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子守唄の調べ 1
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「追わなくともよい。来てくれるはずだと見越しているのだ。少し放っておけ」
「申し訳ありません。ユーリイさまと僕が仲良くしすぎたので、そのせいで紗綾姫と疎遠になってしまいました」
「キラが謝ることはない。君はよくやってくれている。ユーリイには後で私から言い聞かせておこう」
説得しようとするほど、ユーリイの心はいっそう頑なになってしまう。
誰かを好きになってもらおうなんていう考え方が、おこがましいのだ。人が誰かに心を許すのは説得によるものであるわけがない。煌は反省して項垂れた。
思えば始めは煌にきつく当たっていたユーリイが懐いてくれたのは、毛糸の帽子が切欠だった。
心の奥深くにひそむ願望を汲み取ってくれたから。
順番で言えば紗綾姫が先に毛糸の帽子を編んであげるべきだったのだ。結果論を述べても仕方ない。人の心と同様に、世の中とはままならない。
アレクは嘆息しながらチェス盤に駒を戻した。
「皇帝の命令でも、人の心は動かせない。庇護下にあるからこそ頼るはずだなどと、私は間違った思い込みをしていたのかもしれないな……」
皇帝であるアレクにも、思い通りにならないことがあるのだ。アレクの人間らしい気弱な面を垣間見て、煌の胸の奥から淡い欠片がほろりと零れた。
「アレクの気持ちはユーリイさまも、きっとわかってくれるはずです。ユーリイさまと紗綾姫が歩み寄れるよう、僕も陰ながらお手伝いします」
紗綾姫のほうから、ユーリイに会いたいという遣いを出そう。直に会って話せば、ユーリイの苦手意識も解れるのではないだろうか。何しろ、紗綾姫は煌自身なのだから。
「君は優しいな。キラ」
「特別侍従ですから……当然のことです。ユーリイさまの様子を見てきますね」
アレクに褒められれば面映ゆくて、朱に染まる頬を隠すように離席する。談話室の続き部屋はユーリイの寝室だ。入室すると、ベッドに突っ伏した状態で安らかな寝息を零している天使と遭遇する。
そっと布団を掛けてあげる。涙の痕を濡れたタオルで優しく拭っていると、隣室から柔らかなピアノの音色が響いてきた。
子守唄だ。
ぐっすり眠っているユーリイの寝顔に、おやすみなさいと囁く。談話室へ戻れば、室内に置かれたグランドピアノの前にアレクは座っていた。
長い指が鍵盤の上を流れるように滑る。
綺麗だ。そしてどこか、哀しい。
アレクにも、心の奥深くにひそむ願望なんてあるのだろうか。
少し離れたところで見守っていると、アレクは鍵盤に目を落としながら語り出した。
「亡くなった妃とは政略結婚で、それは皇帝としての義務だった。それでも私は妃と意思を通じ合わせようとしたが、彼女は国に愛する人がいて、私はその愛を壊した略奪者であると糾弾された」
アレクの告白が奏でられる子守唄に紛れていく。
突然の告白に瞠目したが、煌は黙然と受け止めた。
亡くなった妃の出身国であるベルーシャはロマンシアの南方に位置している。海洋資源の豊かな国で貿易の拠点となる大きな港があるので、凍った港しか持たないロマンシアにとって友好的な関係を保ちたい国であると察せられる。
煌は今まで、夫婦というものは愛し合う間柄であると思い込んでいた。たとえ政略結婚であっても、長い時間を共に過ごせば人は分かり合えるものだと勝手に思っていたのだ。
けれどそれは未熟な煌の思い違いであったと知る。
「だが私は妃を責めることができない。なぜなら私自身も、忘れられない人がいるからだ。初恋を叶えたい。その想いを永遠にねじ伏せておくことはできない」
淡々とした口調には、苦しい胸の裡が滲んでいた。
衝撃が身を貫く。
アレクの、忘れられない人。初恋の人。
それはまさか。
「紗綾姫……ですか?」
曲が終わり、左手の伴奏は和音の残滓を零す。アレクは自嘲めいた笑みを口元に刻んだ。
「軽蔑するか? 忘れられない初恋の人を、私は権力により無理やり召し上げた」
紗綾が、アレクの初恋の人。
ふたりは以前会ったことがあるのだ。一体、どこで。
動揺を押し殺して、煌は潰れそうな胸を奮い立たせた。
「いえ、そんな。無理やりなんて思いません。アレクは紳士的に接してくださいました……と窺っています」
この動揺は、兄として妹のことを知らなかったからだ。
そのはずなのに、アレクに想い人がいるという事実にこんなにも衝撃を受けているのはなぜなんだ。
どうしてあなたは、そんなにも紗綾のことが好きなんだ。
もし、先に出会ったのが僕だったら……。
「紳士的……か。私は心を尽くしているつもりだが、それは妃にも紗綾にも伝わらないようだ。ユーリイにもな。私の接し方は、どこか間違っているのだろうか。キラはどう思う。私は恐ろしい皇帝か?」
「申し訳ありません。ユーリイさまと僕が仲良くしすぎたので、そのせいで紗綾姫と疎遠になってしまいました」
「キラが謝ることはない。君はよくやってくれている。ユーリイには後で私から言い聞かせておこう」
説得しようとするほど、ユーリイの心はいっそう頑なになってしまう。
誰かを好きになってもらおうなんていう考え方が、おこがましいのだ。人が誰かに心を許すのは説得によるものであるわけがない。煌は反省して項垂れた。
思えば始めは煌にきつく当たっていたユーリイが懐いてくれたのは、毛糸の帽子が切欠だった。
心の奥深くにひそむ願望を汲み取ってくれたから。
順番で言えば紗綾姫が先に毛糸の帽子を編んであげるべきだったのだ。結果論を述べても仕方ない。人の心と同様に、世の中とはままならない。
アレクは嘆息しながらチェス盤に駒を戻した。
「皇帝の命令でも、人の心は動かせない。庇護下にあるからこそ頼るはずだなどと、私は間違った思い込みをしていたのかもしれないな……」
皇帝であるアレクにも、思い通りにならないことがあるのだ。アレクの人間らしい気弱な面を垣間見て、煌の胸の奥から淡い欠片がほろりと零れた。
「アレクの気持ちはユーリイさまも、きっとわかってくれるはずです。ユーリイさまと紗綾姫が歩み寄れるよう、僕も陰ながらお手伝いします」
紗綾姫のほうから、ユーリイに会いたいという遣いを出そう。直に会って話せば、ユーリイの苦手意識も解れるのではないだろうか。何しろ、紗綾姫は煌自身なのだから。
「君は優しいな。キラ」
「特別侍従ですから……当然のことです。ユーリイさまの様子を見てきますね」
アレクに褒められれば面映ゆくて、朱に染まる頬を隠すように離席する。談話室の続き部屋はユーリイの寝室だ。入室すると、ベッドに突っ伏した状態で安らかな寝息を零している天使と遭遇する。
そっと布団を掛けてあげる。涙の痕を濡れたタオルで優しく拭っていると、隣室から柔らかなピアノの音色が響いてきた。
子守唄だ。
ぐっすり眠っているユーリイの寝顔に、おやすみなさいと囁く。談話室へ戻れば、室内に置かれたグランドピアノの前にアレクは座っていた。
長い指が鍵盤の上を流れるように滑る。
綺麗だ。そしてどこか、哀しい。
アレクにも、心の奥深くにひそむ願望なんてあるのだろうか。
少し離れたところで見守っていると、アレクは鍵盤に目を落としながら語り出した。
「亡くなった妃とは政略結婚で、それは皇帝としての義務だった。それでも私は妃と意思を通じ合わせようとしたが、彼女は国に愛する人がいて、私はその愛を壊した略奪者であると糾弾された」
アレクの告白が奏でられる子守唄に紛れていく。
突然の告白に瞠目したが、煌は黙然と受け止めた。
亡くなった妃の出身国であるベルーシャはロマンシアの南方に位置している。海洋資源の豊かな国で貿易の拠点となる大きな港があるので、凍った港しか持たないロマンシアにとって友好的な関係を保ちたい国であると察せられる。
煌は今まで、夫婦というものは愛し合う間柄であると思い込んでいた。たとえ政略結婚であっても、長い時間を共に過ごせば人は分かり合えるものだと勝手に思っていたのだ。
けれどそれは未熟な煌の思い違いであったと知る。
「だが私は妃を責めることができない。なぜなら私自身も、忘れられない人がいるからだ。初恋を叶えたい。その想いを永遠にねじ伏せておくことはできない」
淡々とした口調には、苦しい胸の裡が滲んでいた。
衝撃が身を貫く。
アレクの、忘れられない人。初恋の人。
それはまさか。
「紗綾姫……ですか?」
曲が終わり、左手の伴奏は和音の残滓を零す。アレクは自嘲めいた笑みを口元に刻んだ。
「軽蔑するか? 忘れられない初恋の人を、私は権力により無理やり召し上げた」
紗綾が、アレクの初恋の人。
ふたりは以前会ったことがあるのだ。一体、どこで。
動揺を押し殺して、煌は潰れそうな胸を奮い立たせた。
「いえ、そんな。無理やりなんて思いません。アレクは紳士的に接してくださいました……と窺っています」
この動揺は、兄として妹のことを知らなかったからだ。
そのはずなのに、アレクに想い人がいるという事実にこんなにも衝撃を受けているのはなぜなんだ。
どうしてあなたは、そんなにも紗綾のことが好きなんだ。
もし、先に出会ったのが僕だったら……。
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