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新たな波紋 2
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「かなり鍛えられたのですが、師範も諦めていました。僕のような者が騎士団に入隊しては迷惑になりますし、いつまたユーリイさまにお怪我をさせるとも限りませんから、除隊いたします」
始めからユーリイとの勝負に負けて除隊するつもりだったのだ。というより見学だけのはずが、いつの間にか騎士団員として扱われてしまっている。怪我の功名というわけで、この機に除隊すれば穏便に済ませられるだろう。
後はアレクが、そうかと頷くだけで終わるはずだった。
期待を込めて笑顔を浮かべている煌を、アレクは訝しげに見返す。
「君はまるで除隊を望んでいるようだな。キラ・ハルア」
「えっ。ええ……やはり僕の剣の腕前では騎士団員としてやっていけないと思いますし……」
「確かに、人には適した仕事というものがある。キラには剣を振るうよりもっと己の力を発揮できる特技があるな」
「それは、何でしょう?」
恐れながら見上げれば、アレクの真摯な双眸とぶつかる。
「それは子守だ。キラ・ハルア。貴君をたった今より、皇子の特別侍従に任命する」
「え――」
思いもしない皇帝の言葉に、煌は茫然とした。
エルミターナ宮殿を辞すると壮麗な表門へは向かわず、人目を避けるように木陰に身を潜めながら庭園を通り抜ける。煌は来たときと同じ路を辿り、紅宮殿へと小走りで駆けた。
かなり時間が経ってしまった。鞄の薬を確認して志音の元へ急ぐ。
ひっそりと佇んでいる紅宮殿の裏門をくぐり、勝手口へ向かう。後ろ手に扉を閉めた煌は、すべての力を出し尽くしてその場にへたり込んだ。
「とんでもない姫の大冒険だったな……」
お忍びの買い物も楽じゃない。大変なことになってしまった。ともあれ、まずは志音に薬を飲ませなくては。
息を整えて侍従部屋の扉を開ける。煌は目の前の光景に虚を突かれた。
ベッドは空だった。捲られた布団だけが残っている。
「え? 志音? どこだ」
お手洗いや他の部屋を覗いたが、志音の姿はない。熱があるのに一体どこへ行ったのだ。新たな火種の到来に、煌は狼狽えながら室内を往復する。
ふと、窓の外を人影が掠めた。窓辺に張り付いて見ると、隣の温室を困り顔で出入りしている志音を発見する。
「おい、志音。ここだ、ここ。何してるんだ」
窓を開けて手招く。煌の姿を目に留めた志音は仰天した。
「煌さま⁉ 何してるんですか!」
「それはこっちの台詞だよ。とにかく中に入れ」
勝手口に走り込んできた志音の顔は赤い上に足元はふらついている。まだ熱があるのだろう。煌は腕を伸ばして志音の体を支えた。
「起きたら煌さまがいなくなってたので捜しました。そのお姿はどうしたんですか?」
「街へ薬を買いに行ってたんだよ。心配させて悪かった。ほら」
薬を手渡すと、志音は顔をくしゃりと歪めて目に涙を浮かべた。
「わたくしのために……手にお怪我をされてるじゃないですか。煌さまを危険な目に遭わせたのは、わたくしの責任です。申し訳ございません」
「危険な目に遭ったわけじゃないけどな。大変なことになったのは確かだ。僕はユーリイ皇子の特別侍従に任命された」
「はい? それはどういう――」
流麗な呼び鈴の音色が会話を断ち切る。ふたりは顔を見合わせた。
志音が玄関前へ行き、応対する。ミハイルの声が漏れ聞こえてきたが、何と言っているのか分からない。焦った志音の声が廊下に響いた。
「えっ? ツァーリがいらっしゃってるんですか? 今は困ります。ええと……そういうわけではございませんが、ただいま取り込み中でして……」
アレクが訪ねてきたらしい。さっき会ったばかりじゃないか。
煌は己の服装を見下ろして、はっとした。
まずい。新人騎士団員の制服のままだった。
今すぐに紗綾姫に変身しなければ。
「構わない。待たせてもらう」
アレクの声と足音が迫ってくる。アレクが廊下の角を曲がる寸前に、煌は部屋へ飛び込んだ。
どうする。紗綾姫の宮殿で男の姿で会えば、言い訳が立たない。
応接室へ入ったアレクは、ふと寝室の扉へ目をむけた。
「扉が開け放たれているな」
「申し訳ございません。わたくしが閉め忘れてしまいました」
後から追いかけてきた志音が慌てて寝室を閉ざそうとするが、アレクに制されたらしく、無言のうちに下がる。
軋む音が鳴り、扉が閉じられた。絨毯を踏みしめる靴音。僅かな衣擦れ。男の息遣いまでも意識して、ベッドで毛布を被った煌の緊張は極限に達した。
始めからユーリイとの勝負に負けて除隊するつもりだったのだ。というより見学だけのはずが、いつの間にか騎士団員として扱われてしまっている。怪我の功名というわけで、この機に除隊すれば穏便に済ませられるだろう。
後はアレクが、そうかと頷くだけで終わるはずだった。
期待を込めて笑顔を浮かべている煌を、アレクは訝しげに見返す。
「君はまるで除隊を望んでいるようだな。キラ・ハルア」
「えっ。ええ……やはり僕の剣の腕前では騎士団員としてやっていけないと思いますし……」
「確かに、人には適した仕事というものがある。キラには剣を振るうよりもっと己の力を発揮できる特技があるな」
「それは、何でしょう?」
恐れながら見上げれば、アレクの真摯な双眸とぶつかる。
「それは子守だ。キラ・ハルア。貴君をたった今より、皇子の特別侍従に任命する」
「え――」
思いもしない皇帝の言葉に、煌は茫然とした。
エルミターナ宮殿を辞すると壮麗な表門へは向かわず、人目を避けるように木陰に身を潜めながら庭園を通り抜ける。煌は来たときと同じ路を辿り、紅宮殿へと小走りで駆けた。
かなり時間が経ってしまった。鞄の薬を確認して志音の元へ急ぐ。
ひっそりと佇んでいる紅宮殿の裏門をくぐり、勝手口へ向かう。後ろ手に扉を閉めた煌は、すべての力を出し尽くしてその場にへたり込んだ。
「とんでもない姫の大冒険だったな……」
お忍びの買い物も楽じゃない。大変なことになってしまった。ともあれ、まずは志音に薬を飲ませなくては。
息を整えて侍従部屋の扉を開ける。煌は目の前の光景に虚を突かれた。
ベッドは空だった。捲られた布団だけが残っている。
「え? 志音? どこだ」
お手洗いや他の部屋を覗いたが、志音の姿はない。熱があるのに一体どこへ行ったのだ。新たな火種の到来に、煌は狼狽えながら室内を往復する。
ふと、窓の外を人影が掠めた。窓辺に張り付いて見ると、隣の温室を困り顔で出入りしている志音を発見する。
「おい、志音。ここだ、ここ。何してるんだ」
窓を開けて手招く。煌の姿を目に留めた志音は仰天した。
「煌さま⁉ 何してるんですか!」
「それはこっちの台詞だよ。とにかく中に入れ」
勝手口に走り込んできた志音の顔は赤い上に足元はふらついている。まだ熱があるのだろう。煌は腕を伸ばして志音の体を支えた。
「起きたら煌さまがいなくなってたので捜しました。そのお姿はどうしたんですか?」
「街へ薬を買いに行ってたんだよ。心配させて悪かった。ほら」
薬を手渡すと、志音は顔をくしゃりと歪めて目に涙を浮かべた。
「わたくしのために……手にお怪我をされてるじゃないですか。煌さまを危険な目に遭わせたのは、わたくしの責任です。申し訳ございません」
「危険な目に遭ったわけじゃないけどな。大変なことになったのは確かだ。僕はユーリイ皇子の特別侍従に任命された」
「はい? それはどういう――」
流麗な呼び鈴の音色が会話を断ち切る。ふたりは顔を見合わせた。
志音が玄関前へ行き、応対する。ミハイルの声が漏れ聞こえてきたが、何と言っているのか分からない。焦った志音の声が廊下に響いた。
「えっ? ツァーリがいらっしゃってるんですか? 今は困ります。ええと……そういうわけではございませんが、ただいま取り込み中でして……」
アレクが訪ねてきたらしい。さっき会ったばかりじゃないか。
煌は己の服装を見下ろして、はっとした。
まずい。新人騎士団員の制服のままだった。
今すぐに紗綾姫に変身しなければ。
「構わない。待たせてもらう」
アレクの声と足音が迫ってくる。アレクが廊下の角を曲がる寸前に、煌は部屋へ飛び込んだ。
どうする。紗綾姫の宮殿で男の姿で会えば、言い訳が立たない。
応接室へ入ったアレクは、ふと寝室の扉へ目をむけた。
「扉が開け放たれているな」
「申し訳ございません。わたくしが閉め忘れてしまいました」
後から追いかけてきた志音が慌てて寝室を閉ざそうとするが、アレクに制されたらしく、無言のうちに下がる。
軋む音が鳴り、扉が閉じられた。絨毯を踏みしめる靴音。僅かな衣擦れ。男の息遣いまでも意識して、ベッドで毛布を被った煌の緊張は極限に達した。
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