煌めく氷のロマンシア

沖田弥子

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新たな波紋 1

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 喉元をくすぐる金の巻き毛が、ふらりと揺れ出す。ユーリイの顔を覗き込めば、重そうな瞼は閉じようとしていた。煌の肩口にこてんと頭を預けて、安らかな寝息が奏でられる。戦ったり泣いたりして、疲れてしまったのだろう。
 口元に笑みが浮かんだが、扉の前に控えていた侍従長の姿を目にして煌の頬は引き攣った。
 ミハイルは皇帝に慇懃な礼をすると、煌にむけて両腕を差し出す。
 何の合図だろう。バレるはずがない。ミハイルも紗綾姫の顔は見ていないのだから、煌に会ったところで何とも思わない。今は新人の騎士団員なのだから。
 緊張と混乱で固まっていると、アレクは煌を促した。

「もう寝ている。そのままベッドに下ろしなさい、キラ」
「は、はい」

 両手を広げたのは皇子を預かるという合図だったらしい。眠っているユーリイは煌の服をしっかりと掴んで離れそうにない。アレクの指示により、柔和な笑みのミハイルに奥の部屋へ導かれる。

「どうぞ。こちらがユーリイさまのお部屋です」

 青を基調として纏められた部屋は、天蓋付きのベッドに小洒落た机と椅子、そして数々の玩具が鎮座していた。子ども用の木馬や、騎兵を操作して戦う遊具が置かれている。
 ユーリイの小さな体を、ベッドへそっと横たえる。金の巻き毛は枕へ降りたが、小さな手はぎゅうと煌の襟元を引っ張った。胸を優しく撫でてあげると呼吸は落ち着き、次第に手の力は緩む。本格的に寝入ったようだ。

「おやすみなさい」

 羽毛布団を引き上げて微笑みかける。起きているときは小さな暴君だけれど、寝顔は天使そのものだ。ベッドを離れると、少し開いた扉の傍にはアレクが佇んでいた。

「ユーリイさまはぐっすりおやすみです」
「そのようだな。こちらへ来なさい」

 促されて隣の部屋へ入る。扉ひとつ隔てた続き部屋になっている室内にはソファにテーブルと書棚、グランドピアノまで置いてある。皇族の使用する談話室といった風情だ。

「手の傷を手当てしよう。座りなさい」

 ソファを示唆したアレクは棚から救急箱を取り出した。改めて左手の甲に付いた刀傷を見遣る。掠り傷なのでたいしたことはない。滲んだ血はもう乾いている。

「平気です。掠り傷ですから」

 人払いしたのか、メイドもいない。まさか皇帝自ら手当てを施してくれるというのだろうか。恐れ多いし、何よりアレクにあまり近づきたくなかった。
 顔は見られていないとはいえ、背格好や声質は同じなのだ。いつ紗綾姫と同一人物だとバレてしまうか分からない。一刻も早く場を辞したい。

「座れ」

 内心焦る煌を鋭い眼差しで縫い止めたアレクは、落ち着いた低い声音で命じた。逃げられないと悟り、大人しくソファに腰を下ろす。
 アレクは煌の隣に腰掛けた。びくりと肩が跳ねたが、手当てするわけなので距離が近いのは当然だ。自然な仕草で手を取られ、傷を検分される。アレクの手はとても大きくて、節くれ立っていた。眸は冷たい氷のようなのに、掌は暖炉のごとく温かい。
 とくり、とくりと心臓が脈打つ。
 煌は緊張に身を固くしながら、傷を消毒して包帯を巻いてくれる一連の作業を見守った。意外にも手慣れているので眸を瞠る。大国の皇帝といえば、人任せで何もしないものだと思い込んでいた。

「これでいい」

 綺麗に巻かれた白の包帯の表面を指先でなぞり、アレクの熱が離れていく。そこはかとない寂しさを覚えたのは気のせいだろうか。

「ありがとうございました」
「すまなかったな。皇子だからといって逐一我儘に応える必要はない。ユーリイにもよく言い聞かせておこう」
「とんでもございません。僕の不注意ですから、どうかユーリイさまをお叱りにならないでください」

 碧の眸が見定めるように、煌の顔に眼差しを注ぐ。眸の奥の真実を覗き込まれるようで、身が竦んでしまう。

「ユーリイが抱くのをせがんで、しかも大人しく寝たのは初めてだ。子守の経験があるのか」
「いいえ。初めてです」

 昔、屋敷で飼っていた小犬の狆をよく抱っこしていた。あのようにお尻をしっかりと支えて抱えれば良いと思ったのだ。

「そうなのか。抱き方も、こなれているな」
「ありがとうございます」
「逆に剣の持ち方は覚束ないようだ。流儀は正統派のようだが」

 指摘されて煌の頬が朱に染まる。幼い頃より王族の嗜みとして宮廷付きの師範に剣を習ったが、あまりに下手なので匙を投げられたものだ。逆に編み物の腕前は女官にお墨付きをいただき、「煌さまは姫にお生まれになるべきでしたね」という余計なおまけの言葉まで頂戴した。人には生来の向き不向きというものがあるのだ。
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