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子守唄の調べ 2
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寂しげに微笑むアレクは、煌を見つめてくる。
その表情に、ずきりと胸が痛みを覚えた。
煌は心の中でゆるく首を振る。
僕は今、アレクに好きになって欲しいだなんていう望みを仄かに抱いた。
けれど彼がキラ・ハルアに求めているのは、侍従としての行いだ。
皇帝の臣下として接しなければならない。
「そんなことありません。僕は、アレクを恐ろしいなんて思いません。アレクの優しさを、僕は知っています。きっと伝わります」
彼を癒してあげたい。でもそれは臣下としてだ。アレクの心の奥底に踏み込むことは許されない。
僕は、本物の紗綾ではないから。アレクの求めている初恋の人とは違う。
胸の裡に湧いた恋心の花弁を、自ら毟り取る。
でも今だけは、弱い部分を曝け出してくれたアレクに触れることを許されてくれないだろうか。
そっと逞しい肩に手をかける。不敬だと叱られたら、すぐに離すつもりだった。それなのにアレクは、肩に置かれた手に自らの掌を重ね合わせる。
「ありがとう……キラ」
指先を絡めるように、彼の熱が優しく触れる。
ロマンシア帝国皇帝の素朴な御礼の言葉は、とても重く胸に響いた。
どうしてあなたは、皇帝なのだろう。
もし互いの立場が違ったら、この苦しさを抱えなくても済んだのだろうか。
アレクの熱い掌は、長い間、肩に置いた煌の手を握りしめていた。
編み棒を下ろして、煌は幾度目か知れない溜息を吐いた。窓に目を遣れば、温室の薔薇が陽の光を受けて咲き誇っている。
本日は休暇日なので、騎士団及び特別侍従の仕事は休みだ。事前にユーリイ皇子宛てに、紅宮殿に遊びにいらしてくださいという紗綾姫からの遣いを出していたが音沙汰がない。やはりこちらから出向いたほうが良いだろうか。けれど手ぶらで訪ねる訳にもいかないので、編みかけの靴下が完成してからにしよう。
お代わりの紅茶を淹れてくれた志音が、つと首を捻る。
「煌さま、今日は溜息ばかりですね。編み物に飽きたんですか。いえそんなこと有り得ませんね」
「完結してるじゃないか。ちょっと疲れてるだけだよ」
志音とは長い付き合いなので、煌の編み物好きをよく分かっている。溜息の原因は別のところにある。それはユーリイと紗綾姫が打ち解けてくれれば解決できるはずだ。
「お疲れでしたら甘いものでも……あれ。どなたかな?」
呼び鈴が鳴り響いた。休暇日はメイドも休ませるため、掃除などは入らないことになっている。急な用事だろうか。
取り次ぎにエントランスへ赴いた志音の大声が響き渡った。
「えっ⁉ ユーリイさまですか。お待ちしておりました。はい、どうぞこちらへ」
来客なのでベールを被ってくださいという合図だ。ユーリイが来てくれたらしい。
慌てて毛糸を椅子の下に押しやり、置いてあったベールを頭に被る。紅宮殿にいるときは常に紗綾姫のドレスを着用しているので、楚々とした姿勢を取れば完成である。
応接室を訪れたユーリイは唇を尖らせていた。反して満面の笑みを浮かべた見慣れない人物がユーリイの背中を押すようにして入室する。壮年で恰幅が良く、豪奢すぎるフロックコートで飾り立てている男性だ。
「やあ初めまして、紗綾姫。私はヨセフ・カザロフ大公。アレクサンドルの叔母の夫です。ルイベール王朝の血を受け継ぐ、正統な皇位継承者です」
やたらと地位を強調してくる男だが、叔父様なので失礼のないよう挨拶する。
「お初にお目にかかります、カザロフ大公。紗綾でございます」
「おお、なんとお美しい声でしょう。そのベールの下もさぞ綺麗な方なのでしょうな。ベールを取って顔を見せていただけますかな?」
期待を込めた眸の中に下衆な色が混じっている。ベールの下で煌は口元を引き攣らせた。すかさず志音が大公に微笑みかける。
「おそれながら閣下。瑠璃国では未婚の女性は顔を見せてはならないとされております。ツァーリにもそのことは御納得いただいておりますので、どうかご容赦ください」
「なんだと? 侍従風情がこの私に指図するつもりか。無礼な! 私を誰だと思っている。本来は皇帝であるべき尊い身分はルイベール王朝よりの……」
大公の突然の怒りに戸惑う。アレクの叔父だそうだが、速やかに了承してくれたアレクとは全く異なる反応だ。
ユーリイが半眼でカザロフ大公のフロックコートの裾を引っ張る。憤然として怒りをぶつけていた大公は、小さな皇子に目をむけた。
「叔父上。もう帰ってください。ボクは紗綾とおはなしがあります」
「ユーリイ、大人の話を邪魔してはいけない。黙っていなさい」
「叔父上のおはなしは長いです。いっしょに来てくださいなんて、ボク言ってません。叔父上が紗綾の顔が見たい、美人なら自分の愛妾に召し上げる、不細工なら後妻に似合いだっておはなしも長過ぎでした。聞かされてた侍従はあくびをがまんしてたの、ボク見てました」
その表情に、ずきりと胸が痛みを覚えた。
煌は心の中でゆるく首を振る。
僕は今、アレクに好きになって欲しいだなんていう望みを仄かに抱いた。
けれど彼がキラ・ハルアに求めているのは、侍従としての行いだ。
皇帝の臣下として接しなければならない。
「そんなことありません。僕は、アレクを恐ろしいなんて思いません。アレクの優しさを、僕は知っています。きっと伝わります」
彼を癒してあげたい。でもそれは臣下としてだ。アレクの心の奥底に踏み込むことは許されない。
僕は、本物の紗綾ではないから。アレクの求めている初恋の人とは違う。
胸の裡に湧いた恋心の花弁を、自ら毟り取る。
でも今だけは、弱い部分を曝け出してくれたアレクに触れることを許されてくれないだろうか。
そっと逞しい肩に手をかける。不敬だと叱られたら、すぐに離すつもりだった。それなのにアレクは、肩に置かれた手に自らの掌を重ね合わせる。
「ありがとう……キラ」
指先を絡めるように、彼の熱が優しく触れる。
ロマンシア帝国皇帝の素朴な御礼の言葉は、とても重く胸に響いた。
どうしてあなたは、皇帝なのだろう。
もし互いの立場が違ったら、この苦しさを抱えなくても済んだのだろうか。
アレクの熱い掌は、長い間、肩に置いた煌の手を握りしめていた。
編み棒を下ろして、煌は幾度目か知れない溜息を吐いた。窓に目を遣れば、温室の薔薇が陽の光を受けて咲き誇っている。
本日は休暇日なので、騎士団及び特別侍従の仕事は休みだ。事前にユーリイ皇子宛てに、紅宮殿に遊びにいらしてくださいという紗綾姫からの遣いを出していたが音沙汰がない。やはりこちらから出向いたほうが良いだろうか。けれど手ぶらで訪ねる訳にもいかないので、編みかけの靴下が完成してからにしよう。
お代わりの紅茶を淹れてくれた志音が、つと首を捻る。
「煌さま、今日は溜息ばかりですね。編み物に飽きたんですか。いえそんなこと有り得ませんね」
「完結してるじゃないか。ちょっと疲れてるだけだよ」
志音とは長い付き合いなので、煌の編み物好きをよく分かっている。溜息の原因は別のところにある。それはユーリイと紗綾姫が打ち解けてくれれば解決できるはずだ。
「お疲れでしたら甘いものでも……あれ。どなたかな?」
呼び鈴が鳴り響いた。休暇日はメイドも休ませるため、掃除などは入らないことになっている。急な用事だろうか。
取り次ぎにエントランスへ赴いた志音の大声が響き渡った。
「えっ⁉ ユーリイさまですか。お待ちしておりました。はい、どうぞこちらへ」
来客なのでベールを被ってくださいという合図だ。ユーリイが来てくれたらしい。
慌てて毛糸を椅子の下に押しやり、置いてあったベールを頭に被る。紅宮殿にいるときは常に紗綾姫のドレスを着用しているので、楚々とした姿勢を取れば完成である。
応接室を訪れたユーリイは唇を尖らせていた。反して満面の笑みを浮かべた見慣れない人物がユーリイの背中を押すようにして入室する。壮年で恰幅が良く、豪奢すぎるフロックコートで飾り立てている男性だ。
「やあ初めまして、紗綾姫。私はヨセフ・カザロフ大公。アレクサンドルの叔母の夫です。ルイベール王朝の血を受け継ぐ、正統な皇位継承者です」
やたらと地位を強調してくる男だが、叔父様なので失礼のないよう挨拶する。
「お初にお目にかかります、カザロフ大公。紗綾でございます」
「おお、なんとお美しい声でしょう。そのベールの下もさぞ綺麗な方なのでしょうな。ベールを取って顔を見せていただけますかな?」
期待を込めた眸の中に下衆な色が混じっている。ベールの下で煌は口元を引き攣らせた。すかさず志音が大公に微笑みかける。
「おそれながら閣下。瑠璃国では未婚の女性は顔を見せてはならないとされております。ツァーリにもそのことは御納得いただいておりますので、どうかご容赦ください」
「なんだと? 侍従風情がこの私に指図するつもりか。無礼な! 私を誰だと思っている。本来は皇帝であるべき尊い身分はルイベール王朝よりの……」
大公の突然の怒りに戸惑う。アレクの叔父だそうだが、速やかに了承してくれたアレクとは全く異なる反応だ。
ユーリイが半眼でカザロフ大公のフロックコートの裾を引っ張る。憤然として怒りをぶつけていた大公は、小さな皇子に目をむけた。
「叔父上。もう帰ってください。ボクは紗綾とおはなしがあります」
「ユーリイ、大人の話を邪魔してはいけない。黙っていなさい」
「叔父上のおはなしは長いです。いっしょに来てくださいなんて、ボク言ってません。叔父上が紗綾の顔が見たい、美人なら自分の愛妾に召し上げる、不細工なら後妻に似合いだっておはなしも長過ぎでした。聞かされてた侍従はあくびをがまんしてたの、ボク見てました」
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