを着るが良い。暖かいぞ」
「ありがとうございます」
「ロマンシアは寒い国だが資源は豊かだ。欲しいものがあれば何でも取り寄せよう。紗綾に不自由な思いはさせない。宝石が良いか、花が良いか?」
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気遣いは嬉しいのだが、あまり喋ると疑われてしまうかもしれない。軽快なアレクの問いかけに対して、煌は最低限の返答をするのみに留めた。
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