煌めく氷のロマンシア

沖田弥子

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ハルア特別侍従 1

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「紗綾。眠っているのか?」

 毛布を剥ぎ取られたら、お終いだ。それだけは何とか阻止しなければ。
 煌は震える声音を絞り出した。

「具合が悪くて、少々伏せっております……」
「そうか。無理に起きなくてよい。寝ていなさい。侍医を呼ぶか?」
「いえ、それは……誰にも会いたくありません。寝ていれば治ります」

 医者など呼ばれては困る。誰にも会いたくない。アレクにも。
 そう暗に示唆してしまったためか、沈黙が降りた。毛布を掴む手が震える。どうかこのまま出て行ってほしい。

「そうか」

 煌の願いは聞き届けられた。ひとことだけ残して、アレクが去って行く気配が伝わった。
 部屋の外で話し声がしたが、すぐに静かになる。ややあって軽快な足音が響いた。

「煌さま、もう大丈夫ですよ。ツァーリはお帰りになりました。お体を大事にするようにとのことです」
「ふう……」

 毛布を捲り、安堵の息を吐きながら身を起こす。ひとまず危機は脱したようだ。
 今後は皇子の特別侍従と皇帝の婚約者というふたつの肩書きを持つことになる。そんな二重生活が果たして可能なのだろうか?
 煌は頭を悩ませながら、紗綾姫のドレスに袖を通した。



 翌日から煌は特別侍従キラ・ハルアとして、宮廷に出仕した。利点といえば住まいと職場がとても近いということである。紅宮殿には志音ひとりを残すことになるが、薬を飲んで体調が回復した志音は事情を聞いて「何とかなります、お任せください」と頼もしく語っていたので、留守は彼に任せることにする。

「おはようございます、ミハイルさん」

 眩しい朝陽の射し込む廊下に控えた、月のように楚々とした容貌のミハイルに挨拶する。こんなに朝が似合わない人も珍しい。細いフレームの眼鏡をきらりと反射させたミハイルは、煌を真っ直ぐに見返した。

「おはようございます、ハルア特別侍従。わたくしの名をご存じなのですね。いつ、貴方に名乗りましたか。記憶にありませんが」

 いきなり盲点を突かれて息を呑む。
 今は新人の侍従なのだった。ほぼ初対面の新人にミハイルさんなどと気さくに呼ばれれば、怪訝に思われて当然だ。煌は背筋を正して表情を引き締めた。

「ええと、それはもう、侍従長であるミハイルさんのお名前は有名ですから、以前から存じておりました」
「なるほど。わたくしは侍従長ではありますが、ツァーリの側近でもあります。しかしユーリイ皇子の専属侍従ではありません」
「そうなんですか。ユーリイさまの専属侍従はどなたなんですか?」
「貴方ですよ。キラ・ハルア」
「……えっ? でも僕は昨日任命されたばかりなんですが」

 盛大に物をひっくり返す音が傍の部屋から響き渡る。開かれた扉から泣き顔のメイドが駆け出していった。何事かと驚いていると、平静な表情のミハイルに背中を押される。

「では、お願いします」
「えっ」

 押し込まれた室内は物が散乱していた。昨日、眠ってしまったユーリイをベッドに下ろしたときは綺麗に片付いていたのに、ぬいぐるみや玩具が散らばり、その上に無数の服が撒かれている。先ほど大きな音がしたのは水差しを倒したからだ。ベッドの周りは濡れたタオルやブラシが落ちていた。
 倒れた水差しを拾うと、ベッドに鎮座している不細工な天使と目が合う。

「おはようございます、ユーリイさま」

 にこりと微笑みかけるが、寝不足なのか真っ赤な目をしたユーリイは唇をねじ曲げている。相当機嫌は悪いようだ。

「眠れなかったんですか? 目が赤いですよ」
「うるさーい!」

 癇癪を起こして手足をばたつかせている。何だか新種の小動物のようだ。たっぷり観察していると、やがて飽きたのかユーリイは手を下ろした。

「きさまは何をしにきたんだ。キラ」
「僕は今日からユーリイさまの特別侍従に任命されました。よろしくお願いします」
「そんなこと知ってる。父上が言ってた。今までもそんなやついたけど、みんなすぐやめた。キラもどうせボクから離れていくんだろ」
「僕の場合は離れられませんね」

 仮に特別侍従を辞めても、紗綾姫として継母の務めがあるわけで。
 さらりと言い切る煌をユーリイは不思議そうに見たが、すぐにまた唇を尖らせた。

「……父上は?」
「朝議においでになりました」

 毎朝宮廷の会議室で重臣を集めた朝議が行われている。政務の忙しい皇帝は皇子の寝起きに付き合う時間はない。ユーリイは布団の端を握りしめて、ぽつりと呟いた。
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