15 / 59
新たな波紋 1
しおりを挟む
喉元をくすぐる金の巻き毛が、ふらりと揺れ出す。ユーリイの顔を覗き込めば、重そうな瞼は閉じようとしていた。煌の肩口にこてんと頭を預けて、安らかな寝息が奏でられる。戦ったり泣いたりして、疲れてしまったのだろう。
口元に笑みが浮かんだが、扉の前に控えていた侍従長の姿を目にして煌の頬は引き攣った。
ミハイルは皇帝に慇懃な礼をすると、煌にむけて両腕を差し出す。
何の合図だろう。バレるはずがない。ミハイルも紗綾姫の顔は見ていないのだから、煌に会ったところで何とも思わない。今は新人の騎士団員なのだから。
緊張と混乱で固まっていると、アレクは煌を促した。
「もう寝ている。そのままベッドに下ろしなさい、キラ」
「は、はい」
両手を広げたのは皇子を預かるという合図だったらしい。眠っているユーリイは煌の服をしっかりと掴んで離れそうにない。アレクの指示により、柔和な笑みのミハイルに奥の部屋へ導かれる。
「どうぞ。こちらがユーリイさまのお部屋です」
青を基調として纏められた部屋は、天蓋付きのベッドに小洒落た机と椅子、そして数々の玩具が鎮座していた。子ども用の木馬や、騎兵を操作して戦う遊具が置かれている。
ユーリイの小さな体を、ベッドへそっと横たえる。金の巻き毛は枕へ降りたが、小さな手はぎゅうと煌の襟元を引っ張った。胸を優しく撫でてあげると呼吸は落ち着き、次第に手の力は緩む。本格的に寝入ったようだ。
「おやすみなさい」
羽毛布団を引き上げて微笑みかける。起きているときは小さな暴君だけれど、寝顔は天使そのものだ。ベッドを離れると、少し開いた扉の傍にはアレクが佇んでいた。
「ユーリイさまはぐっすりおやすみです」
「そのようだな。こちらへ来なさい」
促されて隣の部屋へ入る。扉ひとつ隔てた続き部屋になっている室内にはソファにテーブルと書棚、グランドピアノまで置いてある。皇族の使用する談話室といった風情だ。
「手の傷を手当てしよう。座りなさい」
ソファを示唆したアレクは棚から救急箱を取り出した。改めて左手の甲に付いた刀傷を見遣る。掠り傷なのでたいしたことはない。滲んだ血はもう乾いている。
「平気です。掠り傷ですから」
人払いしたのか、メイドもいない。まさか皇帝自ら手当てを施してくれるというのだろうか。恐れ多いし、何よりアレクにあまり近づきたくなかった。
顔は見られていないとはいえ、背格好や声質は同じなのだ。いつ紗綾姫と同一人物だとバレてしまうか分からない。一刻も早く場を辞したい。
「座れ」
内心焦る煌を鋭い眼差しで縫い止めたアレクは、落ち着いた低い声音で命じた。逃げられないと悟り、大人しくソファに腰を下ろす。
アレクは煌の隣に腰掛けた。びくりと肩が跳ねたが、手当てするわけなので距離が近いのは当然だ。自然な仕草で手を取られ、傷を検分される。アレクの手はとても大きくて、節くれ立っていた。眸は冷たい氷のようなのに、掌は暖炉のごとく温かい。
とくり、とくりと心臓が脈打つ。
煌は緊張に身を固くしながら、傷を消毒して包帯を巻いてくれる一連の作業を見守った。意外にも手慣れているので眸を瞠る。大国の皇帝といえば、人任せで何もしないものだと思い込んでいた。
「これでいい」
綺麗に巻かれた白の包帯の表面を指先でなぞり、アレクの熱が離れていく。そこはかとない寂しさを覚えたのは気のせいだろうか。
「ありがとうございました」
「すまなかったな。皇子だからといって逐一我儘に応える必要はない。ユーリイにもよく言い聞かせておこう」
「とんでもございません。僕の不注意ですから、どうかユーリイさまをお叱りにならないでください」
碧の眸が見定めるように、煌の顔に眼差しを注ぐ。眸の奥の真実を覗き込まれるようで、身が竦んでしまう。
「ユーリイが抱くのをせがんで、しかも大人しく寝たのは初めてだ。子守の経験があるのか」
「いいえ。初めてです」
昔、屋敷で飼っていた小犬の狆をよく抱っこしていた。あのようにお尻をしっかりと支えて抱えれば良いと思ったのだ。
「そうなのか。抱き方も、こなれているな」
「ありがとうございます」
「逆に剣の持ち方は覚束ないようだ。流儀は正統派のようだが」
指摘されて煌の頬が朱に染まる。幼い頃より王族の嗜みとして宮廷付きの師範に剣を習ったが、あまりに下手なので匙を投げられたものだ。逆に編み物の腕前は女官にお墨付きをいただき、「煌さまは姫にお生まれになるべきでしたね」という余計なおまけの言葉まで頂戴した。人には生来の向き不向きというものがあるのだ。
口元に笑みが浮かんだが、扉の前に控えていた侍従長の姿を目にして煌の頬は引き攣った。
ミハイルは皇帝に慇懃な礼をすると、煌にむけて両腕を差し出す。
何の合図だろう。バレるはずがない。ミハイルも紗綾姫の顔は見ていないのだから、煌に会ったところで何とも思わない。今は新人の騎士団員なのだから。
緊張と混乱で固まっていると、アレクは煌を促した。
「もう寝ている。そのままベッドに下ろしなさい、キラ」
「は、はい」
両手を広げたのは皇子を預かるという合図だったらしい。眠っているユーリイは煌の服をしっかりと掴んで離れそうにない。アレクの指示により、柔和な笑みのミハイルに奥の部屋へ導かれる。
「どうぞ。こちらがユーリイさまのお部屋です」
青を基調として纏められた部屋は、天蓋付きのベッドに小洒落た机と椅子、そして数々の玩具が鎮座していた。子ども用の木馬や、騎兵を操作して戦う遊具が置かれている。
ユーリイの小さな体を、ベッドへそっと横たえる。金の巻き毛は枕へ降りたが、小さな手はぎゅうと煌の襟元を引っ張った。胸を優しく撫でてあげると呼吸は落ち着き、次第に手の力は緩む。本格的に寝入ったようだ。
「おやすみなさい」
羽毛布団を引き上げて微笑みかける。起きているときは小さな暴君だけれど、寝顔は天使そのものだ。ベッドを離れると、少し開いた扉の傍にはアレクが佇んでいた。
「ユーリイさまはぐっすりおやすみです」
「そのようだな。こちらへ来なさい」
促されて隣の部屋へ入る。扉ひとつ隔てた続き部屋になっている室内にはソファにテーブルと書棚、グランドピアノまで置いてある。皇族の使用する談話室といった風情だ。
「手の傷を手当てしよう。座りなさい」
ソファを示唆したアレクは棚から救急箱を取り出した。改めて左手の甲に付いた刀傷を見遣る。掠り傷なのでたいしたことはない。滲んだ血はもう乾いている。
「平気です。掠り傷ですから」
人払いしたのか、メイドもいない。まさか皇帝自ら手当てを施してくれるというのだろうか。恐れ多いし、何よりアレクにあまり近づきたくなかった。
顔は見られていないとはいえ、背格好や声質は同じなのだ。いつ紗綾姫と同一人物だとバレてしまうか分からない。一刻も早く場を辞したい。
「座れ」
内心焦る煌を鋭い眼差しで縫い止めたアレクは、落ち着いた低い声音で命じた。逃げられないと悟り、大人しくソファに腰を下ろす。
アレクは煌の隣に腰掛けた。びくりと肩が跳ねたが、手当てするわけなので距離が近いのは当然だ。自然な仕草で手を取られ、傷を検分される。アレクの手はとても大きくて、節くれ立っていた。眸は冷たい氷のようなのに、掌は暖炉のごとく温かい。
とくり、とくりと心臓が脈打つ。
煌は緊張に身を固くしながら、傷を消毒して包帯を巻いてくれる一連の作業を見守った。意外にも手慣れているので眸を瞠る。大国の皇帝といえば、人任せで何もしないものだと思い込んでいた。
「これでいい」
綺麗に巻かれた白の包帯の表面を指先でなぞり、アレクの熱が離れていく。そこはかとない寂しさを覚えたのは気のせいだろうか。
「ありがとうございました」
「すまなかったな。皇子だからといって逐一我儘に応える必要はない。ユーリイにもよく言い聞かせておこう」
「とんでもございません。僕の不注意ですから、どうかユーリイさまをお叱りにならないでください」
碧の眸が見定めるように、煌の顔に眼差しを注ぐ。眸の奥の真実を覗き込まれるようで、身が竦んでしまう。
「ユーリイが抱くのをせがんで、しかも大人しく寝たのは初めてだ。子守の経験があるのか」
「いいえ。初めてです」
昔、屋敷で飼っていた小犬の狆をよく抱っこしていた。あのようにお尻をしっかりと支えて抱えれば良いと思ったのだ。
「そうなのか。抱き方も、こなれているな」
「ありがとうございます」
「逆に剣の持ち方は覚束ないようだ。流儀は正統派のようだが」
指摘されて煌の頬が朱に染まる。幼い頃より王族の嗜みとして宮廷付きの師範に剣を習ったが、あまりに下手なので匙を投げられたものだ。逆に編み物の腕前は女官にお墨付きをいただき、「煌さまは姫にお生まれになるべきでしたね」という余計なおまけの言葉まで頂戴した。人には生来の向き不向きというものがあるのだ。
12
あなたにおすすめの小説
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
愛され少年と嫌われ少年
透
BL
美しい容姿と高い魔力を持ち、誰からも愛される公爵令息のアシェル。アシェルは王子の不興を買ったことで、「顔を焼く」という重い刑罰を受けることになってしまった。
顔を焼かれる苦痛と恐怖に絶叫した次の瞬間、アシェルはまったく別の場所で別人になっていた。それは同じクラスの少年、顔に大きな痣がある、醜い嫌われ者のノクスだった。
元に戻る方法はわからない。戻れたとしても焼かれた顔は醜い。さらにアシェルはノクスになったことで、自分が顔しか愛されていなかった現実を知ってしまう…。
【嫌われ少年の幼馴染(騎士団所属)×愛され少年】
※本作はムーンライトノベルズでも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる