煌めく氷のロマンシア

沖田弥子

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紅宮殿へ 1

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 あまり語りたがらない煌を見て、ふいにアレクは苦笑を浮かべた。

「すまない。私ばかり喋っているな。つい、浮かれてしまったようだ」
「いえ……」

 なぜアレクは紗綾を指名したのか知りたいが、本人ではないと判明するような情報が含まれていたら困る。やはりここは疲れていることにして早々に辞するべきだろう。

「あの……申し訳ございません。風邪を引いておりますので、休んでもよろしいでしょうか?」

 はっとしたように瞬いたアレクは玉座を立ち上がり、再び煌の傍へ近づいてきた。手の届かない数歩離れた位置で止まる。

「もちろんだ。すぐに休みなさい。ただ……ひとつ良いか」
「はい。何でしょうか」

 心臓が奇妙に跳ねる。煌はごくりと息を呑んだ。

「紗綾の顔を、一目見せてはくれないだろうか」

 それは困る。煌が知らないだけで、ふたりは以前会ったことがあるかもしれないのだ。紗綾とは兄妹ながら顔立ちがまるで異なるので、本人ではないと分かってしまう。それに煌がいくら中性的な容貌をしているとはいえ、間近からじっくり見られれば男だと判別できる。
 戸惑う煌の傍に控えていた志音が、慇懃に言葉をかけた。

「皇帝陛下。瑠璃国のしきたりでは、未婚の高貴な女性は家族以外には顔を見せられないとされております。ですので婚礼までは、ご遠慮くださいませ」

 皇帝に遠慮しろとは相当な不敬だが、アレクは「そうか」と納得してくれた。実は瑠璃国にそういったしきたりがあるのは事実なのだが、厳格な決まりではなく古い慣習だ。現在では日除けの目的で外出時に被衣をかぶり、屋内では脱ぐのがふつうである。

「風邪がうつってしまいますので……。体が弱く、申し訳ございません」
「気にすることはない。私が不躾だった。非礼を許してほしい」

 煌はゆっくりと椅子から立ち上がった。アレクはかなり背が高い。一九〇センチはあるだろう。男の煌でも見下ろされる。

「とんでもございません。それでは、お休みなさいませ」

 静かに腰を折り、志音に手を引かれて謁見の間を去る。樫の扉が重い音を立て、背中で閉じられた。ほうと安堵の息が零れる。
 ひとまず、無事に済んだようだ。
 ロマンシア皇帝はとても紳士的な人物だ。仮に紗綾が嫁入りしても何も心配は要らなかったのだと分かり、そういった意味でも安心できた。
 先ほど出迎えてくれた眼鏡の男性が礼を取って廊下に控えていた。

「紅宮殿へ御案内いたします、姫さま。わたくしは侍従長のミハイル・ラトヴィエフでございます」
「ミハイルさん。よろしくお願いします」

 苗字で呼ぶことは早々に諦めた。親しくなるためにも名前を呼ぶことを許してもらおう。
ミハイルに導かれて幾つもの扉をくぐり、エルミターナ宮殿の奥深くへ移動する。正面からは左右が長いひとつの棟に見えた宮殿は奥行きがあり、渡り廊下の向こうには別棟となる小さな宮殿が建てられている。

「わあ……綺麗」

 こぢんまりとした宮殿の入口には華麗なレリーフが施され、天使や鹿などの可愛らしい彫像が飾られていた。まるでお伽話に出てくる小さなお城のようだ。

「こちらの宮殿は姫さまのために建てられまして、ツァーリが紅宮殿と名付けられました。瑠璃国の方は湯船がお好きだそうなので、檜の湯船を御用意いたしております」

 紅宮殿には、何とお風呂が三つある。檜風呂の他に猫足の付いたバスタブ、屋外の庭に面した露天風呂。何と贅沢なことだ。応接室には大輪の真紅の薔薇がクリスタルガラスの花瓶に生けられて、宮殿の主を出迎えていた。

「薔薇が花開いている……。どうして寒いのに咲くのですか?」

 ミハイルは長い歩幅を活かして窓際へ赴き、真紅のカーテンを引いた。

「どうぞ、御覧くださいませ」

 広い硝子窓の向こうには、一面の薔薇園が広がっていた。赤、桃色、白。沢山の薔薇たちは艶やかに咲き誇り、優美な姿で見る者の目を楽しませてくれる。

「うわあ、すごい」

 よく見れば、薔薇園は硝子の壁に囲われている。温室だ。暖房を入れている温室なので寒くても薔薇を咲かせられるのだ。硝子の向こうには雪景色が垣間見えた。

「いつでも美しい薔薇を眺められるよう、温室を隣接して造られました。姫が心細い思いをされないようにとの、ツァーリの配慮にございます」
「とても嬉しいです。感謝いたします」
「ツァーリはエルミターナ宮殿にお住まいですが、こちらにおいでになることもございましょう。わたくしどもは無断で入室することはありません。メイドが御用をお伺いする際も、必ず呼び鈴を鳴らします」

 数人のメイドが紅茶や水差しを用意する傍ら、荷解きを始めていた志音が頬を紅潮させて戻ってきた。

「すごいですよ、き……紗綾さま! 豪華なお部屋ばかりです。黄金の錠前が付いた、あかずの間まで発見しちゃいました」
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